『僕は人が嫌いだ。
 僕のことなんて少しも気にかけてくれないし、気弱そうな外見を見ていじめてくる奴もいるし。
 だから僕は無反応を続ける。その内いじめっ子もいじめに飽きて僕から遠ざかっていく。
 みんな嫌いだよ。
 誰も僕にかまってくれない!
 僕は一人ぼっちなんだ。みんなが、僕を仲間はずれにする……。
 ……でもそれは違うんだ! 本当は分かってるんだ!
 僕に勇気が足りないから、みんなに声をかけれないんだ。
「一緒に遊ぼ」
 って。
 僕は怖いんだ。拒絶されるのが。
「嫌だよ」
 って言われる事が怖いんだ。
 人に拒絶される事。それを僕は一番恐れる。
 だって、自分の生きてる理由も否定されるみたいなんだもの。
 だから僕は何も言わない。何も反応しない。
 そうすれば誰も傷つかずにすむ。
 それで……いいんだ。

  高神毅』




 俺は自分が中学生のときにつけていた日記から目を逸らした。
 なんて日記だ。
 自分の日記に自分の名前を署名するな。
 流石に自分が書いた文章とはいえ気が滅入ってくる。
「暗さ大爆発だなこりゃ」
 俺は日記を閉じようとしてふと日付が気になった。
 日記の一番右端を見てみる。そこに書かれた日付は俺の記憶の琴線に引っかかった。
「あの日の前の日、か」
 あの日
 それは俺の中で特別な日々の始まりの日だった。


『Fragment memories』

《#2 Grow me》


「おはよう!」
「おっす!」
 みんなが朝の挨拶を馬鹿正直にやってる。
 朝からどうしてそんな大きな声出せるんだよ? もう少し静かにして欲しいもんだ。
 僕は朝から気分は最悪になる。春の朝の日差しは好きなんだけど、この教室の喧騒は僕の不快感をより一層煽った。
「さあ、みんな席につけ!」
 担任の大川が僕が席についた所で教室に入ってきた。
 僕が大川に合わせてるんだけどな。
 教室にいる時間は少ないほうが僕には助かる。
 でも今日の大川はいつもとは違う事を言った。
「今日は転校生を紹介するぞ」
「えー!」
「まじすか!? 先生! 男? 女!?」
 僕の近くに座っていた数人の男子生徒が声を上げる。そういえばこのクラスの人の名前、ほとんど覚えてないや。
「男だ。残念だったな相川」
「ちぇ! なんだよぉ〜」
 クラスの中に嘲笑が溢れる。しかし僕は笑わなかった。
 こんな事で笑うなんて、みんなどうかしてるよ。
「おい、入ってきていいぞ」
 大川がまだ喧騒冷めやらぬ教室内に入ってくる。その瞬間、喧騒が止まった。
(……)
 僕は自分が何も考えられない事を自覚した。
 入ってきた男は僕の、他のクラスメイトの視線を一斉に受けて挨拶をした。
「稲垣翔吾と言います。この町に越してきたばかりなのでいろいろ教えてください」
 ……稲垣君は爽やかに言ってきた。ふと周りを見ると女生徒がかなり好意的な視線を向けている。
 既に彼についてぼそぼそと小声で話をしている女生徒までいる。
 たいていこういう時、男子生徒は黙ってはいないんだけど……。
「じゃあ、席はとりあえずあそこに」
「はい」
 はっきりとした、生のエネルギーに満ち溢れた声で稲垣君が答える。
 そう、稲垣君にはそう言った、同性が感じる嫌悪の感情と言うものがなかった。
 僕ははじめて知った。
 こういう、苦労しなくても人に好かれる人がいるという事を。
 稲垣君は早速、自分が座った席の周りにいる生徒たちから声をかけられていた。
 僕はいつからか押さえつけていた感情が浮かび上がってくるような気がした。
 僕は初めて、初めてじゃなかったかもしれないけど、自分の中の感情をおさえる事ができなかった。
「あいつ、嫌いだ」


