眠り姫の住処

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 ユウキは乱立する木々の合間に目的の城を発見してほっと胸をなでおろした。
 予定の時間を過ぎても目的地は全く見えないため、迷ってしまったのではないかと不安になっていたが、自分の歩む方向が正しかったと分かったために肩の力を抜く。背後を見ると、これまで殺してきた動物たちの死体が並んでおり、奇しくも自分が進んできた道標となっていた。
「無駄な殺しはやっぱり嫌だよな」
 凶暴な動物でも彼らの住処を襲わなければ人間には手を出してこない。彼らからすれば、今、こうして侵入してきているユウキこそが侵略者で、外敵なのだから当然襲い掛かってくるだろう。自分の側に確かな正義があるとは言えないユウキは苦々しい思いをしつつも依頼を果たすために足を止めず、剣と鎧を血で汚していた。
(やっぱり、依頼は受けなきゃよかったな)
 所々に捨てられていた血まみれの鎧はおそらく自分のようにこの場所に入って動物に殺された人間たちのものであり、ユウキ自身も仲間に入るかもしれない状況に、緊張で頭が痛くなる。同時に、依頼をしてきた幼馴染のベールの顔を思い出した。
『行方不明者の捜索を頼むよ。ついでに眠り姫の伝説を確かめてきてくれ。お前、そういうの好きだろ?』
 数日前に眠り姫の伝説を確かめに行く、と若者たち三人が城に続く森に入り、二人は逃げ帰って一人は行方不明になった。全身が毛むくじゃらで体長が人の二倍以上あり、爪も牙も鋭い肉食動物が闊歩する森で行方不明となればその結末は暗い方に傾くが、街の守護隊は別件の大規模な事件の対応ですぐには動けないらしい。もしかしたら逃げおおせて、廃墟となった城にいるかもしれない。
 でも時間をかければ死ぬ可能性がある。守護隊につい数日前に採用されたベールは行方不明者の親に泣きつかれて、最終的にユウキに泣きついてきたのだった。
 生存者の捜索でも、眠り姫も見つけられる可能性は極めて低い。
 野生の獣たちの死体を重ねるほどの意味があるとは思えなかった。
(一緒に行く前に止めろよ)
 自分が逃げ帰った二人のうちの一人だと絶対に他言するなと釘を刺してきた顔をユウキはしばらく忘れないで金づるにしようと決めた。
「それにしても。こうやって見えると、怖いよな」
 血の匂いをさせた自分にはきっと野生動物が近づいてくる。そう判断してユウキは極力、足早に見えた城へと向かった。城はユウキが生まれる前から伝わっている『眠り姫の伝説』に出てきたものと変わらない外見をしていた。
 千年前に城で暮らしていた姫。
 姫は幼い頃に城の外で野生の動物に怪我をさせられてから、怖くて引きこもっていた。
 外に出なくなった姫は、十年以上経った頃には見目麗しく育ち、王は姫のために城の外からたくさんの人間を呼び寄せて、ずっと姫を楽しませていた。
 そしてある時、姫を喜ばせるだけだった人間たちの中で、求婚をした男の魔術師がいた。
 姫は申し出を断り、魔術師は諦めきれずに何度も求愛をしたが、最後には城に二度と近づけないように城を守る兵士に頼んで捕えさせた。
 姫を溺愛していた王様は、魔術師を追放することなく処刑した。
 魔術師は、死の間際に姫を恨んで呪いをかけたという。
 一つ。一生眠ること。
 一つ。意識までは失わないこと。
 一つ。その場を動けないこと。
 一つ。永遠に恐怖に囲まれること。
 四つの呪いによって城からは人がいなくなり、姫は自室で体を横たえたまま誰にも動かされることなく過ごしているという。
 今では獣も徘徊するため年に数人から十数人は興味本位でやってきては行方不明になっている魔の森と化していた。
 そんな森から死にかけて逃げ帰ってきた者が言うには、その場を動けないこと、という呪いを守るためか城が建っていること。耐用年数はとっくに過ぎているだろうが、崩れ落ちてはいない。たどり着いた者はあまりの新しさに驚くという。
 しかし、城が老朽化しないというのは、ユウキは自分が年を二桁まで重ねた時に追加されたので嘘だと思っていた。
 子供心に魔術師が怖かったユウキは、親の「言うことを聞かないと魔術師に呪いをかけてもらおう」という言葉に非常に怖がり、礼儀正しく育つことができたと思う。今ならば、教訓めいたことを子供に教えるための話なのだろうと理解していた。
「永遠に怖い目にあうのか。眠ってるのに意識あるってのは怖いよな」
 いつもより独り言が多いことを自覚して、恐れを断ち切るように剣を一振りした。付着していた血液を飛ばしたあとで、鞘に納めて歩を進める。
 すると、さっきまで見えていた城が見えなくなり、周囲を見回したところで音が消えた。
(なんだ……ん?)
