「え……今、なん、て……」
『もう一回言うよ。別れよう』
「ど、どうして? 昨日までわたし達うまくいってたじゃない」
『そう思ってたのは夕菜だけだよ。俺は……結構限界を感じてたんだ』
「……」
『じゃ、そういうわけだから。さよなら』
 電話が切れた。
 無機質な音を立てる携帯を片手に、わたしは立ちすくんでいた。
 どうしてなの?
 わたしの何が悪いんだろう?
「……最低」
 そう呟くしかわたしにはできなかった。
 何故か、涙は出なかった。


『Fragment memories』

《#4 I will……》


 空は晴天。
 心は大雨。
 わたしは待ち合わせ場所の駅の銅像前にいた。
 どうも、この辺カップルが多いんだよね、時期が時期だけに。
 もうすぐ冬休みなんだよなぁ。
「遅い」
 わたしの呟きを、わたしの前を通り過ぎたカップルが訝しげに見てきた。
 ああもう! 腹立つ。
 どうしてつい最近別れたばっかのわたしが、こんなカップルだらけの場所にいなきゃいけないのよ。
「お待たせ」
 わたしの心の声に答えるように後ろから声がかかる。
「もう、待ちくだびれたわよ」
「ごめん。婆さんが道に迷っててさ。案内してたんだよ」
 いつものような苦笑い。
 でも、それが今日はやけによく見える。
「……と、とりあえず行きましょ、一輝」
「了解。夕菜」
 わたしは何故か火照った頬を隠すように歩き出した。
 そして一輝はわたしの隣に並ぶ。
 ん? もしかして……。
「一輝、背、伸びた?」
「? ああ、しばらく一緒に歩いてないから気付かなかっただろ」
「うん。驚いた」
 一緒に歩いていくといつのまにかわたしのほうが遅れてる。
 でも一輝はそれに気付くとすぐに歩幅を緩めてくれた。
 こういった気遣いは昔から変わらないなぁ。
 そしてお人よしなところも。
「ごめんね。急に誘っちゃって」
「いいよ。この映画、前から見たかったから」
 手にはわたしが渡した券が握られてる。
 思えば昨日いきなり誘ってよく空いてたもんだ。
 一輝ははっきり言ってうちのクラスの女子からかなり人気がある。
 基本的に人から頼まれたら嫌と言えなし、しかもなんでもそつ無くこなす。
 ほぼ完璧だ。
 しかもわたしの幼馴染みときてる。
 よくわたしの友人でこんだけの人材がいたもんだ。
「でも、一緒に行くような彼女いないの? 一輝、前に告白されてたでしょ?」
「ああ。でも断ったよ。心から好きになれない人と付き合っても不幸にしかならないだろ」
 いつもこうだ。
 一輝は昔からモテたけど、特定の人はいなかった。
 一体、一輝が心から好きになる相手ってどんな人なんだろう……?
「着いたぞ」
「へっ!?」
 物思いにふけってたからぜんぜん気付かなかった。
 目の前に目的の映画館がある。
「今日はとことん付き合うからな。楽しもうぜ」
「う、うん」
 どうしてか、一輝の顔を直視できなかった。


 映画、ファーストフード、ゲームセンター。
 時間はあっという間に過ぎていった。
 一輝は何も言わない。
 聞かないはずが無いのに。
『どうして彼氏じゃなくて俺を誘ったのか』って。
 どうして聞いてこないんだろう。
 どうして、ただこうやってわたしと遊んでいるんだろう?
 不思議だった。
 一輝は昔から傍にいてくれた親友だった。
 わたしが付き合った人と喧嘩したりするといつも相談に乗ってくれた。
 でも、今回は何も言わない。
 それが、とても不思議だった。


