Fly Up! 92
中体連が終わり、その次に行われた部活にて三年の引退の挨拶はあっさりと終わった。武達、下の学年があっさり具合に驚くほどに。
そこから部活は一週間のテスト休みに入り、その驚きも強制的に流れていった。
早坂は全道大会に進むため、バドミントン協会の支部員達が直々に鍛えることとなり、テスト後でもすぐ市内の体育館に行くことになり、武達との接触が少なくなる。
早坂がいなくなったからか、同学年の女子の間に気だるい空気が流れているのを武は感じていた。部活がないというのもあるが、核となる人物がいないだけで何かがずれてしまう。自分達も吉田がいない時はだらけてしまうのかと考えてみて、肯定。
(それも今日で終わりだろうけど)
一度大きく欠伸をしてから、武は席を立った。テストも終わり、週末のホームルーム。大会が終わってから久しぶりの部活。ずれていた歯車が重なる瞬間。武も意識をしていなかっただけでどこか気が抜けていたのかもしれなかった。
「よーし。部活いこーぜー」
離れた席にいた橋本がわざわざ武の下へと駆けつけてくる。ちなみに武は窓際の中ごろ。外を眺めるには絶好の位置だ。
「なんか久しぶりに橋本の顔見た気がする」
「俺もだ。不思議だな」
お互いに持つ違和感に首をかしげていたが、すぐにそれは中空に消えた。今はテストが終わった開放感と、またバドミントンが出来る楽しさが勝っている。
「庄司先生も絶対シャトル打つなとか言ってたしな」
「休むのも練習らしい」
鞄とラケットバッグを持って教室から出る。庄司が部活を休止させる時に言った言葉を繰り返す。
練習することも大事だが、それで身体を壊しても意味が無い。疲れた筋肉を休ませることで更に強くなる。堆積した疲れを癒すことで、疲れが取れて更に今までの蓄積でよい動きが出来るようになる――
「んだって」
「そうなんだ。そういや、なんか筋肉痛の時に筋トレやると良いっても言うよな」
橋本の言うことに聞き覚えがあったため、武は同意しながらも足を早める。
回復の時間は終わり。また、自身を鍛える時がやってくる。橋本も武の様子に内心を察したのか、笑いながらついていく。彼の場合は単純に勉強だけしなければいけないストレスからだったが。
「こんちわっす!」
体育館の扉を開け勢いよく挨拶する。
そこに、金田達三年が揃っていた。
「……あれ?」
自分の目が点になっていることを武は自覚した。
すでに引退の挨拶までした金田達が何故着替えて素振りをしているのか、武には分からなかった。これからは二年生と一年生がこの部活の主であり、三年生はせいぜい受験勉強の息抜きとして来るのだろうという考えがあったからだ。
しかし、今の三年は身体も適度に温まり、臨戦態勢が整っている。
これから試合をするかのように。
「よし、来たな。早く身体温めろよ」
金田は不敵に笑って、笠井と共にコートへと向かった。基礎打ちをするためだろう。武と橋本は少しの間、入り口付近で呆然としていた。
「えーと、これはなんなんだろう?」
「試合でもするのかね」
橋本の返答はこの場にマッチしていた。すなわち、三年生達は試合をするのだ。
誰と?
