〜音楽室の幽霊〜 「鳴海さん……」 鳴海歩が新聞部部室に入ると同時に、結崎ひよのは暗い顔をしていた。 その気配が殺気立っていたので歩は回れ右をする。 「どこに行く気ですか?」 「今日はスーパーの特売日だ」 むんずと頭を掴まれた手に入っている力に、歩は戦慄する。みしみしと軋む頭蓋骨。 自分の命を刻々と削っていくであろう、その手はまさしく蛇噛(スネーク・バイト) (こいつは、殺す気だ) 歩はその明晰な頭を用いて瞬時に選択肢を思い浮かべる。 1.逃げ出す 2.話を聞く 3.聞く振りをして逃げ出す (もちろん……) 「2、ですよね」 「何故思い浮かべた事が分かる?」 「そんな事、わたしと鳴海さんとの仲ならお見通しです」 「誰が俺とあんたの仲なんだ?」 歩はいつの間にかひよのの話を聞いている事に気付いてため息をついた。 結局、自分はこの娘の話を聞かなければいけないのだと諦める事になった。 「んで、なんなんだ? 俺はさっさと帰りたいんだが」 「……それはですね」 こうして、ひよのの話は始まった。 「それは昨日の事なんです。昨日、わたしは新聞部室で夜遅くまでデータ整理をしてました」 「何のデータだ?」 「校長の新しい愛じ――ゲフゲフッ! そ、そんな事は関係ないです。まあ兎に角その後、 わたしが作業を終えた夜八時ごろに聞こえてきたんですよ……」 ひよのがその時点で固まったために歩は先を即すしかなかった。どうやら、ひよのはそ ういう展開を望んでいるらしい。非常にめんどくさい、と歩は思ったが、ここで怒らせて は何をされるか分からない。大人しく歩は無言の重圧にしたがった。 「で、何が聞こえてきたんだ?」 「ピアノの音です」 「ピアノ?」 歩は学校内の地図を頭の中に浮かべた。月臣学園は巨大で、いくつかの音楽室が存在する。 しかし新聞部室にいてピアノの音が聞こえる範囲に音楽室などない。 「夜だから、遠くから聞こえてきたんだろ」 「違います! 廊下に出るとすぐ近くに聞こえるんです!! それで聞こえてきた場所は、 隣の編集室だったんです!」 「編集室?」 聞きなれない単語に歩が首をかしげる。ひよのは続いて言葉を付け加えた。 「新聞を印刷した際に、端が綺麗にそろわなかった時に綺麗に切る道具がある場所です。 今はコンピュータで簡単に作れますが、昔はワープロで書いた記事を貼り付けたり、いろ いろ面倒な作業を必要としたんですよ」 「なら、どうしてそこからピアノの音が聞こえるんだ?」 「怖いながらもわたしが調べた結果、分かったんです!」 ひよのは両拳を顎の下で握り締めて頭を振りながら言った。 「あそこは昔、音楽室だったんです! そして、そこでピアノに首を挟まれて死んだ人が いたのですよ!!」 歩はしばらく固まった。確か以前にそんな話で事件と言うかやっかいごとに巻き込まれ たような気がしたが、そこは今のところ、別に問題ではない。 「しょうがないな……で、俺が真相を確かめればいいんだな」 「はい。よろしくお願いします! おちおち、夜までデータを整理していられません」 「素直に夜になったら帰ればいいのに……」 そんな歩の呟きもひよのには全く効かなかった。歩はいやいやながらも夜まで残ること になったのだ。 「本当に特売日だったのに……」 その呟きは中空に空しく消えた。 * * * * * 午後九時。 見回りの警備員がご苦労様とひよのと歩に声をかける。歩はすでにまどかに電話をいれ て帰りが遅くなることを言っている。歩としては早く幽霊騒ぎを解決したいと思っていた。 と、その時…… ……ぽろぽんちゃっちゃっぽろぽんちゃっちゃっ…… 「き、きました!!?」 「……そうだな」 歩は立ち上がり、廊下に出た。確かに音源は新聞部室の隣。すなわち『編集室』から聞 こえてくる。そのメロディは歩が聞く限り、『猫踏んじゃった』である。 全く恐怖は感じなかった。 「な、な、鳴海さん……早く見てみてくださいよ」 「分かったよ。だがな、『猫踏んじゃった』だぞ? 幽霊だろうがこんな曲弾く奴に悪い 奴はいないだろう」 「ほ、本当ですか?」 「多分な」 歩は隣の部屋のノブを手に取り、回した。すんなり開いたドアの中からはっきりと音が 聞こえてくる。音は本当のピアノではなく小学生が持っているような小さな鍵盤ハーモニ カだ。後ろに恐怖から震えて制服を引っ張ってくるひよのをしたがえて、歩は視線の先に 鍵盤ハーモニカを弾いている一人の少女を見た。 「あわわわああ……ゆ、ゆゆゆゆ」 「どうしたんだ? こんなところで」 歩は制服を掴むひよのを離して少女に近づいた。そしてしゃがみこんで少女の顔を見た。 『……うまく弾けないんだ』 少女は泣きそうな顔で歩に話し掛ける。歩は笑顔を――けしてひよのには見せない笑顔 を浮かべて鍵盤ハーモニカを優しく借りた。 「こう弾くんだよ」 歩は息を吹き込みながら「猫踏んじゃった」を弾き始めた。それは鍵盤ハーモニカでい たとは思えないほどの見事な演奏だった。少女も、そして怯えていたひよのも唖然とした 顔で歩の演奏を聞いている。 やがて演奏が終わると少女は先ほどまでの悲しげな顔から一転、満面の笑みで鍵盤ハー モニカを受け取った。 『ありがとう、お兄ちゃん!』 少女は歩の隣を走り抜けていった。ひよのが飛び上がって歩の後ろに隠れた。 「……いっちゃいましたね。鳴海さん」 「言ったろ。幽霊なんかいないって」 「あれが幽霊じゃないとでも思ってるんですか!?」 「……人間の他に何があるんだ?」 歩は特に気にせず部屋から出る。ひよのも後ろについて部屋から出た。 (どうしてこの状況で幽霊と話したと思わないんでしょうか……) 本当にあの少女が幽霊だったのかは分からない。結局、その日以来、ひよのが幽霊と遭 遇することはなくなった。 一件落着と言ったところだった。 * * * * * 「あれ? 鳴海さん、どうしたんですか?」 ひよのが歩の顔色が悪いことに気付いたのは数日後の事だった。目の下に隈があり、新 聞部室でいつもは本を読んでいるのだが、今は突っ伏している。 「実はな……夜になるとあの女の子が夢に出てきて、今度は違う曲弾いてくれと言ってく るんだ……やけにリアルなもんで、寝てる気がしないんだ」 眠気を必死で抑えている歩の横で、顔を青くしているひよのがいた。 歩はそこから数日間、少女と共に演奏を続けたという…… 『完』