雲の向こうへ


 空を飛んでいきたいと、ふと思った。

 走っている時は目の前だけを見ているけど、ゴールをした瞬間、上を見上げる。

 その時に空を飛んでいる鳥が無性にうらやましく見えた。

 あの鳥のように何も考えずに飛んでいけるならどれだけいいだろうか。

 夕暮れの空を見ながら、高町亮子は思っていた。

「別にあの鳥は何も考えてないわけじゃないと思うよ」

 気付かぬうちに後ろに歩いてきていた相手に、亮子は息を吐くと向き合う。

「いつから来てたんだい、カノン」

「たった今さ。どうやらかなりの好タイムらしいね」

 亮子の後ろにはカノン・ヒルベルトが立っていた。いつ来たのか全く気配を悟らせないのは流石と言ったところだと、亮子は感嘆する。

 周囲を見ると、亮子の後輩が顔を赤らめながらカノンを見て話していた。

 彼女等の目に自分達はどう映っているのだろうか。

 自分達が彼女等と同じように、未来に希望を夢見て、現在を謳歌しているように見えるのだろうか。

「ここじゃ落ち着かないから、話があるなら場所を移そうか」

「そうだね……着替えるから待っててくれるかい」

 亮子はカノンの返事を聞かずに更衣室へと歩いていった。すかさずカノンに群がる後輩の女子達。カノンはにこやかに一人一人に対応しているようだった。

(全く、よくやるよ……)

 亮子は誰にも気付かれないように小さく笑みを浮かべた。




「何の用だったんだい? 一応監視着きで釈放されたんだ。もう少し遊べばいいのにさ」
「家にいても暇でね。それなら他のブレード・チルドレンと一緒にいたほうが気楽だよ」

 以前、月臣学園で起こした事件のためにカノンは最近まで警察に拘留されていた。ようやく一日中監視されるという条件で釈放されていた。すでに絶望はなく、自分を倒した鳴海歩に、他の仲間達と共に期待している。

 それが亮子にも嬉しかった。呪われていても仲間であり、仲間同士で傷つけあうのは嫌だったから。

「さっき、鳥の話をしていたね」

 しばらく雑談をした後で、カノンが言った。亮子も忘れかけていた話題だ。一瞬の躊躇と共に言葉を紡ぐ。

「ああ。そうだったね」

「彼等……彼女等もどこかを目指して飛んでいるんだ。僕達みたいに」

「どこかって……どこだよ」

 カノンは空を指差して呟く。

「雲の向こうさ」

「雲の向こう?」

 カノンは穏やかな笑みを浮かべながら続ける。

「あの雲の向こう側には、きっと自分達の望む何かがある。自分達の望みさえも分からないけど、そこを目指せば分かるはずだと、そう思って」

 カノンの語り口に亮子は気付いた。

 カノンもその「雲の向こう側」を目指していたのではないだろうか、と。

 幼い頃から『ハンター』から他のブレード・チルドレンを守るために手を赤く染めてきたカノン。誰よりも、カノンは救いを求めていたのだ。

 今は絶望しかなくても進んでいれば、飛びつづければ雲の向こう側へと辿り着くことが出来る。自分の望みがきっと見つかると信じて。

 そして、その先で見つけてしまった絶望のために、彼は仲間達に牙を向けた。

 カノンの持っていた気持ち。それは亮子が胸の内に抱いていた思いと似ていた。

「あんたの気持ち、分かるよ……」

 陸上で名を知られていた亮子。しかし、自分の呪いにより、光ある未来を諦めていた。それでも自分を保っていられたのは、更に先に飛び立つ勇気がなかったこと。

 そして自分を支えてくれる仲間――特に浅月香介がいたからだったのだ。

 カノンは自らの強さゆえに絶望し、亮子は弱さによって未来を諦めた。

 弱かったからこそ、仲間を殺すという選択肢を選べなかっただけ……。

「間違ってたら、あたしがみんなを殺していたよ。あんたが戻ってきて良かった」

 亮子の言葉にカノンは心底驚いたのか、唖然とした顔を向けた。その顔があまりにおかしかったからか、亮子は笑い出した。

「はははっははは! なんて顔してんだい、カノン!」

「いや……まさか亮子にそう言われるとはね……」

 亮子はカノンの手を取っていきなり走り出した。その行動にもカノンは驚かされ、なすがままとなる。亮子は振り向いて言った。

「行こうぜ、カノン! 雲の向こう側にさ。今度は、あたし達と一緒に!」

「……そうだね」

 カノンの目に涙が浮かんだ。亮子は前を向いて見ることはなかったが。

 許されない罪を犯した自分を、仲間は許してくれるのだ。それほど嬉しい事はなかった。

「行こう。雲の向こう側へ……」
 
 二人は夕日の赤の中、果て無き未来へと足を踏み出していた……


『完』
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