101人おばあちゃんとあたし

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 祖母が死にました。
 事件性もなく、ただの老衰でした。
 百歳の誕生日を迎える前日に、入院前に残した遺言どおりに人工呼吸器を静かに外して、心臓は動きを止めたそうです。体から黒い何かが抜けていくように見えることもなく、静かに息を引き取ったと両親から聞きました。死ぬ一週間前には少し苦しんでいた時もあったらしいけれど、最後は穏やかな笑顔で亡くなったと聞いてほっとしました。学生時代はまだしも、小さいころから本当にお世話になっていたから。
 両親が共働きだったあたしは二人と一緒に祖父母の家に同居していました。両親とあたしのためにたくさんご飯とおかずを作ってくれる祖母に、公園に遊びに連れて行ってくれる祖父。両親も休日には祖父がいけない遠くに連れて行ってくれて、同じように両親が働いている子供と比べたら恵まれていたほうだったと思います。
 特に不満もなかった生活に、一つだけ不思議なことがありました。
 祖母はたまに酷い『物忘れ』をすることがあったんです。例えば私が夕食はハンバーグがいいと言うと「はいはい」と気前よく答えたのに、実際に出てきたのはサバの味噌煮で、違うと駄々をこねるあたしを見ながら「そうだったかねぇ」と首をひねっていました。あと、お菓子をよくもらったのだけれど、そのタイミングもチョイスも別人のように異なっていました。例えば塩味のチップスをもらって、それを居間でテレビを見ながら食べているあたしに、ほんの数分後にクリームを間に挟んだ子供用のクッキーをくれたりしたんです。味が正反対のお菓子を渡してくるなんて今、考えてもよく分からない。チップスもらったよと言っても祖母は「そうだったかねぇ」と言ってクッキーを渡してきました。
 祖父と両親に相談しても歳による物忘れということで気にしていなかったけれど、どうしても違和感がありました。祖母は物忘れではなくて、そもそも聞いたり、行動したこと自体なかったのではないかと思っていました。祖母は時折、別人にすり替わっていたと。
 あたしには祖母が別人のように思える時があったんです。ある時は顔自体が知っている祖母より皺が深かったり、笑顔が上手だったりしました。台所で料理をしている祖母が軽くステップを踏んでいるのも見ました。普段は足が悪くて毎朝の日課の体操でも軽くジャンプするところではしていなかったのに。
 尋ねても祖母は知らないと言うし、祖父と両親は変だと感じない。
 あたしだけが、祖母はたまに知らない人にすり替わっているという思いを抱きつつ、成長していったのです。
 幼稚園から小学校。中学から高校と進学して行くと、あたしと祖母の距離は広がっていき、いつしか違和感も消えていました。友達を呼んで誕生日会をしたり、ゲームで遊んだりというのは小学校まで。中学以降もたまに自分の部屋で遊んだりはしたけれど、祖母の干渉は少なくなっていきました。あたしも成長したし、祖母も小さい時と同じような干渉は毒だと理解してくれていたのでしょう。足が痛くてあたしの部屋がある二階にくることができないということもあったんだろうけど。
 歳を重ねていくと、過去のことは遠くなります。祖母の行動の不思議さもやはり物忘れだったんだろう。別人に見えるなんて幼い時にはあるんだと自然と思うようになりました。
 そうやって思っていたことが実は間違っていて、違和感が正しかったんだと知ったから、あたしはこうして手紙を書いています。誰かに読ませる気で書いているわけでもないし、誰かがこれを読んだからって何が変わるかどうかは分かりません。ただ、あたしが今、感じていることを素直に残しておきたかっただけかもしれません。
 きっかけは祖母が残した手紙でした。
 祖母が亡くなり、既に亡くなっている祖父の代わりに両親がお葬式の準備をしている頃、あたしは祖母の部屋の金庫から一通の封筒を見つけました。小さい頃、あたしは祖母と金庫の鍵ナンバーを共有していて、あたしが大事にしていた人形を入れるなど遊び道具の延長として使わせてもらっていました。祖母の思い出に浸っていた時に思い出して、回して数字を合わせる形式の鍵を覚えているナンバーで合わせてみたら、開いたんです。中には封筒が一通だけで、金庫の数字はあたしと祖母だけが共有したもの。これは祖母があたしにだけ伝えたかった何かだと即座に悟り、封筒の中から手紙を取り出して読んでいました。
