Fly Up! 96

モドル | ススム | モクジ
「しゃ。一本だ」
「おっけ」

 二人の顔に笑みが浮かぶ。二人の様子が変わったことに前花達も気づいたのか、二人寄って作戦を話しはじめた。一分もない間に何かを確認して頷きあい、離れる。

(っし!)

 それぞれが自分の位置へと戻ったのを確認して、竹内は気を引き締めなおした。サーブを落ち着いてショートに入れると、佐々木はロブを上げる。後ろにいるのは田野。先ほどのようにフェイントをかけてドロップを打つと、読んでいたのか佐々木が前に十分な体勢で待っていた。
 それが、ストレートに放たれたならばプッシュされていただろう。

「なっ!?」

 佐々木が見ていたのは田野の腕の振り。後ろを見ていない竹内には知る術がないが、田野の腕はストレートの軌道を描いていた。しかし、実際には鋭いクロスドロップとしてシャトルを対角線に運ぶ。エースこそならなかったものの、虚を突かれて一歩出遅れた佐々木にはシャトルをヘアピンで返すことしか出来ない。

「っ!」

 そこに竹内が即座に飛び込んでプッシュで逆方向に落とす。人がいない場所へと落とす基本的な戦術。佐々木の体が邪魔になり、前花のシャトルカバーがやはり一瞬遅れた。苦し紛れのロブが上がり、竹内は後ろで田野が飛ぶ気配を感じ取る。

「はっ!」

 体勢が崩れている三人。そして、十分な体勢の田野。
 田野のスマッシュは難なく前花と佐々木の間を抜けていった。

「ポイント。ツーテン(2対10)」
「うっし!」

 竹内がラケットで軽く田野の足を叩く。田野も竹内の背中を軽く叩く。
 二人なりのコミュニケーション。互いに認め合い始めた二人はようやく『ダブルス』として機能し始めた。

「こっから逆転いくぜ!」
「うん」

 早く試合を再開したいという想いが、即座にサーブ位置に立つ竹内からにじみ出る。試合が楽しくて仕方が無いという様子は十点取られるまでとは別人だった。

「もう少しなんだ。絶対逆転はさせないぜ。ストップ!」

 前花も対抗するように構える。
 再開したゲームは一進一体の攻防が繰り広げられる。一回一回のラリーが長くなり、徐々に得点差が縮まっていく。
 試合を見ている数人、特に一年達は竹内と田野の逆転を信じただろう。
 それでも。

「ちょっと、遅かったな」

 吉田の呟きが、中空へと消えていった。


 * * *


「ポイント。フィフティーンナイン(15対9)。マッチウォンバイ、前花・佐々木」

 自分達の勝利を告げた後、前花は深く息を吐いた。隠そうともしない、安堵の響き。
 最後のスコアを聞いた時、竹内と田野は互いに握手をしていた。自然と出た動きなのか、握手を交わしてから顔を見合わせて驚いた顔をしている。自分の行動が予想外だった証。
 それでも、すぐに満面の笑みを向け合ってからコート中央に向かった。
 そこにいたのは同じように笑っている前花と佐々木。

『おつかれさまっした!』

 握手を交わしてコートから出る。前花が竹内へと問いかけた。

「楽しかったか?」
「……はい」

 試合開始時の自分を思い出して、竹内は羞恥に頬を赤らめて顔を俯かせる。
 開始直後の自分は固くなりすぎていた。田野に負けられないという思い。いいところを先輩達に見せたいという強い思いは逆に竹内をがんじがらめにした。
 だからこそ、ひたむきにプレイをする田野を眼にして目覚めた。自分がいかに矮小だったか理解できた。

(余計なこと考えず、相手に勝つことだけ考えればいいのにな)

 試合では、結局そこに尽きる。
 どう打てばどう返され、隙が出来るのか。考えるのは相手のこと。けして自分のパートナーや周りの人々ではない。
 全力でただ、相手に勝つこと。
 それがバドミントンに必要な集中力。全てのスキルは一点でも相手を上回るためにある。運が必要ならば、その運を引き寄せるためにある。

