「愛してる」

 歩が急に言い出した言葉に、ひよのは顔を赤くした。声を震わせながらひよのは歩へと

問い掛ける。

「な、鳴海さん……一体どうしたんですか?」

「お前の……ひよのの大切さに気付いたんだよ」

 歩は目の前に立ったひよのを強く抱きしめた。その見た目よりも強い力にひよのは胸が

きゅんとなる。

「鳴海さん……」

 ひよのは上目づかいに歩を見てから眼を閉じた。唇を心なしか意識する。暗闇の中、歩

の顔が迫ってくる気配を感じて――







 目が覚めた。







「夢落ちですか……」

 ひよのは乱れた髪を抑えつつため息をついた。カーテンの隙間からのぞく光は日曜の朝

に相応しく晴れ晴れとした空を予想させる。

 そしてその夢はひよのの中で徐々に大きくなっていく。

(でも、鳴海さんももう少しわたしを敬ってもいいんじゃないでしょうか……そうだ!)

 ひよのは顔に浮かぶ笑みを抑えることは出来なかった。はやる気持ちを抑えて電話を取

りに行く。その間もこれから始まることへの期待感が膨らんでいき、ひよのの笑いに崩れ

ている顔を見てひよのの母親が少し気味悪そうにしていた。

「さーてさて! 今日一日が楽しみですね〜」

 既に暗記している電話番号へとかける。コール音の間にもひよのはふふふ、と笑いなが

ら相手が出ることを待つ。すぐに相手は出た。

『はい、鳴海です』

「はーい! ひよのちゃんでっす!」

『……どちら様ですか?』

「何言ってるんですか! ひよのちゃんですよ、鳴海さん」

『すみません。こちらはナリミです。ナルミではありません。間違い電話で――』

「本題に入ってよろしいですか?」

『はい』

 電話先の歩はとぼけることを止めてひよのの話を聞くことにした。やりすぎれば、彼女

の機嫌を損ねてどんな報復を受けるかどうか分からないからだ。今までの付き合いで歩は

知っていた。

『用は何だ?』

「はい。約束の件で」

 約束

 その言葉の意味を探ることに、歩はしばらく時間がかかった。そして当てはまるのは一

つしかない。出来れば見つけたくなかった言葉だったが、確かに自分は言っていた。

「男に二言はないですよね。自分の言葉には責任を取ってください」

 ひよのは極力自分がにやけていることを隠すように言葉を紡いだ。電話越しでは実際に

会うよりも言葉の中に含まれる感情が伝わる。しかも相手はあの歩だ。自分がここまで嬉

しがっていることを知られたくはない。

『……分かったよ』

 歩は諦めの溜息と共に言葉を吐き出した。

『で、何を作ればいいんだ?』

「大きくて生クリームたっぷりの苺ケーキがいいです」

『分かった。じゃあ、作っておくからそうだな……昼の三時ごろに来てくれ』

「わっかりました〜。あ、鳴海さん!」

 ひよのは自分の『計画』を歩に告げた。





 ぴんぽーん。

 歩の部屋のチャイムが鳴る。歩はケーキに最後の仕上げをしているところで手が離せな

かった。

「姉さん。出てくれよ」

「はいはい。まったくラブラブね、あんたたち」

「断じて違う!」

 歩の怒りの声に背中を押されて鳴海まどかは玄関へと向かい、ドアを開けた。そこには

私服姿のひよのがいた。

「こんにちは〜」

「よく来たわね、結崎さん」

「まどかおねーさんも相変わらず綺麗ですね」

 ひよのの機嫌のよさにまどかも内心微笑んでいた。この娘の噂は歩や和田谷などから聞

いている。本来の女子高生とはこんな笑みが似合うのだ。

「じゃあ、邪魔者の私は消えるわね。ゆっくりしていきなさい」

 そのまままどかは靴を履いて外に出て行った。ひよのは手を振って見送るとゆっくり部

屋の中に入っていく。居間に入ったと同時に歩がテーブルの上にケーキを置いた。

 ゆうに三人前はある苺のケーキだ。

「本当に美味しそうですね〜。さすがは鳴海さんです」

「あんたには借りがあるからな。ささやかな感謝の気持ちだ」

 いつになく自分に感謝の気持ちを向けてくる歩にひよのは内心ほくそ笑んだ。それより

なにより、自分が頼んだものをちゃんと再現してくれたことが嬉しかった。

「鳴海さん。このケーキの上に書かれている事を言ってくれませんか?」

「ばっ……馬鹿な事言うな! これを書くだけでもかなりきつかったんだぞ!」

「鳴海さんに拒否権があると思ってるんですか?」

 にこやかに爽やかに、酷なことを言うひよのに歩はもう抵抗する気もなくなっていた。

「ちゃんと言葉に抑揚をつけて、言ってくださいね」

「はいはい」

 どうせ言葉だ。

 時が過ぎれば効力は消えるのだ。

 歩は無理やり自分にそう言い聞かせるとケーキの上に書かれている言葉を発した。

「ひよのちゃんありがとうっ。キミがいなければ僕は駄目だよお!」

 歩は沸きあがる恥ずかしさを必死に抑えて言葉を言い終わると、テーブルに突っ伏した。

これで自分の役目も終わるかと思うと気分も楽になる。しかし歩の耳に聞きなれた声が聞

こえてきた。

『ひよのちゃんありがとうっ。キミがいなければ僕は駄目だよお!』

「録音してんじゃない!」

 ひよのはテープレコーダーを掲げながら微笑む。それは満面の笑みで、歩に取っては悪

魔の微笑だった。

「言葉は永久に残りますよ。こうしなくても。わたしの心の中に」

「ならそのテープを渡せ!」

「でも人間って不安定な生き物ですから、これは形ある宝物としてとっておきます」

 歩はもう何も言えなかった。これでしばらくはひよのの言いなりになるのだろうと諦め

が生まれる。ひよのはそんな歩の横でケーキを取り、口に運んだ。

「やっぱり言葉も大事ですけど、実物もおいしいです〜」

 ひよのはとても幸せそうだった。





『完』