月と寺が出会う時、宙は紅色となる

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「俺の建生ってなんだろうのう、とか考えちゃったりして」
 月も凍りそうなほど冷えた冬の夜。命あるものは眠りについている広場に響く一筋の声。人の鼓膜を震わせることはない、方向性なき声。堂々と鎮座するその姿はしかし、年月の重みには勝ててはいない。
 築三十年になろうとしている寺は、いい加減その場に建っているのに疲れていた。周りは人の骨が収められている墓石ばかり。お盆にもなると里帰りした幽霊達が飲めや歌えや踊れやとどんちゃん騒ぎをして、たまに悪酔いしすぎて身体に向けて吐いたりトイレに行かずに用を足したりと結構散々な目にあっていた。
 最初は魂をあの世に送り出す、あるいは出迎える力場として機能する自分の力に酔いしれ、満足していた。これは俺の天職だと。俺は、死者の魂を送り迎えすることが最高の喜びなんだ! そう思っていた寺だったが、さすがに三十年も同じことをしていると飽きてきた。若い時ならばいざ知らず、いまや寺は三十歳。かっこいい言葉に気持ちを揺らめかせるほど子供ではない。
「こう、エキセントリックなことないですかね、月さん」
「俺に聞かれてもなぁ。ぽっかり浮かんでるだけだし、俺」
 寺の声に答えたのは空に浮かぶ月だった。実際は宇宙の彼方にいるんだけれど、声はリアルタイムで届いている。以前、寺がそこらへんを指摘したら気合と根性と多少の大目にみること、と答えられた。多少とはきっと宝くじの一等賞が銃連発するくらいなんだろうな、思い浮かべた漢字間違えたけどそれくらいなんだろうな、と寺は思った。実際には何故か頭上に取り付けられたスピーカーから出ていたのだが、灯台下暗しの逆ということで気づかない。
「月さんはどうして月なんでしょう?」
「そりゃ神様に選ばれたからですよ。そこにあるからです」
 月はすんなりとグローバルっぽい答えをさらけ出してくる。英語を使われて寺は対抗意識を燃やし、自分が使えそうな語彙を探す。
「駄目だ。僕仏教だし」
 お寺だけにキリスト教もなにもかもあったもんじゃない。寺の意識は住職が住んでいるは隣の建物に向かった。寺と同時に立てられた住居。同じ年月を経ている双子のような存在だが、汚れ具合は向こうのほうが上だ。人が住んでいると汚くなりやすい。特に白い壁だから汚れの目立ち具合は寺も心配するほどだった。
「俺らはきっとそれぞれが生まれる意味を持っていて、その道の上で死んでいくんだと思います」
「それは逆につまらないんじゃないのかなあ。だって、あなたは月でしかないし、僕は寺でしかない」
「何かそれで問題が?」
 そう言われると寺も黙るしかない。飽きたとはいえ、寺としての自分の生に後悔しているわけではない。むしろ死者を見送る、宴会場となるのは大事なことなのだ。そうしなければお盆は街へと皆がくりだして、百鬼夜行となってしまう。
 単純に今の自分に慣れているだけで価値自体は変わっていない。
「俺は周りは絶対零度だし、傍に仲間もいませんしね。でも俺がいるってことは幸せだと思いますよ。人間さんは俺の模様見てウサギが餅ついているとかなこと言ってくださいますし」
「僕には蟹が逆立ちしているように見えます」
「それはまたエキセントリックですね」
 月が身体を震わせて笑ったような声が聞こえてくる。実際に震えたらきっと重力とか変化してえらいことになるんだろうけど、と寺は考えるのを止めた。
「俺たちって月と寺ですけど、逆に考えれば俺たちしか月と寺はいないんですよ?」
「えー、でも僕の他に寺はいますよ?」
「あなたという寺はあなたしかいないですよ」
 その言葉は寺の中心へと突き刺さる。まるで光り輝く月光のように。至極簡単で、どこにでもあるような言葉だが、その威力に寺は柱の一本一本がネズミに齧られていくような脱力を覚える。
「なんていい言葉なんですか。思わず倒壊しそうです」
「それはさすがによしてください」
 月は笑い、寺の声が三度下でハーモニーを奏でるように笑う。絶妙な位置でハモッた二音は上に幻の第三音を生み出す。倍音と呼ばれるもの。びりびりと震える笑い声がなくなり、月が言葉を発した。
「はぁ。さて、そろそろ夜明けですね」
「おや。空がゴミが燃えるように明るい!」
「変な例えですねぇ」
 東の空が赤く染まる。これから月は消え、寺は日光に晒される。参拝客や霊魂を見送る一日がまた始まる。
 ルーティンワークと化していた毎日が、少しだけ耀いているような気が寺はしていた。
「それでは、また夜に会いましょう、寺さん」
「はい。月さんも良い一日をー」
 月は徐々にその姿を薄れさせる。だが、まだ太陽の光は世界を満たしていない。夜と朝が交じり合う、マジカルアワー。寺はそこに七色の世界を見た。
「今日も一日、ご奉仕しますか」
 生きる者、死し者。隔てることなく接する自分はもしかしたら自分が思ってるよりは良い役柄なのかもしれない。
 三十年前は特に理由もなく思っていたが、三十年後の寺はそこに理由をつけられるようになったのだった。些細だが、確かな進歩。
「だから生きることは止められないな」
 陽光を身体に取り込みながら、寺は寝床から出てきた住職のラジオ体操を眺めていた。


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