『フィルム越しの世界』 カシャ。 一瞬視界が遮られて、彼の姿を記憶する。 畳の部屋というのは今となっては珍しくなっていると思う。私の家も賃貸マンションで畳はなかったし、大学卒業するまで家に畳がある人とあうことはなかった。だから、彼の部屋に初めて行ったときは思わず寝転んでしまったものだ。 「何、固まってるの?」 カメラを構えたまま物思いにふけっていた私に彼が話し掛ける。カメラの中の彼もその通りに動く。 「なんでもなーい。動かないで?」 猫なで声で言うと彼は頬を赤らめた。もう二十三歳にもなるのに何かうぶだ。だからこそ、その赤らめた顔を写真に取る。 写真に手を出したのは大学からだった。最初は旅行先の風景をただ撮っていた。今でもあまり変わらないけれど、少しだけピントあわせとか光の加減とかに気を使うようになった。 使うのはおばあちゃんの形見のカメラ。年代物で、全然今のものとは違うけれど味があって好きだった。デジタルなものよりも写真を撮っている、という感じが出ていて。 「次は横向いてー」 彼と知り合ってから被写体として写ってもらう事にした。もちろん何かの賞に送ることもしないし、ただ単に楽しむだけのもの。それでもこうして文句無く写ってくれるのは嬉しかった。 そして―― 「あ」 直接じゃないけれど、彼の立っている足元に光の道が続いていった。埃っぽいわけじゃないからちゃんと見えるわけじゃない。それでも、ファインダーから覗く向こう側には、別の世界が広がっていた。 「シャッターチャンス!」 彼も私の見ている世界が見えているんだろうか。この世界を一緒に共有したいけれど、彼はいつも世界の中にいる。だからこそ、ちゃんと残しておこう。 後に二人でその世界を見るために。 「はい、チーズ!」 カシャ。 一瞬視界が遮られて、彼と世界の姿を記憶する。 「はい、チーズ」 決まってそう言う彼女の声が、耳に残っている。 奥に残る響きに頭が痛むけれど、押し出すことも出来ずに俺は目を開いた。先ほど、目を閉じる前と変わらない景色。古びたカメラと彼女の写真。ちょうど一月前に彼女のカメラで俺が撮ったものだ。 写真の中で笑ってる彼女は、俺を真っ直ぐに見つめてきていた。 カメラは祖母の形見だったという。今のデジタルカメラとは大きさも機構も違うカメラを、彼女は味があると言って愛していた。俺には使い方はよく分からないけれど、今でも写真を撮って現像できるらしい。撮られた写真は、デジタルカメラのものよりも綺麗に見えた。画質とかじゃなくて、それとは別の、別の領域にある物が、あった。 でも―― 「残ったのがこれだけって寂しいよな」 カメラを取り上げて、ファインダーを覗いてみる。狭い世界に縮小された視界。俺の見える世界の中にあるのは、彼女の写真とその周りだけ。 カメラが写すのは現実の世界。でも、現像された写真に写る光景は、これは現実のものだと言えるんだろうか? 写真の中で笑ってる彼女が、現実だと言えるんだろうか。 「…………意味、ないじゃないか」 レンズを超えた光景が歪む。 俺の、目が揺れる。 表面に生まれた雫が、映る景色を歪めている。 たとえ写真に残っていても、映し出された現実がなければ意味がないんじゃないのか? 永遠に残り続ける彼女と、徐々に姿を変えていく自分。その差を認識するたびに、俺は悲しむのではないだろうか。 「ああ……」 畳の上にカメラを落としても、拾う気力はもうない。真正面にいる写真の中の彼女を見れずに、俺は俯いたまま泣き続けた。 情けない涙を、流し続けた。 |