AIR オリジナルSS

『青空』







 空は何処までも蒼かった。

 太陽の日差しはアスファルトから湯気を立たせ、商店の前には水を撒いた形跡がある。

「ぴこ〜」

 雲一つない、良い天気だ。

 俺は物心ついたときから着ている黒シャツの襟を持ってばたばたと風を送り込む。

「ぴっこ、ぴっこ、ぴっこ」

 子供連れの老婆が店先で孫に何かをせがまれていた。

 老婆は仕方がないと言いつつも、孫が所望している物を買うつもりは充分あるようだ。

「俺にもくれ」

「ぴこ?」

 不意に思考が途切れる。

 もう既に頭の中を巡るネタは尽きていた。

 暑さでもう死にそうだ。

「ぴこ?」

 俺の足に纏わりついてくる地球外生命体が声を上げる。

 どうやら俺にかまってもらいたいらしい。

「ポテト……」

 俺はその生物の名を告げる。

「ぴこ!」

 その生物は敬礼をするかのように二本足で立ち上がり、ふらふらと体を動かした。

 この頃何度かする動作だが、どうしても慣れない。

「俺にかまって欲しいならどこかで金山でも掘り当ててくるとか、ちょちょいと仕事を

しただけでどばっと金が手に入る仕事とかを見つけてこいよ」

「ぴこ〜」

 未確認生物はうなだれる。

「何を馬鹿な事を言っている」

 いつものように、その声は後ろからかかった。

「ポテトに金をくれと言っていたところだ」

 俺は真面目に声の主――霧島聖に言った。

 すぐにメスを抜く極悪医師だ。

 にやり。

 聖は笑みを浮かべてどこかからかメスを取り出す。

「誰が極悪医師だって」

「誰でもありません」

 どうやら口に出ていたらしい。

 聖ははぁ、と軽く溜息をつく。

「私が上げている小遣いだけじゃ不満か?」

「食わせてもらってるだけなんて悲しすぎるだろ」

 俺はできるだけ感じている絶望が伝わるように聖に言った。

「別に。国崎君がヒモだろうとかまわないが」

 絶望は伝わらなかった。

「君は佳乃の傍にいてさえすればいい」

 相変わらず妹優先だな。

 俺は自分の左手首を見る。

 そこには一年前に佳乃がつけた『魔法』があった。

 黄色のバンダナ。

 この街が好きになって、ずっと居るようになる、あいつの『魔法』

 懐かしげにバンダナを眺めた後に、俺は話を戻した。

「でも、やはり人間としてヒモは嫌だ」

「それはヒモに失礼だろう」

「……まあ、いいか」

 何も通じないと分かり、俺はとりあえず思っている事を口にする。

「もう水撒きは止めて飯にしよう」

 聖はおお、そうかと手をぽんと叩いた。

「そうだな。もう昼時だな。今日は流しそうめんにしよう」

 その言葉を聞いて俺の中に嫌な予感がする。恐る恐る訊いてみた。

「流し台に使う竹は……」

「ああ、頼んだぞ」

 案の定だった。

 俺は竹を取りに向かった。





「町内運動会?」

「うん。そうだよぉ」

 そう言って、俺へ流れてくるそうめんを直前で取って食べる少女。

 霧島佳乃は満面の笑みを浮かべながら言葉を続けた。

「今年の町内会長さんがやってみようって言い出してやることになったんだよ」

 その町内会長も暇な奴だ。

「で、それに出ようって事か?」

「わ、住人君凄い。エスパー?」

「そんな話題出されれば誰でも想像はつく」

 俺は佳乃が驚いている間に流れてきたそうめんを素早く取った。

「すまんがパスだ。無駄な体力を使うぐらいならバイトを探す」

「えぇ〜! でもでも……」

 佳乃はポケットから何かのチラシを取り出した。流れから言って町内運動会のだろう。

「優勝者には賞金が出るって」

 キュピーン!

「まじか?」

「まじ、だよぉ」

 佳乃はしてやったりといった顔をして俺にチラシを持たせる。

 そしてそうめんに手をつけた。

 俺はかまわずにチラシの文面を見る。

(玉入れ。二人三脚。障害物レース。縄跳び。匍匐(ほふく)前進競争……)

