「みちる」

「にゅ? なに? 美凪」

「みちるの幸せって何?」

「うーん。『はんばぁぐ』だね」

「ハンバーグ?」

「そうだよ。美凪の作る『はんばぁぐ』を食べれるのが一番幸せ」

「そう……」

「美凪の幸せは?」

「私はね……帰ってきてくれる事です」

「誰が?」

「私の最も大事な人です」

「……みちるよりも?」

「みちると同じくらい、一番大切な人です」

「ふーん。なんて名前なの?」

「その人は、国崎住人と言うんです」

「ふーん。国崎住人か。みちるの次や美凪の次に良い名前だね」

「ふふ、そうね」

「みちるも早く会ってみたいな、国崎住人に」

「私も、早く会いたいです……」







 AIR オリジナルSS

『Farewell song』







「遠野さん」

 美凪は自分を呼ぶ声に足を止めた。

 そう言えばそうやって名前を呼ばれるのも久しぶりだと思う。

「遠野さん。ここの問題が分からないんだけど、教えてくれるかな?」

 珍しい客はつい最近来た転校生だった。

 美凪は高校では嫌われているわけではない。

 しかし、その独特の物腰からあまり人に話し掛けられるようなタイプではなかった。

 近からず、遠からず。

 そんな友人関係。

 しかしこの転校生は何故か初日から美凪に話し掛けてきた。

 座った席が隣で、教科書などを見せたがそれにしても妙に美凪に関わりあいたがる。

「これはですね……」

 美凪は最初は戸惑っていたが、別に気にはしなくなった。

 最近分かってきたが、自分はどうも人とは少しテンポが違うのだ。

 人と話すのは嫌いではないのだが、普通に会話していては人は美凪と会話がかみ合わなくなってくる。

 転校生は最初から美凪のテンポに合わせてきた。

 だからこそ、美凪は少し気持ちよく、少年と会話している。

(それだけじゃない)

 美凪は思う。

 それだけではないのだ。

 この少年は似ている。

 自分の、最も大切な人に。

 背格好や性格。

 それらは全然違うのに何故か似ていると感じる。

 持っている雰囲気が似ているのだ。

(この人も、何かを探しているのでしょうか……?)





