コンクリートジャングル

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 壁を挟んだ向こうから今日も鈍い音が聞こえてくる。
 ガコン、ガコンと機械が駆動し、服を入れた筒が回転する音。洗濯機が回っているに違いない。
 右隣の人は何故か夜の十時から部屋の掃除を始める。土日も同じく、夜十時から深夜一時まで掃除洗濯をしているみたいだ。ガコンガコンと入口付近から聞こえてくるのは、入口の傍に洗濯器が置いてあるからだろう。この部屋と同じ間取りなら、入口の傍に備え付けの洗濯機が鎮座してる。鈍い音を立てて周り、洗濯が終わったら乾燥もある程度してくれるらしい。友達が言うには衣服が縮むからやめた方がいいということだけど、どうせ会社に着ていくワイシャツがほとんどだから構わない。ガコガコ回してある程度乾いたワイシャツを、俺も物干しに干している。きっと右隣の人も同じように乾燥させているんだろう。なんでいつも夜なのか分からないけど、自分のように仕事で毎日遅いからかもしれない。俺も毎日掃除、洗濯しないと汚れが気になっちゃうんだ。
 出張でこのマンションに引っ越してきてから一か月。それだけ過ごせば周りにどんな人間がいるのかも何となく分かる。
 例えば右隣の人は今みたいに掃除洗濯にうるさい人。左隣の部屋の女性は深夜零時半にいつもテレビを大音量で点ける。俺の寝ているベッドのすぐ傍の壁。そこを抜けたところに設置してあるテレビ。同じ間取りが並んでいくであろうこの階の部屋。ちょうど俺の頭の位置にテレビがあるに違いない。いつも寝ようとしている時に内容が聞こえてくるものだから、もうその音量がないと眠れない気がする。ちなみに、女性のあえぎ声が良くしてる番組だ。たまに俺が借りてくるエロDVDと同じ声が聞こえてくる。ちなみ女性だと知ったのはエレベーターでたまたま一緒になった女性が隣に入っていったからだ。
 真上の部屋の人は移動する時にドンドン五月蠅い。そしてたまに彼女なのか知らないけど女性がきていて、ギャハハと騒ぎ立てたり、喧嘩していく。壁や天井は厚そうなのに、この建物は音を良く通す。まるで自分の家の隣の部屋みたいなレベルで周りの住民の生活音が飛び込んでくる。外からは厚そうな窓ガラスを簡単に突きぬけて、歌いながら歩く人の歌声や、道路を駆け抜けていく車の音が届く。正直、心が広くないとやってられない。
 今日も左でエロDVDが流れ、右が掃除洗濯をし、上からドゴンバタンと悲鳴と怒号が響いてくる。三方向から挟まれながら、俺はベッドに寝転がる。不協和音を聞きながら、変な心地よさに頬が緩んだ。東京砂漠。冷たい都会。傍にいるのに傍にいない。そんな都会の寂しさが謳われる中で、ここはこんなにも騒々しい。人の意思が宿ってる。そう考えると楽しくなってきた。
 そして、一つだけ気になった。
 下の階の人はどうなんだろう? 俺は部屋にいる時はほとんどベッドから動かない。テレビをつけてエロDVD見たりするくらい。動く時もすり足抜き足差し足だから、足音はうるさくないはずだ。これでも実家は分譲マンション。騒音対策には強い。逆に今は一人暮らしだから多少うるさくしてしまうんだけど。洗濯とか。
 でも、上や左右から音は聞こえても下からは聞こえない。竹槍で天上でもつつかない限り聞こえないとは思うんだけど、これだけ周りが五月蠅い中で下だけが何もないというのもおかしな話。もしかして、俺が音が聞こえる方向を間違っているのかも。
 そう思った瞬間に、ピンポーンとチャイムが鳴った。自分で鳴らしたこともない。初めて聞いた音。それが何度か間を置いて鳴る。恐る恐るベッドから起き上がり、入口まで行ってから声を出してみた。
「どちらさまですか?」
 深夜だけに小さくしゃべらないと。でも扉の向こうからは大きく「真下の部屋に住んでるものですが」と渋くて深い声が届いた。覗き穴はあるけれど、近づくのが怖くて靴を履くところで足を止めて呟く。
「何の用でしょうか?」
「あのなぁ。俺は一か月前からここに来たんだが、あんた五月蠅いんだよ! 夜なのに掃除洗濯して、女とギャーギャー騒いで。挙句の果てに大音量でテレビ見やがって。明日もこうだったらただじゃおかねぇからな!」
 ダンディな声の人は最後にドンッ! と扉を叩いて離れていった。怒涛の勢いで、こちらが反応する間もなく、離れていった。突風が吹いた後に一人取り残されたような気持ちになって、遅れて体が震えてきた。
 明日になったら何をされるんだろう。
 自分は何も悪くないのに。誤解を解こうにもどうやって解けばいいんだろう。
 自分がやっていないことの証明は難しい。これから両隣と上の人を説得しないといけないのか。
 一か月前にきて、性別くらいしか分からない周りの人。
 壁の向こう側にいる、顔も知らない赤の他人。
 ギャーギャー五月蠅いだけのやかましい他人しか周りにいない。
 どうしようと思っても、どうしようもなくて。
 ひとまずベッドまで戻って、上に体育座りをしてみた。震えは、おさまらなかった。
 騒がしい中に、一人。
 右も左も上も騒がしい中に、一人。


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