『小猫物語』



  その猫を拾ったのはまったくの偶然だった。歩はいつものように夕飯の材料を買ってか

らの帰宅の途中。唯一違った点は通った道だった。いつも通る道がその日に限って工事中

であり、めんどくささを感じつつも歩は少し遠回りをしたのだ。

  その道にはある公園が面していて、歩が通りかかった時、子供達が数人一個所に集まり

何やら話しているのが見えた。

「歩兄ちゃん!」

  その声は歩の住んでいるマンションに同じく住んでいる家族の子供だった。たまにゴミ

を出す時や廊下を歩いている時など元気に声をかけてくる子供。その元気の良さを歩は嫌

ってはいないためにいつも比較的、好意を示していた。

「どうしたんだ?」

  歩が声に引かれて近づいていくと子供達は離れて自分達が囲んでいた物を見えるように

する。そこには薄汚れたダンボール箱があった。

「……捨て猫か」

  歩が箱を覗き込むと小さくニャア、と声がした。小猫のようで、かなり弱っているよう

だった。

「歩兄ちゃん。何とかして!」

「何とかしてと言われても……」

  歩に向けられる子供の視線。まだ社会の汚れも知らない純粋な子供達の視線に歩は耐え

られなくなる。

(って、これを世話する俺の身になれ!)

  と言いたいが、子供相手に言うわけにはいかない。

  結局、歩はダンボール箱を持った。

「里親が見つかるまで飼ってやるよ」

  体を襲う脱力感を子供達に見せないように、歩は夕食の入った袋と共にダンボール箱を

持ち、歩いていった。子供達は安心して遊びの続きに熱中し始める。

(気楽なもんだよな)

  それでも、やはり歩は子供に弱いのだった。





「今夜は猫鍋?」

「怖い事言うな!」

  歩がダンボールと共に帰ってきた時、まどかは一瞬唖然とし、次に出た言葉がそれだっ

た。明らかに冗談だとは分かっていたがやはり反論せずにはいられない。

「あなたも清隆さんの血が流れてるのね。ナイス突っ込み」

「流れてるのは親の血であって兄貴のじゃない」

  うんざりしつつダンボールから猫を取り出す。ニャ、と歩の手に収まっている小猫は気

持ちよさそうに目を細めていた。

「か……可愛い!!」

  まどかは黄色い声を上げて歩の手の中の猫を見た。小猫はその声にびっくりして体を強

張らせる。

「なに小猫をびびらせてるんだ!  ほらほら、どっかいった」

  歩はまどかを押しのけて部屋へと入る。そして猫を抱いたままたたんであったダンボー

ルを器用に組み直す。まどかにガムテープを貼ってもらい出来た箱に猫を入れた。

  新たな住処を見回して鳴く猫。

「可愛い……」

  まどかは小猫の可愛さに瞳を潤ませ、顔を緩ませている。

  そのぽう、となった顔を見て歩は心臓が跳ね上がった。

(可愛い……)