 気になるのは幾つかあるが普通の運動会だ。

 俺は視界を肝心な場所に移した。

「優勝賞金一万円」

 チラシが黄金色の光を放っているように思えた。

「今時一万程度で人が集まると思っているのか?」

 聖が俺から離れた場所で、さっさとそうめんを流しては取り流しては取りを繰り返しながらぶつくさ言っている。

「何を言う。一万といったらそりゃあ大金だぞ。ラーメンセットが幾つ頼めると思ってるんだ」

 そうなった時はもうウッハウハだ。

「よし!」

「ピコ!?」

 俺の右隣――佳乃の左隣にいた毛玉犬ポテトが、俺が立ち上がった拍子にバランスを崩して椅子から落ちる。

 そんな事はかまわずに俺は佳乃に言った。

「俺はこれに参加して優勝するぞ!」

「やったぁ。住人君なら優勝できるよ」

「はっは! 任せておけ」

 無意味に力こぶなどを作る。

 聖は溜息をつきながら残りのそうめんを普通に食べた。





 ぽんっ……んぽぽぽんっ……

 はるか高い青空に、軽快な音と一緒に白煙が散った。

 朝から雲一つなく、風は緩やかにグラウンドを流れていく。

 程よい暑さで絶好の運動会日和だった。

 グラウンドには白線が引かれていく。これからここで死闘が繰り広げられるのだ。

「なんと悲しい宿命かな……」

「そこまで浸らなくてもいいと思う」

「ぴこ〜」

「金の亡者だな」

 三者三様の声が後ろから聞こえる。

 俺はとりあえず無視して言葉を続けた。

「今日というこの日にこれだけの猛者達が集まるとは……腕が鳴る」

 実際、ぽきぽきと拳は鳴っていた。

「というか、まともに賞金を狙っているのは国崎君だけだと思うが」

 聖は周りを見渡しながらそう言った。

 参加者がエントリーする場所にいるのは大抵が子供だった。

 それに混じって大人がちらほら。

 年齢的に中学、高校生は混じってはいなかった。

「高校生は無駄に体力を使いたくないんだよ」

 佳乃がさらりと言ってのける。なんだか心が痛くなった。

「そう言ってどうしてお前達はここにいるんだ?」

 俺は既に手続きを済まして列から外れていたが、列の中には佳乃と聖の姿があった。

「もちろん。参加するためだが」

 聖は何を言っているんだ? といった表情で俺を見てくる。

 佳乃も同様の顔だ。

「俺に散々言っておきながらお前達も参加するとは」

「私は別に賞金が欲しいわけじゃない」

「かのりんもだよ〜」

 そして二人は手続きを済ませに行った。

「……お前は出ないのか?」

「ぴ、ぴこ!?」

 ポテトがうろたえる。

「もう正体を隠さなくてもいいぞ。真の姿になって賞金をかっさらってこい」

「ぴこ〜」

 ポテトは危険な気配を察したのか、素早くこの場から離れていった。

「さて……。いっちょ、稼ぐか」

 俺もその場から離れて背伸びをした。





 空が瞳に映る。

 思えばこの空の下を旅してきて、この街に滞在するようになってからもう一年だ。

 一年前。

 来たばかりの頃にあの姉妹に出会い、奇妙な出来事にも遭遇した。

 そして、今、俺はここにいる。

 これまでいろいろな事があった。

 でも、この空は何も変わらない。

 この、澄み渡る青空は。

「……長くなりそうだな」

 何が長くなりそうなのかはよく分からなかった。

 ふと、口を突いて出た言葉だからだ。

『では、これから開会式を始めます。その後はすぐに競技に映ります』

 アナウンスが響く。

「住人君! 頑張ろう!!」

 佳乃が俺の背中に突然ぶつかってきた。

 俺はよろめきながらも、体勢を整えて佳乃を背負う形になる。

「優勝してうっはうはだ!」

「……そうだな」

 耳元で騒がしげに言ってくる佳乃に、俺は苦笑交じりで言葉を返した。

 一年前には考えられなかった日常。

 旅で各地を渡る事で捨てた日常。

 それが今、ここにある。

「二人とも。そこでじゃれあっていないで、場所に行くぞ」

 聖が言葉とは裏腹に柔らかな笑顔で言ってくる。

 俺はこれからもこの笑顔に囲まれて生きるのだろうか?

 二人の姉妹と、毛玉と一緒に。

 こんな馬鹿騒ぎをしながら。

(まあ、それでも悪くない)

 そう。悪くない。

 そんな事を思いながら、俺は佳乃をおんぶしたまま開会式の場所へと歩いていった。

 長くなりそうだ。

 本当に。

 何が長くなりそうか、おぼろげながらも分かった気がした。

『開会式後の最初の競技は激走、障害物二百メートル走です』

 ……本当に、長くなりそうだった。

 そして、今日も長い一日が始まる。








 あとがき  初のAIRのSSでした。  AIRほとんど一回しかプレイしていないんで分かりやすい佳乃を書きました。  本当は美凪を書きたかったんですが一回では彼女のキャラクターがつかみきれません。  次こそは彼女を!  今回のコンセプトは日常。  できるだけ普通な日常を書こうと思ってました。  シリアスにもならず、ギャグにもならず。  軽め軽めなものを書こうと。  次の二次創作はきっと美凪です。  ではでは、またいつか。