どうにもならない

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 外でスズメが泣いているらしい声を出す朝。空は灰色の雲がぽつりぽつりと浮かんでいて、不安定な様相を見せていた。マンションの十階に位置する部屋からは空のふらつきが良く見え、陰鬱な気分のままタカオはパジャマから私服へと着替えると、前日に中身を用意しておいたランドセルを持って食卓へと向かう。
 雨により傘を持たなければいけないのことは何かと面倒である。そんな気分と、最近感じている陰鬱な気分が混ざり合って行動を遅くした。時刻は七時半。学校に行くために準備をしなければならないタカオはしかし、朝ごはんを一つ一つついばみながら天気予報を待っていた。少しでも低い確率を願いながら。
 だがテレビは天気予報の時間ではない。
「あら、またミイラ事件ね」
 味噌汁をすする口が止まる。共に食卓につく母の視線をなぞると、ワイドショーへと終着した。
 報道しているのは一週間前から世間を騒がせている連続殺人事件。体中の水分を全て吸取られ、干からびて見つかった死体は十体を数えた。
 現代のヴァンパイア事件と呼ばれ注目を集めていたが、いくつか違いがある。
 まず、血ではなく水分を吸われている事。
 次に、深夜だけではなく夕方やある時は昼間に事件が起こっていること。
 堂々とミイラが道路や公園、ビルやマンション、一軒家の中で倒れているにもかかわらず犯人は見つからない。
 そんな状況のため地域では集団下校が始まったが、付き添う先生も大変だろう。素人である自分らが大人だと言う理由だけで子ども達を引率する。だからといって犯人が出てきたら対抗できるかといえば否! と力強く答えるはずだ。ニュースでもコメンテーターとして出演している格闘家が上半身を晒しながらそのあたりを強調したために「ならあんたがやってくださいよ」と切り替えされた。しかし「嫌だよ死ぬの怖いし」と答えたことで番組は中断した。
 結局、今日の天気は分からない、とタカオは味噌汁すすりを再開する。チャンネルを変える勇気はない。できるだけ音を立てないように啜るも、口の中に広がるまろやかな味に出る感嘆の声は我慢できなかった。
「はぁ……美味いんだなぁこれが」
「タカオったら本当おじいさんくさいんだから。小六なのに」
 そのおじいさんは散歩中に三人目のミイラとなった。葬式の時に棺おけに眠る祖父を最後に見た時と比べれば、十人中十人が別人と答えただろう。タカオの予測ではなく通夜の席でひそひそと親類が話していたことだが。それでもおじいさんはおじいさんだったし、ミイラ事件の犯人は許せないと思う。でも。
「そんなにおじいさんみたいだったら、吸いたくなるじゃない」
 味噌汁の旨味から開放された先にいたのは口をがばりとあけた母、ヨシコだった。正確には「だったもの」か。
 涎がつけているエプロンに落ちて、生地を溶かす。それでも黒光りする肌は溶解液を跳ね返す。
 一週間前に空から落ちてきた『何か』はヨシコの頭に直撃し、一人目の犠牲者になるはずだったヨシコは人外の存在へと変化した。どう細胞が変質したのか、人間の骨格を簡単に破壊し、大きく口を開けて相手を食べる方向へと変化していた。
 最初の犠牲者となった父は悲鳴を上げることすらなく消えて、捜索願と共に警察が捜している。
 ヨシコの存在をまるで漫画だとタカオは思った。でもそれだけだ。
 漫画ではもっととんでもない設定がある。魔王の息子だったり、実はロボットだったり、自分の中に化け物を飼っていたり。
 母親も怖い存在になってしまっただけだ。それでも母親の人格が残っていたのかタカオに関してはその牙を突き立てることは、現在までない。代わりに他の人が襲われている。
 罪悪感はタカオにはない。他者の死を受け入れなければ自分が死ぬのだ。生きることをを奪われることの怖さをタカオは理解しているから、母親の行動には何も言えない。自分が生きることで他人が傷つくなら殺して、と言えるのは漫画の中のヒーローだけだ。
 頻繁に読む週刊誌には自分の命より仲間を大切にする主人公がいる。そして命の危険に何度も晒される。でも、仲間を思う心と自らの力で窮地を切り開く。
 小さい頃からそんな彼らに心を躍らせていたけれど、今ある非現実を変える力をタカオにはもたらさなかった。自分はヒーローでもなんでもない。立ち向かえる仲間もいない。特別な力も、ない。
「行ってきます」
 ご飯を全て食べ終えてタカオは立ち上がってランドセルを背負う。ヨシコも口を元に戻して椅子から立ち上がると、歩を進めてベランダまで出た。タカオは部屋に戻ろうとしたがヨシコの後姿を見ていた。
「今日は誰にしようかしら」
 よだれが落ちないように手で口元を覆いながら、ヨシコは下を眺める。異常に発達した視力により遠くからでも獲物を選別でき、身体能力は犯行に及んでから人に見つからないように逃げ出すには十分の速度をもたらしていた。きっとこれからもヨシコは犯行を続けるに違いない。
(仕方が無いじゃないか。僕には何も出来ないよ)
 ちくりと心に刺さる棘。形を失っている恐怖が一瞬だけ実態を取り戻し、すぐ消える。理想に憧れるだけの小さな存在にどうにか出来る相手ではない。母親であった女は。警察でも勝てるのか分からないのに。
 でも、このままでいいのか。
(もうお母さんじゃない……この化け物をどうにかしないと、駄目なんじゃ)
 ほんの少しの勇気があればどうにかなるんじゃないのか。
(例えば傘。確か、ぼんのくぼって場所に先を突き立てたら即死するって推理漫画に描いてあった。そうして犯罪を犯した犯人はすぐ捕まったけれど、きっと僕は少年法とかいうのに守られるはず)
 漫画で培った知識を最大限に使っていると、何とかなる気がしていた。玄関においてある傘を持って、ベランダで外を見ているヨシコの傍に近づき、一気に喉の後ろに先を突きたてる。そうすればワイドショーは止まることもないし、集団下校も止まり、先生も生徒も不安におびえずにすむ。そしてタカオはヒーローになる。皆を怖がらせた化け物を退治した男として。
「そうだ。タカオ」
「何?」
 足音が動かなかったことで判断したのか、ヨシコは振り向いて笑った。にこやかに、一週間前の母親と同じように。
「私のことを警察に言ったら搾り出すわよ」
「うん。行って来ます」
 手の震えを隠しながらタカオは玄関までいき、傘を手に持ってドアを開けると一気に閉めた。共同の通路を通り、エレベーターで一階に降り、マンションから出る。見上げると自分の家のベランダから顔を出すヨシコが見えた。にこやかに手を振っているのに合わせて、行って来ますと言いながら手を振り返す。視線を地面に移すと、垂れた涎のためか草が一箇所枯れていた。そのところどころ点在しているのは、それだけヨシコが下を眺め、涎を落としている証拠。真実を知っていて放っておいている、タカオの罪の象徴。
(仕方が無いじゃないか)
 自分の不甲斐なさを思うと目頭が熱くなる。それでもタカオは歩を進めて学校へと向かう。
 唯一、ヨシコから離れられる場所へ。
 どうにもできない自分の不甲斐なさを悔やみながら。自分を慰めるためだけに呟き続ける。
「どうにもならない……どうにもならない」

 今日もまた、一人干からびていった。


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