  それぞれ違う理由で顔を赤らめる二人。

  先に我に返ったのは歩だった。

「そ……それより、こいつの里親を探さないと!」

「え〜、わたし達で飼いましょうよ」

「俺はこれ以上ペットが増えるのは嫌だ」

「わたしもペットか!」

  まどかの追及を躱しつつ、歩は一つ案を思い付いていた。まどかを手で黙るように言っ

てから電話機とメモ帳を取り、書かれた番号をプッシュする。数回のコール音の後に電話

は取られた。

『はーい、結崎でっす!』

  電話の相手は歩と共に事件を解決してきた結崎ひよのだった。

「よう、あんたか」

『その言い方は鳴海さんですね〜。相変わらずあんた呼ばわりですか!』

「ちょっと頼みたい事があるんだが」

  歩の言葉にひよのは返答を少し遅らせる。何があったのかを思考しているのだろう。

  そして言葉が返ってくる。

『また美少女でもひっかけましたか?  それで今回は心がときめいたのでその娘の個人情

報が欲しいとか。鳴海さんの鬼畜〜』

「……またえらい言われようだな」

  歩はそれから小猫を拾った事。その里親を探している事を言った。

『なるほど〜。ひよのちゃんにまっかせてください!  三日後には里親を見つけてみせま

すよ!』

「ああ。期待してるよ」

『……はい』

  その時、急にひよのの声がか細くなる。歩はわけが分からずしばらく受話器を握ってい

たが、結局  ひよのはその後を言わずに電話を切った。

「なんなんだ?」

  良く分からないが、これで三日後には里親は見つかるだろう。ひよのが言ったならば絶

対見つかるという事が今まで付き合ってきた事で分かる。

「とりあえず、安心かな」

  歩の言葉に答えるように小猫は小さく鳴いた。





「うっわ〜。可愛いですね〜」

  新聞部の部室に歩が猫を連れてきた時、ひよのはパソコンに向かっていたが、猫の声を

聞いた途端に歩の傍へとやってきて手の中を覗き込む。

  ミーミーと鳴いていた小猫は突然現れた第三者に驚いたのか体を硬直させる。

「この猫、鳴海さんが飼っちゃえばいいのに」

「当たり前だが、俺のマンションは動物禁止だ」

  歩はため息を吐いて適当な箱を探す。そして電気ポットの箱の中に入れた。

「あー、勝手に!」

「別にいいだろ。それにしてもどうして電気ポットが新調されているんだ?  どっから金

を手に入れてる?」

「もちろん部費です」

  学長をさりげなく脅迫して部費を多めに取っている事を歩は知っている。しかし何も言

えずに歩は部屋の出口へと向かった。

「あ、それと――。どこに行くんですか?」

「授業だ。猫よろしく」

「そんな〜」

  ひよのの声を無視して歩は部室を後にした。これが後の騒動の始まりだった。





  昼休み、歩は屋上で昼食の弁当を広げていた。その歩に一つ影が射す。

「おーとうーとさん」

「あんたか」

「竹内理緒ですよ。いいかげん名前で呼んでください」

「あんたも俺を弟、と呼んでるだろ」

  ブレードチルドレン・竹内理緒はそのまま歩の隣に座って弁当を広げた。歩は特に気に

もしないで自分の弁当に箸を入れる。

「おいしそうな卵焼きですねぇ……」

「……一つやるよ」

  歩は自分の弁当から卵焼きを取って理緒の弁当に置いた。自分の料理をおいしそうと言

われて気分がよくないわけはない。理緒は目を輝かせて卵焼きを口に入れる。

「はわわわあわわわああああああっっっ?」

  理緒は絶叫を発し、驚愕を表した体勢でしばらく固まる。歩もあまりの行動に次の動作

ができずにいた。たっぷり三分間硬直した後で理緒は次の言葉を発する。

「おいしいです!!」

「その言葉の為に三分間かけたのか……」

「十分かけてもいいくらいですよ!  でもそれだとページの関係が!」

「何を言ってるんだ……」

  歩は気を取り直して再び弁当に手をつける。理緒も座って自分の物を食べていた。

「……弟さん。今度、また食事を作ってくれませんか?」

「あ?  別にいいけど」

  理緒がいつも見せないような恥じらいを見せて歩は思わずドキッとする。

「牛乳とちりめんじゃこが大量に余ってるんです……賞味期限が明日なんです」

「……じゃあ今日にでも行くかな」

「本当ですかぁ!」

  期待に顔を微笑ませる理緒の顔が歩の顔に迫る。歩と言えど高校一年生。女の子が傍に

いて心臓が激しく鼓動する。

(な、何を考えてる俺!  この娘は一応敵なんだぞ……)