 手紙を読み始めてすぐ、祖母は錯乱していたのではないかと思いました。内容は、あたしが小さい頃から病院に入るまで、祖母は自分と同じ姿形をしたものと時折入れ替わっていたというのです。あたしが幼い頃に受けた違和感は正しく、一瞬意識が飛んで、気付いた時には時間が十分過ぎていたことが何度もあったと。だから、元々サバの味噌煮を作る予定だったところにあたしがハンバーグが欲しいと言ったのも聞いていなかったし、甘いクッキーを与えようと居間に入った時には、すでにあたしはチップスを食べていたというのです。そして、自分が入院する直前になって、他の祖母達が現れてこれまでのことを告げたのだというのです。
 祖母が手紙をいつ書き終えたのか、正確なところは分かりません。筆跡が乱れているところからも、慌てて書いたように思えます。それこそ、祖母達が現れた後――病院に入院する直前に必死になって書いたのかもしれません。もうあたしに伝えることはできないかもしれないと。
 入れ替わった『祖母達』がいったい誰なのか。祖母にもよく分からなかったようです。
 祖母達は祖母そのものであり、別の世界の祖母であること。
 別の世界から祖母と入れ替わっていたのは百人であること。
 どの世界でもあたしは幼い時に病気で死んでいたり、生まれていなかったために可愛がることができなかったため、唯一生まれて育っているこのあたしを可愛がりたいと思って入れ替わっていたらしいということ。
 祖母も言われたことをそのまま書いたのでしょう。
 祖母にとって馴染みがない言葉でも、あたしにはなんとなく分かりました。漫画や小説のにわか知識だけれど、パラレルワールドのことを言っているんだろうと思いました。祖母が知らない知識でこんな妄想を書けるとは思えません。それとも歳をとったことで頭の中であたし達が理解できないような回路が繋がったのでしょうか。そんなことを思いながら手紙を何度も読み返し終わった時、気配を感じて振り返るとたくさんの祖母がいました。
 両親ともで出かけていて誰もいない家。その中に、おそらくは百人の祖母がひしめき合っていました。あたしを覗き込んでいる祖母達の後ろに広がって、居間や玄関ぎりぎり。二階まで満杯のようでした。何十人も立つ重みを必死でこらえているのかきしむ音が耳に届きました。このまま倒壊してあたしも死ぬのではないかと思ったほどです。
 祖母達の一人は言いました。私達の中で最も良かった祖母を選んでほしいと。あたしを交互に可愛がった結果、誰が一番良かったかを決めてほしいと。祖母達が言った通り幼い時だけではなく、病院に入るまで入れ替わっていたならば、疎遠になったことで祖母の変化を感じ取れなくなっただけだったようです。祖母達はいつでも入れ替わっていて、あたしにアピールをしてきたのです。どれくらいの頻度で入れ替わっていたのか尋ねると、一日に十回。世界の強制力と言うものが働いて、時間は五分くらい。つまり一日五十分です。百人の祖母は別の祖母にローテーションで入れ替わり、接触してきたことになります。
 祖母達は声をそろえて誰が良かったかと尋ねてきます。涙ぐましい努力だとは思いますが、正直な話、誰がいつ入れ替わったかなんて分からなかったので答えようがありませんでした。入れ替わった後で名札が変わるわけでも、顔が違うわけでもない。理論上、別人ではない人間を見分けるのなんて不可能です。ただ、子供のあたしはそういう違いを分かったのでしょう。時折、別の人に見えていたのですから。同じ祖母でも別の人。そう思った時、あたしは結論を出していました。一日に五十分しか代わっていないなら残り二十三時間十分はこの世界の、あたしが生きている世界の祖母なんです。なら、どの祖母が一番かという答えは一つしかありません。あたしは亡くなった祖母が一番ですと正直に答えました。そして祖母のように、愛してくれてありがとうございますとも。
 でも、祖母達は呆気にとられた顔をしてあたしを見つめてきていました。その反応は予想外で、どう動いたらいいかも分かりません。
 やがて敷き詰められた祖母の誰かが言いました。
「なんのために祖母を殺したのか分からない」と。
 その一言がきっかけであたしに言葉の津波が押し寄せてきました。
 遺言で財産分与で渡る金をあたしには多めにしたのに。
 両親に感謝の言葉をたくさん述べて印象を良くしたのに。
 聞こえてくる言葉はあたしのご機嫌取りのために、いかにして死ぬ直前まで尽くしたかということをアピールしていたのです。入院してあたしに会えないのに、入れ替わったのは外堀を埋めるためだけだったこと。
