月の夜、風の道

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 月の夜、風の道
 秋桜翅謝楽

 彼女はよくここにやってくる。なんの変哲も無い小さな公園に。
「こんばんは」
 そして、僕等に向かってそう笑いかける。
「こんばんはー」
 答えると、空虚な笑顔でまた繰り返す。「こんばんは」と。

 最初はただの好奇心だった。
 太陽より光は弱いけれど、優しく輝く月の詩を。木々が静かに奏でる音楽を。そして僕等の歌声を。聞き取れる人間がいるのは驚愕に値することだったから。
「こんばんは」
 彼女は今日もやってきた。この小さな公園にひとつしかないベンチに腰掛けると、いつものように挨拶を口にした。
 実のところ、この場にいる時点で……僕は罪を冒している。それでも、僕はここに留まる事を選んだ。ただ流されるだけの自分になんの価値も得られなかったから。

 そして、彼女の空虚な笑顔の理由を知りたくて。

「こんばんはー」
 今日もそう答えてみる。すると彼女はいつものように空虚な笑顔で繰り返した。「こんばんは」と。
 ふと辺りを見渡す。
 僕等が一箇所に留まる事など普通はありえない。僕の仲間も行ってしまった。自分で道を選べない僕等は基本的に独りだから、仲間というのも妙な話だ。それを寂しいと思った事はないけど、暖かいと感じたこともなかった。
ほんとはずっとこうやって彼女を見ているつもりだった。罰がくだる、その日までに彼女の空虚な笑顔の理由が分かればそれでいいと。けれど、いつまでもこうしているわけにも行かなくなった。罪を冒した僕の体は、もう長くはもたないと分かってしまったから。
「ねぇ、楽しい?」
 だから、声をかけることにした。
「……え?」
 彼女はキョロキョロと辺りを見渡している。それはそうだろう。僕等から彼女……人間に声をかけることなんて普通はないことだし、僕等が同じ場所にとどまることはありえない。それに、彼女に僕の姿は見えていないはずだから。
 いくら、僕等の声が聞こえるからって、姿が見えているわけじゃないから――。
「いつも挨拶ばっかり。楽しい?」
 もう一度、聞いてみる。
「楽しくは、ないよ」
 なら、こんなところで彼女は毎日何をしているんだろう。
「じゃあ、何してるの?」
 それは素朴な疑問だった。
 人間という奴はいつも忙しなく生きている、と思う。
 昼、燦々と輝く太陽が、夕方になると切なく燃えて、見るものを紅く染め上げる。それから静かに海へと消える。漆黒に囚われそうな夜には優しく輝く月が照らしてくれる。それでも寂しい夜には煌く星々があり、木々が歌う。
 昼間のような賑やかさはないけど、夜は静寂ではない。僕はどちらかというと夜の方が好きだった。
「笑う為に来てるの、かな」
 彼女自身もよく分かっていないのか、曖昧な返答。
「そんな空虚な笑顔の為に?」
 これも素朴な疑問。
 僕等は望むもの全てをみるコトは出来ない。自分で道を選べない。けれど、それらを楽しむ事は出来た。いつも流されてばかりだけど、それはそれで悪くは無かったと思う。
 まぁ、ここに留まってる時点で、僕はそれを楽しむ事が出来なかったということかもしれないけど。
「……空虚、ね」
 彼女は空を見上げて呟いた。
 優しい月明かりに照らされた彼女の瞳に光るものが見えた気がした。彼女はここに来る時はずっと笑っていたから、驚いた。
 それと同時に綺麗だと思った。彼女の為なら――。
「願い事ひとつ、叶えてあげようか?」
 なんで、そんなコトを思ったのかは分からない。けれど彼女に笑って欲しいと思った。願いを叶えるなんて真似が僕にできるはずはないのに。
「願い事?」
 彼女はふと立ち上がって僕の方へと体を向けた。月明かりに照らされて、彼女はクスリと笑った。
 それは、僕が見た中で一番自然な笑顔だと思った。
「じゃあ、もうしばらく一緒にいてくれる?」
「そんなことでいいの?」
 そんなこと、だ。でもそれは僕にとって、とても難しい事だった。罪を冒してしまって、空気と同化しつつある僕には。
「本音を言うと、ずっと一緒にいて欲しい、かな」
「それには代価が必要だから」
 僕は呻くように呟いた。もとより彼女に伝えるつもりなどなかったのだが、言葉として漏れてしまったのだ。
「代価?」
 彼女はわずかに首を傾げた。

 僕等は誰よりも自由な存在で、束縛された存在だと思う。
 道は自分で選べない。逆らえば、身が滅びる。
 たったひとつ方法があるけど、それはあまりにも無謀で曖昧なものだ。
 それ以前に、今の僕では到底無理なことだ。
 だって、ぬくもりなんて知らないから――。

「なんでもない。忘れて」
 僕もそれに答えるように笑って呟いた。
「うーん」
 彼女は少し考え込んでから、話題を変えた。
「ねぇ、名前は?」
 僕等はただ流されるだけだから、『自分』というものにあまり価値を覚えた事がない。
「名前?」
だから、名前なんて考えたことも無かった。
「そ、名前。あなたの事、なんて呼べばいいか分からないもの」
 そこまで言い切ってから、彼女は少し考え込んでから言葉を紡いだ。
「そういえば私も名乗ってなかったっけ。ごめんごめん。私は――」
「桜井……桜井美鈴」
 彼女を遮って、自分の口から漏れた言葉。それに彼女は驚いた様子でこちらを見ている。が、それ以上に驚いたのは僕自身だ。
「私の名前、知ってるの?」
 そんなはずは、ない。けど……知ってる気もした。そんな自分自身に混乱してたせいか、僕は気付かなかった。
「そんなはずは――」
 わからない。僕等にとっては『今』が全てで、それ以外の事など覚える必要もなかったから。
「じゃあ、私もあなたの名前、当ててみせなきゃね」
 彼女の声が、不自然なほど近くで聞こえた。
「や、え……」
 僕の姿が見えてる? 人間に?
「うーん。風見とか?」
 そんな言葉、聞いてなかった。
「えと……」
 ただただ混乱していて分からない。それと同時、すっと体が消える感覚に襲われた。
「――っ」
 思った以上に限界が来るのが早かったみたいだ。
「ごめん」
 だから、最後の最期まで気が付かなかった。彼女の瞳に僕の姿が映り込んでいたことに。
「なんで謝るの?」
 もう時間がない。ずっとなんて無理でも今夜くらいは、そう思ったのに。
「願い事、叶えてあげられな――っ」
 そう言いかけた僕の口を、ふわりと彼女が包みこんだ。それはとても暖かくて、優しかった。心がじんわりとあったまるようなぬくもりだった。
「代価、これでどう?」
 すぐに彼女は距離をとって、笑った。
「風見透。格好良いと思わない?」

 風は、流されるままに――。




<あとがきという名の戯言>

 お誕生日おめでとうございます。
 そしてそして。礼儀知らずにも不審物を押し付けにあがりました。
 リクエストはどうした? なんていわれると微妙に困るのですが……orz
 ちなみに、恐らく次回更新目標日に私のサイトの方にあげさせていただきたいと思っております(汗)
 ではでは。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。



<おかえしという名の言葉>

 誕生日にこのような素敵な小説をありがとうございました!
 月の下での幻想的な雰囲気や会話。言葉運びが凄く良かったです。
 リクエストはまだまだ先でいいですよー。
 今後ともよろしくお願いいたします!


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