〜Kanon another story final〜  『Thanks A Million』  〜前編〜  電話が鳴っていた。  俺はその音で目が覚めてベッドから身を起こす。 「誰もいないのかよ……」  そうだった。  秋子さんは今日は会社で残業があるから遅くなると言ってたし、名雪は大学のサークルの飲み会。  真琴は天野の家に泊まると言っていた。あゆはたしか香里達の家で料理の練習だった。  時計を見ると午後五時。  六時になればあゆは帰ってくるか。  そんな事を考えている間も電話は鳴り止まない。  俺は階下に降りていって電話を取った。 「もしもし、水瀬ですが……」 「こちら――大学ですが相沢祐一さんはご在宅でしょうか?」 「はい。相沢は僕ですが」 「渋沢教授がお話があるそうで、研究室に回線を回します」 「……?」  不思議だった。  渋沢教授は俺が下についている人だが休みの日に呼び出す人ではない。  何か急な用事……なのだろう。  そんな事を思ってる間に電話が繋がった。  これが始まりだったのだ。  新しい事の始まりと、今までの生活の終わりの。  十二月十八日。  クリスマスはすぐそこまで来ていた。 『あの冬』から三年。  俺達の生活はそんなに変わる事はなかった。  俺と名雪、香里と北川は同じ大学に進学した。  栞は舞と佐祐理さんが通う女子大に。  真琴は再びこの家に居候しはじめた。  あゆは通信教育で勉強をして、頑張っている。  あの時とは微妙に変わってはいたが、基本的に俺達は俺達のままでここまで来た。  ずっと続くと思っていた。  ずっと……。  その言葉は今、空しく響くだけだ。 「ただいま〜」  あゆの声に俺はソファから起き上がった。  とてもじゃないがあの電話の後に二階に上がる気力はなかった。 「あれ? そっか、祐一君だけなんだね」  あゆは大きな買い物袋を持っていた。どうやらみんなの分の夕食を作る気だったらしい。 「別にみんなの分を作っておいても大丈夫だろ。腹減ったから作ってくれ」  時計を見ると午後六時。  まだ一時間しか経っていないんだな。 「うん。じゃあ、急いで作る……」 「どうした?」 「祐一君、元気ないよ。どうしたの?」  祐一は極力動揺を抑えてあゆの頭を撫でた。 「そんなことないさ。それよりも飯」 「うん……」  あゆは納得の行かない顔で俺を見つつも台所に入っていった。 「ごめんな」  聞こえないように、そう呟いた。  少しして台所で夕飯の支度が始まる音がする。あゆの鼻歌が聞こえてきた。  余程いいことがあったのだろう。 「今日はスパゲッティミートソースだよ」  あゆの声が弾む。逆に俺の気持ちは沈む。  くそ! どうして、どうして俺が……。 「――君?」 「えっ!?」  いきなり近いところで声がしたので思わず大声を上げてしまった。  視界の先にはあゆがいた。こちらを心配そうに見ている。 「やっぱり祐一君、おかしいよ。具合悪いの?」 「そ、そんなこと……」 「でも夕飯の支度できたことに気付かないなんて……」 「何!?」  視線をテーブルに移すと既に二人分のスパゲッティミートソースが置いてあった。  次いで時計を見ると午後六時四十分。  またしても意識しない間に時間が過ぎていた。  なにをやっているのだろう。  思えば自分から言い出した事だったじゃないか。  半ば諦めつつも、どこか期待した事だったじゃないか。  こうやって苦しんでるのは自分の責任だ。 「あゆ」 「何?」  俺の真剣な声にあゆが体を硬直させる。その顔は不安そうだ。  永遠の別れを言い渡される前に見せるような表情。  ――内容は似てるかもな。 「さっき大学から電話があった」 「うん……」 「俺が所属している講座の教授がな、今度交換留学生を迎える事になってな」 「う、ん……」  あゆの声色と顔に徐々にだが変化が起こってくる。  これから俺が言おうとする内容を理解し始めているのか。 「それで、交換留学生として、俺が行く事になった」 「……」 「アメリカに、冬休みが終わったら」 「……」 「多分、二年はあっちいると思う。ただ、あっちの大学には俺のやりたい事をできる学科もあるから もしかしたらそのまま残って勉強するかもしれない」 「……」  あゆは凍り付いていた。  言葉の通り、身動き一つしない。  いや、動いてはいた。その瞳が。  俺の姿を映している瞳が徐々にだが揺れ始めている。 「っゆ……」  あゆが声を詰まらせる。