「俺達と」
それ以外答えはないように思えた。
「よーっす……って、なんで三年生が?」
杉田が入ってきたことで武達は場所を譲る。自分達が今思った考えを伝えつつ、着替え始めた。混乱していた頭も整理され、結局はいつも通り部活の準備をするだけだ。やるのが試合形式かどかは別として。
「もしかして先輩達と試合でもするの?」
尋ねてくる大地に武も曖昧に頷くしかない。だが、ピンとくるものがあった。あまりにもあっさりした引退宣言。その裏にこのイベントがあったとしたら。
(伏線、かね)
そのまま一年生達も徐々に集まってくる中、三年生達の思惑を考えながら武は着替え、橋本とアップを始める。吉田は掃除でもしているのか遅れているようだった。これから何が始まるのかという期待と不安が入り混じり、刻々と時間が過ぎていく。
やがて三年もウォームアップを終えて談笑し、武達二年や一年も部活前の空気の中で過ごしていく。
吉田が現れたのは、庄司と同時だった。
「遅れてわりー」
「先生と一緒で何かあった?」
武の問いに「別になにも」と答えて急ぎ支度をする吉田。何かあっても教えてはくれないだろうと、すぐに悟って武は意識を金田達に移す。
(ま、教えてくれる時に教えてくれるだろ)
大事なことならば自分らに隠すことはないだろうという、吉田への信頼。今まで一年と少しの時間、共に過ごしてきた仲間だからこそ分かるもの。
加えて、これからは上級学年として下級生を本格的に引っ張っていくリーダーとなるだろう男だからこその思い。
「あー。勘のいい者なら気づいたかと思うが」
皆を集めてから間を取るために咳払いをした庄司は、視線が集まったことを確認して語りだす。
「これから、三年対一年、二年の団体戦を行う」
団体戦という言葉に一、二年の間に小波が起こる。ある者は驚き、ある者は楽しみに眼を輝かせて。庄司の続く言葉に小波はその規模を増す。
「団体戦といっても中学の形式じゃなくて、高校のもので行くぞ。二複三単だ」
二複三単。ダブルス二組を先に試合し、その後シングルスを三試合。ダブルスとシングルスを兼任ということもありえるが、最高で七人出場できる計算になる。
「へー。高校ってそうなんだ」
初耳の知識に武が納得のため息を漏らす。それならば一年と二年が組んでも出る人間は多くなる。
庄司はそう説明し、早速組み合わせを決めるよう指示した。
いつも部活の時間帯が同じである卓球部は、今日はまだ始動していないらしく、体育館全てをバドミントン部が支配している。タイミングとしては今日だけしかないというのだろう。
武達も吉田を中心に集まって、早速オーダーを決め始めた。
「やるからには勝ちたいよな」
「オーダーは真面目に決めるよなやっぱり」
「レクレーションみたいなものだし、アミダでもいいんじゃね?」
いくつか意見が出てくるのを吉田は黙って聞いている。しばらくそれが続いた後で、ようやく口を開いた。
「いろいろあるだろうけど、今回は胸を借りるつもりでこっちも全力で行けばいいんじゃないか?」
吉田の一声に誰もが黙る。特に圧力をかけられたわけでもない。ただ、タイミングが絶妙だった。意見はちらほら出ていたものだが、あくまで楽しむために奇をてらう派と真面目に行く派が別れそうになる瞬間に食い込んだ意見はそのまま行こうという気にさせる。
「じゃあ、どういうオーダーにするんだ?」
武が続いたことで場の空気は完全に勝ちに行く方向へと行った。勝ちを優先するならば、必然的に実力優先になる。どのようなオーダーを吉田が取るのか興味があった。簡単に予想するならば、武と吉田で第一ダブルス。あとは最終シングルスに吉田を配置すればかなり勝利は近くなる。
しかし、そこで庄司から声がかかる。
「一人は一回しか出られないからな。七人を必ず出すんだ」
出来るだけ多くの者に試合を経験させたいなら当たり前のこと。ならば自分と吉田でダブルスをして確実に一勝を狙うかと武が考えた時、吉田の口が開かれた。
「俺にシングルス3をやらせてくれないか」
武を含め、皆の動きが少し止まった。
「どうしてだ?」
最も早く疑問を口にしたのは杉田だった。元々真剣勝負よりは三年の送別会的なイベントごととして楽しもうとしていただけに、真剣勝負に流れるのはあまり良い印象ではなかったのだろう。
それでいて思いがけないことを言う吉田に疑問を感じる。真剣勝負に合わせたのに、それは真剣ではないのではないか?