 休み時間になって稲垣君の周りには生徒たちが固まっていた。
 僕を除く、教室の全生徒が稲垣君の周りに集まっている。
 そこまで気になるのかな?転校生って。
 僕は眠いので寝る。でも耳に人だかりから洩れる声が入ってきた。
「どこから来たの?」
「ねえ、何かスポーツやってる?」
「どこに住んでるの?」
「歓迎会でもしようぜ!」
 ……
 稲垣君はばらばらに出されてくる質問に一つ一つ丁寧に答えていく。
 律儀な人だなぁ。
 って、どうしてそんなに会話が気になるんだろう?
 無反応、無干渉で通してきたのに、どうして……?
「あれ?」
 稲垣君が不思議そうな声を出した。その直後から無言の圧力が僕にのしかかってくる。
「ああ、高神ね」
「気にしなくて良いよあいつ。いつもあんな感じだから」
「あいつよりもさぁ……」
 僕はそれ以上彼等の会話に耳を傾けなかった。
 いつもの事だ。もう、悪口さえ言われない。
 いるだけの、存在。
 僕は何故か必死に意識を閉ざした。
 いつもよりも強い不快感が僕の中に溜まっていく。
(どうしてだろう? いつもの事なのに……)
 何故か、僕の心はいつも以上に痛かった。


 授業が終わって僕は学校の裏庭にある花壇に真っ先に向かった。
 小さい花壇にはそこにつりあった命が育っている。
 そこには数種類の花が咲いていた。
 僕には何の花か分からないものもあったけど、そんなことはどうでもよかった。
 僕は黙々と花に水をやる。でも心の中では話し掛けていた。
(さあ、もっともっと綺麗になれよ)
 植物は、僕に悪口を言わないからいい。
「綺麗だね」
 僕ははっとなって後ろを振り向いた。
 唐突に聞こえてきた声の主は転校生の稲垣君だった。
「一人で育ててるの? 花壇も小奇麗だし、大変だろう?」
 稲垣君は僕の隣に並んできた。
 僕はなぜか彼に眼を合わせることができなくて俯きながら言う。
「まあ、こういうの、好きなんだ」
「俺、こういうものの世話苦手なんだ。すぐ駄目にしちゃうんだよ。あと部屋の掃除も駄目」
 僕は稲垣君の方を思わず向いてしまった。僕の顔には驚きの表情が浮かんでいただろう。
「以外だ、て思ったろ?」
「……うん」
 僕は正直に答えた。稲垣君は苦笑しながら言葉を続ける。
「俺さ、父親が転勤族でね。これで転校は6度目かな。だからみんなの反応がどんなのか大体分かるんだ」
 稲垣君は少しだけ、僕の思い違いなのかもしれないけど、寂しげに言った。
「なんかな、俺の雰囲気が結構何でもできるって雰囲気なんだって。これも持って生まれた役得かな」
 僕は急に腹が立ってきた。結局稲垣君は僕に自慢話をしに来たのだろうか?
「……もうそろそろ、僕帰るから」
 僕は極力不機嫌さを隠しながらその場から立ち去ろうとする。
 そこに後ろから声をかけられた。
「だから僕は分かってもらえる努力をしたんだよ。僕はこういう人間なんだって」
 僕の足がその場から動けなくなる。なんだ?僕はどうして立ち止まるんだろう?
「まあ、最初は僕もみんなに気に入られようとみんなが抱いてる雰囲気を演じようと思ったよ。でもすぐに疲れたんだ。
 だから僕は自分から言ってやったんだ。『俺はこれこれこういう人間だ』って。
 みんなそれを聞いてさ、少し意外そうな顔をしたけどすぐにまた仲良くなったよ。
 俺は前よりも心を開けたからもっと嬉しかったけどさ」
 僕は稲垣君のほうを振り返った。彼の言いたい事がなんとなく分かる気がしたから。
 そして僕は言った。
「何が言いたいの?」
 その声に、僕ができるめいっぱいの怒気を乗せて。
 稲垣君はその声に少し戸惑ったようだった。えっ、と小さく呟くのを僕は聞いた。
「だから僕もみんなに自分のことを言えって? それができたら苦労しないよ。
 君は確かに幸せだよ。君の雰囲気は、君が凄く酷い人間じゃなければどんな人間だったからって嫌われないよ。
 でも、自分に当てはまる事をそのまま他人に当てはめるのは、それは傲慢だよ」
「俺はそんな……」
「違うって? ああ、君はそう思っていないだろうさ。でも僕はそう思ったんだ。
 たとえ自分がそういう意志がなくても、そう言われた当人が嫌だと感じたならそれで終わりさ。
 それが、当人を傷つけることになる」
 僕は思っていた事を完全に吐露していた。
 どうしてだろうか?
 今までこんな事無かった。こんなに自分の感情をぶつけたのは親にさえなかったのに……。
 僕はしばらく黙っていた。ただ、彼を真っ向から見据えていた。
 稲垣君もしばらく僕をじっと見ていたが、やがて口を開いた。
「言ってるじゃないか」
 彼は笑った。僕はその笑いの意味が分からない。でもその笑いはけして不快なものじゃなかった。
「自分が思ってる事、俺にちゃんと言ったじゃないか。言いたい事をちゃんと言ったじゃないか」
 稲垣君は熱を帯びたように喋り出す。まるで自分の事のように僕が言い返した事を嬉しそうに言う。
 でも、その事に一番驚いたのはやはり僕だった。
 今まで誰にも逆らう事なく、自分の意見を言う事なく過ごしてきた。
 今の会話は僕が生まれて始めての反抗だったんだ。
「相手が思ってる事をちゃんと伝えられる。だから俺は言えるんだ。
 ごめんなさい、って」
 稲垣君は僕に頭を下げた。
「あっ……」
 僕は思わず声を上げてしまう。なんだかとても悪い気がしてきた。
「悪いなんて思う事無いんだよ。今は明らかに僕が悪いさ。高神君の気持ちを傷つけたんだから。
 まあ、場合によるけどね。悪いって気持ちになるのは」
 稲垣君は僕に再び近づいてくる。僕はそれをじっと見ているだけだ。
 もう、その場から動くことは忘れていた。
 稲垣君は僕の目の前まで来て手を差し出した。
「仲直りの握手。して、くれるかな?」
 その顔は僕にでも分かる不安があった。僕は理解した。
(やっぱり、役得だなぁ)
 しかし、もうその事は僕に不快感を運んでは来なかった。
 心から、彼を好きになれそうだった。
「僕も、仲直りしたい」
 とまどいながらも差し出した僕の手と、彼の手が握手を交わす。
「僕、高神毅」
 僕は笑いながら。本当に久しぶりに心から笑いながら言った。
「友達になってよ」
「うん。友達になろう」
 僕等はお互いに笑いあった。
 僕の心はすがすがしく、晴れ渡っていった。