でも必死になって言葉を搾り出す。 「ゆ、祐一君と……離れちゃうんだね」  しかしその声は落ち着いていた。その事に俺のほうが驚く。 「仕方ないよね。祐一君、勉強頑張ってたもん。外国なんて凄いよ!」  空元気。  その言葉があまりにも似合いすぎた。  あゆはぽろぽろと涙をこぼしながらも笑ってる。 「……必ず戻ってくるからさ」  俺は自然にあゆを抱きしめていた。  あゆも我慢の限界を超えたのか、俺の胸の中で号泣する。 「皆が帰ってきたら、皆にも言うよ」 「……なら、お祝いしなきゃ、ね」  目を晴らしたままあゆが言う。  時間は午後七時を過ぎている。  既にスパゲッティは冷えていた。  その後は意外とスムーズだった。  帰って来た秋子さんに伝えると、少し寂しそうな顔をしながらも 「おめでとうございます、祐一さん」  と言ってくれた。 「じゃあ、今度のクリスマスにパーティと一緒に祐一さんの壮行会をしましょう」 「賛成!」  あゆが笑顔で応じた。  目の周りが赤かった事に秋子さんはもちろん気付いていたが、何も言わずにあゆと話し始める。  俺は壮行会の内容を知られないように、と二人に締め出された。  しょうがないので他の知り合いにも電話で知らせる。 「もしもし、美坂さんのお宅ですか?」 『あ! 祐一さん!』  電話をかけると栞が出た。  話を伝えると栞はしばらく泣きそうな気配だったが気を取り直したようだった。 『はい! おめでとうございます! 二十四日はお姉ちゃんと一緒にお祝いに行きます』  そして急に電話が切れる。  理由は何となく分かったが深くは考えないようにした。  不思議と悲しくはない。  永遠の別れと言うわけじゃないからだと、自分では思う。  その後も佐祐理さん。舞。天野、真琴に同じように伝える。  四者四様な受け答えだったが、皆俺の留学を祝ってくれた。  二十四日のクリスマスパーティの招待をして電話を切る。  北川にも連絡し終えて、残るは名雪。 「祐一さん。私は先に寝ますので、名雪の事よろしくお願いします」  秋子さんがそう言って寝室に入っていった。  時刻は既に午後二十三時。  テレビもニュースがほとんどになっている。 「祐一君……」 「あゆ、お前も寝ろよ」  あゆは見るからに眠そうだ。  六年間寝ていた後遺症はだいぶ回復していたが、まだ歳相応の身体機能には届いていない。 「でも、もう少しで祐一君、いなくなるから……一緒にいたい……」  あゆは俺の肩に頭を乗せてきた。  照れくさかったが、そのすぐ後に安らかな寝息が聞こえてきた。 「まあ、このままでいいか」  名雪が帰ってきたらすぐ離れればいいだけだ。  ……………… 「もうすぐ、か」  時刻はもうすぐ深夜零時を指そうとしていた。  名雪は酒はあまり強くないから、いつもサークルの飲み会でも一次会で帰ってきていた。  たまに二次会に行きはするが、日付が変わる前に帰ってくる。  プルルルルルル……。  電話が鳴った。 「名雪か」  俺はあゆを静かにソファに寝さすと、少し駆け足で電話に向かった。  やはりどこか心配していた。  名雪も年頃の女の子だから夜道は危険だ。 「もしもし、名雪か?」  電話を取ってそう呼びかける。  電話口から聞こえてきた声はいろいろな意味で俺を裏切った。 「……なんだって!!?」 「ひゃっ……」  後ろでドタッ、と音がする。  あゆがどうやらソファから落ちたらしい。  視線を少しずらすと秋子さんが見えた。どうやら電話が聞こえていたらしい。  しかし俺は二人の事を認識している余裕はなかった。 「で! どうなんですか!!」  深夜だというのに思い切り叫ぶ。  そうしないと自分が崩れてしまいそうな、そんな気がして。  訊く事を訊いて、電話を切る。  体全体を襲う虚脱感。とうとう俺は床に崩れ落ちた。 「祐一さん!」 「祐一君!」  秋子さんとあゆが駆け寄ってくる。  俺は、告げた。 「名雪が……車に……」  これ以上は言えなかった。  何も考えられない。しかし視界ははっきりとしていた。  眼に映るのは部屋。  時刻が深夜零時を回っていた。  十二月十九日。  クリスマスまで、あと五日。  続く
 あとがき  これ一つで済まそうと思ったら、前後編になりました。  どうも、紅月赤哉です。  これを書くのにエネルギーを使ってあとがきかけませぬ(汗)  というわけで後編のあとがきであいませう〜。  2001年11月5日17時32分執筆終了。