「じゃあ、今日の夕方五時に……」

「その時は病院の検診だろ。無理するな」

「はうっ?」

  急に理緒の頭が下がる。その上には一つのげんこつ。歩が視線を上げるとそこには一人。

「何、理緒をたぶらかしてるんだお前」

  そこには理緒と同じくブレードチルドレンである浅月香介が立っていた。額には何故か

怒りマークが浮かんでいる。

「あさづけ……」

「浅月だ!  ……ちゃんと名前を呼べ!」

「不思議だが……ねーさん以外の名前を一度でちゃんと呼べんのだ」

「いいかげん手を放してよ!」

  歩と香介のやり取りの中で、ようやく理緒は口を挟み顔を上げる。しかし香介へと文句

を言おうとした矢先にもう一つ声が割り込んできた。

「大変です、鳴海さん!」

  見るとひよのが血相を変えてやってくる。その顔の真剣さに歩はただならぬ物を感じた。

「どうしたっ?」

「猫が……猫が!」

  無論、ここにいる者でこの事を分かるのは歩とひよの以外いない。

「小猫が、箱から脱走したんです!」

「なに!」

  ひよのが慌てて次の言葉を発する。

「わたしが出る時に部屋の扉が半開きだったようで……さっきみたらいなかったんです!」

  次の瞬間だった。

『ピンポンパンポーン』

「連絡?」

  香介が呟くのと同時に放送が流れる。

『ただいま、校内に小猫が紛れております。生徒や先生のお弁当を物色し、被害が増大し

ていますので校内の皆様全員で捕獲をお願いします。捕獲後は新聞部部長、結崎ひよのま

で連絡をお願いします。ピーンポーンパーンポーン』

「……自分で言ってやがる」

「そんな事より!  わたし達が先に見つけないと、あの子、返される前にきっとひどい目

にあいますよ!  何しろお弁当を食べてるんですから!」

「そうか……よし。探そう」

  歩は弁当をしまって立ち上がる。その横では理緒も立ち上がっていた。

「弟さん。私達も手伝います。早く見つけて料理を作りに来てください」

「おいおい、俺も手伝うのかって料理を作りにだと!」

「一体どういう事ですか鳴海さん!  返答次第によっては社会的に抹殺しますよ!」

「……うるさい!  話が進まんだろうが!!  早く小猫を探すぞ!」

  かくして、踊る小猫大走査線が張られた。





  校内は猫を捜し求める生徒や先生の姿で溢れていた。自分の机、教諭の机、ロッカーな

ど隠れやすそうな所を片っ端から探している。

  しかし歩は一心不乱にある場所へと進んでいた。

「どこに行くんですか?  鳴海さん」

「小猫のいる場所だよ」

「見当がついているんですか?」

  ひよのの問に歩は笑みを浮かべた。

「いいか。これだけの人数が探しているのに小猫が見つからないはずがないだろ。たとえ

ぴったりの場所を探さなくても探している音に驚いて出てくるはずだ。しかしいないとい

うことは皆全然違う場所を探している」

「……じゃあ一体どこに」

「今の校内放送を聞いていたろ。なら、場所は明白だ。一つしかないはずだ」

「そうか!」

  隣を歩いていた理緒が合点がいったというように声を上げる。後ろを歩く香介やひよの

はわけが分からない。

「これだけ騒いでも見つからず、校内放送で言った通りなら、いる場所はおそらく一つ」

「そう。新聞部部室さ」

  歩はそこが見えた瞬間に走り出し、急いでドアを開けた。

「お腹が膨れた猫は自分の住処に帰って眠る……」

「お前……は……」

「か、カノン君!」

  歩の、そして追いついてきた理緒の眼前にいたのはブレードチルドレンであるカノン・

ヒルベルトだった。

「猫は賢いから、締まりがゆるめの扉なら開けれるんだよ。だから食事を取って」

「おいカノソ!」

「誰がカノソだ!」

  相変わらず名前を間違る歩にカノンは少しうんざりした口調で話しかける。

「このとおり、小猫は僕の手の中にある。返して欲しいかい?」

「くっ」

  歩も理緒も動けなかった。『翼ある銃』の異名を持つカノン相手に小猫を取り返せるは

ずもなく、三人の中に緊迫した空気が流れる。

  その静寂を破ったのはひよのだった。

「あら〜。小猫、カノンさんが見つけてくれたんですか?」

「ああ。君が連絡くれたのはこの猫だね」

「「「……連絡!?」」」

  歩、香介、理緒が三者同時に声を上げる。ひよのは平然と三人へと言った。

「鳴海さんに頼まれて里親を探していたんです。それですぐにカノンさんが引き取りたい

と言ってくれて。今朝、それを言おうとしたんですが鳴海さん、すぐ授業に行っちゃって」

「……それを早く言ってくれよ」

  三人は脱力感のためにその場にへたり込んだ。

  結局、その後校内放送で小猫の捕獲が伝えられ、騒動は終結したのだった。





「じゃ、僕はこれで帰るよ」

「はい。カノンさん。小猫をよろしくお願いしますね」

「……よろしくな」

  歩は少し淋しそうに言った。その空気をカノンは読んだのか、微笑んで歩へと言う。

「いつか、僕達の戦いが終わってまだお互い生きていたら、遊びにきなよ」

  カノンはそう言って去っていった。その後ろ姿を淋しそうに眺めながら歩は立っている。

「……じゃ、わたし達も帰りましょ!」

「そうだな」

  歩とひよのも自分の家へと歩き出す。その間に歩は呟いた。

「……幸せにな」

「きっと大丈夫ですよ」

  たった一日の付き合いだったが、やはり小猫との別れは淋しい歩だった。





『完』