水瀬名雪は欠伸をかみ殺しながら机に向かっていた。

 時間は深夜を迎えているというのに部屋は暗く、机の電灯に照らされて名雪は雑誌を読

んでいる。

 まるで、この時間に起きていることを誰にも悟られないようにしているようだ。

「う〜ん。眠い〜」

 何度となく首をこっくりと傾けつつも名雪の手は動いていき、雑誌のページをめくる。

 そのページの表紙にはこう書かれている。



『バレンタイン大作戦。大好きな彼をGETする!』



 名雪は寝ているのか起きているのか、もはや分からない境界線をさまよっていた。

 しかし女の本能が囁いたのか不意に眼を覚ましてめくっていたページを見た。

「こ、これだよ〜」

 名雪は本人が言えばかなり嬉しそうに。しかし傍から見れば寝ぼけているのとさほど変

わらない調子で言った。

 開いたページには遊園地の特集が書かれていた。

 そこをしばらくじっと見ていた名雪は、やがて本を閉じるとそれをゴミ箱に捨てた。

「証拠隠滅、証拠隠滅。あとは……」

 名雪は眠気のためにフラフラになりつつも部屋の外に静かに出て行った。

 この時に起きた出来事が後の悲劇に繋がるとは――ある程度は予想できただろう。

 しかし問題なのは、一番の被害者は今、隣で寝ている事であった。





Kanonオリジナル SS

『名雪ちゃん奮闘! In ヴぁれんたいん』

 

 注:これはギャグであり、名雪をはじめ多少みんな壊れています。ファンの人、ご了承ください。







 朝起きた時、俺の予想しない展開が起きていた。

 秋子さん――俺が居候している家の家主――が珍しく寝坊し、おかずが無かった事。

 いつもなら俺より先に食卓につき、味噌汁を啜っていたりなんだりしているもう一人の

居候、月宮あゆが、何故か今日に限っていない。

 そして何より、

「おはよう、祐一」

「な、名雪が、俺より、先に、起きてる……」

 いつも寝坊してばかりいるいとこの少女、名雪が衣服を着てトーストをかじっていた。

 トーストには大好物のイチゴジャムを塗っている。

「失礼だよ祐一。私だって起きるときは起きるよ〜」

「ああ、そ、そうだな」

 俺は内心の動揺を抑えて隣の席に腰をおろした。

 雨が降るんじゃないだろうか?

「祐一さん。ごめんなさいね。今日はご飯の支度が遅れてしまって」

 秋子さんがすまなそうに俺に誤ってくる。

 いつも思うのだが、この人の若作りはある意味犯罪では?

 手を頬に当てて本当に申し訳なさそうに誤られるとドキッとしてしまう(笑)

「いえ、大丈夫ですよ。秋子さんも昨日仕事で遅かったんですから仕方が無いですよ」

 俺はそう言って内心の照れを隠しつつ、そそくさとトーストにジャムを塗ろうとした。

「ああ、祐一さん。お詫びにこのジャムを」

 とその時、秋子さんはドンとテーブルにビンに入ったジャムを置いた。

 ジャムの色はオレンジ色である。こ、これはもしかして……。

「いえいえ、俺はイチゴジャムで……あ、そういえばあゆと真琴は?」

 俺は話を逸らすために二人の居候の行方を聞いた。秋子さんは一瞬残念そうな表情を浮

かべた後に答えてくれた。

「あゆちゃんは起こしたんですけど起きないんですよ。しょうがないのでそのままに」

「じゃあ、真琴は?」

「ああ、真琴も……」

 秋子さんが言葉を発しようとした時

「――ぁぅ……」

 か細い、今にも死にそうな声が微かに食卓まで届いた。俺はとっさに辺りを見回す。

「真琴か?」

 ガタンッ!

 俺が部屋の入り口に目をやった時、名雪が急に立ち上がった。

 そして一瞬、部屋の温度が下がったような気がする。

 な、なんだぁ? この背筋も凍るような感覚は……?