 彼女達は入院した後も祖母の心象が病院や両親、そしてあたしに対して少しでも良くなるように。一日五十分間を皆で協力して適度に使ったと。
 そして、祖母が死ななければこうしてあたしへ審判を仰げないということで、あっさりと死ねるように人工呼吸器を外すタイミングまで指示していたのです。
 百歳の誕生日を迎える前日に、外すようにと。
 祖母は、この女達に殺されたのだと悟りました。
 女達はあたしへ告げてきます。
 幼い頃にチップスを与えた。自転車を押してあげた。あたしに内緒で友達に「仲良くしてやってほしい」とお菓子をあげた。あたしが気になる男子にこっそりお小遣いをあげた。彼氏にコンドームをさりげなく渡したけど、直後に別れて残念だった。別の彼氏に夕食をごちそうしたいから、あたしの部屋に盗聴器を仕掛けて聞いた通りの好物を出した。
 学生の頃に、男子のあたしに対する目がおかしい時がたまにあった理由が明かされました。全部、この女どものせいだったようです。そこまでしてあたしの評価が欲しいのかと思っていると、勝手に真実を話してくれました。
 誰かが言いました。お前も私の孫と同じなのかと。
 孫がいないからあたしを可愛がっていたのではなくて、孫に嫌われているから別の孫に尊敬してもらおうとした。それが真実のようでした。もちろん、本当に孫がいない人もいるんでしょう。でも、あたしは何を言われても女達を祖母と同じとは思えませんでした。孫に誉められたいという思いだけを満たそうとする醜悪な女達。押し寄せてくる波を回避することはできないため、あたしは蹲って、みんな大嫌いだと叫びました。
 あたしの祖母は一人だけだ。この世界の祖母だけだ。お前らなんて消えろと。
 次の瞬間、絶叫が轟いて全員が消え失せたのです。
 一瞬前まで存在していたことが嘘のように。部屋を破裂させそうなほどの人数がいたのに、部屋は変形もしていませんでした。
 ここまでが、ついさっきまであたしが体験したことです。到底信じられるものではないと思います。祖母が亡くなったことが思いのほかショックで錯乱しているだけかもしれません。途中で書いた通り、誰かに読んでもらおうと思って書いたわけではありません。だから文章もめちゃくちゃだと思います。ただ、あたしが感じたことを残しておきたかったのだと思います。この手紙は、祖母との思い出の金庫にまた入れておきます。金庫はあたしが引き取って、あたしが死ぬまで持っていようと思います。子供を授かって、文字が読めるくらいになったら読ませるかもしれません。
 未来のあたし。あるいは子供。あるいは、あたしではない誰か。
 読んだ時に頭おかしいと言ってゴミ箱に捨てないでくださいね。


 橋田郁美



 ほんの三分前にこの世界のあたしが書いた手紙を読み終えてから、持っていたライターで手紙に火をつける。用意しておいた灰皿に乗せて焦げて面積を減らしていく手紙。これを書いたあたしには、お金がかかるけど記憶消去が必要になるだろう。入れ替わっている間の記憶を書き変えるだけなら通常価格なんだけれど、手紙を書いたという事実は脳よりも体に刻みこまれる。いつか違和感から無理やり記憶を引き出すかもしれない。
「まさか、おばあちゃんも入れ替わってるなんて」
 別の世界の自分に入れ替わる技術を使って楽しむ中で、親族でぶつかるのは稀だ。特に祖父母の年齢になればサービス自体についていけないことが多い。実際、入れ替わるだけで記憶書き換えサービスも実施していなかったみたいだし。でも入れ替わるだけじゃなくて自分自身を別の世界に移動させるなんてお金がかかることもしている。お年寄りのお金の使い方は分からないわ。
 あたしの祖母も、あたしが嫌っていたのがそんなにショックだったんだろうか。養護施設にいる祖母も、この手紙を書いたあたしの前でアピールをしていたのかもしれない。今度お見舞いに行ってあげよう。
 手紙が完全に消失してから、灰皿を運ぼうと持ち上げる。自分の家と変わらない祖母の部屋。ただ、養護施設に入って使われなくなった部屋と、直前まで祖母が寝起きしていた部屋とでは空気が違っていた。
「さて、入れ替わる前に灰皿片づけないと」
 入れ替わる前にはできるだけ前と同じ状態にしておけば、記憶書き換えも最小限で済む。おばあちゃんとは違うんです。
「じゃあね、別の世界のおばあちゃん」
 金庫をおばあちゃんに見立てて言ってから、あたしは部屋から出た。


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