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Dear My Friend

「私なりに頑張っていくから」

 玄関扉に鍵を差し込むと、すでに鍵は開けられていた。鍵をかけ忘れたか、合い鍵の持ち主がいるのかどちらだろうと一瞬思い起こしてからすぐにあたりをつける。
 ゆっくりと鍵を引き抜いてから扉を開き、中にいるだろう相手に声をかける。

「ただいまー」
「お帰りー」

 声と一緒に流れてくる香りに今日はカレーだと判断したあゆむは口の中に涎がわき上がった。呼応するように腹も鳴り、他の人に聞かれないようにと慌てて中に入る。ドアを閉める音が大きく、奥――おそらくはキッチンからまた声がかかった。

「どしたのー?」
「なんでもないよー。ありがとうー」

 靴を脱いで部屋に入る。ルームシェアならではの3LDK。一年も住んでいると勝手知ったる我が家という感がある。玄関から右にある居間のテレビはすでにつけられており、少し大きめの音量で流れている映像の音声が聞こえてきた。隣接するキッチンで料理をしているため、見えない分、音で聞いているんだろう。

「亜紀。ちょっと大きいから静かにしていい?」
「そだね。こっちも後は煮込むだけっと」

 鍋の蓋を閉めてから居間に戻ってきた亜紀の顔は誰がどう見ても興奮していることが分かった。あゆむも帰るまでは平常心を保っていたがテレビから聞こえてくる音が「それ」を告げると胸の奥から熱い衝動がこみ上げてくる。
 ブルーレイレコーダーの録画は既に回り始め、世紀の一戦が始まっている。
 バドミントンの世界大会であるユーバー杯とトマス杯の放映。あゆむと亜紀が見ているのは女子のユーバー杯の決勝の模様だ。
 バドミントンの世界大会がテレビで報じられるようになったのは、つい最近のことだった。他の競技と同様に他国との実力差があった頃から長い年月をかけて日本はその差を縮めていき、つい数年前に男子が世界の頂点に立ち、女子も準優勝した。そこからは三位や二位をいったりきたりして、女子は決勝で中国に三度目の挑戦となる。ここ数年で最も強いと呼ばれる日本代表チームは今度こそ優勝を狙えると大会前から期待が高まっていた。その周囲からのプレッシャーにも打ち勝って、世界の頂点を決める場所へと立つメンバー達をあゆむも亜紀は畏怖の念を持って見ていた。
 二人とも競技としてのバドミントンに高校までは参加していたが、大学に入って一線からは退き、サークルでまったりと過ごしている。出身地が異なる二人がルームシェアするきっかけとなった人物が、団体に参加していた。

『さて、それでは日本代表のメンバーを紹介していきましょう』

 テレビでアナウンサーが解説に入る。あゆむと亜紀が固唾を呑んで見守る中、一人一人名前が告げられた。
 第一シングルスは自分達より二つ年上の有宮小夜子。ここ二年は国内で無敗を通し、ユーバー杯でもエースシングルスとして各国のエースと戦ってきた。戦績は予選とトーナメント通して4勝1敗。準決勝でインドネシアのエースシングルスに敗れたものの、格上の相手に対してファイナルの最後の最後までもつれたことで志気を上げ、勝利に貢献した。
 第一ダブルスは同じく二つ上の早坂由紀子と一つ上の君長凛。有宮と同様に国内で無敗のダブルス更に世界ランキングでも2位と、個人戦で優勝を狙えるペアであり、さらに美人であることから注目度も特に高い。

『”キミハヤ”ペアも調子がよさそうですねえ!』

 あゆむの目から見るとアナウンサーの鼻の下が心なしか伸びているように見えて笑ってしまった。

「何度も聞いてるけどキミハヤって言いづらいよね」
「でも、他にいい呼び名ないみたいだし。仕方がないんじゃない」

 片方は中学の先輩。もう片方は中学と高校でその先輩と戦ったライバル。同じ高校でペアを組んだ二年間は無敗で、社会人でも続けてペアを組んだ二人。
 シングルスでも十分世界を狙える力を持った二人が組んだことで一気に日本の世界一が近づいたと思える。あゆむは久しぶりに見る先輩の姿に過去を思い出していた。
 まだ中学一年生だった自分と二つ上の先輩。強くて美人な先輩に憧れと畏怖を抱いて引退するまで試合を目で追いかけ、声援を向けるくらいしかできなかった。試合でいない時期の方が多く、他の先輩達よりも接する機会が少ないまま引退し、卒業を見送った。
 もう七年も前の記憶で完全に色褪せている。