(睡眠薬の量を間違えたかな)

 名雪は内心舌打ちをしつつ席を立ち上がった。秋子と祐一が不思議そうに名雪を見つ

める。

 祐一の顔には少し影が生じている。その訳を、名雪は分かっていた。極力平静を保っ

て名雪は言う。

「ちょっと見てくるよ」

 名雪は早足で食卓から離れ、階段を駆け上がった。もちろん極力足音を立てないよう

にだ。

(危ない危ない。あやうく祐一に気づかれるところだったよ)

 そんな事を思いつつ名雪は二階に到達する。

 階段を上りきったところに今にも崩れそうに一人の少女が立っていた。

「あ、あう〜。体が妙に重いよ〜」

 沢渡真琴、この家最後の居候である。真琴は上ってきた名雪を見ると涙ぐみながら言

った。

「ねぇ、なんか悪い病気にでもかかっちゃったんじゃ、あ……」

 真琴の言葉は朝の廊下の、冷えた空気の中に消えていった。

「あ、あ、う〜」

 体を駆け巡る得体の知れない恐怖。

 それを促進しているのは場の空気。

 真琴は今だかつて味わった事の無い恐怖を感じていた。

 それを与える正体は分からない。

 正確には言葉でいい表せなかったのだ。

 知っていたならこう答えただろう。

 殺気、と

「真琴、部屋に帰って休もうね〜」

 いつもの、とろんとした名雪の表情。

 しかし真琴はついに耐え切れず失神した。

 倒れる真琴を支えて名雪は無言のまま、真琴の部屋へと戻った。

 静かに布団を上にかける。

「さて、邪魔者は消えたよ〜」

 名雪は先ほどまで纏っていた雰囲気を霧散させて、いつもの穏やかな雰囲気を醸し出

しつつ部屋を出た。

 真琴の部屋にいた飼い猫ぴろは、遠ざかっていく鼻歌を体を振るわせつつ聞いていた。





 さぶい。

 はっきり言って今日は最大の冷え込みだそうだ。俺には少々辛いものがある。

「なあ、名雪。どうしても行くのか?」

「行くよ、もちろん。遊園地」

 名雪の向けてきた笑顔に俺は顔が熱くなるのを感じた。

 さっきの肌寒い気配が名雪から出たような気がしたけど気のせいだな。

 それにしても……。

「全天候対応ドーム型遊園地、か」

 俺は名雪が出発前に言った言葉を復唱した。

 どうやらこの街から二駅程行った場所にそんな遊園地ができたらしい。

 しかも出資者は俺の友人のグループだそうだ。たいしたもんだなぁ。

「今なら開業記念で入場料半額なんだからいい機会じゃない」

 名雪はやけに嬉しそうだな。子供じゃあるまいし。

 でも、そんな子供のような無邪気さが名雪のいいところかもな。

「楽しみ〜」

 名雪が俺の数歩先を歩く。俺はふと今日が何の日か思い出した。

 バレンタインだ。

 名雪は俺にチョコくれるよな。期待してるぞ。

 あゆや真琴はどうだろう?やっぱあいつ等は基本パターンだな。

 たいやきチョコと肉まんチョコだ。

 栞は――まさかチョコアイスで済ますわけ、ないよなぁ。

 舞は――あいつが自分で作ることは考えられないなぁ。やっぱ佐祐理さんとかかなぁ。





 名雪は祐一の移動速度が鈍っている事に気づいた。

 すぐに足を止めるが祐一は気づく気配も無い。どうやら考え事をしているようだ。

「もう、祐一〜。早く行こうよ〜」

 名雪は離れてしまった祐一に向けて大声で言った。

「あ、名雪さん!」

 聞き覚えがある声に名雪は心の奥底から込み上げる破壊衝動を抑えるのに必死だった。

(どうして邪魔ばかり現れるのかな〜)

「おはよう、栞ちゃん!」

 名雪は後ろに立っていた栞に元気よく、内心を悟られないように言った。

 そして栞が手にしている袋が眼に入る。その大きさからして入っているものは決まっ

てくる。

(チョコ、だね)

 名雪の眼に光が輝いた。まるで背中に『天』の文字が浮かび上がるようだ。

「おう、栞」

「あ、祐一さん。おはようございます」

 名雪は殺意の波動を霧散させた。そこにはすでに祐一が立っていたからだ。

「どうしたんだ? こんな朝早くに」

「そちらこそ二人でどこに行くんですか?」

(栞ちゃん、この娘……)

 名雪は冷や汗を浮かべた。

 栞は普通に話しているようで、さりげに『二人』という言葉を強調してくることから

もどうやら名雪の目論見を見抜いている。

 正確に言うと肌で感じ取っている。だからこそこうして邪魔をしているのだ。

(名雪さんには祐一さんは渡しませんよ。今日で私が堕とします!)

 栞は微笑んだ。

 笑顔の向こう側には太陽よりも熱い、野望にかける情熱があった。

「祐一さん。今日はバレンタインデーですよね」

 栞は人差し指を唇に持ってくるいつもの動作で祐一へと言うと、手さげ袋の中から四

角い物体を取り出した。

 紅い包装紙に綺麗に包装されたその物体は言わずもがな、チョコである。

「昨日、お姉ちゃんと一緒に一生懸命作ったんです。食べてくれますか?」

 上目使いで栞はおずおずと聞いた。





 ああ、食べるさ。食べるとも!!

