「……」  相沢祐一はじっと手に持った本を凝視していた。  その集中力は凄まじく、祐一の両親の転勤の関係で、現在一緒に住んでいるいとこの水瀬名雪が  部屋に入ってきた事さえも気づかなかった。 「祐一?」  名雪はいくら呼びかけても気づかない祐一にふぅ、と耳元に息を吹きかけた。 「どぉうわあああああ!!」  祐一は襲ってきたぞわぞわとした感覚に驚いて椅子から転げ落ちた。 「な、な、ななななななななななななななな……」 「殺気から射たよ」 「……文字が違う気がするぞ?」 「どうして話し言葉の字が分かるの?」 「なんとなくだ」  祐一はそのなんとなく感じた嫌な感覚を振り払うと改めて名雪に聞いた。  ところで、お前は何をやっている? 「晩御飯だよ。呼びにきたの」 「……」  これから話そうと思っていた言葉の回答を先に言われて祐一は急に疲れを覚えた。 「ああ、ありがとう」  祐一は本をさりげなく引き出しにしまうと名雪を押しながら部屋を出た。 「何の本読んでたの?」  名雪の問いかけに祐一は困ったような顔をして言った。 「まあ、ちょっとな……」  祐一はこの何日か後、この時の事を唐突に思い出してこう思う。  この時が全ての原因だ、と。 『花束を君に』(前編) 「……これなんかいいかもな」  祐一は夕食後ドアに「入るな」と張り紙を張って机に向かっていた。 「いやいやこれも……」  読んでいる本は勉学とはかけ離れた本だ。しかし祐一は一心不乱に紙面に目を通している。  そんな祐一の耳たぶを、名雪はカプッ、とかじった。 「ぎょはあああああああ!!!!????」  祐一は椅子から転げ落ちる。その瞬間になにか既視感を覚えつつも、今は名雪に怒鳴った。 「入ってくるなって張り紙があっただろ!!」 「祐一、ベタなんだけど……」  名雪は少しモジモジしながらチラリと視線を泳がせた。  その方向には開いた窓が。  今更ながら祐一は寒気を覚えた。けして風の寒さだけではないが。 「ドアに張ってあったから、窓から入ったと」 「うん」 「……」  なんの悪びれもなく言う名雪に無言でげんこつを振り下ろした後に祐一は観念して言う事にした。 「実はホワイトデーのお返しを探してたんだ」  祐一が持っていた雑誌を名雪に渡す。  それにはホワイトデー特集と銘打ってプレゼントの品が並べられていた。 「こんな高いだけの物よりも花束で十分だよ」  名雪がにべもなく言い放つ。 「そうか」  祐一は雑誌を名雪から取り返すと机の上に置いた。 「それにしても祐一、私のためにそんな高いものいらないのに」 「? いや、違うぞ名雪」 「???」  きょとんとした表情の名雪に祐一は言った。 「これは栞へのお返しだ」  その瞬間、祐一の頭に衝撃が走った。あまりの衝撃に意識が途切れる――  次に意識が戻った時は同じ体勢だった。 「あれ……?」 「それにしても祐一、私のためにそんな高いものいらないのに」 (あれ? さっきと同じ……?)  祐一はよく分からなかった。さっき言ったのは妄想だったのか? (ずっと雑誌を見ていたから疲れているんだろう)  なんにしても、祐一は言った。 「いや、違うぞ名雪」 「???」  妄想と同じシチュエーション。祐一は何か釈然としつつも続きを言った。 「これは栞へのお返しだ」  その瞬間、祐一の頭に衝撃が走った。意識は深い闇の中に落ちていった。  祐一はガンガンとハンマーを叩きつけられているような痛みで眼を覚ました。 「あれ?」  何か釈然としないものを感じながら祐一はベッドから起き上がる。  まだ三月の気候は、部屋にストーブを焚く事なしにベッドから出る事を許さない。 「俺は確か名雪と話をしてたよな」  布団の中で考える。  体に風呂に入ったぬくもりもかすかに残っていて、寝巻きも着ている。  