……夜の冷えた空気の中を俺は一人、家路についていた。
 既に時間は深夜を迎えている。
 あと数十分後には日付が変わり、また新しい一日が産声を上げる。
 街の中心部から少し離れた所にある自分の家への道は、大通りとは違って歩道にある雪が除雪されておらず先人が悪戦苦闘した跡が見られた。
 踏み慣らされた道に残る僅かな雪の塊。
 夜の静寂の中、それを踏みしめて歩くのは俺の楽しみのひとつだった。
 耳が痛くなるような静寂。
 その中で、時折聞こえてくる貨物列車の走る音。
 はっきりと聞こえる、自分が雪を踏みしめる音。
 もともとこの静かな雰囲気が俺は好きだ。
 そうしている内に俺の視界に一本のクリスマスツリーが入ってくる。
 他人の家の庭にこれでどうだ、と言わんばかりに堂々とそびえていた。
(もうクリスマスか)
 クリスマス。
 俺の思考はその時、急速に記憶の断片を探り始めた……。


『Fragment memories』

《#1 One Christmas Day》


 冬も近くなったある日。
 俺はいつものように部活を終えて帰路についていた。
 テニスバッグが重たく肩にのしかかり、痛みを覚えるために何度かかけなおす。
「今日も疲れたね」
「ああ、部長このごろ殺気立ってるよな」
「告白してフラレたって女子の先輩が言ってたよ」
「マジ? 悪い人じゃないんだけどなぁ……」
 雪が積もっているために普段の歩道は一人しか通れないほど狭くなっていた。
 そんな道を後ろからついてくるあいつと会話を楽しむ。
「なぁ、川崎」
「なに?」
 俺は後ろに顔を半分向けつつ話し掛ける。
「クリスマスの日さ、デートでもしないか?」
「……デートって私達付き合ってるわけじゃないでしょ?」
 不思議そうな顔を向けられて俺は顔が熱を帯びてくるのを感じる。
 いつもながらの、素直すぎる瞳。俺の中に複雑なモノが染み渡る。
 動揺をごまかそうと俺は軽口を叩いていた。
「まあ、女の子と二人で遊べばデートって言うんだよ」
「ふーん」
 この無反応さ。これにどれだけ俺がやきもきしてきたか、お前には分からないだろう!
 俺は取り繕うように言葉を続ける。
「それに、今年で俺等も10年になるんだぜ。友達づきあい」
 俺の言葉に川崎はああ、と気の無い返事を返してボーとしている。
「10年なんだ……」
 ぼそっと呟くのを聞いて俺も改めて気づく。
 こいつとも、10年の付き合いか。
 いつからだろうな? こいつに、こんな恋愛感情を持ったのは。
 あれは……。
「いいよ」
 俺の思考が別のところに行こうとした時、川崎は唐突に答えを出してきた。
「……いいの?」
 俺は間抜けな顔で言ったな、と思った。顔が斜め前に向いていて川崎に見られない事が救いだ。
「うん。ちょうど見たい映画あったし、いろいろ行きたい場所あるし」
「……んじゃ、クリスマスの朝9時くらいか。待ち合わせ」
「うん。それでいいよ」
 どうも、こいつの感情って巧く読めないんだよな。
 昔から変わらずにこんな感じだもんなぁ。
 そんな考えを抱きつつ、いつのまにか川崎の家に着いていた。
「じゃ、また明日ね〜」
「んじゃ」
 俺は内心の名残惜しさを隠して川崎が家に入るのを見送ると、自分の家へと家路を辿る。
 途中いろいろ考えた。
 あいつは、友達になってからずっと俺に接する態度は変わってない。
 お互いに小・中・高通した長い付き合いの中で、かなり信頼できる関係になったとも思う。
 でも、それはあくまで友達の域を出ない。
 あいつは、俺の事をどう思ってるんだろうな。
 川崎の恋愛感情だけは未だに浮かび上がってこないんだ。
 今度のデートでそれを確かめようと絶対に確かめようと俺は思っていた。


