「祐一さん。起きて下さい」 「祐一。もう朝よ」  うーん、なんだろう?  凄い幸せな気分だ。  そう、まるで、二人の美女に囲まれて寝ているような……。  何!?  俺は布団から勢いよく起き上がった。  即座に血走った目で左右を見回す。 「おはようございます」 「おはよう」  俺を挟んで両側にいたのは同じようなパジャマに身を包んだ二人の女性。  もう一年程一緒に住んでいる、大切な人達。 「って、どうして俺の布団の中に……?」 「どうしてって、祐一さん覚えていないんですか?」 「祐一、酷い……」  二人は瞳に涙を浮かべてから顔を伏せた。  や、やばい……なんとかしなきゃ……!? 「え、えーと、なにがどうしてどうなったんだっけ……ってああ、とりあえず泣かないで下さい佐祐理さん、舞!」  俺は逆に泣きそうになって二人――倉田佐祐理さんと川澄舞をなだめようと肩に手をかけた。  その手が二人に同時に捕まれ、二人の顔が俺の顔へと近づいた。 「冗談ですよ」 「何も無かった。だまされやすいわね、祐一は」  佐祐理さんと舞の顔には満面の笑みが広がっていた。  チクリ  う……まただ。  この頃たまにくるこの胸を刺すような痛み。  原因は……分かっていた。  だからこそ、俺はその痛みに背を向けた。  答えを出す事を恐れたから。  外を見ると、青空が広がっていた。  雲一つない、透き通った青空。  窓から差し込む日光。  いつもある、当たり前の物に囲まれて。  こうして、俺達の、また或る一日が始まった。 『或る晴れた日に』  俺は結局どっちが好きなんだろう?  高校を卒業し、俺は高校で知り合った二人の先輩、倉田佐祐理と川澄舞とアパートを借りて暮らし出した。  高校生の同棲はいろいろ問題はあったが、そこは俺の親戚の母親の画策で何とかなっていた。  そして一年が経ち、俺は大学に合格できた。  その頃からだった。  その疑問が浮かんでくるようになったのは。  佐祐理さん。  舞。  俺にとって何よりも大切な人達。  でも……俺はどっちが好きなんだろう? 「今日は遊園地に行こう」  俺の言葉に二人は食後のお茶を啜るのを止めた。  つーか、どうしてお茶なのかよく分からない。  佐祐理さんなら紅茶とかのほうがあってる気がする。 「いったいどうしたんですか? いきなりそんな事を言うなんて」 「何かあった?」  二人して俺の顔を不思議そうに覗き込んでくる。 「あのな、そこまで不思議かなぁ? 久しぶりの休みだし、一緒に暮らしていても一緒にいる時間少ないしさぁ」 「ふふふ、しょうがないですよ。違う大学なんですから」 「祐一、女子大にくる?」 「行かないよ。女子大を差し引いても偏差値が追いつかないし……。まあ、そんなわけでどうだい?」  二人は顔を見合わせて少し困った顔をした。  それから急に後ろを向いてぼそぼそと話し出す。  いったいなんだ?  少しの間ひそひそ話を続けていた二人は、顔に笑みを浮かべてこちらに振り向いた。 「行きましょう、面白そうですし」 「私……メリーゴーランドに乗りたい」 「あ、ああ。……よっしゃ! なら早速仕度しようぜ」 「はい!」 「うん」  元気に返事をして二人は部屋に戻っていった。  それにしても、一体何を話していたんだろう……?  それは大学の友人から指摘されたことで始まった。 「お前、美人の人二人と同棲してるんだって?」 「……ああ、それが?」 「羨ましいなぁ。二股でできるほどモテルなんて」 「……二股?」 「だってそうだろ? その状況で二股じゃないって言ったら怒るぞぉ」 「……」  それは少しずつ、俺の心に入ってきた。  二股?  そんなんじゃない。  俺は――。  結局、言葉にはできなかった。  遊園地は休日だからという理由では説明がつかないほど込んでいた。  一体何が彼等をここに呼び寄せているのか……?  遊園地には人を呼び寄せる特殊な魔力でも発散されてるのか?  きっと遊園地に中心部に魔力発生器があって……。 「皆、暇なんだな」  馬鹿な考えをする事も疲れたので、とりあえずそんな第一声。 「あははーっ。すごい人ですねぇ」 「蒸し暑い」  佐祐理さんと舞は人の波を見て少しうんざりとした表情を見せている。  