「鳴海さぁ〜ん」



 それは唐突だった。



 鳴海歩はちょうど塵取りでごみを取るためにかがんでいたが、その声に危うく倒れそうになる。



 一年の教室では聞くはずのない声。



 しかし実際耳に入ってしまっては仕方がない。



「鳴海さ〜ん!」



「……おい? 鳴海。呼ばれてるぞ」



「鳴海さんてば〜。無視しないでください〜!」



 歩は内心で首を横に振る。



 けしてあの女は俺の彼女のわけじゃない。



 何かと一緒にいるだけだ。



 それだけなんだ……。



「いつも熱いな」



「ほらほら、彼女がお迎えだぞ」



「ち、ちがーう!!」



 遂に歩は耐え切れずに叫んだ。



 その場にいる全員が呆気に取られる。



 いつもクールに構えている歩がここまで動揺するのは珍しい事だった。



「とりあえず来てください!」



 声の主は歩の絶叫をものともせずに手を引張って連行していった。



「ま、待て! まだ掃除が……」



「もう少しで終わりでしょう! こっちの方が重大なんです!」



 結局、歩は異常なまでの力に引きずられて教室から出ていった。



 残った生徒はしばらく呆然としたままだった。







『鳴海歩の事件簿A』

      〜ストーカーを捕まえろ〜







「んで、何なんだよ?」



 歩はいつものように新聞部室の机に頬杖をついて目の前の女性徒に目をむけた。



「大変なんです! それはもう!!」



 歩の目の前で慌てているのは結崎ひよの。



 歩の一つ上で、新聞部の部長でもある。



 そのたぐいまれなる情報収集能力で何度も歩の推理を助けていた。



 噂によるとこの月臣学園の学長でさえ逆らえない秘密を握っているらしい。



「実は! 私は狙われているんです!!」



「……前にもそんな事言って俺を遊園地に付き合わせなかったか?」



「そ、それとこれとは話が別です! 本当に付けねらわれているんです!!」



 ひよのは憤慨して見せるが、歩は呆れたようにため息を吐いただけだった。



「あんたの情報収集能力なら、誰が犯人か分かるんじゃないか?」



 ひよのはその言葉に笑みを浮かべて返した。



「ええ。確かに犯人を突き止めようと情報を集めました。



  そして二人にまで絞ったんですけど……。私には絞り切れません」



 そうしてひよのは二枚の写真を歩に差し出した。



 二人とも見た事があった。自分のクラスの生徒だったからだ。



「俺のクラスの奴等じゃないか」



「そうなんです!! 鳴海さん」



 写真には丁寧にプロフィールから何から全て書いてあった。





 秋田慎二

 7月4日生まれ

 身長173cm 体重53kg

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・





 渋谷雅人

 8月22日生まれ

 身長182cm 体重60kg

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・





「おいおい。利き手や利き足まで調べてるのか?」



「はい! 何が手がかりになるか分からないので」



 歩はざっとプロフィールを眺めた。



 家は二人ともひよのの家の近くのようだ。



「ストーカーって言うが、具体的にどんな事をされたんだ?」



「後をつけられたり、ゴミをあさられたり、こんな写真まで送られてくるんですよ!」



 ひよのはポケットから写真を取り出した。



 写真というか、パソコンで編集した物を貼り付けた紙だ。



 ひよのの歩く姿が校内、校外共に映っている。



「本格的なストーカーか」



 歩は憂鬱になりながらも資料を見ていく。



 そしてゴミ捨て場の写真を目に留めた。



「……おい」



「何ですか?」



 歩の声にひよのは今までとは違う真剣さを感じてすぐ側に寄った。



「この写真の……」



 歩が持っている写真はひよのがデジタルカメラを使って取った物だ。



 新聞部だけあって写真を撮る技術は上手く、かなり鮮明に現場の写真が映っている。



「この鋏、確保しているか?」



 歩が指したのは写真の中の、ゴミ袋のそばに落ちていた鋏だった。



「はい。これに指紋がまったくついていない事からも、犯人が使ったものと思いまして」



「ていうか、どこで指紋なんて採取できるんだ?」



「企業秘密です」



 その企業秘密は非常に気になったが、歩はひよのが取り出してきた鋏を持ってみた。



 手近な紙を手にとって切ってみる。



「ああ! その紙は……鳴海さん!!」



「利き手が左なのはどっちだ?」



「紙代、弁償してくださいね……。左利きは渋谷雅人の方ですけど。まさかそれだけで犯人と決めるんですか?」



 ひよのは驚いて歩を見る。



 それだけで特定できるならひよのがやっている。



「いや、それだけじゃないさ。もう一つ確実な証拠がある」



「証拠……?」



「そう。それで、犯人をおびき出すために今日、あんたが囮になるんだ」



 囮。



 その言葉を聞いて少ししてからひよのは怒り出した。



「そんな! 狙われている女の子によくそんな事が!」



「捕まえるためだ。我慢しろ」



 歩は自信に満ちた瞳をひよのに向けて言った。



「大丈夫だ。必ず俺が捕まえてやるさ」



 その瞳のぎらりとした輝きにひよのは何も言えなかった。







