その扉を開いた私の目に飛び込んできたのは、雲一つない蒼空だった。太陽は視覚の外にあったけれど、屋上の床を照らす陽光の強さからも、天気のよさが分かる。切れた息を落ち着かせると、私は一歩踏み出した。
 金網のフェンスの向こうに見えるのは、私の大好きな景色。青々とした大地。私の生まれ育った大地。
「綺麗な景色だよね」
「……そうね」
 どこにいたのか、でもその声は私の驚きを与えず、静かな水面に小波を起こしただけだった。
「俺、決めたよ」
 そう言って、彼は笑う。
「ずっとここにいたいけど――そんなわけにもいかないからね」
「夏君」
 名前を呼ぶと、夏君は笑顔を見せてくれた。ここ数日、この地を離れなければいけないことに沈んでいた顔が、少しだけ寂しさを持つ笑みに覆われていた。
「やっぱりさ、俺は外の世界を見てみたいんだ」
 それは夏君の子供の頃からの夢だった。夏君と私だけの秘密だった。
 そして、彼の両親が離婚することになったことを利用して、彼は外へ旅立つことに決めた。彼を縛る鎖はもう無いんだろう。あとは、このフェンスを飛び越えて空にはばたくだけなんだ。
 ――向こうでも頑張ってね。そう言って笑って見せたいのに、なぜだろう?
 上手く笑うことができない。
「薫……」
 紡がれた私の名前は、胸の奥に小さく、重い痛みを生み出す。そして、その痛みと共に夏君の足に絡まる鎖がうっすらと見えてくる。 
それはきっと私という名の足かせなのだろう。解っているのに、押さえきることができない。
「ごめんね、私、夏君と……」
「薫」
 伸ばされた夏君の手が、私の肩にかかった。前だけを見ていた私の視界の端に映る手と温もりに即されて、頬を雫が流れていった。
 視界いっぱいに広がる青い大地が滲む。私をずっと支えてくれていたこの手が消えてしまうのかと思うと、例えようのない恐怖と虚無感が私を覆った。泣いても夏君が喜ばないのは、私が一番知っているのに。
 だから……
「夏君、がんばって、本当にがんばって」
 涙に濡れた声で、何も説得力が無かったけれど、私は言い切った。
「ありがとう、薫」
 本当はもっと言いたいことがあったのだと思う。でも夏君はたった一言そう囁いて、私の肩に置いた手にそっと熱を込めた。
 私はこみ上げてくる衝動を必死で抑えていたから、夏君の熱を感じるだけだったけれど、何も言わずに彼は隣に立っていた。少しだけ縮まる距離。でも、けして寄り添うことは無い微妙な距離を保ちながら。
 そんな彼の優しさが嬉しくて、でもたまらなく悲しくて。あぁ、やっぱり私はこの人のことが好きなんだな――
 そう思った。




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