人呼ぶやつ

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「誕生日おめでとう」
「なにこれ」
 机の向かいに座っている彼女の目の前に置いた誕生日プレゼントに、ストレートに首を傾げられた。梱包は特にしていないし、見て分かるものだとは思うのだけれど、念のために持つ場所を摘まんで持ち上げてから左右に軽く振る。チリンチリン、と音を鳴らしてまた机に置いた。
「何って……えーと、なんて言うんだか忘れたけど、人呼ぶやつ」
「そうね。人呼ぶやつね」
 正式名称はハンドベルなのか別なのか、俺にも彼女にも分からなかった。たまにテレビドラマとか漫画とかでお嬢様な人が執事を呼ぶのに使っているようなアレ。この際呼び名なんてどうでもいい。人呼ぶやつってことでいい。
「大事に使ってくれ」
「ていうか、なんでコレが誕生日プレゼントなの?」
 誕生日ならもっといいものあるんじゃないかと目が言っている。確かに、100円ショップでちょうどいいのがあった、と買ったんだけれど。問題は値段よりも気持ちだと思う。というか、付き合って三年経つとネタが切れてきていた。相談した友達にももっとあるだろうと言われたけれど、ちょうど金もなかった。
「ここ最近出費が多くてさ。お金ないんだよ。さすがに誕生日にプレゼント上げないってのも微妙だからさ。今度アルバイト代入ったら別のものあげるから」
「……まあ、分かったけど」
 彼女は人を呼ぶやつを持って左右に振る。チリンチリンと鳴る音は耳の中に入ってきて心地よい。確かに人の言うことを聞いてしまいそうだ。
「でもなんでこれなの?」
「だって、この前怒ったジャン」
 首をかしげる彼女に改めて説明してやる。
「この前、俺がテレビ見ててお前が寝室にいた時にさ。散々呼んだけど俺が気付かなくて」
「ああ。手でパンパン叩いて呼んだんだっけ」
「それで手が痛いとか理不尽に怒られた時に言っただろ」
 ちょうど一週間前のことなのに、俺としては何とかしないといけないことかと思っていたが、彼女には大したことがなかったらしい。テレビドラマがちょうど盛り上がっている場面だったから音やセリフに彼女が俺を呼ぶ声はかき消され、最後にはパンパン手が打ち鳴らされていた。自然と笑ってしまって寝室に行ってみればパンパンならぬプンプン怒ってる彼女。可愛さに思わず言ってみた。
『じゃあ、今度あれ買うよ。人をチリンチリン呼ぶやつ』
「納得した」
 彼女は笑って『人呼ぶやつ』を手に取ると、スキップしながら寝室へと向かった。扉を閉じてから時間を十秒ほど置いて、チリンチリンと音が鳴る。扉が閉じていてもちゃんと音は届いた。俺は呼ばれた通りに寝室の扉を開けた。
 彼女はベッドに横になってまた『人呼ぶやつ』を鳴らす。俺はまた呼ばれたことに従って隣に横になる。
「呼ばれた」
「呼べた。これ面白いね」
 隣に寝ている彼女が笑う。可愛さに蕩けそうになる。
「何か命令してみろよ。呼んだんだし」
「じゃあ……お風呂入れてきて」
「そっちかよ」
 ため息ついて起き上がり、ベッドから降りて風呂場に向かう。腕時計を見ると夜の九時。そろそろ風呂を入れる時間だ。
「終わった頃にまた呼ぶね」
「はいはい」
 楽しそうに『人呼ぶやつ』を鳴らしつつ俺を見送る彼女。
 本当の誕生日プレゼントを買うまでは少なくとも楽しんでもらえそうだ。
 開いたままの寝室の入口を振り返ると、彼女は鼻歌を歌い、体を左右にゆったり動かしながらファッション雑誌を読んでいた。前から甘え癖があったけれど、鬼に金棒を与えたかもしれない。
「ま、いいか。喜んでるし」
 お嬢様の命に従う召使のように、俺は風呂の掃除に向かう。
 悪い気がしないのは『人呼ぶやつ』の効果かもしれなかった。


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