「やっぱり、同じ部活だったってくらいしか、印象はないんだよね」
「ん? 早坂さんのこと?」

 あゆむが物思いに耽っている間に日本代表の紹介は続く。第二シングルスと第二ダブルスは早坂達よりも一世代上の選手。熱心にアナウンサーのしゃべる内容を聞いていた亜紀はあゆむの呟きをほとんど聞いていなかった。あゆむは何でもないと首を振り、テレビ画面を指さす。
 同時に現れたのは日本代表最後の一人。第三シングルス。

(やっぱり、同じ時間を過ごしたって友達の方が印象強いよね)

 テレビ画面には第三シングルスの朝比奈美緒が紹介されていた。
 自分達と同じ年。同級生が世界の頂点に挑戦する戦いに参加しているというのはどこか現実離れしていた。それでも、スマートフォンの電話帳には彼女の名前が登録されていて、たまに変更されるメールアドレスの変更依頼が送られてくる。七年の間にだいぶ交流は減っていた。高校の頃は地元が同じだったからとたまの休日に会うことはあったが、今では大学も異なり、更に試合で海外にも行っている以上、会う時間などとれる道理もない。完全に住む世界が違ってしまったのだと、テレビを見て妙に納得した。

「いやー、だいぶ世界が違っちゃったね」

 あゆむと同じことを思ったのか、亜紀も苦笑いしながら口に出していた。亜紀が朝比奈の小学校時代の友達だと聞いたのは偶然だった。バドミントンサークルの飲み会の席で、好きな選手についての会話になった時に亜紀が朝比奈の名前を出したことであゆむも反応した。ほとんど繋がりは切れているとしても、友達の友達はということで意気投合し、最終的にはルームシェアまでに至った。

「でも、美緒は美緒だし、私達は私達」
「あっちもそう思ってくれてるみたいだし」

 スマートフォンを動かしてメールを確認する。前日に来た朝比奈からのメールには決勝に進んだということが書かれていた。テレビで報道されるよりも少しだけ速い。宛先には他にも自分の電話帳に登録されていないメールアドレスも記載されていて、自分の友人達に送っているのだろうと分かる。その中には、もう連絡も取っていない男子の名前もある。
 中学の時に朝比奈と付き合い始めた遊佐修平の名前を久しぶりに見て、朝比奈がまだ付き合ってるのかと思いを馳せる。

「男子のほうも決勝だよね。いっぺんにやらないかな」
「やってるんだろうけど、やっぱり女子の方を映すのかな」
「分かる。君長さんとか早坂さんかっこ可愛いし」
「美人は得だよね」

 美人な上に強いとあれば非の打ち所がない。天は選ばれた人には二物も三物も与えるのだろう。あゆむは改めてテレビの先にいる朝比奈やかつての知り合い達の姿と自分を比べる。

(でも、そういうのにうらやましいって思うことはもうないよね)

 中学時代の自分はおそらく嫉妬や何かしらの感情を抱いたかもしれないが、もう大学も二年生だ。今の自分の生活で手一杯なところもある。かつての友達よりも今の友達との付き合いが多くなるのは必然だし、大事にするとはまた別の話。朝比奈は朝比奈の生活があり、自分には自分の生活がある。

「試合終わったら、お疲れさまメール送ろうか」
「同時に? いいね」

 亜紀が次に何を言うかというところまで何となく掴めている。たった一年でも共通の話題があることや、同じ人と友達になるということで似通ったところはある。まるで昔からの友達のように過ごしていることがおかしくなった。

「今度里帰りした時に会えるように言おうかな。サインもらいたいかも」
「その時は私も一緒にさせてよ。もう十年会ってないし」
「でもパソコンあれば会話できたり。便利な世の中だよねー」

 繋がり方は次代と共に変わっていく。パソコンがあれば近況をいくらでも知ることができるし、時間帯をあわせられれば会話も可能だ。細く長く、繋がりが切れないままに自分達は友達として過ごしていくのだろう。