「ごめん、田野」

 コートを出てから、竹内は田野に対して頭を下げる。何のことだと尋ねることはなく、ただ田野は頷く。それは下を向いている竹内には見えなかったが、気配を感じて顔を上げる。

「ごめんで許さないし」
「……じゃあどうすれば」

 あっさりといかないことに動揺したものの、無茶なことを要求される覚悟もあった。自分がもっと早くに、最初からしっかりしていればもっと試合が出来たかもしれない。田野に悪いところはないが、自分には悪いところしかない。

「今度の大会で勝てばいいよ」

 田野はあっさり言うと「トイレトイレ」と呟きながら体育館の外へ走っていった。後姿を見ながら言葉を失った竹内だったが、背中を軽く叩かれる。
 振り返って見えたのは武の顔。

「これから上手くやっていけそう?」
「……はい」

 一言答えて、竹内はまた体育館の扉を見た。すでに心は落ち着いている。

(あいつとこれから頑張っていこう)

 胸に一つの想いを秘めて。


 ◇ ◆ ◇


「さて、じゃあ行くか」

 杉田は立ち上がって背筋を伸ばす。竹内達の試合が終わる直前に座ったままでストレッチをこなし、自分の出番に備えていた。
 ちょうど体を捻り、骨がぽきぽきと鳴ったところで竹内達の負けが決まる。やり取りが終わり、田野がトイレに行ったところで、杉田の出陣。

「杉田。頑張れー」
「おう」

 大地が笑って送り出す。その笑顔の裏に何を思っているのか、杉田には分からない。同じ初心者から始めたのに、林も自分も試合に出場している。しかし、大地は選ばれることなく見送る場所にいる。この差はどこから生まれるのか。

(実際、体格とか相性とか、だろうな)

 身長と運動神経に恵まれた杉田。身長はないが、平行に突き進むドライブに活路を見出すだけの筋力は備えていた林。
 しかし、大地はどれも持っていなかった。体は小さく筋力も見合って少ない。
 同じ中学生としてもスポーツには恵まれていなかったということだろう。

(……いや、まずは勝つことだ)

 頭を振って雑念を払う。今はあくまで壮行試合。大地がないがしろにされているわけではない。他人の心配は自分をきちんと制御できてこそ出来る。
 杉田はそう割り切って、コートに立った。

「よろしく」
「よろしくお願いします」

 杉田の対面に立つのは二年の中でも交流がなかった島田だった。頭の真ん中から分かれるように下がる髪。その下にある丸眼鏡。そこから見える目にも気配にもプレッシャーは感じない。
 金田や笠井。阿部や小谷が目立つ中で、最後まで目立たなかった人物。眼に留まってはいたが、練習で見ていても特に強いという印象は杉田にはなかった。

(この人なら、勝てるな)

 杉田は顔に出さないように勝利を確信し、じゃんけんをする。結果、サーブ権を取られてしまう。

「じゃあ、コートはここで」

 杉田が発言した時、島田は「うんうん」と呟きながら頷いた。サーブ位置に戻っていった。

(なんだろ。変だな)

 島田の言動のおかしさに不気味さを感じながらも、迎撃する姿勢をとる。
 構えた瞬間に、島田はシャトルを打ち上げていた。虚を突かれた形になったかと思われたが、杉田に動揺はなくシャトルの下につく。

「うら!」

 飛び上がってスマッシュ。武ほどではないが、長身から急角度で落ちていく。
 しかし島田の真正面に行ってしまい、ロブを上げられた。

(なんだ?)

 なんとなく打ちにくい。それが最初に、杉田が感じたものだった。日頃、金田達や吉田、武から感じるような圧力などなく、伸び伸びと自分らしいプレイが出来ると思っていただけに、自分の予想し得ない何かが四肢を縛っていくのではないかと杉田は不安にかられる。
 ハイクリアを打ってコート中央に陣取り、様子を見る。島田は急ぐ様子もなくゆったりとフットワークを使って追いつき、クリアを打った。

(――?)

