初めてあなたを見たのは入学式。
 新入生代表で壇上に上がって、おきまりの言葉を言っていた。
 わたしはそんなあなたに一目で心を奪われた。
 あなたに近づきたい。
 あなたの事を知りたい。
 あなたの……ただ一人の人になりたい。
 わたしの心はその日からその事で一杯になった。
 幸せだった。
 あなたの事を考えるだけで、心が暖かくなった。


『Fragment memories』

《#6 Never forget this time》


「一緒に帰ろう」
「え……」
 出会いはふとした瞬間だった。
 わたしはいつもの道を帰っていて、交差点の信号を待っていた。
「同じクラスの町田だろ? こっちの方だったんだ家。一緒に帰ろう」
「う、うん……」
 心臓の鼓動と、顔が赤くなるのを止める事ができなかった。
 偶然。
 でも、嘘じゃない。
 あの人が隣にいる。
 入学式の日に夢見た光景が今、この場にある。
 こんなに早く叶うなんて思わなかった……。
「あ、あの……寺原君……」
「ん? 何?」
「あの、さ……寺原君の家って何処なの?」
「俺の家はね――」
 寺原君が言った住所はわたしの所から少ししか離れていなかった。
「俺さ、父親が転勤族なんだ。だから高校からこっちに来たんだよ」
「そうなんだ……」
 いつのまにか話が弾んでた。
 わたしはまだぎこちなかったけど笑顔を返せた。
 自分の持っていた感情が恋だって事が、今になって判った。


「わたし、寺原君の事が好きなの」
 テレビドラマみたいなシチュエーション。
 教室には夕日が差し込んで、わたしと寺原君を照らしてる。
 窓の外からはサッカー部や野球部の人達の声が聴こえてくる。
 寺原君の顔は赤く染まっていて――わたしもだろうけど――良く見えなかった。
 でも、とても動揺しているみたいだった。
「え、っと……」
 思わず体を硬直させてしまう。
 緊張してきた。
 高校受験なんて目じゃないくらい。
 心臓が壊れそうなくらいバクバクしてる。
「凄く嬉しい」
「……え」
 寺原君が近づいてきた。わたしはその場から動けない。
 手を伸ばせば届く距離に来て寺原君が言う。
「町田にそう言ってもらえて凄く嬉しい。ただ……」
 一瞬の言い澱み。不安になる。
「俺の父親、転勤族だからまた転校するかもしれないんだ俺。だから、高校の間は恋愛はしないと思ってた」
 少し顔に影が落ちる。
 わたしは言った。
「それでもいい。もし転校しちゃっても、わたしは寺原君と恋人同士になりたい」
「町田……」
 今度ははっきりと判った。
 寺原君の顔が赤くなってる。夕日のせいじゃなくて。
「こんな俺でよければ」
 夢が、現実になった瞬間だった。


 花火が上がる。
 川の両岸には人が溢れてた。
 わたし達は人波にもまれて危うく離れそうになる。
「鏡花。手つないどこ」
「う、うん」
 初めてだった。手をつなぐのは。
 付き合って初めての夏休み。
 今まで恥ずかしくてつなげなかった手が、この瞬間つながってる。
 とても自然で、やっと恋人同士になれた気がした。
「凪君。しっかり掴んでてね」
「ん? 何か言ったか?」
「なんでもない」
 とても嬉しくて……怖かった。
 この幸せがいきなり終わりを告げるかもしれない。
 でも今はそんな事考えたくなかった。
 いつか終わるとしても、それに怯えて今を楽しめないのは損だった。
「わあ! 凄い花火ぃ」
 人込みを掻き分けて川岸に着くと同時に空に華が咲いた。
 そして夏休みが過ぎていく……。


「寒いと思って外見たら、もう雪降ってて驚いたよ」
「わたしも」
 冬。
 街はもう白く染まっていた。
 初めてのクリスマスをもうすぐ迎える。
「今日でしばらく学校ともおさらばか」
「でもこれでしばらく毎日一緒だよ」
「……そうは言ってられないんだ」
「えっ!」
 急に不安になった。
 まさか、もう転校してしまうんじゃ……。
「違うよ。転校じゃない」
 わたしの表情の不安に気付いてくれた。もう表情の変化だけでお互いが判る。
「新年明けたら、家族旅行するんだ。一週間ほどね」
「そう、なんだ……」
 転校じゃなかったけど、寂しい。
 凪君がわたしの頭に手を伸ばしてきて、静かに撫でてくれた。
「そんな顔するなよ。何もそんなに長く離れるってわけじゃ……」
 凪君の言葉が止まる。凪君もわたしも、その先を続けずに学校に急いだ。
 今じゃないかもしれない。
 でも、いつか近いうちに長く離れるかもしれない。
 そんな恐怖感が、その先を言わせてはくれなかった。
 終業式が終わって、冬休みが過ぎていった……。