 俺は日記を読み進めていった。
 あの日、翔吾に会ってから俺は少しずつ。本当に少しずつだけど変わっていった。
 ほとんどあいつに誘われてだけど他のクラスメイト達と一緒に遊んだ。
 そして、少しずつだけどみんなに自分という人間を見せていった……。
「お、これで終わりか」
 俺は日記に最後のページにたどり着いた。
 それはもう最初の頃とは違う、生きてる人間の日記になっていた。



『もう、この日記は最後にしようと思う。
 この日記は僕が弱かった頃の日記だから、これで終わろうと思う。
 前のように、人に受け入れられる事に不安を持っていた僕じゃないから。
 僕は人に嫌われる事が怖かった。
 嫌われたら、生きてる理由を否定されるかと思った。
 でも、嫌われたくなくて何も人と関わらなかったら、それは死んでる事と同じじゃないかって気づいた。
 僕は生きていたい。
 人に嫌われるんなら、好かれる努力をすればいい。
 これまでの、死んでいた僕とは今日でお別れ。
 明日からは、僕は生きる。
 生きていくんだ。みんなと、翔吾と一緒に。
 ありがとう、翔吾。君がいてくれたおかげで僕は生き返ることができた。
 君に命を吹き込まれたんだ。
 もしまた転校していっても、僕は君を忘れないよ。絶対に。


 じゃあ、さようなら。昨日までの僕
 高神毅』


『Fragment memories』
《#2 Grow Me》closed