「お前等、そういえば付き合ってなかったんだな」
「付き合ってるように見えるか?」
 あと2、3日で終業式を向かえる時期。よく言われる台詞を友人が言ってきた。
 俺は同じような対応で返す。そして相手も同じような返答をしてくるんだ。
「だってお前等大体一緒にいるだろ? お前等二人で一セットってみんな認識してるさ」
 ……そう。あいつはよく俺と一緒にいる。でもそれは友人としてであって、恋人ではけしてない。
 実際に恋人同士だったらこんなに俺が悩む必要は無い。
 胸の中にもやもやとした気持ちを発生させて俺は少し不機嫌な口調で言う。
「俺達は互いに苗字でしか呼び合ってないぞ。そんな奴等が恋人同士か?」
「まあ、そういうや面が皆無なわけじゃないだろ」
「俺等はとにかく違うの」
 俺はその友人の前から離れた。この問いかけをされるたびに俺は空しくなる。
 普通なら付き合ってもおかしくない関係。
 さして親しくない友人が俺達は付き合ってるものだと認識しているのは自然なんだ。
 不自然なのは俺……と言うかあいつのほうだ。きっと。
 クリスマスまであと少し。絶対に答えを聞いてやる!


「おまたせ」
「今来たところだ」
 学校も終わって冬休みに入り、クリスマスがやってきた。
 駅前には俺と同じ目的なのか、また恋人同士なのか分からないがカップルがいつもの何倍にも膨れ上がっていた。
 どの人達も似たようにダッフルコートに身を包んでいる。
 俺達も同様だ。
「じゃあ、行きますか」
「うん!」
 いつもの川崎。
 二人きりで出歩くのは実は初めてなのに仲間内で騒いでる時と感じが変わらない……。
 10年間友達をしていて分かった事は、川崎は恋愛をしたことが無いという事だ。
 異性の友人は川崎にとって今のところ恋愛の対象ではなく、同性の友達と何ら変わりない……。
 俺はとたんに楽しいはずのデートに暗雲がかかったような気がしてきた。
 やっぱ、望み薄かな。
 俺の内心の動揺に全く気づかずに川崎は今日最初に見る予定の映画について話しだす。
 クリスマスだというのに普段と変わらずに会話を進める川崎。
 それを見て俺は苦笑する。
 結論を出すのは早いか。
 少なくとも、俺は誰よりも川崎に近い位置にいるんだ。
 今はこのデートを楽しむ事にしよう。
 電車に乗って近郊の大都市に向かう中、俺は普段の何気ない会話を楽しんだ。
 いつもとは何か、違う感じがしていた。


 見に行った映画はラブロマンスだった。
 はっきり言って王道だな。
 来る前に川崎が言った説明をちゃんと聞いていなかったがまさかここまでとは。
 俺は川崎に視線をやる。
 川崎は映画に感動して泣いている。俺も、不覚にも涙腺が緩んでしまったが完全に泣くほどでもない。
 これは、まさか何かの意思表示か?
 クリスマスに二人でデートしてこんな映画を見ようと考えるなんて……。
 少し期待が高まる。しかしそれも取り越し苦労だった。
 映画が終わり川崎は何度も目をこすりながら言う。
「めっちゃ感動しちゃったよ。恥ずかしい〜」
「みんなお前と同じだって。泣いてる川崎、結構可愛かったぞ」
 俺は苦笑交じりに言ってみる。
「もう、そんな事言わないでよ〜」
 さりげなく(ホントか?)言葉に滑り込ませたものに気づいた様子も無く川崎はいつもの感じで受け答えしてくる。
 うーん。
 俺も結構強引だが、それに対してここまで無反応だと……。
 望み薄か。(はぁ)
「また見たいなぁ。今度はムードある雰囲気で」
 川崎が呟いたのを俺は聞き逃さなかった。


「その後はいろいろな所行ったっけ……」
 俺はその日の出来事を詳しく思い出そうとする。
 ウィンドウ・ショッピングにつきあったり、食事をしたり、二人でゲーセンに行ったりもした。
 驚いたのは、川崎は格闘ゲームが強かった。
 完全に俺の負けだった。その失望感はずっと俺の心に残っている。
 しかし、それほど印象に残っているのはそれ以外ない。後に起こったことを鮮明に覚えているからだ。
 舞台は大通り。日が落ちて、夜が訪れた時だった。
 