「転校する事になったんだ」
「え……」
 本当に突然別れというものはやってきた。
 驚いた。
 でも、心のどこかは落ち着いて納得していた。
『ついに来た』
 そう思ってる自分もいる。
 思えば付き合い始める時、そうなる可能性も考えた上で付き合い始めたんだ。
 判って……。
「い、いつなの」
 それでも声が震えるのを止める事ができない。
「今年の夏が終わったら」
「後、四ヶ月……」
「本当はもうすぐ行くはずだったんだけど、学期も始まってるし、先に父さんだけ行ったんだ。俺は後期から行く」
「そう、なんだ……」
 凪君の顔が見れない。
 今見たら、泣き出しそうだった。そんな事はしたくなかった。
 悲しいのは多分、凪君も同じだから。
「後少ししか時間ないけど」
 下を向いてたわたしの目に凪君の手が入ってくる。
 わたしの手を握ったからだ。その手はとても暖かくて……。
「一緒にいてくれ」
「……うん!」
 わたしは凪君の顔を見る。
 目は涙ぐんではいなかった。
 まだだ。
 まだ、その時じゃない。
 そうして、時間が過ぎていった……。


 そして、今。
 夏休みの終わり。

「いよいよだね」
「ああ」
 わたし達は川辺の芝生に座っていた。
 辺りはもう夕焼けで真っ赤になって、子供も家に帰っていく。
「短いよな。時間って」
「うん」
 手はつながれていた。
 暖かい手。
 大きな手。
 優しい手……。
「綺麗な夕焼け。どこでも同じだよね」
「ああ。鏡花がこの夕焼けを見てれば、俺も見てるさ」
 わたしはすんなりと凪君の肩に頭を乗せた。
 今までは恥ずかしくてとてもできなかった事だった。
 凪君も最初は驚いてたけど、すぐにわたしに寄り添ってきてくれた。
「手紙、書くよ」
「電話、するね」
 夕日は沈んで、星が見え始めてる。しばらく時間が経つのを忘れてた。
 いつのまにか完全に夜になって、綺麗な星がちらほらと見える。
 ふと気付くと、凪君が泣いていた。
「凪君……」
「忘れるなよ、俺の事」
「忘れないでね、わたしの事」
 凪君の顔を覗き込む。
 頬を流れる涙が綺麗だった。流れ出る凪君の瞳も。
「鏡花……」
 口づけ。
 その時だけ時間が止まったような気がした。
 しばらくして口を離してお互いの顔を見つめる。
「「ずっと忘れない」」
 言葉が重なった。そして込み上げる笑み。
 笑いあった。
 最後の瞬間まで、笑いたかった。


 空は晴天だった。
 わたしの目の前には引っ越し用のトラック。
 既に荷物が運ばれていて、凪君の家にはもう何も残ってはいない。
「大学、何処受けるんだ?」
 凪君の問にわたしが答えると、凪君は凄く嬉しそうな顔をした。
「俺も志望はそこなんだ。頑張って勉強して、大学生になったらまた合おう。絶対合格するから」
「……うん。わたしも、絶対合格する!」
 お互いに強く手を握る。
 お互い笑顔で……。
「ありがとう。さよなら」
「うん。またね」
 手が離れた。
 凪君は振り返らなかった。
 車に乗ってその場から去る。
 わたしはしばらく動けなかった。
 動くと、涙が零れそうだったから。
 切ないけど、それでも悲観はしなかった。
 また会える。きっと、また会える。
 その時までは、絶対泣かない。
 昨日の夜にそう誓ったんだ。
 忘れない、この時を。
 悲しみも喜びも。
 わたし達の絆は切れたりはしない。
 どんなにくじけそうになっても、わたしの中にある確かな愛が、心を支えてくれる。
「またね」
 また呟いてわたしはその場から離れた。
 もう泣き顔は無かった。
 いつかまた会う日まで、その時まで……。


「さようなら」


 二人の最後の夏休みはこうして終わりを告げる。
 忘れる事のできない思い出を残して。


『Fragment memories』
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