 だが無音になったのはほんの数秒だった。無音が解ける瞬間に耳の奥に走る甲高く細い音。痛みに目を瞑り、再び開けると目の前には城の壁が左右に広がっていた。
「……進んでる内に着いていた、のか。遠近感がおかしくなってたらしい」
 森と城との境目も曖昧なまま、ユウキは壁に取りつく。噂とは異なり、古く崩れそうな壁は左右に広がり、見上げるとうっすらと塔の先が見えた。左手をついて歩いていくと、やがて扉が朽ちた入口が見え、苦も無く城の中へと入る。各部屋、各階から繋がっている通路が一か所に集まっている大広間があり、最も遠い場所には森の中で斬り殺してきた動物が尻をユウキへと向けていた。
(城の中にまでいるのか。これだと、逃げ込めても生きてはいないんじゃないか)
 もし行方不明者が逃げ込んだとしても、その末路は明るくない。広間に血痕はないため、殺されて引きずられたということはないと考える。殺されたとしても奥の部屋だろう。これ以上、ユウキが進む理由はないはずだった。
 それでもユウキは胸の内から湧き上がる思いから目を離せなかった。
 お前そういうの好きだろ? とベールの言葉が蘇る。ユウキは笑みを浮かべて、できるだけ音を立てないように侵入し――
 急に体が重くなった。
 あレ? なンダこレ?
 呟いたつもりが上手く言葉にならなかった。
 背筋には悪寒が走り、徐々に体温が上がっていく。熱に浮かされ、前後不覚に陥る感覚は酒の飲みすぎて意識が朦朧とする以上の混濁をユウキへともたらす。
 ナンダコレは……ガス? それとも?
 頭だけではなく細胞までが熱を発し、体の内部から書き換えられていくような激痛が一瞬だけユウキの頭から股間までを貫き、膝をつく。
 声帯の種類が変わってしまったかのように、声はくぐもり、意味のある単語をなさない。
(頭が……痛い……あ……があぁあああああああああああ!)
 全くでなくなった声。口を開けたまま息を吐いて目が回る。頭の中が真っ白になり、光が弾けたとユウキが感じた瞬間に、唐突に痛みは消え去った。
(――?)
 唐突な変化に圧倒されながらユウキは周囲を見回し、床を見る。
 そこには着ていたはずの鎧や衣服が床へと落ちていて、代わりに全身を覆う剛毛と、指先から生えた鋭い爪が見えた。
『――グォオオアオアオオアオア!』
 口から吐き出された絶叫は、人間のモノではなく獣のそれだった。
 自分が斬り殺してきた野生動物と同じ種類、城の奥で尻を向けている個体も同種。軽く頬を爪で突いてみる。夢ならば覚めるが、何度突いても現状は変わらず、ついに頬に自らの爪が突き刺さる。
(どういうことだ。俺は城に入って、いきなり動物に、なった?)