「というわけだ。こっちに来てくれ」



 歩はかけ終えた携帯電話をひよのに返すと近くの茂みに隠れた。



 ひよのはすぐ傍のベンチに座っている。



 少しして、公園に一人の男が現れた。



 男はきょろきょろと誰か人を探す動作をしていたが、ひよのに目を留めると近づいてきた。



「す、すいません。いつも鳴海君といる人ですよね? 鳴海君、この近くにいるはずなんですが」



「用があるのは私なんじゃないですか? ストーカーさん」



 歩は気配で男が怯むのが分かった。



「な、何を言い出すんですか? いきなり……」



「もう二週間くらい私の後をつけているのはあなたでしょ?」



 ひよのの強気な口調に明らかに男は動揺していた。



「そ、そんな事知りませんよ……。帰ります!」



 男は踵を返してその場から去ろうとした。そこに歩が姿を見せる。



「待てよ。どうして分かったか教えてやるよ」



「……!? 鳴海君!!}



 歩は腕を組んで胸を張ったまま男を真正面に見据えた。



「お前が犯人だ。秋田慎二」



 男――秋田慎二は一歩後ずさった。



 歩はその距離を歩いて縮める。



「お前はなかなか賢いよ。お前だけが疑われないように他の生徒にも注意して行動したんだろうが、



 今回ばかりは運がなかった。今回、網にかかったのは二人だけだったんだ。



 お前と渋谷雅人。



 そして、その事がお前が犯人だと説明している」



「どういう事だよ!」



 秋田慎二は完全に動揺して声を裏返した。あらぬ疑いをかけられて動揺しているとも見える。



「まずこの現場に落ちていた鋏」



 歩は鋏を手に持って前に掲げた。



「犯人はゴミ袋をあさって荒らしてから現場を後にしている。



 しかしだ。鋏なんて物は切り裂いた時に使っても、その場に置き忘れる事はない。



 簡単に指に引っかけておけるからな。手袋をして鋏を使うほど冷静な犯人が、その場に



 置き忘れるなんてヘマはしない」



 歩は指を通す穴に指を入れて回す。



「あと、こいつは左利き用の鋏だ。自分から目を離そうとしてあえて使ったんだろうが、



 もう一方の容疑者が左利きという今回のケースじゃ、怪しい事この上ないんだよ」



「そ、そんなの! 僕じゃなくても偽装は可能だろ!? どうして僕が……」



「お前はこいつの情報収集能力をなめてる。こいつが容疑者が二人と言うならどっちかなんだ」



「鳴海さん……」



 ひよのは目を輝かせて歩を見つめる。歩はその視線をあえて見ずに先に進めた。



「そしてこれが決定的なんだが、この写真だ」



 それはひよのに送られてきた写真の束だ。それを地面に投げ出してみせる。



「この写真は校内、校外関係なく取られている。しかし校外ならともかく、



 校内で写真を撮るのは極めて怪しい。目立ちすぎるんだ」



 歩は写真の中から一枚取り出す。



 それはひよのが廊下を歩いているのを後ろから取った物だ。



「こんなアングル。普通なら構えないと取れない。そして他の生徒がいる中で取るのは極めて怪しい」



 歩は写真をまたいで秋田慎二に近寄った。



 慎二は脅えて逃げようとしたが、歩に手を掴まれてしまった。



「お前の持っている携帯。確か近頃できた、写真取れるやつだったな」



 歩はすばやく慎二のポケットから携帯を取り出した。



 取り返そうとする慎二から離れて携帯を掲げた。



「お前はこいつでひよのの写真を撮ったんだ。確かテレビでこいつを使った盗撮が問題になってた



 から、それを見て試したんだろ」



「ち、ちが……」



「結構、流行みたいだな。手に入るのが困難で、お前しか俺のクラスで持ってる奴はいない。



 運がなかったな」



 歩は携帯を投げて慎二に返した。



「う、うううううう……」



 慎二は観念してうなだれた。ひよのはそれを見て歓声を上げる。



「やりましたね鳴海さん! 観念しなさい、ストーカー!!」



「うう。許してください……」



 慎二はひよのに泣きながら詰め寄った。その迫力にひよのは少し脅える。



「ひよのさんの事、前から見ていたんです! 鳴海君といつも一緒にいて、羨ましかった」



「おいおい。いつもなんて……」



「ひよのさんは鳴海君が好きなんですか!? そうじゃなかったら、僕と付き合ってください!!」



「え、っちょっと……」



 ひよのは困った瞳で歩を見てくる。歩はそのまま一目散にその場から逃げ出した。



 面倒な事に巻き込まれそうな雰囲気だったからだ。



 後ろでひよのの叫び声が聞こえた気がした。











【あの後大変だったんですからね!】



「はいはい。悪かったよ」



【何度言っても聞かないんですよ。名前聞くまで】



「じゃあ、その好きな人とやらの名前を言えば良かったじゃないか」



【そんなの恥ずかしいです! 結局一時間かけて諦めさせましたよ】



「ふーん、でも、驚いたよ」



【何がですか?】



「あんたにも人並みに人を好きになるって事があるんだってね」



【……鳴海さんの馬鹿ぁ!!】



 激しい紛糾と電話が切れる音。



 歩は受話器を当てていた耳を押さえつつ受話器を置いた。



「まったく。情緒不安定な奴だな」



 歩は呟いて洗濯物をたたむのを再開した。



 何もしようとしない義姉にぶつぶつと文句を言いながら。





『鳴海歩の事件簿A』〜ストーカーを捕まえろ〜  完