「美凪、なんだか機嫌よさそうだね」

「そう?」

 みちるは少々大げさに首を振った。

 思えばみちるを遠野の家に引き取ってから一年。

 一年経ってもみちるは変わらない。

『あの時』のみちるだ。

 父親の突然の死は自分を思ったほど驚かせた。

 自分と母を捨てて行ってしまった父を心の底では憎んでいたというのに。

 やはり幼年時代の思い出は強いらしい。

「美凪?」

「え? 何?」

「ぼーっとしてるよ。それで、何で機嫌いいの?」

 いろいろと思考が脱線する事に美凪はどうしてかと首を振りつつ、みちるに言った。

「わたしのクラスに転校生が来ているのだけど、その人の雰囲気が国崎さんに似ているの」

「ははぁ〜ん。なるほど……」

 みちるは顎に手を当ててうんうん、と頷くと指をビシッ、と美凪に突きつけた。

「美凪は国崎住人の事が好きなのだな」

「……ぽっ」

 顔を赤らめる美凪。

 みちるはまたうんうん、と頷くと嬉しそうに言った。

「早く会いたいなぁ。美凪が好きになる人ってどんな人なんだろう」

「……変な人ですよ」

「変?」

「そう。とっても変です」

 美凪の顔は笑顔だった。みちるは困惑していたが、その顔を見てまた笑った。





「遠野さん。こんな所で何をしているの?」

「……天文部の活動です」

 少年はふーん、と頷くと美凪の横に歩いてきた。

 美凪は特に気にする事もなく望遠鏡を覗き込む。

 空は晴れ渡っていてたくさんの星々が夜空を彩っている。

 少年は美凪の隣に立つと同じように空を見上げた。

 どうしているのか、というのは訊かない。

 何故かこの場にこの少年がいる事は自然に思えた。

「綺麗だね」

「……ええ」

 心地よい雰囲気。

 ずっとこうしていたい感覚。

 そんな気分になったのは久しぶりだった。

 あの、国崎住人がいた時のように。

「あなたは……何かを探しているのですか?」

 思わずそう口にしていた。

 美凪は望遠鏡から目を離して少年を見つめる。

 少年は驚いたような、戸惑うような顔をしてから静かに言った。

「空にいる少女、って言ったら笑うよね」

「……!?」

 美凪は体中に電気が走ったような気がした。

 久しく聞いていなかった言葉。

 そして思い出の言葉。

「幼稚園の時に僕、虐められていたんだ」

 少し悲しげに話し始める少年。

「幼稚園児だからさ、罪悪感とか全然なくてさ。かなり怖かったよ。そんなある日に家族で街に出かけたんだ」

 少年は懐かしい映像を脳裏に描き出すように中空を見る。

「道端で大道芸をやっていた。いろんなものが飛び回るんだけど、全然仕掛けが分からないんだ。

 すっかり僕は夢中になって、その人に聞いてみた。どうやってるんだって。するとこう言ったよ。

『これは方術というんだよ。こういう力なんだ』って」

 美凪の脳裏にひらめきが走る。その人はつまり……。

「それでさ、親に頼んで毎日見に行った。一月経った頃にその人は街を去る事にした。

 どうして行っちゃうのって言ったらさ、その人が言ったんだ……」

「「『空にいる少女を探してる』」」

 この時、少年は驚いて美凪を見た。

 美凪も同じように少年を見て、笑う。

「わたしの大切な人は、その少女を探して旅に出ました。わたしは帰りを待っているんです」

 その笑顔はおそらくクラスの誰もが見てはいないだろう。

 それほどまでに綺麗な笑顔だった。

 少年は顔を赤く染めて空を見上げる。

「……そうだったんだ。僕が知ってるその人は……もういないんだね」

「だから、あの人が継いだんです。最初、その人は半ば諦めていました。

『空にいる少女』なんているわけがない、と心のどこかで思っていたんです。

 でも『あの夏』の時……一年前の夏にわたし達はかけがえのない体験をしました。

 そして決心したんです。『空にいる少女』を救う、と」

 美凪は自分でも珍しく思いながらも話し続けた。

 自分以外にも国崎住人と繋がりがある人がいた事。

 その人にいろいろ自分の知っている事を伝えるのは自分の役目だと感じた。

「あなたの大事な人はもういない、とその人は言いました。

 でも、確かにあなたの大事な人はあの人の中に生き続けているみたいですね」

「え?」

「だって、わたしもあなたと同じように救われたんですから」

 美凪が少年の手を握る。

 少年はその事に動揺して慌てて手を外そうとするが、美凪の力は意外と強かった。

「あなたもその少女を探しているなら、いつか会える日が来ますよ」

「……そうだね」

 少年の力が抜けた。

 美凪は思う。

(この人にも生きる力を与えていたんですよ。国崎さん、あなたの力は)

