絆の密度

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 大きな声禁止!
 大きく壁に貼られた紙を見ながら俺はかかってきた電話を受け続ける。
 高校時代の友達からの電話から聞こえてくる声と、もう十年以上前に耳に残った声を結び付けて何とか姿形を思い出していく。次々と変わる電話先の相手と一人一人問答して、何かしら答えていく。
 誰か分かる?
 仕事何してるんだい。
 結婚してるのかよ。
 お子さんはー?
 どんな嫁さんなのさ。
 居酒屋から電話しているのか周りが五月蠅くて、相手もこちらが大きな声を出さないと聞こえないらしい。その度に嫁がこちらを睨みつけてくるが無視した。
『おおー、そうか! じゃあ次は――』
 次に誰かに回そうとしたところでぶちっという音と共に通話が切れた。電波が届かなくなったか、電池切れか。どちらにせよ会話は一度収束する。しばし待ってみたが、電話の切れ目が会話の切れ目なのかこない。もう終わりならそれでもよかった。夜遅いし、飲み会を楽しんでほしい。
 そして今度は、嫁からの愚痴が始まる。
「ほんと五月蠅いんだけど」
「ごめんな。あっちも居酒屋から話してるみたいでさ。大きな声ださないと聞こえないんだ」
「夜の十時なんだけど。他の家に聞こえるでしょ。賃貸マンションなんだって何度言ったらその鳥頭は分かるのよ。声でかいし、物覚え悪いし」
「ごめんって。高校時代の部活の仲間なんだよ。大目に見てくれよ」
「非常識なんじゃないの?」
 嫁の言葉は痛烈だ。生まれた時から賃貸マンション住まいの嫁と、隣の家との間にそれぞれが所有する畑が挟まって距離がある一軒家で育った俺との間には、もしかしたらかかってきてた電話の先と俺達の愛の巣くらいの距離があるかもしれない。
「仲間の一人が海外で働いてて、数年ぶりに帰ってきてるんだよ。だから大目に見てくれよー」
 俺の言葉に嫁はそれまで怒りしか見せていなかった顔を曇らせた。微妙な変化はすぐに分かる。これでも嫁と結婚して五年だ。彼氏彼女の関係を含めると八年。高校時代の仲間との三年間以上の濃さがある。
 一方で、仲間と過ごした期間が濃密であるからこそ、電話先で彼らがどう思って電話してきているのか考えてしまう。
「言いづらいんだけど」
「言っていいよ」
「なんでみーくんは呼ばれてないの?」
 俺のご機嫌をとる時に使う略称でわざわざ言ってきてるのは、俺を気遣う気持ちがあるからだろう。俺が考えた不安を再現して呟いた言葉にのっかって会話を続ける。
「俺以外で集まって、俺に電話するってのは実はこれで三回目なんだ」
「そー、なの?」
「ああ。過去二回は佐奈が風呂に入ってる時と、会社の人達と飲み会でいなかった時だったからね。どう思う?」
「どうって」
「あいつら。俺をおちょくってると思う?」
 今回まで三回の電話はいずれも同じ奴からだった。最も仲が良かった相手だからかもしれないが、他から来ないのは俺の連絡先が携帯電話やらスマートフォンに入っているのはそいつだけということかもしれない。他は何らかの理由で電話帳から消えたんだろう。理由は細かく考えたくない。
 そこまでなら、分からなくはない。そいつが帰国する時に飲み会を開いているのはどうやら他の仲間達が幹事らしい。自分のために開かれる飲み会に、自分から俺を誘いづらいってこともあるかもしれない。過去二回はこちらも皆の消息は分かってなかったし。
 でも、二年くらい前にSNSで何人か名前を見つけてフォローまでしていた。今回は、前回までと状況が違う。この状態で連絡が来なかったということは、あいつらには俺を誘う気なんてないんだろうと考えた。
「おちょくっているかは分からないけど。誘う気はないのかなって思う」
 よろしい。俺の考えていることをトレースしたのか、俺と同じ思考の流れだったのか。嫁はやはり可愛い。結局、相談というか質問なんて意味はなく、俺が考えていることを他から肯定してもらいたいだけかもしれない。
「俺もそう思う。でもさ、だからって傷ついてるわけじゃないんだ」
「え?」
「二年くらい前までは本当にこっちも音信不通というか、誰も連絡取れない状態だったからさ。もし今回呼ばれてても、話題が合わなくて困ったと思うんだよな」
 高校時代の仲間だとしても、高校を出た後の絆の構築を自分はできなかった。進学先が俺と他のメンツで異なってたこともあるし、地元に里帰りして積極的に会うということも自分はしなかった。あいつらはきっとそういう積み重ねをしてきたんだろう。なら、今のあいつらの中に自分が入るのは大変かもしれない。
「だからさ。過去二回電話きた時だけでも嬉しかったんだよな。久々に仲間の元気そうな声聞けたり、近況聞けたり。それだけでも嬉しいもんなんだよな」
「そう、なんだ」
「そう」
 嫁は俺の目をまっすぐに見て、俺が言ったことは心からの言葉だと分かったらしい。これも、一緒に過ごしてきた中で磨かれた結果。この絆の構築をもう少し高校時代の仲間とも頑張ってればな。
「それで、いいんじゃない?」
 嫁は顎を引いて俺を上目遣いで見上げる。これは、甘える時の顔だ。
「昔の仲間ってことでさ。電話だけでも、いいんじゃない。ちょうどいいよ」
 パーフェクト。ほんと、俺に似てきたもんだ。俺色に染めるってこういうことなのかもしれない。
 なんにせよ、これで決まった。
 言わせたかった言葉を引き出せた。
「そうだよな」
 俺は一度間を置いて、壁の張り紙を指差して言った。
「だから、ああいう電話がかかってきたら五月蠅くても許してくれ」
 俺の言葉に目を見開いて、次に自分で貼った『大きな声禁止!』の紙を見た嫁は「そういうオチなのね」とため息交じりに呟いて、おもむろに俺に近づいてきた。
「分かったわ。好きよ」
 流石に怒られるかと思ったが、するりと懐に入ってきた嫁は頬にキスをしてから離れていく。どうやら風呂に入るらしい。
 感触が残った頬をさすりつつ、俺は目を閉じる。
(ほんと、俺に似てきたな)
 嫁を慰める時にするキスだった。
 俺の何を慰めるためだったのかは、思い浮かべようとして止める。
『どんな嫁さんなのさ』
 電話口で笑ってる仲間達の誰かの言葉が頭の中に響く。それに答えようか。
(最高だよ)
 胸の奥からこみ上げるもので声が大きくなりそうだったから、口には出さなかった。


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