「やっぱよぉ。女の子と付き合って別れる時は思いっきり嫌われなきゃいけないよ」
「どうしてそんな事わざわざするんだ? 友達に戻ればいいんじゃないか」
「それは甘いよ。恋人から友人には絶対戻れない。お互いに自分の奥まで踏み込みすぎてる」
「よく分からん」
「友人として過ごしてきた頃には絶対戻れない。前と同じように見えても、どこか違うんだ」
「へえ。そんなものかな」
「そんなものだよ。だからこそ、相手に未練が残らないように思い切り嫌われるんだ」
「でも一概にそうは言えないんじゃないか」
「ああ、言えないな。自分で判断するしかない」
「何を? どうやって?」
「それは自分で考えな。最初言ったのと違うけど、友人に戻れる娘とそうでない娘がいる」
「確かに違うね」
「ようは、さ。前とは違っても支障は無い友人関係とそうでないのがあるんだってこと」
「人の性質、か」
「そうそう。もしお前が誰かと付き合って別れたとしても、友人に戻れる人と付き合うことを願うよ」


 僕はそのあってるようで間違ってるような良く分からない話を聞いていた。
 ただ、この会話中のあいつの目は悲しそうだった。
 きっと心のそこから思っていたんだろうな。
『友人として過ごしてきた頃には絶対戻れない』と
 いつの話だったのかなぁ……。


『Fragment memories』

《#5 Two face》


 眠い。
 朝日が眩しい。
 昨夜はカーテンを閉め忘れたみたいだ。しかも窓も開いてるし。
「起きるか……ふあぁああ」
 大学に入って一人暮らしを始めてもう半年。
 あんな夢、もう何年も見ていなかったのに。
「どうして見たかな」
 なんとなく気にはなったが、特に気にする必要もないと納得。
 今日はデートだ。
 とっとと身支度しなくちゃな。
 と、そんな準備をしている時に鳴る玄関のベル。
「誰だよ……」
 めんどくさいけど出ないわけにもいかないよな。
「はいはいって……」
 ドアを開けて視界に入ってきた人に俺は素直に驚いた。
「おはよう。久我山君」
「お、おはよう……陽子」
 陽子はそのまま俺の部屋に入ってきた。時計を見ると朝の9時。
 遅い時間と言うわけでもないが、訪ねてくるには少々早い時間だ。
「どうしたんだ? 約束の時間は十時だろ?」
「だって、待ちきれなかったんだもん。久しぶりのデートだし」
「受験生を連れまわすわけにもいかないだろ」
「だから嬉しいんだよ」
 陽子はそう言って笑った。この笑顔に惚れて告白したのが俺が受験期の時だもんな。
 思えばもう一年にもなるのにキスしかしてない……。
 恋人としてはもう一ステップ進みたいような……。
「ほらほら、早く支度して出かけよう」
「……そうだな」
 俺は陽子を外に向かせて着替え始めた。


 人の心は変わらない。
 そんな事は無かった。
 今日あった幸せが、次の日には消えていた。
 俺は石を拾って目の前に広がる川に投げた。
 石は放物線を描いて川に落ちる。
 俺はそのまま芝生に座り続けた。
 隣には、誰もいない。


