『ドッペルゲンガー』


「私は、あなただよ」
 そう言って目の前の女は私を抱いた。ここがどこで、何時で、どうして私を名乗る女に抱かれているのか分からない。記憶を探ろうとしても頭痛が酷くて、脳裏に浮かんだ映像が乱れている。
「あなたは、誰?」
 もう一度問い掛けると頭痛が少しやむ。そしてそれは、相手が抱きしめてくれる力が強くなったことと関係していた。
「言ったでしょう? 私は、あなただよ?」
 声はあくまで優しい。彼女にとっては同じ事を繰り返されているだろうに、柔らかい声音は私の耳元から奥へと伝ってくる。やっぱりこの人が私だなんてありえない。私はここまで優しくなれない。だって、優しかったならあんなことなんて――
(あんな、こと?)
 頭痛がぶり返してくる。何か、頭を過ぎった。
 それはとても悲しくて、辛いことだった……。
「私はあなた。さあ、身体を楽にしましょう?」
 その言葉はとても魅力的で、従って力を抜こうとした。でも、頭のどこかで拒絶する。
(駄目)
(力を込めて。拒絶して)
(現実を見て)
 頭から発生した痛みが、身体を包んでいく。余りの痛みから思わず抱きしめていた『私』を弾き飛ばす。勢いで倒れた衝撃に、また脳が揺さぶられる。
 衝撃にぶれ、涙に歪む視界にいるのは『私』だ。
 どこまでも優しく、私を包もうとしてくれる『私』だ……。どうして拒絶しないといけないの? 彼女を受け入れれば、私はもっと楽になれるのに。
(駄目よ。戻って)
 戻る? どこへ?
(目をしっかりと見開くの)
 目を……開く?
 涙をぬぐって声の従う。痛みは最高まで達して続いているようだった。それでも慣れというのは恐ろしく、何とか立ち上がり、目を開く。
 立っているのは確かに私だった。姿や顔はそっくりだ。そして、黒い瞳には私が映っている。
「え!?」
 背筋が凍る。
『私』の瞳には白目がなかった。全てが黒目で、でもそこに私が映りこんでいる。黒いスクリーンに生まれる私の姿。初めて、彼女が怖く思えた。
「誰なの……」
「私は、あなたよ」
 その言葉は変わらない。そう、変わらない。
 彼女は私なんだ。それは間違いなかった。なら、何故私が現れたのか。
 痛む。頭が痛む。
 再び涙で視界が滲む。そして意識さえも消えていく。
「私は! 私よ!!」
 そして、闇が訪れた。



 目覚めると、白い天井が見えた。腕に針が刺されて点滴が栄養を与えてくれる。ぼんやりとした視界の横で、お母さんが泣いて私を覗き込んでいた。何を言っているのか聴力が戻っていないのか分からない。ただ、安心させるために頷いた。
 お母さんはお医者さんを呼びに行ったらしい。その間に、何が起こったのか考えてみた。
 ……最初に思い出したのは彼氏に振られたこと。ベタベタしすぎて嫌いと言われたこと。そして、逃げるように走った私は、車に跳ねられた。
(あれは……死神だったんだろうか。それとも――)
 理想の私だったのか。
 とにかく私は目覚めた。なら、もう大丈夫のはず。息をついて、窓を向いた。
 そこに映っていたのは、瞳が黒い私の顔だった。
 驚きに硬直しているはずの私の顔が、笑みに歪んでいた。




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