「うわぁ、綺麗だね」
 時刻はいろいろ時間を潰した事もあって7時を迎えていた。
 この頃になると日も沈んで大通りには名物であるホワイトイルミネーションが灯っている。
「ああ……」
 俺はこの頃になると生返事しかできなくなっていた。
 原因はやはり川崎の本音が気になっていたことだ。
 俺達は少し歩いて大通りにある公園につく。
 雪がちらほらと降り始め、舞い散る粉雪とホワイトイルミネーションが鮮やかな光景を演出する。
 木やら何やらを形作ったホワイト・イルミネーションの光が雪に反射し、光の粒が下りてくるように見える。
 幻想的な光景の中にはいくつものカップルが出演していた。
 備え付けられているベンチに二人で座り、談笑しながら空を眺めている。
「……場所、無いね〜」
 川崎が言う。その言葉は心ここにあらずといった感じの声だ。
 隣をさりげなく見てみると、どうやら川崎はこの光景に心奪われているようだ。
 焦点が少しぼやけているような感じを受ける。
「……あそこが座れるぞ」
 俺は視線を巡らせて偶然見つけた場所を指差す。川崎も視線を向かわせた。
「ちょうどいいね!」
 川崎は早足でその場所に近づいていった。俺は後からゆっくりと歩く。
 少しでも、この光景の中の彼女を見ていたかったからだ。
 俺が指差したところは噴水の縁だった。
 雪が少し積もった程度で軽く払えば座れる場所だった。
「座ろ、座ろ」
 川崎は俺を促しつつ自分は既に座っていた。
 何故だろう? ここに着いてから川崎の様子が少しおかしい。
 気分が高揚しているのがはっきりと分かる。
 俺は隣に座るとしばらく黙っていた。川崎は軽く溜息をつきながら舞い降りてくる雪を眺めている。
 思い切って俺は聞いてみた。
「なあ、どうしてそんなに嬉しそうなんだ? 雪なんて毎年見てるだろう?」
 俺の言葉に川崎ははっとした顔で俺を見て、すぐに顔を背けてしまった。
 ……今の言葉が気に障ったのだろうか?
「ああ、悪いって言ってるわけじゃなくて、ええと……」
 焦って口が巧くまわらない。くそ! やばいやばい……。
「だって、今日は特別なクリスマスでしょ? 10年記念のクリスマス」
「あ……」
 俺は川崎の言葉に思わず声を出してしまった。
 川崎は川崎なりに今日の日の大事さを分かっていたんだ。
 これだけ人がいる中で10年も友人でいられる事の貴重さを、川崎は知っていた。
 それが、一番嬉しかった。
「来年は受験だし、大学になったら大野とも離れちゃうかもしれないでしょ? 少しでもいい思い出を作っておきたいよ」
「そうだな」
 俺は自分の鼓動の高鳴りを感じた。
 今なら言える。
 好きだ、って。
 ただそれだけの言葉を今まで何度もあったチャンスに言えなかった。
 昔から分かっていたんだ。
 この、居心地のいい関係が俺の告白で壊されるかもしれない。
 そう考えると、俺は今のままでもいいって思っていた。
 でも、今、川崎は今までの雰囲気とは違う。
 何かを求めるような雰囲気。きっと、川崎は待っている。
 俺が告白する事を!
「川崎……」
 俺は遂に意を決して告白の言葉を紡ぎ出そうとした。しかし……。
「大野、ずっといい友達でいようね」
「……」
 俺はピシリ、という音を聞いたような気がした。
 なるほど、これが俗に言う「凍りつく」って感覚か、となぜか冷静に分析する。
 川崎はいつもの素直な、俺のように内心動揺の嵐が吹き荒れているようなモノとは違う瞳を向けてきた。
 なんだ……。
 結局は俺の一人よがり、か。
 川崎の中では俺は友達以上かもしれないが、結局それだけの事なんだ。
 心地よい興奮が冷めていく。
「……あたりまえだろ。俺がお願いしたいくらいだよ」
 結局俺はそう答える他無かった。
 いける、と思った反動は俺のやる気をほとんど奪っていた。
 そこからまた現状維持の欲求が復活する。
「俺が友達じゃなくなったら誰がお前を扱えるんだよ?」
「うわっー、ひっどーい!」
 いつものように軽い毒舌を吐く俺。それに笑って言い返す川崎。
 恋人達がお互いの愛を確かめあう聖夜。
 粉雪が舞う幻想的な世界の中で、俺達はいつものままに過ごした。


