『背中』



 稔(みのり)の背中には大きなあざがある。
 昔、交通事故にあった時に残ってしまった物らしい。色は薄くて、あまり目立ちはしないけれど、右腰の辺りから背中をゆっくり登ったかのように広がっていた。よほど大きな事故だったんだろうかと、私が聞いた時には笑って答えてくれた。
『自転車でスピードレースをしててさ、曲がり角を曲がろうとしたらスリップして、そこに通りかかった車に直撃さ。まあ、あっちもゆっくりと走ってたから全然痛くもなかったし、大人達は困惑してたけど俺はぽやーっとしてたね』
 少しのんびり屋さんな性格なのは昔かららしい。
 人の背中を見ると、その人の大きさが分かる。それは体の大きさって事じゃなくて、心の大きさだ。男は背中で語る、なんていう言葉もあるけれど、感じ的にはそれに似ている。
 稔の背中は少し頼りない。
 ある程度筋肉があって、肉付きは申し分ないと思う。でも、どこか頼りない気配が発散されているんだ。私はそれを感知して、この人とは付き合わないだろうと初めて会った時に思ったものだ。
 でも――
「稔の背中、あったかいね」
 裸の背中に顔を付けると、稔の体温が伝わってくる。毛布に包まって二人で寝ているのはとても心地よい。お互い抱きしめあうのもいいけれど、こうして背を向けている彼の背中越しに、彼の気配を感じるのが好きになっていた。
「そうかな?」
 稔が私のほうを向こうとするのを抑えて、背中越しに抱きしめる。左側を下にしていたから、右手は横から稔の胸に回せるけれど、左手は首の方を通って右手にたどり着く。
 少し不恰好だけれど、もうなれた体勢だった。
「明日美の体温も感じるよ……」
 稔の背中には私の胸が押し付けられてる。背中から稔の全身に私の気持ちが伝わっていくような錯覚に陥った。それはチョコレートのように甘い感覚を私の内に残してくれる。
「稔の背中、大好き」
「変なあざがあっても?」
「あざがあっても、だよ」
 背中には人の全てが詰まってる。
 稔の歩いてきた道が、背中を通して伝わってくる。
 これから先も、稔の後ろをずっと付いていく背中。その背中を、私はずっと見ていたい。
「就職決まったらさ、結婚しようか」
「……い、いきなり何言ってるんだよ!?」
「だってぇ……ずっとこうしていたいんだもん」
 私は少し甘ったるい声を出して稔を抱きしめる。こうすると稔は照れてしまって背中に汗をかく。その匂いは少し苦手なんだけど、やっぱり好きな人だからか気にならない。
「考えといてね」
 稔を抱きしめる手を離して、肩越しに稔の顔を見る。振り返ってきた彼の頬に深くキスをする。
 背中を越えたところにある幸せの瞬間。
 そして私は、また稔のあざを見ながら甘い感情の海に沈むのだった。




『完』




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