 そんなに可愛く言われちゃあ、断れば男がすたる!

 よく昔の人も言ったしな。

『寸前食わねば男の恥じ』

 ってなぁ。さあ食うぞ! やれ喰うぞ(!?)

 俺の頭の中に甘美な妄想が――って危ない。こんな妄想してる場合じゃない。

 ってあれ? 栞の姿が無い?

 どこに行ったんだろう?

 俺、そんなに長く妄想の世界に入ってたかな?

「祐一」

「うわ! な、名雪、いつのまに後ろに?」

 気がつくと後ろにいた名雪が呆れ顔で言ってくる。

「もう、なんかぼーっとしてるから、栞ちゃん帰っちゃったよ。それより早く行こうよ〜」

 なんだそうか。ちょっとがっかり。

 まあいいや。今度会った時にでも貰おう。

「じゃあ、行くか。名雪」

「うん!」





 祐一の隣に歩きつつ、名雪は気づかれないように汗を拭った。

(危ない、妄想中に仕留めるのは賭けだったよ)

 名雪は自然に背後を振り返る。

 遠くなる路地には微かに袋が落ちていた。

 なにやら表面には紅いナニカ、がついているようであった。





 やっと駅か。なんだかやけに遠いような気がしたな。

 俺は待合室のベンチに腰を下ろす。名雪はトイレだ。

「あら〜、祐一さん?」

「祐一……」

 聞き覚えのある声に俺は振り返った。

「佐祐理さんに舞? どうしてここに?」

 俺の後ろのベンチには見知った顔。

 一年先輩の佐祐理さんと舞が座っていた。

「佐祐理達はこれから少し先の図書館に行くんですよ。ね〜、舞」

「はちみつくまさん」

 相変わらずの無表情で舞は言う。見てて面白いな。

「そう言えば今日はバレンタインデーですね。ちゃんと祐一さんのために用意していますよ」

「……私も」

 そう言って佐祐理さんと舞はバッグから四角いものを取り出す。

 おお〜、やったな。持つべきものは女友達!

 しかも、舞は多少頬を紅く染めてるじゃないか。

 くー、いじらしい。

「はい、祐一さ……」

 佐祐理さんの手から俺の手にチョコが渡される――とその時。

「あ、ごめん!」

 ドンッ!

 軽い衝撃に俺の体は揺れて――というかベンチから吹き飛ばされた。

 何だ? 何が起こったんだ? 何で俺は天井を見てるんだ?

 しばらくの硬直から解けると俺はすぐに状況を確認しようと体を上げた。とたんに手を捕まれる。

 名雪だ。

「ごめんなさい! 倉田さん、川澄さん。わたしたちもう行かなくちゃ!」

 名雪はそう早口でまくしたてると俺をひきずったまま走り出す。

 って。

「うわ、放せよ名雪! ひきずんなってって……、う、うわぁ!!!!」





 絶叫を上げながら自動改札へとなだれ込んでいく祐一と名雪を見て佐祐理と舞はきょとん

としたままだった。

 目の前には先ほど佐祐理が祐一に渡そうと思ったチョコが見事に潰されている。

 佐祐理はそのときの状況をよく分かっていなかったが、どうやら名雪がぶつかった拍子に

踏んでしまったようだ。

「……新しいの造らなきゃね」

「手伝う」

「ありがと、舞」

 二人は結局いつも通りだった。





「祐一〜」

 俺は名雪の方を見ずにひたすら歩いた。

「祐一〜」

 少しとろんとした、いつもの声が後ろから来る。でも流石に今はそれが腹立たしい。

 俺達は電車を降りて真直ぐに遊園地に向かっていた。

「怒ってるの? 祐一」

「あたりまえだ!」

 俺の思ったよりも大きな声に、名雪はビクッと体を振るわせた。

「さっきは一体なんだ!? 俺は見たぞ! 佐祐理さんの造ってくれたチョコが潰れてるのを!

 お前、何てことしてんだよ!」

 チョコに限らず物を作るのはそれなりに手間がかかるもんだ。

 しかも佐祐理さんは俺のためにって言ってくれた。

 それなのに名雪は……。

「お前どういうつもりだ? 栞の時もなんかおかしいと思ったらお前、何かしたんじゃないか?