「送ってくれてありがと」
 あの後、カップルで埋まってきた公園を抜け出して時間を潰し、今は川崎の家の前にいた。
「これから部活も新年まで休みだし、しばらく会えないね」
「ん、まあすぐに会えるからいいだろ」
「そだね」
 それから二言三言言葉を交わす。その後川崎は別れの言葉を告げて玄関のドアへと向かった。
 俺は自分の家へと帰ろうと歩みを進める。
 そこに、後ろから川崎の声がかかった。
「大野! これあげる」
 振り向いた俺に何かが飛んできた。俺は咄嗟に受け止める。
 小さな箱だった。
「クリスマスプレゼント」
 俺は驚いて川崎のほうを見る。
 川崎は頬を赤くして俺を見返してくる。頬が赤いのは寒さのためか照れのためか……。
「帰ってから開けてよね。それじゃ」
「まって」
 俺は家に入ろうとする川崎を呼び止めた。
 バッグの中から用意していた物を取り出して川崎のほうへと歩いていく。
 そして直接手渡しでそれを渡した。
「俺からも、クリスマスプレゼント」
「あ、ありがとう」
 お互いに顔を赤くしていた。照れのためか何なのか……。
 今の俺にはそれは本当に些細な事だった。
 恋人同士とかはっきりした関係じゃなくても、この状態がなんとなく俺達には自然な気がしてきたから。
「「メリークリスマス」」
 俺達は自然と、同時に言葉を紡いでいた。
 クリスマス。
 恋人と共に過ごすクリスマス。
 自分の秘めた思いを打ち明けるクリスマス。
 キリストが生まれた日というだけのこの日はいつのまにか恋人達の聖なる日となっていた。
 でも、俺達みたいな奴らもいていいんじゃないか。
 お互いが必要だと認めていても、恋人までは行かない中途半端な関係。
 普通の友達にも、普通の恋人にもなれない関係。
 でも俺は、それを一番望んでいたのかもしれない……。
 気休めかもしれないけど、そう思った。


 俺がちょうど家に帰った時、電話が鳴り響いていた。
 急いで駆け寄って受話器を取る。
『もしもし〜、元気!?』
 俺は不意に首から下げた懐中時計を見た。
 12月25日午前0時10分。
「お前、今何時だと思ってる?」
 電話の先の川崎は悪びれずに答えた。
『驚かそうと思ってやってるんだからいいでしょ』
「何がだよ」
 うんざりとした声を出しつつ、俺は気持ちが高揚していくのを感じた。
 たった今、思い出していた記憶の断片が再びはっきりした形になっていく。
「冬休みに入ったらすぐ帰るから。そうしたら初詣に一緒に行くか?」
『いいね。行こうよ!』
 一年前と変わらない川崎の声。
 俺は少しの戸惑いの後、自然に言葉を発していた。
「メリークリスマス」
『メリークリスマス』
 俺の言葉に合わせて川崎も返してくる。
『ホントは先に言って驚かせようと思ったんだよ』
 川崎の声が多少の苦笑交じりに耳に届く。
 俺は言葉を聞きながら窓の外に視線を向けた。
 雪が、降っていた。
 建物の明かりは消えていたが、街灯の光に反射する雪は十分綺麗だった。
 あの日のホワイトイルミネーション。
 あの時の光景が再び俺の頭の中に現れる。
 いつまでも変わらない友情を確認しながら、胸から下げたあの日のクリスマスプレゼントを手で弄びながら。
 その中で、ほんの少しのしこりを抱きながら。
 俺は川崎との会話に刻を委ねていった。


『Fragment memories』

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