「確実に一勝を狙うならお前と相沢でダブルス組んだほうがいいだろ。で、第一ダブルス外してよ。どうせあっちのダブルスは――」
「金田さんはシングルス3で来る」
吉田の呟きに更に場が冷える。それを何故知っているのか、という問いかけよりも先に、杉田は混乱気味に尋ねた。
「いや、それなら尚更かわせよ。金田さんとシングルスだと勝てないだろ」
「だから頼んでるんだ」
杉田の目を真っ直ぐに見て、吉田は言う。ここで杉田を納得させられればこの場を治められるといわんばかりに。実際、杉田以外に異論を唱える者はいない。
「なんか納得行く答えでもあるのか? お前の好きにしたいってこと以外で」
「ない。これは俺の我侭だ」
杉田の辛らつな口調に対して吉田はあくまで冷静だった。我侭と認めてなお、それを通そうとする吉田。杉田の怒りはその態度からか徐々に沸点へと近づいていく。
口と同時に手が出てしまいそうな、張り詰めた空気。そこで、武が割って入った。
「いいんじゃないか」
発言が意外だったのか、杉田は拍子抜けした顔で武へと尋ねる。怒りも行き場を無くしたのか中空に拡散したようで、一瞬触発だった空気も消える。他の一、二年はほっとため息をついていた。
「お前は良いのかよ。勝ちたいならさ」
「吉田と金田さんが戦う前に勝ちを決めればいいだろ。そういうオーダーを考えよう」
そう言って武は「じゃあ、まず第二ダブルスからかな」と仕切りだす。口を出そうとした杉田だったが、武の発言に皆がやる気を出したのかタイミングを逃す。
吉田の試合の前に、勝つ。
自分達の力で先輩に勝つというのは、不可能だと思うのと同時に不可能を可能にしたいという欲求も生み出す。
武の何気ない一言に部員の心に火がついていた。張り詰めた空気が緩んだ時に、気も緩んでしまったのだろう。そこに状況を次に進める担い手がいれば、そちらに流れる。絶妙なタイミングだった。
「あーそうだな。よっしゃ。俺が決めるわ!」
杉田も折れ、反動からかやる気を出してきた。
どうにか場を納めることができて、武は安堵の息を漏らす。吉田の肩を持ったのはやはり理由がある。それはあくまで自分の思いのため。自分勝手と言われても仕方がないこと。
それでも、武は吉田と金田の試合を見てみたかった。
(多分、先に決めることが出来ても最後まで試合はやるだろう。三年の送別会でもあるんだから。なら、それまでに負けても、引き分けでも勝ってもいい)
吉田を見ると、武を横目で見ながらかすかに頭を下げる。自分の意図を汲んでくれてありがたい、ということなのだろうがお互い様だと心で思い、視線を外した。
(金田さんと吉田のシングルスは……俺の始まりだから)
思い出されるのは、一年前。入学当初。小学校とは段違いのレベルに躊躇していた武を後押ししたのは、金田に挑む吉田の背中だった。あの時から比べると大分その広さを狭めた背中。それでもまだ武の目標でもあった。
当時はかなわなかった存在に吉田がどれだけ肉薄するのか。あるいは追い越すのか。
この団体戦は武にとっても一つのターニングポイントとなる。これからのバドミントン部を吉田と共に引っ張っていく存在として、三年生に自分を見せ付けるために必要な試合。
武が物思いに耽っている間に吉田はオーダーを考え、皆に提示する。
「じゃあ……第三シングルスを俺として、第二シングルスを相沢。第一を杉田にしようと思うんだが」
「ん? 一番強いやつが第一シングルスじゃないのか?」
「順番の関係さ。第一ダブルス、第二ダブルス、第一シングルス、第二シングルス、第三シングルス。第三シングルスは最後の砦。第一シングルスは試合の流れをこっちに寄せたい時に勝てる選手を配置するんだ」
杉田の疑問に答える吉田。もう試合に集中するのだろう。二人の間に特に気まずい雰囲気もない。説明に納得したところで、自分が第二シングルスに配置されていることに気づいたらしい。驚いてどもりながら「なんで?」と続けて尋ねた。
「だって、俺の前で試合を決めたいんだろ? それにシングルスの能力はあると思ったから決めを任せるんだ」
「お、おうよ……俺で決めるってマジで燃えて来たな」
(杉田を操ってるなぁ、吉田のやつ)
テンションで実力以上の力を引き出すこと杉田の特性を理解し、引き立てる。
武から見ても、部長は吉田しかいないと思えた。
Copyright (c) 2008 sekiya akatsuki All rights reserved.