 どういうつもりかはっきり答えろ!」

 俺の本気の剣幕に名雪は体の震えを大きくした。そして遂に泣き出す。

「う……だっ、て……不安だったんだよ……私、祐一、だい……大好きなんだよ!」

 幾筋もの涙が名雪の頬から流れた。俺はそれを見て興奮が冷めていくのを感じる。

「祐一、私とずっと一緒にいてくれるって言ったけど……それでも、ふ、不安なんだよ!

 祐一、誰にでも優しいから! それ……がゆうい……ちの……いいとこ、ろだから!」

 そう、か。そうだな。

 俺は名雪と分かりあってるって思ってたけど、やっぱり他人同士は分かりあえないんだ。

 だから、理解してもらう努力をしなきゃいけないんだ。

 分かりあえてるはずだ、なんて思ってちゃ駄目なんだ。

「名雪」

 俺は名雪の涙を拭った。名雪は意外そうにこちらを見てくる。

「俺が好きなのはお前だ。だから、チョコぐらい、ほかの娘にも譲ってあげろよ」

 俺は名雪のバッグに無造作に手を突っ込む。名雪はただじっとして俺を見ている。

 やがて俺は目当てのものを見つけた。

「俺が一番欲しかったものだ」

 手には一つのチョコ。名雪の思いがこもった、俺にとって特別なチョコ……。

「祐一。ありがとう」

「ちゃんと栞や佐祐理さんに謝れよ」

「うん!」

 俺は名雪の手に自分の手を伸ばした。名雪は自然にそれに手を絡める。

 その手は、とても、暖かかった。





 知らない事は罪ではない。

 恥ずべきは知らない事を詳しく知ろうとしない事。

(うまく綺麗にまとめたよ〜)

 名雪は内心会心の笑みを浮かべて自分の進行方向にある遊園地を見ていた。

 あとはあの遊園地で思う存分遊ぶだけだ。

 そう、思っていたために名雪は完全に油断していた。

 というか前日にして名雪は過ちを犯していたのだ。

 寝ぼけ眼で探り当てたページ、それ自体は正しかった。

 だがその雑誌は先月号だった事には流石に名雪は気がつかなかった。

 

 本日休業の札を見て祐一が名雪に怒鳴った声があたりに響き渡るのはそれからまもなくであった。





「あらあら、大変だったのね」

 秋子さんが手のひらを頬にやるいつものポーズで俺たちを迎えてくれた。

「そうなんですよ。まったく、名雪がしっかりしてないから」

「ごめん祐一」

 まあ、チョコも貰ったしな。大目に見てやるか。

「そうそう、今日はバレンタインデーなのでチョコを作りました」

 秋子さんはそう言ってテーブルの上にチョコを出した。

 小さく、丸い形をしていて色合いが少しチョコから離れている。

「隠し味を入れました。おいしいですよ」

「へえ〜」

 俺はチョコを一つつまんで口に持っていく。しかし名雪はそのまま座っていた。

「どうした? 名雪」

 名雪は少し顔が青ざめている。今日のことで疲れたのか?

「ねえ、おかあさん……」

 名雪が口を開いた。弱弱しかったが、答えを聞かずにいられないという感じだ。

「あゆちゃんと、真琴はまだ寝てるの?」

「ああ、二人とついさっき起きてきましたよ。それでチョコを食べてからまた部屋に戻りました」

 ――まさ、か。

「あ、秋子さん。隠し味ってなんですか?」

 外れていてくれ俺の予想。しかし、秋子さんは何の曇りもない笑顔で言った。

「秘密です」

 俺の中に戦慄が走った。危機回避本能が俺の体を動かそうとする。

「おい、なゆ――」

 俺は名雪の方を振り向いたが、そこで沈黙した。

 名雪が座っていた椅子には、ケロピーがすでに陣取っていた。

 逃げるタイミングを完全に逃した!!?

「そうそう、チョコレートケーキも作ったので夕飯後にみんなで食べましょう」

 秋子さんの笑顔。その魔力は計り知れない……。

「……はい」

 そして、俺のバレンタインデーが過ぎていった。





 了




 あとがき  すみませんすみません本当に申し訳ありません。  名雪ファンの人。こんなんですみません。  どうも、紅月赤哉です。  Short 馬鹿 Storyを書く気だったのですが、どうでしたか?  Kanonというよりカノ○だったです。  いまいち名雪の壊れ具合が半端でした。精進します。  実は二次創作ってこれが初めてなんですよ。  初めての挑戦で初めてのバカ小説。  はっきりいって自信が無いですがこの場で挑戦できたことはとても自分のためになると思います。  なんとかレベルアップを模索する紅月赤哉でした〜。