まあ、無理ないな。  俺もかなりやる気を削がれてるぞ。 「で、祐一。最初は何に乗るの?」 「祐一さん、私はコーヒーカップがいいです」  ……二人はがぜん楽しむ気だ。 「……コーヒーカップにしよう」 「「はーい」」  とりあえず乗る乗り物は決まったが問題が一つあった。 「でも、何時入れるんだろうな、中に」  俺達は目の前に並ぶ人の数を見て同時に嘆息した。  最初は、俺と佐祐理さんと舞は家族と同じだって考えていた。  だから俺達は三人で暮らし始めたんだ。  高校時代に一度、離れ離れになりそうだった俺達。  もう二度とそんな事が起こらないように。  俺と舞は恋人同士だけど、佐祐理さんはそんな俺達を暖かく見守ってくれている。  でも……。 「はぇー、もうお昼ですね」 「……疲れた」 「三時間も立たせるな」  なんて混み具合だ。  入れたは良いがどの乗り物も並んでるじゃねェか! 「とりあえず、お昼ご飯にしませんか?」  そう言って佐祐理さんはリュックから弁当箱を取り出した。 「ど、どうして? いつ作ったんですか?」 「ふふふ、秘密です」  佐祐理さん……そうやって笑ってる顔も可愛いなぁ。  秘密なんて言われちゃあ訊けないな。 「あそこの芝生に座ろう」  舞が指差した先の芝生は二つの乗り物の間に挟まれた場所だった。  まあ、いいか。  とりあえず座れるんだしな。  俺達は子供達の騒ぐ声が真近で聞こえる、騒がしい場所で昼食を広げた。  佐祐理さんの視線が、時折寂しそうに見えるようになったのは何時からだったろう?  考えてみれば、俺と舞が二人の時間を過ごそうとすると佐祐理さんは一人残される。  舞はそれを望まなかったし、俺も佐祐理さんが寂しくなるのは嫌だった。  いつも三人一緒。  でも、佐祐理さんには入る事ができない溝が、俺と舞の間にはあった。  まだ幼かった時に出会った俺と舞。  何年も経っての再会。  その時に舞と佐祐理さんの間には俺が入り込めないほどの絆が生まれていた。  でも、『魔物』の件が済み、俺と舞の記憶が戻った事でそれ以上の絆が俺達の間に生まれた。  俺は時々、佐祐理さんを縛り付けているんじゃないかと思うようになった。 「さーて、飯も食ったし遊園地巡りを開始しようか」 「メリーゴーランド……」 「佐祐理は観覧車が良いです」  珍しく二人の意見が食い違う。そこで身を引いたのは意外にも舞だった。 「観覧車に行こう」  そう言って俺達に先行する舞。  結果的に佐祐理さんと俺が並んで歩く形になる。 「舞、嬉しそうですね」 「ああ。大学でも変わってきてるんだろう? 前とは」 「はい。剣道部に入って友人もたくさん増えたみたいです」  佐祐理さんはまるで自分の事を話すように舞について話してくれた。  心の底から舞を好きなんだ、と感じさせるには充分すぎる。  やがて観覧車に着くと舞がいきなり言ってきた。 「……さっきの場所に忘れ物をしてきたから二人で乗っていて」  俺が待ってる、と言う前に舞は元来た道を戻っていってしまった。 「祐一さん。舞の言う通り先に乗りましょう」 「良いんですか? 待たなくても……」 「元々、舞は付き合ってくれたんですよ。観覧車に乗りたいのは私ですから」  次の瞬間、俺は鼓動が早まるのを抑えることができなかった。  俺の手に重なる、佐祐理さんの手。  俺を引くその手は柔らかく、俺はどぎまぎしてしまった。  意外と空いていたためにすぐに観覧車には乗り込めた。  徐々に高度が増していく。  しばらく俺達の間に重い空気が流れた。  何故だか、声が出ない。 「いい景色ですね」  その沈黙を破ったのは佐祐理さんだった。俺はそれに乗じて話を進める。 「……そう言えば、佐祐理さんとこうして二人きりって同棲しだしてからなかったですね」  しばらく話を進めた後、俺はふと思った事を口にした。 「そうですね」  そう肯定する佐祐理さんの顔が、やけに綺麗に見えた。  俺は見とれてしばらく声が出せなかった。 「祐一さん、少し私の話を聞いてくれますか」  俺は頷く。佐祐理さんはさっきの笑みとは違った、どこか寂しい笑みを浮かべて言う。 