雨の日の考察

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 結局のところ、寺岡真美子という女の子の魅力というのは外見じゃなくて中身なんだろうと思う。例えば綺麗な手に似合わない雑巾がけを進んでやることとか、底が透き通って見えるような海のおおらかさを持つ声に似合わぬ男口調とか、小さな口に似合わぬ大食らいだとか、大きな瞳に似合わぬ近眼だとか。
 男に負けない強さの割りに、優しいところとか。
「あ、秋月……」
 そんな彼女の一面と俺は今、対面してる。降りしきる雨は傘を叩き、彼女の動揺がぎっしりと詰まっている声を遮っている。直接伝わってきたならば、多分笑っていただろう。これ以上動けばきっと彼女は逃げてしまう。その手元の猫を急いで濡れてふやけたダンボールに戻して、水で足元を濡らしながら。それではこの出会いは意味がなくなってしまう。
「可愛い猫だよね」
 足を動かせないのなら、口だ。手元に抱く猫も傘に包まれた彼女も逃げないように優しく声をかける。どちらも大差ない。どちらも恥ずかしがり屋だ。
「その猫さ、学校に行くときから気になってたんだ。ダンボールの中で鳴いてたの聞いた時は学校休みそうになった」
 学校のある丘の上。そこへ繋がる坂道の麓に僕らと、子猫はいる。ちょうど坂道の始まる場所。曲がり角にふやけ、上が破れている箱があった。その中にいた猫が、寺岡の手の中にいる。
「は、はは。そうだったんだ。私が学校にいった時はまだいなかったんだよ……可愛いよね」
 ありそうな冗談だと受け止めてくれたんだろう。寺岡は警戒心を少しだけ解いてくれた。近づいていくことを許してくれるか確かめたくて、一歩だけ前に進む。彼女はその場で傘をさしたままだった。僕は自分の傘の先を、彼女のそれにそっと触れさせた。
「寒いだろうし、早くこの子にご飯を上げないと」
「そう、だね。どうしよう。牛乳がいいのかな?」
 漫画かドラマか小説か。猫といえばミルクだとすぐに結びつけるのも可愛らしい。いや、僕もそう思うしかないけれど。
 クラスで見る彼女はクラス長という役割に準じた、とてもリーダーシップのある子だ。力が強そうな男子だろうが生意気な女子だろうが、その眼光と言葉の力でねじ伏せる。それで女子に不人気かといえば嫌っているのは彼女にいつも叱られている人達だけ。その他は同い年なのにお姉さまとか言う始末。男子も注意に逆切れして襲い掛かった男子が机で殴り倒されて失神してから誰も手を出さなくなった。寺岡は身の危険に堂々と正当防衛を掲げられる女子だった。
 そんな強い子の心優しい行動。やっぱり皆をまとめる役というのはいろいろと抑えないと駄目なところがあるんだろう。だから。



 朝は三つの泣き声が聞こえたはずなのに、彼女が抱いているのが一匹だけなのは気づかないことにした。



 真っ直ぐに続く道。寺岡が道路側で僕が歩道側。横を流れる排水溝に無残な子猫の死体が二つ落ちていることから、彼女の視線をブロックする。先に気が付いてよかった。あと二匹いたと知らなければ発見が遅れただろう。
 彼女は気づかないほうがいい。
 今の寺岡をもっと見ていたい。もしも子猫が殺されているだなんて知ったら、彼女の中から噴出した憎しみが雨を溶かすだろう。強烈な憎悪。雨の日、そして震えつつもおとなしくしている子猫には毒だ。
「私の家、犬がいるから猫大丈夫かな。嫉妬しないかな」
「へぇ、どんな犬?」
「チワワ。とてとてしてて可愛いんだ」
「そんなこという寺岡さんも可愛いかも」
「は、恥ずかしいこと言わないで……」
 傘を叩く雨の音を聞きながら、僕は貴重な体験をしているんだろうと考える。
 初めて見る彼女の側面。
 初めて見る猫の惨殺死体。
 初めて、異性に気を使う。
 初めて、人を好きになる。
 今、僕の中にある感情はどこから始まっていたんだろう?
 猫を抱く彼女を見たときか。今朝、猫を見たときか。学級委員長として叫んでいる彼女を見たときか。もっと遡った何かか。
 おそらくは、一つってことではない。
 何が始まりというわけじゃなくて、全てのこと。
 それが、始まり。


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