 少し季節が流れて、俺はデートの待ち合わせ場所にいた。
「遅いなぁ」
 思わず呟いてしまった。
 待ち合わせの場所はここで良いんだよなぁ……?
 不安になって後ろの像を見上げながらメールを見る。
 確かにこの場所この時間で合ってる。
 でも、陽子はこない。
「電話、通じないし」
 そう。電話が通じない事のほうが俺には重大だった。
 携帯の電源が入っていないという事。
 いつもは必ず入ったままの携帯が今は沈黙している。
「何かあったのか……」
 最悪の想像が頭をよぎる。
 こんなところで待ってる場合じゃないんじゃないか?
 もう一度陽子の携帯にかけようとした時、俺の目に人影が飛び込んできた。
 その光景に俺はどう言っていいか分からない感情を覚えた。
「陽子……」
 カップルのうち、一人は陽子だった。
 陽子は隣の男と二言三言会話してから俺へと近づいてきた。
 最悪の想像。
 それは別の形で俺の所にやってきたらしい。
「久我山君……」
「……」
 陽子は俺の前に立つ。
 目線が、下を向いたまま言葉が出る。
「ごめんなさい」
「……そういう、事かよ」
 そう言うのが精一杯だった。
 意味もなく笑いが込み上げてくる。
 人間、どうしようもない時は笑うしかないんだなぁ。
「同じ高校の奴、か」
 俺が言った事に陽子が頷く。また、言葉が詰まる。
「前の久我山君の事が好きだった」
 俺は何も言えない。
「今の久我山君、どこかイライラしてるし、話も全然合わないんだもん。わたし、久我山君の心が判らない」
 俺のせい、か。
 結局俺は安心していたんだ。
 陽子は何もしなくても俺について来てくれるんだって。
 その状態に油断して、保つ事を怠ったしっぺ返しがこれだ。
 陽子は悪くない。
 悪いのは、明らかに俺だ。
『相手に未練が残らないように思い切り嫌われるんだ』
 ふとあいつの言葉が頭に甦った。
 今回は……どうやら友人に戻るには辛いようだ。
 そう覚悟を決めた俺はすんなりとその言葉を吐き出した。
「そうか。早く言ってくれよそういうのは」
「……ごめん」
「俺もどう切り出そうか迷ってたんだけど、これでそんな事悩む心配なくなったな」
「……え?」
 陽子は心底不思議そうに俺を見てくる。
 俺はポーカーフェイスを崩さないまま言った。
「俺もさ、いるんだよ。他の女が」
「え……」
「結構前から。だからどうやってフルか考えてたんだよ。だって考えてもみろよ」
 陽子の顔が青ざめていく。
 俺の中の決意が崩れそうになる。
「一年も付き合っててキスだけの関係の奴に、いつまでも付き合ってられるかよ」
 決定的な台詞。
 陽子の顔が見る見るうちに泣き顔になっていく。
 俺はその顔を見るのが耐えられなかった。
 陽子と反対方向を見て言う。
「行けよ」
「……久我山君」
「さっさといけ。もうお前なんて眼中に無いんだからよ」
「……さよなら」
 陽子の気配が去っていく。
 俺の最後の声は震えていた。
 陽子の声も震えていた。
「行けよ。行けって……」
 何度も言った。何度も、何度も。
 何度目かの呟きの後、俺は振り向いた。
 誰もいなかった。それが、悲しかった。
 涙が流れる。
 手に握っていた誕生日プレゼントが落ちる。
 それが妙に情けなかった。
「これで、良かったのかな」
「いいんじゃないか?」
 不意に聞こえてきた声に俺は振り向いた。
 格好はボロボロ。無精髭を生やした汚いおっさんだった。
 おっさんは落ちたペンダントを拾って俺に差し出してきた。
「あんたは今、一番かっこいいぞ。あの娘の未練を断ち切るためにあんな事を言ったんじゃろ?」
「聞こえてたのか」
「ああ。お前がいた場所のすぐ近くで寝ていたからな」
 おっさんは俺の手の中にプレゼントをねじ込んだ。
「お前は正しかった。少なくとも、自分がそれを信じなければお前さん自身がかわいそうだ」
「……」
 ペンダントを握り締めて俺は泣き崩れた。
 何も言えない。
 何も聞こえない。
 そんな中でも目の前から去っていくおっさんの気配が感じられた。
「まだまだお前さんは若い」
 そう言ってた気がした。


 既にあたりは夕日が照っていた。
 肌寒さも感じるようになる。
「帰るか」
 何処へ? もちろん自分の部屋だ。
 また明日からも大学生活が待ってる。
 無くしてしまった物は手には入らない。だから、前に進むしかない。
「さーて、いい女を捜すとしますか」
 空元気だと判る。でも今はそれにすがるしかないみたいだ。
 あいつも、こんな思いをした事があるんだろうか?
 今度久しぶりに電話でもしてみるか。
 立ち上がって歩き出す。
 夕日を背に受けて、影が何処までも伸びていた。



『Fragment memories』
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