「私達はもう一年間も一緒に暮らしてきましたね。長いようであっという間でした。  そして、私の中にある変化がありました」  佐祐理さんは一度言葉を切り、再び話し出す。  思えば、自分の事を名前ではなく『私』と言い出したのは同棲しだしてからだった気がする。 「私は、あなたを好きになってしまったようです」  俺は何も言えなかった。  頭のどこかでは妙に冷めた自分が「やっぱりな」と呟くのが聞こえる。 「私は死んだ弟にそれ相応の愛情を与える事ができませんでした。私にはそれがとても悲しかった。  でも、そんな私に人を『愛する』という事を教えてくれたのは舞と、そして祐一さんです」  佐祐理さんの瞳は潤んでいた。窓から入ってくる日の光に反射して、余計に輝いて見える。  それが俺にはかなり魅力的に見えた。 「もう、私には舞と、祐一さん無しの世界は考える事ができません。でも……」  佐祐理さんは一度言葉を切ってから意を決して口を開いた。 「もし、あなた達の邪魔になるのなら……私は身を引きます」 「そんな事無いよ!!」  俺は叫んでいた。ここで引き止めないと佐祐理さんが消えてしまう。そんな気がした。 「俺達にも佐祐理さんがいない世界なんて考えられないよ! ずっと……ずっと、一緒に……」  俺は言っている事がいずれは終わる事を知っていた。  佐祐理さんは名家の一人娘。  佐祐理さんは優しいから、家のためにいつかは自分を犠牲にするだろう。  その時が、俺達の或る一つの時間が終わる時だ。  馬鹿だ。  俺は、馬鹿だ。  今頃気付くなんて。 「俺は……佐祐理さんの事も……舞と同じくらい好きだったんだ……」 「祐一さん」  佐祐理さんが席から立ち、俺の傍に寄る。  いつのまにか、佐祐理さんの顔が俺の目の前にあった。  重なる唇。  鼻腔をくすぐるほのかな香り。  数秒の後に離れるその感触が、俺には何時間にも感じた。 「ありがとうございます。そう言ってくれると、嬉しいです」  佐祐理さんの笑顔はいつもよりも綺麗だった。瞳が、涙で濡れていた。  結局その後、舞と合流していろいろと見て周った後、家路についた。  佐祐理さんはいつものように俺と舞に接している。  強いな。  純粋にそう思った。  それに比べて俺は……。 「気楽に行けばいいよ」  不意に向けられた声に俺は素早く振り向いた。  舞が見ていた。  満面の笑顔を浮かべて。  佐祐理さんと同じ笑顔で。 「答えなんて、その時にならないと出ない。私達はそれまでくいの残らないように生きてくだけ」  俺の手に温もりが重ねられる。  舞の手は俺の手をしっかりと握っていた。  まるで離れていこうとする物をしっかりと掴むように。 「……ありがとう、舞」  素直に感謝の言葉。もう一方の手に佐祐理さんの手が重ねられる。 「さあ、行きましょう祐一さん! 今日は記念日ですから、ご馳走しなくちゃ!」 「記念日?」  俺の怪訝そうな表情を見て二人は笑う。 「今日で一年。私達が、同棲を始めた日」  舞が―― 「私達が『家族』になった日」  佐祐理さんが――  二人で俺を引っ張っていく。 (その日、その日を、大切に生きる……か)  そうだな。  こういう些細な幸せをかみ締めながら俺達は生きていくんだ。  いつか答えが出る時がくる。  その時、なるべく後悔しないように生きていこう。  この二人と。  俺達みんなが、幸せでいられるように……。  この、いつもの日常が終わる日まで。  空を見上げた。  紅く染まる夕焼けが、何故かゆらめいて見えた。  こうして何の変哲も無い暮らしの、或る一日が過ぎていった。          了
 あとがき  実に一月以上の間を置いて書ききりました。  疲れた。暇なかったし。  主題が間延びしたシナリオのために薄れがちだったなぁと思います。  書きたかった事は書けたとは思いますが……、未熟な点はお許しを  舞の口調は年月が経ったので変えてみました。  佐祐理さんは……多分俺の印象でキャラが変わっているかもしれません。  舞ファンの人や佐祐理さんファンの人は多めに見てください。  これをネット友達の沙柳さんのホームページ5000ヒット記念に捧げます。  作者・紅月赤哉