 妙に嬉しい気持ちになる。

 自分の大切な人が他の人の心を救っていたという事実(正確には違うが)。

 その事は国崎住人の誇るべき事で、美凪の誇るべき事でもあった。

「さあ、一緒に天体観測をしましょう」

 美凪は望遠鏡を覗き込むのを再開しようとした。

 その時、望遠鏡の止め具が外れて上を向いていた望遠鏡が下を向いてしまった。

「……いきなりなんでしょう……?」

 美凪は位置を直そうと望遠鏡に近づく。

 ふと思いついて望遠鏡を覗き込んだ。

「……!!?」

 そこにあった光景に美凪は心を奪われた。

 そして走り出す。

「あ! どうしたの……!」

 少年の声がフェードバックして消えていく。

 すでに美凪の中には一つの思いしかなかった。





 普段の美凪からは考えられないほどの速さで怪談を駆け下りる。

 途中で何度も体勢を崩しながらも玄関まで辿り着く。

 勢いよく玄関を開けて校庭に飛び出した。

「……!!!」

 夏特有のじめじめした空気。

 夜空を彩る星々。

 他に灯る街灯もほとんどなく、しかしその姿ははっきりと美凪の眼に飛び込んだ。

「国崎さんっ……!」

 美凪は駆け出した。

 力一杯。

 一年の間待ちつづけた人のもとに。

「国崎さん!」

 遂にその人影の胸に飛び込む。

 抑えていた激情が駆け上がる。

 そしてそれは涙と言う形で具現した。

「ただいま……美凪」

「う……ぐっ、く、国……崎……さっ……ん」

「やっと帰ってきたよ。この街に」

「ずっと! ずっと待ってました!」

「美凪……」

 二人は感情のままにお互いを力一杯抱きしめる。





 少年は玄関の中から校庭の二人を見ていた。

 その目にあるのは歓喜。

 自分の探していた人にやっと会えたという事実。

「君が言ってる事が分かった」

 少年は歌うように、晴れやかに言葉を紡ぐ。

「あの人は……確かに君の大事な人の中に存在してるんだ」

 雫が落ちる。

 笑顔の頬をつたい落ちる涙。

「あの時はありがとう……」

 深々と頭を下げる。

 ずっと言いたかった言葉。

 その言葉と共に少年はしばらく首をたれていた。





 夏の日差しは暑い。

 今は誰もいなくなった駅。

 そこはみちると美凪の遊び場だった。

「にょ?」

 みちるはその二人だけの遊び場に遺物があるのを発見する。

 駅前のベンチに寝ている人影がある。

 自分と比べてかなりの長身。

 この夏場だというのに黒い長袖のTシャツ。

 ベンチの下にはリュックザックが置いてあった。

(美凪とみちるの場所を取るなんて……)

 美凪はお昼の弁当を作っているために後から来る。

 それまでにこの邪魔者を追い出さなくては。

「にゅにゅううううう」

 変な声を上げてみちるはその男に近づく。

 傍まで来て息を思い切り吸った。

「こら〜!」

「うわわ!」

 あまりの大声に男は驚いてベンチから慌てて身を起こす。

 その反動でベンチから落ちてしまった。

「いたたたた……。いきなり何をするんだ?」

 男がみちるを見る。

 その眼つきの悪さに思わず怯むみちるだったが気を取り直そうと一瞬下を向く。

 それからきっ、と目を吊り上げて男を見た。

「あんたは何者? ここはみちると美凪の遊び場なんだ」

「遊び場? ただの廃駅だろ?」

「遊び場なの! 邪魔だから出て行って!」

「その気はない」

「むむぅ……」

 みちるはまたも下を向いた。

 それから前かがみになってダッシュ。

 みちるの頭が男の鳩尾にヒットした。

「ぐッ……はっ!」

 男はあまりの衝撃に鳩尾を抑えて地面に崩れ落ちる。

「やーい! ざまぁみろ!」

「ぐぐぐ……」

 もちろんみちるは知らない。

 みちるが一瞬下を向いていた時の男の顔が笑顔だった事を。

 今うずくまっている時の顔に浮かぶ涙はけして痛みのためだけではないという事を。





「あら、みちるったら……」

 美凪は駅のベンチの前にいるみちると、うずくまっている国崎住人を見て微笑んだ。

 確か初めて会った時も似たような感じだった気がする。

「また、この時を過ごせるんですね」

 感慨深げにそう呟いて足を速めた。

(今日はお祝いですから、たくさん作ってきましたよ)

 料理の腕を存分に発揮したお弁当。

 もちろんみちるの大好きなハンバーグも一緒。

 また新しく始めるための景気づけ。

 長い夏の始まり。

「あ! 美凪〜」

「みちる〜」

 大声で呼んでくるみちるに手を振り返す。

 さあ始めよう。

 あたらしい夏を。

 美凪は遂に走り出す。

 夏の日差しが――

 流れる心地よい風が――

 夏を彩るセミ達が――

 一つの歌を奏でていた。

 これから始まる夏の序曲を――







『Farewell song』 Fin






 あとがき  久々のAIRのSSです。  今回は美凪編。  前回の佳乃と同じようにエンディング後はどうなったかなぁとか思って書きました。  多分かなり美凪の印象が変わっているので往年のファンの方、すみませぬ(汗)  やはり僕的にはエンディングを迎えて美凪の印象が変わらないわけはないと思ってるんです。  話変わって題名は気づきのように「AIR」の曲です。  次はいよいよ御鈴ですが、タイトルは……もうお分かりですね(笑)  では次のSSで会いましょう。  2001年11月7日午前9時41分執筆完了  作者・紅月赤哉