「さあ、まずは女子シングルス。有宮の登場です……」

 アナウンサーの力の入った言葉と共にコートの光景が映し出される。両サイドに並べられたベンチの一つに腰掛ける朝比奈の姿も移っていて、有宮に向けて声をかけていた。団体戦に出たのは中学時代が最後だったが、朝比奈は今後も、引退するまではそうした空気に触れていくのだろう。

「私達も少しはがんばらないとね、バドミントン」
「まあね」

 試合開始と共に煮込んでいたカレーができあがるタイマーが鳴る。亜紀が鍋を取りに行く間にあゆむは皿を用意。息のあったコンビプレーが少しでもバドミントンでも生かされればいいのにと思いながら、あゆむは食事のために動いていった。

 * * *

 一通り試合が終わり、テレビのチャンネルを変えてから二人は床に寝転がった。体はそれまでの興奮によって火照っていて、フローリングの床の冷たさが心地よい。そんなにスペースはないために隣で同じように横たわっている亜紀の顔との距離もまた近い。亜紀の顔の火照り具合に自分も同じような顔なんだろうと想像しておかしくなった。

「おかしくもなるよね。凄かった」

 あゆむの笑みの理由を勘違いしたのか、亜紀は試合の感想を呟く。間違いを訂正する気は起きない。自分も同じように思っているのは確かだ。

「二対二からの最終決戦で美緒とか。漫画みたい」
「そんな状況なのにあれだけ打てるなんてね」

 最強の中国を相手にここまで勝ち上がってきた日本側も十分強かった。最終試合までもつれ込んでの朝比奈の登場に試合の前から騒いでしまい、疲れたまま始まった試合への興奮から長距離を走りきったかのような達成感と虚脱感が体中に満ちる。日本の代表として恥ずかしくない試合をした美緒に、あゆむは複雑な思いが生まれる。

「あんな子と一緒にバドミントンしてた時期があったんだね」
「なんか似たようなこと試合前にも言ったよね」

 選手紹介をしている時に亜紀が言ったことと似ていた。あゆむは言葉を返さずに自分の右腕をあげて手を握り、開くという動作を繰り返す。
 かつて一緒にバドミントンをしていた頃も、高校に入って試合会場で別の仲間達といる朝比奈の姿を見ても、実力の差をひしひしと感じてきた。朝比奈のように努力をした結果、選ばれた者と選ばれなかったあゆむや亜紀との間には確実に差があり、大学ではもう趣味レベルに打っているだけ。元々願っていたわけではないが、自分と関わりある人が世界を相手に戦っていて、テレビでその姿を応援できるという状況は友達という関係を越えた期待をかけてしまいたくなる。

「中学時代に勝っておいて良かった」
「勝ち逃げ?」
「そ。高校時代は結局対戦できなかったからね」

 亜紀の言葉は軽く言っているようで、内側にある寂しさを隠すことはできていない。あゆむとは違って、亜紀は選ばれかけた側。どうせ引導を渡されるなら朝比奈にと思っていたのかもしれない。そんなことを口にすることはないが。

「さて。じゃあ、同時にお疲れさまメール送ろうか」
「そろそろ私達がルームシェアしてるって伝えてもいいかもね」
「もう少し粘ろうよ」

 お互いに朝比奈へと試合結果への感想を同時に送信する。試合直後でミーティングなどしているかもしれないが、メールなら返信が遅れても問題ない。だが、予想に反してあゆむのほうに先に返信が届いた。
 自分に対する応援と感謝の気持ちが書かれた簡素な文面の下にさらりと書かれた文章。思わず、あゆむは笑ってしまう。

『今、私の親友とほぼ同時にメール来たんだよ。凄い偶然だったわ』

 その親友は隣にいる、と横を向いたところで亜紀もスマートフォンのディスプレイをあゆむに見せてきていた。

『今、私の親友とほぼ同時にメール来たよ。親友シンクロ? もしかしてどっかで一緒に見てた?』

 同じ大学に通ってる事くらいは知っていたはず。ただ、その後の生活をどうしてるかというのは互いに密な連絡はしていなかった。
 亜紀へのメール文面の中にある「親友」の文字。改めて書かれると照れるが、素直に嬉しく思える。こうして朝比奈の中に「親友」が積み重ねられていくのかもしれない。自分にも、同じように。

(美緒も頑張ってね。私も私なりに頑張っていくから)

 遠くにいる友人に向けてあゆむは静かに思いを馳せる。
 隣にいる友達と共に。
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