 痛みに慌てて顔を離して、ユウキは現実だと受け入れるしかなかった。混乱さえも許されない、圧倒的な現実感。それが逆にユウキの頭を素早く切り替えさせようとする。
(どうしてこうなったんだ? どうして……)
 呪いなんて全く信じていなかった。眠り姫の伝説は大人が子供に聞かせる物語の一つで、放置された城と獣たちの住処へ人を寄せ付けないための逸話程度の価値しかないと考えていた。
 でも、実は話は本当で、侵入したことで呪いがかかったのか。でも呪いがかかったのは眠り姫で、かけたのは魔術師で呪いなら眠るはずなのに俺はどうして獣になっているんだ。
「フーッ! フーッ!」
 少しでも呼吸を落ち着かせるために思い切り息を吐く。それでも落ち着くことはなく、だんだん怒りがこみあげてきて思わず手近な壁を殴りつけた。肉が壁に食い込んで爪が掌を傷つける痛みは更に怒りを増幅させる。それでも両掌を床に叩きつけて、自分の動きを封じた。
(怒りやすくなってる……それに、うまく考えられない……)
 体だけではなく心まで獣になろうとしているのか。単純な感情に支配されやすくなる。理不尽な現象に襲われた怒りがいつまでも消えない。落ち着けないならこのまま考えるしかなく、床に掌を叩きながらなんとか思い浮かべる。
 魔術師が姫様にかけた呪いは四つ。
 一つ。一生眠ること。
 一つ。意識までは失わないこと。
 一つ。その場を動けないこと。
 一つ。永遠に恐怖に囲まれること。
 姫は、どれだけの間、苦しんできたのか。
(――なにに?)
 眠っている間、意識が失われないことに苦しんだのかと思っていたが、本当にそうなのか。
 永遠の苦しみは恐ろしいと思っていたけれど。永遠の苦しみに囲まれることが意識を失わないことなら、二つがわざわざ分けらられていいいるるのはははははなぜなぜなぜなのかかかかかか。
 怒りで曇っていたユウキの視界が薄くなり、傍に落ちていた俺の剣が目に入る。鞘に入った刀身はもちろん見えないが。鞘や柄にこびりついた血痕は分かる。ユウキが殺してきた獣たちの返り血は十では足りない。
「おぉおおおいいいいい! ユウキィイイイイ!」
 不意に聞こえてきた声に、ユウキは視線を前に向けた。聞き覚えのある声はおそらくベールだと、ユウキは自信がなかったが思った。自分の後を追ってきたのかもしれない。愛用の剣を腰につけて。ユウキが道中で流した獣の血をたどって行けば、多少遅れても追いつくことは可能だったろう。
(どうして。姫への呪いなのに。人がいなく。なったんだ)
 自分の、もう人間ではなくなった掌を見ると答えは見えた気がした。ぼやけた視界には血がついているように見える掌。これまで剣で屠ってきた命がこびりついているように見える、毛むくじゃらの掌。
(姫は。なんで、城に閉じこもって)
 大量の獣たち。生態系を崩しかねないほど大量に発生している獣たち。
 姫が恐れた獣たちの群れは今や、森も城も埋め尽くしている。
 まるで眠り続ける彼女の周りに絶えず存在するように。
 殺しても、殺しても。次から次へといつの間にか生まれてくる。どこからか。
 毎年起こる行方不明者は、人骨となったのか、それとも。
『ゴルルルルルルルルルルル……』
 近づいてくる男から漂ってくる血の匂いに、気分が高揚する。
 殺したい。肉を引き裂きたい。獲物の体に爪を立てたい。歯で肉を食いちぎってやりたい。血を啜りたい。
「おーい! ユウキー! どこだー! やっぱり俺もきたぞー! いるよなー! いないのかー!」
 うるさい敵がやってきた。
 胃袋から込み上げてくる衝動にまた視界が狭まって、ユウキだった獣は真正面から現れたうるさい人間へと一歩を踏み出した。


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