しかし、その動作をした記憶がない。 (……まあいいか)  記憶の糸を手繰ろうとした時、得体の知れない悪寒が祐一を襲った。  まるで7年前の記憶が戻ってきた時に感じた寒さ。 「思い出さないほうが、良いかも」  祐一は寒さを堪えてベッドから出た。 「おはようございます、祐一さん」 「おはようございます」  家主である名雪の母親、秋子さんに挨拶すると祐一はまっすぐに食卓に向かった。  すでに名雪が起きてパンを齧っている。 「おはよう祐一」 「おはよう」  祐一は座るとすぐに用意されていたパンにイチゴジャムを塗った。  いつ食べてもおいしいジャムだ。  その事に感激しつつ祐一は食べる。横から名雪が覗き込んできているのは知っていた。  何か不満そうな顔で祐一を見ている。 「……なんだ?」  遂に根負けした。 「祐一、昨日いつ寝たか覚えてる?」 「……いや」  嫌な予感がする。祐一はもう話を切り上げたほうが良いような気がしてきた。 「祐一の背中って広いんだね」 「!?」  祐一はその一言に驚いて名雪を見やった。  笑っている。とてつもなく可愛い笑み。  流石、クラスでもかなり可愛いほうの名雪だ。  この笑顔にはいくらでも金を出す奴がいるだろう。  しかし、祐一にはその笑顔の裏にある物をなんとなく察し得た。 「ごちそうさま」  極力平静を装って祐一は食卓を出た。そこで秋子さんとすれ違う。 「……!!!!????」  秋子さんも名雪と同じ笑顔を浮かべていた。 「苦労しましたよ、着せるの」  走り去る祐一の後方からそんな声が聞こえてきた。 「さて、気を取り直そうか」  祐一は商店街を歩いていた。  もちろんバレンタインデーのお返しを買うためだ。  ホワイトデーまであと2日。 「名雪の言う通り花でいいかな」  祐一はとりあえず花屋が開くまで暇つぶしをする事にした。  道に残っている雪はだんだん暖かくなる気候によって形を崩してきていた。  祐一はその雪に指を突き入れるとささっ、と絵を描く。 「たいやき」 「アイスクリーム」 「牛丼」 「肉まん」 「イチゴ」  とりあえずそこまで描いて祐一は少し離れてそれを見つめる。 「俺、凄まじく巧いな」  祐一は自分の絵の力量に感嘆した。  特に牛丼は乗っている肉の重なりの微妙さが表現されている。  イチゴなど表面の粒粒まで表現されていて、色を塗るのが巧ければ本物と間違うだろう。  少なくとも栞の絵を10000倍してもおつりが来ると祐一は考えた。 「そういう事言う人、嫌いです」 (そして俺がそう言うと、そうやって頬を膨らませるんだ……って!?)  祐一は後ろを振り向いた。 「冗談でも傷つきました」  背後にいたのは栞だった。  いつものようにストールを肩からかけて、手にはバスケットを持って、頬は膨らんでいる。 「栞」  祐一は真正面から栞を真剣な眼差しで見つめる。 「な、なんですか……」  栞も祐一の真剣な眼差しを受けて頬が赤らんでいく。  そして、祐一の口が開いた。 「10000倍てのは冗談じゃないぞ。真剣だ」 「……」  栞のバスケットが音もなく祐一に振り下ろされた。  祐一はそれをぼんやりと見つめていた――  続く  次回予告  栞からなんとか欲しいものを聞き出してホワイトデーにさりげなくあげようと  画策する祐一。  しかし、障害は無くなったわけではなかった! 「その、プレゼントは私が貰うよ……」  次回、『花束を君に』後編をお楽しみに〜。
 あとがき  どもども。遅ればせながらのホワイトデーSSです。  題名が真面目なので真面目に行こうと思ったらキャラが勝手に動きました。  中途半端なギャグですなぁ。なんとなく某小説の影響を受けてます。  後編はどうなることやら。  後編は完全にシリアスにするとか……。  ではでは。