少年は自分の目に映る標的に神経を集中させた。



 手の中にある獲物――ナイフをダーツの要領で持ち、目の高さに上げる。



 自分の手の中から標的の中心に繋がる、見えない一本の糸。



 通常の状態では力を抜き、必要な一瞬に力を結集する。



 少年の瞳が光った。



 ナイフを持っていた右手が霞み、ナイフが消える。



 ゴンッ!



 ナイフが突き刺さる音とはまったく違う鈍い音が聞こえた。



 それは少年のすぐ後ろから。



「あ」



「……やっぱり、器用だね」



 少年の真後ろに、その男は立っていた。



 おそらく同い年であろう。 



 ナイフを投擲した少年はどこか感情がはっきりしない声で呟く。



「すまん」



「ふぅ。まあいいよ。一休みしよう」



 もう一人の少年はナイフをたたみながら自分達が今住んでいる別荘に足を向ける。



「すまん。カノン」



 無表情に見えるその顔に、微妙な申し訳なさを見せて少年が言った。



 カノンと呼ばれた少年は自分の親友の、まだまだ稚拙な感情表現を微笑ましく思いつつ返す。



「食事が用意されてるはずだ。一緒に食べよう、アイズ」



「……ああ」



 アイズ・ラザフォードは彼を知る人が驚くほどの笑みを浮かべた。



 その顔を見せるのも、幼なじみであり、運命を共にする親友だからこそだった。



 時はまだ、彼らを待ち受ける運命を刻み始める少し前……。













『Shadow of Silence』













 アイズ・ラザフォードとカノン・ヒルベルトは幼い頃からの親友だった。



 共に生まれつき呪われた運命を背負わされた二人。



「ブレード・チルドレン」の刻印を体に刻まれた二人。



 その運命を呪って感情の起伏をほぼ失ってしまったアイズをカノンは淋しく思い、支えてきた。



 またアイズもそれは分かっていた。



 カノンという存在がいる事で、自分が狂った運命の歯車の中で冷静でいる事ができると。











 森の中に勢いよくナイフが刺さる音が響く。



 投擲されたナイフは木の幹につけられた的の中心に刺さっている。



「だいぶ上達したね、アイズ」



「……ありがとう」



 アイズは微かに頬を染め、呟く。そしてナイフを的から抜いた。



「……もうそろそろ次の段階だな」



「そうだね。じゃあ、戦闘訓練でもするかい?」



 カノンは軽く両手を胸の辺りに上げた。上下に軽快に体を揺らす。



「全力で行く」



 アイズはナイフをポケットにしまうとダッシュでカノンへと向かった。











 カノンはアイズの他にもいろいろな事を教えた。



 銃、ナイフの扱い方。様々な知識。



 浅月香介や竹内理緒、高町亮子などの「ブレード・チルドレン」にも。



 カノン・ヒルベルトはアイズの親友であり、「ブレード・チルドレン」の兄でもあった。











 その日は雨が降っていた。



 滝のように落ちてくる雨粒が掲げられた傘を打つ。



 地面に反射した雨粒はそのまま佇む少年のズボンのすそを濡らした。



 アイズは眼前の墓石を見つめたまま動かなかった。



 少し空ろな表情で見ているだけだ。



 傘も差しているだけ。今、傘が取り除かれてもそのまま立ちつづけるだろう。



「アイズ」



 カノンが声をかけるとアイズはゆっくりとカノンに目をむけた。



「もう行こう」



 カノンが即し、アイズがそれに応じて歩き出した。



 雨の降りしきる墓場の中を二人は歩いた。



 互いに無言。



 アイズは大切な人を失った。

 

 それが「ブレード・チルドレン」の呪いのためなのかはカノンも分からない。



「アイズ」



 とうとう見かねてカノンはアイズの前に立った。



「悲しいんだろ? 悲しいのなら、泣いてもいいんだ」



 カノンはアイズの傘を取って瞳を見据える。



「悲しい時に泣けないほど、悲しい事はないよ」



 カノンの瞳には微かだが涙が溜まっていた。



 アイズはその瞳から少し目を逸らして言う。



「そんな俺のために、お前は泣いてくれるのだろう?」



 その言葉にカノンは笑みを浮かべた。アイズの瞳には強い意志の光がある。



 運命に押しつぶされない力を、カノンは感じた。



 アイズはカノンが取った自分の傘を手に取って言った。



「行こう、カノン」



 その顔には迷いはない。



「お前と一緒なら、どんな暗闇の中でも進んでいける」



 絶望的な運命の中でも、それを打ち破るためにアイズは進む。



 カノンは未来のアイズの姿をそこに垣間見た気がした。











 呪われた運命が回る。



 呪われた子供自体を巻き込んで。



 子供達は手を血に染めた。



 殺人者へと変わった。



 迫り来る運命に抗うために、人の命を奪い続けた。



 そしてそれは、かけがえのない物をアイズから奪っていった。











「どういう事だ?」



 浅月香介は目の前の人物の言葉が信じられなかった。



 最も今聞いた言葉を出すとは思えなかった人物だったからだ。



「僕達は生きているべきじゃない」



 カノン・ヒルベルトは腕を組み、目を閉じたままくりかえした。



「僕は、迷える『セイバー』はもう止める。『ハンター』へと変わるんだ」



 その一言の意味は重かった。



 その場にいた他のメンバー、竹内理緒や高町亮子は声も出ない。



「本気なのか?」



 アイズは声に感情を出さずに尋ねた。最も動揺すべき人間がそれをおくびにも出さない。



 その事が香介達を驚愕させた。



「ああ」



 カノンは立ち上がってその部屋から出ていこうとした。



 誰もが動けない。



 今、この場で殺しておかなければいけない最強の男に誰も手を出せない。



「少し、考える時間を上げるよ」



 カノンは誰に言うでもなくそう言った。



 その言葉が誰に向けられているかはしかし、明確だった。



「良い返事、期待しているよ」



 そしてカノンは他の「ブレード・チルドレン」の前から姿を消した。







 アイズは自分の部屋に戻ってベッドに横になった。



 つい先ほど自分を襲った悪夢。



 説得に清隆が向かったと言うが、カノンの意志を変える事は不可能だろう。



「カノン……」



 今、ひとまずおとずれる平穏。



 しかし近いうちに必ず自分達の前にカノンは立ち塞がる。



「お前を、止める」



 アイズは右手を掲げてゆっくりと握り締めた。





 そして悪夢のような運命は、彼の元に押し寄せる――





『Shadow of Silence』完