「雪だ……」
 もう辺りは暗かった。
 夜の公園に降る雪はどこかエキゾチックな感じがする。
 相変わらずぽつぽつとカップルがベンチを占領していたから、わたし達は少し離れた芝生に腰を降ろしていた。
「クリスマスまでに積もるかなぁ」
「判らないな。根雪にはならなさそうだし」
 一輝は空を見上げていた。
 わたしはそんな一輝の横顔を見ている。
 話を切り出すつもりだった。
 彼氏と別れたんだって。
 どうして離れていっちゃうんだろうって。
 わたしはそこまで悪い女なのかなって。
 とにかく聞きたかった。
 このままじゃ、わたしは壊れてしまう。
「……ふーん。ふふふふ〜ん」
 急に聞こえてきた鼻歌に驚いて見てみると、一輝だった。
 空を見ながら鼻歌を歌ってる。
 その姿が、やけに面白かった。
「……ぷっ。何、いきなり鼻歌なんて……」
 思わず笑いが込み上げてきた。
 抑えきれずにわたしは笑い出した。
「あ、はははははははは」
 不意に涙腺が緩む。
 何か今まで張り詰めていたものが切れたみたいだった。
 もう抑えきれない!!
「はははははは……う、うう」
 今の顔は泣き笑いみたいになってみっともないんだろうな。
 でももう止められない。涙が、止まらないよ……。
「笑いたい時に笑って、泣きたい時に泣けばいいよ」
 一輝の声が聞こえてきて、わたしは一気に泣き出した。
「う、うわああああああああ」
 わたしは無我夢中で一輝にしがみついた。何故か、こうしてないと一輝が遠くに行ってしまう気がした。
 思えば、こうやって男の人の胸で泣いた事なんて、生まれて初めてだった。
 彼氏の前でもここまで感情を表した事は無かった。
 しばらくしてわたしの嗚咽も収まってきたところに、一輝が背中に手を回してきた。
 その手はとても暖かくて……思わず体重を一輝に任せる。
「夕菜が今日一日、何も見てないことには気付いてたよ。どこかに心を置き忘れてる。彼氏と別れたんだろ。だから、俺を誘った」
 わたしは首を縦に振ることでしか答えれない。
 突然わたしの中に一輝に対する罪悪感が芽生えた。
 わたしは自分が助かるために一輝を利用してるのかもしれない。
「言いたい事、言ってみなよ。何かいいアドバイスできるかもよ。今までもそうだったしな」
 いつもと変わらない一輝の声。
 わたしは……話し出した。


「もう怖いんだ。恋愛が。わたしから望んでも少し経ったらわたしから離れてく。
 男の人が怖い。最後にはわたしから去って行っちゃうから」
 わたしの視線は自然と一輝の目に行った。
 一輝も男の人だというのに、何故か一輝だけは違うと、違ってほしいと心から思っていた。
「どうしてなんだろう? 幸せはわたしから逃げていくんだ。
 もうなんか、どうしていいか分からないよ」
 誰もわたしを一番に選んでくれない。
 最後にはわたしから別の人に行ってしまう。
 教えて欲しい。
 どうしたら、『幸せ』って手に入るんだろう。
「俺に言えることってたいしたことじゃないんだけどさ」
 一輝はわたしの顔を覗き込んできた。
 頬が火照って思わず目線を避ける。
 一輝はそのまま話してきた。
「夕菜がどんなにボロボロになっても、夕菜を好きでいてくれる人はいるよ」
 えっ!?
 心臓が跳ねる。
 わたしは一輝の顔を見た。今までのどの時よりも優しい眼をしてた。
「少なくとも俺は好きでいるから、一人でそんなに辛そうな顔をするな。
 諦めなければ、いつかは『幸せ』が手に入るさ」
 一輝はわたしの手を取って立たせた。
「たまには泣いて立ち止まったり逃げたりしてもいいと思う。
 でもいつかは必ず立ち上がって、また歩き出さなきゃいけないんだ。自分の足で」
 そのまま手を引いて歩き出す。
 その手はとても暖かくて……。
「ありがとう」
 素直にその言葉が出た。
「いつもの事さ」
 少し照れながら、一輝は笑顔を見せた。
 そして……わたしも笑った。


 レストランで遅めの夕食を取ってからわたし達は帰路についた。
 道の途中、わたしは別れた彼の事ばかりを一輝に話していた。
 今までのわだかまりを全部吐き出したかった。
 一輝は深く詮索しないでわたしの話すことに対応していく。
 一緒に怒って、笑って、羨ましがった。
 そしてわたしの家の前に着く。
「好きだったのにな……」
 そんな言葉が口から出た。
 込み上げてくる笑み。
 涙も、出た。
「泣いても良いんだって」
「うん。あのね、実はね……」
 今日、やっとあの人と別れた事で泣けたんだよ。
 その言葉は結局、言えなかった。
 それでも一輝は笑ってくれた。
 分かってると言ってるみたいに。
「……今日はありがと」
「また近いうちに」
 一輝は笑って手を振りながら帰っていった。
 わたしももう泣いてはいなかった。
 笑って家の門を通る。
 当たり前だけど、一輝……わたしの疑問に答えてくれなかった。
 でも自分で見つけなきゃいけないんだよね。
 それを手助けしてくれたんだ。
「今日は、本当にありがとう」
 もう見えなくなった後姿にわたしは言っていた。
 またいつか一緒に遊びに行こうか。
 そう考えながら……。


『Fragment memories』
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