 何の変哲もない、右端へのクリア。杉田としては、相手がスマッシュやドロップなどで落としてくると踏んでいた。自分から誘い球を打ったのに肩を空かされた。

「はっ!」

 ならばと今度は攻勢に出る。スマッシュをクロスに打ち込み、バックハンドで取られたシャトルを前につめて打ち込む。自分のスマッシュならばバック側に打てれば簡単には上げられない。中途半端に上がったシャトルを前でインターセプトする。それが杉田の作戦。
 しかし、シャトルは力強く、高く跳ね上がっていた。

「うわ!?」

 飛び込んでいた身体を強引に仰け反らせ、バックジャンプと同時にラケットを振る。角度は悪かったがシャトルを捉え、島田のコートへとシャトルは戻っていく。島田は何事もなかったかのようにまたゆったりとしたフットワークで追いつき、クリアを飛ばした。

(なんだ? なんなんだ?)

 杉田が見てきたプレイヤーの中では遅い部類に入るだろうフットワーク。それでも、杉田が打つ方向に余裕で間に合っているのは何故なのか。

(シャトルが島田先輩に吸い込まれていくみたいだ)

 次に打ったクリアの下にも、既に島田はついていた。振り上げたラケットからスマッシュとヤマを張り、コート中央に腰を沈める。
 しかし、打たれたのはまたクリア。今度は少し軌道が低く鋭いドリブンクリア。腰を沈めていた分、杉田の動きは遅れてしまい、ラケットのフレームにシャトルが当たった。よろよろという音が聞こえそうな軌道でネットに向かう。

(やった!)

 杉田は内心でほくそ笑む。何故か仲間よりも決まる確率が高いフレームショット。今、身体の中にある感覚は成功した時と同じもの。実力差があるならばまだしも、島田には対処できないと思っていた。

「ほっ!」

 しかしシャトルは、杉田のコートに叩きつけられていた。
 ポイントを取られたことよりも、杉田は原因が分からない不安に憤りを感じる。負けるのは仕方が無い。ただ、その理由がはっきりしないのは納得行かない。そうでなければ次にまた同じように負けるかもしれないから。
 負けを次に繋げるためには負けた要素をはっきりさせなければいけないのだから。
 まだまだ負ける気はしていない杉田だったが、思考は敗北も考えている。島田の動きには謎がある。自分には分からない島田の『力』に負ける可能性もある。それを打ち破れることもある。

「ストップ」

 シャトルを戻し、サーブを待ち構えながら杉田は呟く。まずはラリーを続けて島田を観察すること。序盤のうちに弱点を探るには多く打たせるしかなかった。初めのラリーを振り返れば、島田に強力なフィニッシュショットはないと、杉田は考える。打たせて粘り、ミスを誘うこと。それが島田のスタイル。

(……なのか?)

 一瞬、杉田の思考にノイズが入る。島田のプレイスタイルは本当に考えた通りだったか? 得意なショットはなかったのか?
 疑問符が浮かんだまま島田のサーブを受ける。特にコースを狙ったわけでもないロングサーブ。シャトルはほぼ真正面。少しずれればアウトになるだろう位置を落下してくる。

(絶好球だ!)

 良く分からない不安を吹き飛ばす意味も込めて、杉田はラケットを強く握ると一気に振り下ろす。
 バスッ、と鈍い音がしてシャトルはコートに落ちる。
 ネットに阻まれて島田のコートまでは届かなかった。

「ポイント。ツーラブ(2対0)」

 島田の淡々としたコールに杉田は顔をしかめる。

(まるで、思い通りって感じの口調だよな)

 違和感はもう完全に島田を取り巻いている。錯覚ではない。確かに、島田は何かを仕掛けてきていた。

(思い通り、か)

 杉田はシャトルを自ら拾って返す。その間、集中して島田の動きを眼で追ったが、特に怪しい気配はない。ただシャトルを取り、サーブ位置まで歩いていく。

「一本」
「ストップ」

 右肘を肩の上まで持って行き、構える。腕が上がり、ストップと言った瞬間を見計らったように打たれたのはショートサーブ。上げていた腕を下ろし、シャトルを打ち上げる。

(うん。分かった、この違和感)

 杉田の脳裏に一つ、答えが浮かぶ。

(シャトルを打ってる気がしないんだ)

 まだ杉田の危機は止まらない。
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