朝起きると、何やら外が騒がしかった。



「何だよ……」



  鳴海歩は、まだ少し眠気の残る頭を揺らしながら玄関に向かう。



  途中に時計を見ると朝八時を指していた。



  義姉のまどかは、今日は休暇らしくまだ寝ている。



  歩達の住んでいるマンションは意外と朝は活発ではない。



  住んでいる者がそろいもそろって低血圧なのかは歩も分からない。



  しかしドアを開けた歩はいつもとまったく違う様子に驚いた。



  歩達の階に住んでいる人達が、どうやらほぼ全員出てきているみたいだ。



「……どうしたんですか?」



「あら、歩ちゃん」



  近くにいた、隣に住んでいる顔馴染みの中年婦人が声を返してくる。



「怖いわぁ。このマンションで自殺があったのよ」



「自殺?」



「そう。ついさっき下に死体を見つけてね。もう少しで警察が来るわ」



  婦人はそこまで言うと別の主婦の所に行った。



(どうしてこう、主婦ってのは噂を広めたがるんだ?)



  その思いはすぐに消え失せた。



  歩は部屋の中に戻り、義姉の部屋をノックした。



「おーい。ねーさん、仕事だぞ」



  部屋の中でゴトッ、と音がした。









『鳴海歩の事件簿@』問題編













「あー、もう! どうして今日に限って事件があるのよ!」



  鳴海まどかはまだ完全に覚醒しない頭を叩いていた。



  瞬きを何度か繰り返し、現場を見回す。



「警部補。おはようございます」



  そう声をかけてきたのは、まどかの部下である和田谷末丸巡査である。



「和田谷。それで、状況は?」



  先に現場入りしていた和田谷にまどかは詳しい情報を聞いた。



「被害者は霞芽衣子29歳。三井物産のOLでした。



 昨日の行動はほとんど分かっていません。ただ、このマンションの住人が



 男と共に自分の部屋に入る芽衣子さんを目撃しています。夜八時四十分です」



「その男は?」



「会社の同僚で……被害者とは個人的な交際があったらしいです。三森一樹32歳。



 別の捜査員を彼の家に向かわせて話を聞いた所、昨日、別れたらしいです。



 三時間ほど口論をしてから帰ったと言っています。夜11時頃。これは隣の住人が目撃してます」



「被害者の死亡時刻は?」



「深夜二時十分です。その頃、何か重い物が落ちる音を一階の住人が微かに聞いた



 という事からも裏付けが取れます」



「……また戻ってきて犯行に及んだという可能性は?」



「ないとは言えませんが、今の時点では何とも」



  まどかは現場を見回した。



  部屋の中は完全に荒らされていた。



  窓ガラスからグラスなどを入れたボックスにいたるまで、すべて。



  テーブルの上には割れたワインボトルと粉々になったワイングラス。



  金目の物はその場から姿を消し、被害者の財布には一銭も金がない。



  明らかに金目当ての犯行である。



「気にいらねぇな」



  その声にその場にいる捜査員全てが釘付けになった。



  手袋をして写真立てを持ちながら呟く歩に、和田谷巡査は顔を赤くして近寄った。



「こらお前! 部外者は立ち入り禁止!」



「犯人はどうしてこんなに部屋を荒らしていったんだ?」



「そ、そりゃあ。ここまで憎んでいたんだよ」



「だからって他の人に聞かれるかもしれないようなリスクを負う事をするかな?



 部屋を荒らしたのはこの状況から見て被害者を殺した後だ。深夜二時二十分頃。 



 隣の部屋の人とかは、その時刻にこれが行われた音は聞いてないんだろ?」



  和田谷は別の捜査員に目配せした。慌てて目をつけられた捜査員はうなずく。



「は、はい。隣人は何も音は聞いていないと言っています。その頃は両部屋の住人共に



 ベッドに入った頃らしく、微かに物音を聞いた以外は特に大きい音は……」



「微かな物音なら隣人が起きているための音としか聞こえない。



 ここまで大掛かりな荒らしを、音を気にしてやる必要もないだろ?」



  歩は写真立てを元あった場所に置いて、周りを見回した。



「……和田谷。遺留品」



「はい……」



  和田谷は意気消沈といった感じでテーブルの上に遺留品を上げた。



  被害者のバックに入っていたのは保険証に化粧品に携帯電話。



  他は特に歩の部屋にあるものと変わらない。



「これは?」



  まどかは遺留品の一つの眼鏡ケースを持ち上げた。



  眼鏡は入っていない。



「眼鏡の入っていない眼鏡ケース」



  まどかの横から覗き込んできた歩は眼鏡ケースを取って眺めた。



「中の眼鏡は被害者がつけていました。今調べていますが、本人の眼鏡に間違いはありません」



「………」



  歩は顎に親指を当てる姿勢でぶつぶつと何かを呟いた。



  そして顔を上げると先ほどの写真立てを掴む。



「姉さん。調べてほしい事があるんだ」



「何?」



  まどかは何も異論は挟まない。



  今の歩の瞳に宿る冷たい光は、名探偵と呼ばれた兄、清隆譲りの物だ。



  この状態の歩ほど頼りになる人間を、まどかは知らない。



「近くのごみ捨て場に『ある物』がないか、それとこの眼鏡ケースの中身がいつ買われたのか」



「『ある物』って?」



  歩はまどかにその『ある物』を伝えた。まどかは歩の持っている写真を取って見る。



  写真は被害者と、男の物だった。おそらく三森一樹という男だろう。



  死んだ時につけていた眼鏡をつけた女性が肩に手を回されている。



  日付は一年前だ。



「それじゃないさ」



  そう言って歩はもう一方の写真をまどかにみせる。



  それはいろいろなプリクラが貼られて収まっていた。



「近頃のプリクラって日付が入るんだよな。これ、この一ヶ月のやつだ」



  まどかは目をこらして一つ一つプリクラを見ていく。



  そして一つのプリクラに目が止まった。



  それは昨日の日付であり、ある事実を示していた。



「これは……」



  まどかは目を疑った。



  そこに映っていたのは写真と同じ、彼と共にいる被害者。



  しかし決定的に違っていた事があった。



「一昨日にも彼女はプリクラを取っている。どうやら友達らしい。



 そしてその時には……」



「た、確かに。『つけてる』」



「そう。これが意味する所は二つ。一つに絞るためには後は情報が必要だ」



  歩はそう言ってからその場を後にした。



  まどかが和田谷以下に命令を下している声が聞こえる。



「ねーさんも大変だな」



  歩はため息混じりに呟いた。







 解答編に続く