幻聴か?

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「幻聴か?」
 ガラス一枚隔てた向こう側から言葉を発してくるオウムに、敦(アツシ)は首をかしげていた。
『アツシーココカラダシテ』
 一言目と同じ言葉を呟いてオウムは敦を見つめてきた。
 遡ること十五分前。
 敦は地元と全く異なり雪などない道をアスファルトの感触を足裏に感じつつ歩いていた。
 雪解けが四月までずれ込むような寒い地方から大学入学に備えて状況した敦は、もう地元では五月半ばというような気候で春めいている景色との相乗効果で、新生活への期待が胸の内から膨れあがっていた。
 少しでも生活に慣れておきたいと大学の入学式が始まる一週間前にマンションへと引っ越し、荷物も最初の二日でほぼ片づけた。そうは言っても荷物は最小限。千冊は越えようという漫画のうち現在連載中のシリーズのみ持ってきて、電化製品は配達。布団は引っ越し業者。敦は時間までに部屋に入って次々と届く荷物を待つだけ。
 楽な時代になったんだろうなと、敦は母や父から聞かされた苦労談と比較して思う。
 順風満帆の生活が始まると思っていたが、不安なこともあった。
(お隣さんも上も下も話してくれなかったな)
 引っ越しの荷物の引き入れ。梱包から取り出す作業を続けている合間にこれから出す生活音によって迷惑をかけそうな上下左右部屋の人に挨拶に行っても、会うことができなかった。特に左隣の部屋の住人は明らかに中からテレビの音が聞こえていても出てくれない。
 これが噂の東京砂漠。都会の洗礼に敦は「こんなので大学で友人ができるのか」と不安になった。
 田舎からきた自分の距離感と都会人のそれは違うらしい。全く関わらない他人が越してきたからって挨拶をわざわざするようなことはしないのだろう。田舎から抜け出すという目標を持って都会にやってきた敦だったが、人との触れ合いの仕方を都会仕様に変えなければならない。そうしないと、大学でも「ウザい」とか「田舎者」と言われて友達を作れないかもしれないのだ。町内会の皆で花見をやったり花火大会的な催しをやったりするような距離感では踏み込みすぎだろうと敦は思う。
 きっと大学生活の中で慣れていくだろうが、慣れる間に心の緩衝材が必要だった。人付き合いの緩衝材。人との付き合いに疲れてしまっても倒れないための癒しが。
 実家で飼っていたのと同じペットを購入しようと決めて、敦は不慣れな街を歩いていく。不慣れではあるもののやはりインターネット時代。歩いていける距離にペットショップがあるということを知らべて、散歩がてら向かったのだった。
 住居から十五分ほど歩いた先にペットショップはあった。
 入り口にはハムスターやオウムが並び、外側を見ている。今はガラス一枚を挟んで向かいにいる敦に目線を合わせて数羽が首をかしげていた。見覚えのある目線に敦はほっとする。
 敦の実家でも大学受験が終わる直前まではオウムを飼っていた。自分の大学合格を見届けるように、合格したと勇んで家に帰ってから一時間後に籠の中で息絶えていたオウムのマサキチ。長生きすると言われるオウムだけに、父親が生まれた時くらいに飼われたらしい。五十年ほど生きて親子二代を見守ってくれたのだ。出来れば同じように自分も飼い続けて、自分の子供まで見守ってもらいたい。そんな出会いを期待しつつ目線を移していく。
『アツシーココカラダシテ』
 その時、敦の耳にオウムの声が届いた。飾られているオウムは数はいないため、声の出所はすぐに分かる。自分のちょうど目の前に吊るされた籠の中のオウムからだった。
「幻聴か?」
 ガラス一枚隔てた向こう側から言葉を発してくるオウムに、敦は首をかしげていた。
『アツシーココカラダシテ』
 一言目と同じ言葉を呟いてオウムは敦を見つめてきた。
 オウムの口は動いているように見えない。小刻みに全身を揺らしているのは分かっているが、本当に口から出ていたかは分からなかった。
 オウムは何度かココカラダシテと呟いた後で別の言葉にする。
『アツシ。スキ。アツシ。スキ。アツシ。スキ。アツシ。スキ。アツシ。スキ。アツシ。スキ』
「なんで俺の名前知ってるんだよ」
 初対面の相手の名前を知っているとは思えなかった。
 自分の幻聴か確認しようと他の人を探しても、ちょうど誰も通っておらず、確認できない。
 都会にきた寂しさ。挨拶できなかったことでの疎外感に頭が勝手にオウムの声を再生しているのか。もしかしたら、死んだオウムが目の前の同じオウムに乗り移っているか。
「いや、まさか。ありえないし」
 頭の中に浮かんだ考えが何となく都会っぽくないと敦は思う。片田舎に伝わる怪談や伝承じゃあるまいし。そう考えて一度呼吸を大きくして行うと、頭の中が冷えていった。より現実的に考えれば偶然、何かの名前を覚えてしまったのだろう。真相は闇の中だが、真相を必ずしも知る必要があるわけじゃない。
 偶然、自分と同じ名前の単語を覚えたというほうがまだ幽霊話よりありえるはずだ。それならば奇妙な縁だろうから購入してもいいかもしれないと少しだけ購入側へと針が倒れ、敦は目の前のオウムの籠につけられた値札を見た。
 値段の高さによって店舗から去っていくのは必然だった。
(そういえばオウムって高かったよな……)
 大学の入学費用を払うことで限界だった親に生活費以上のお金を請求するわけにもいかない。
 ようやく見つけた住処からして大学との距離や値段を考慮して何とか大丈夫だろうという家賃がかかるのだから、しばらくは大学の講義とサークルの他にバイトをたくさん入れないと駄目だと敦は考えているほど。オウムの値段を稼ぐのは不可能ではないが計画的に金をためなければいけないだろう。
(まあいいか。あそこにたまに通って声聞けば。あと、オウムじゃなくてハムスターとか他の安いのなら良いかも)
 購入はまた後日。買えたら買うと決めて来た道を歩き出す。オウムはもう言葉を発しておらず、敦のほうをずっと見たままだった。
 十五分費やしてマンションへと辿り着くと世間的には平日の昼間であるため、管理人も入り口の傍にある部屋にいた。ガラス窓ごしに「お疲れ様です」と声をかけると、初老の管理人は満面の笑みで返してくる。
「最近の若い方にしては珍しいですね。こうやって挨拶を交わす人は少ないんですよ。皆さん忙しくて疲れているのでしょうなぁ」
「やっぱりそうなんですか」
 自分が挨拶に行った家も平日は仕事で遅いからいないのかもしれない。あまりに夜遅くに行くのも失礼だと判断したのは正解だったようだ。休日を待ってみるか、と脳内で考えてから管理人に尋ねてみる。
「僕も二日間だけですが、両隣と一階上下の家に挨拶しにいったんですけど、いなかったんですよね」
「そうですかぁ。あの一帯は確か忙しい方が多くて平日は二十四時過ぎという人ばかりのはずですよ。あ、両隣りはちょうど今、空いていますね」
「そうなんですか。ありがとうございます〜」
 聞きたいことを聞けて敦は満足し、入り口を開錠してマンション内へと入る。まっすぐ先にあるエレベーターに乗って自分の階のボタンを押したところで、敦は体の内で冷たくなったように思えた空気を吐きだした。
「……オウムは買えないかもしれないな」
 エレベーターの扉が開くと同時に自分の部屋ではなく左の扉へと向かう。
 扉一枚隔てた向こう側から漏れているテレビの音を聴きながら、敦は誰に言うかも意識しないまま呟いた。
「幻聴か?」


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