Fly Up! 74
武はまどろみの中にいた。定期的に揺らされる身体は適度にほぐされ、思考がゆっくりと閉ざされていく。ちょうど温めの湯船に浸かる心地で武は意識の暗闇へと落ちようとしていた。
「相沢。着いたぞ」
だが、完全に落ちようとしたその瞬間を見計らったかのごとく、吉田の声に導かれて武は目覚めへと引っ張り上げられた。急激な変化だったため思い切り身体を震わせ、座席の後ろに頭をぶつけてしまう。
小気味良い音が響いて、武は後頭部を抑えた。
「ててて……一気に目が覚めた」
目の前にぱちぱちと光が舞っているような錯覚と共に、武は窓の外を見る。生まれてから地元を出たことがほとんどない武にとって、電車での遠距離移動は慣れないものがあった。更に電車で一時間半かかる土地にある会場へと向かうため、朝六時に駅に集まったのだ。眠くなるのも当たり前だった。
「えーっと、着いたんだっけ」
「ああ。後五分」
答えたのは隣に座る吉田ではなく、通路を挟んで向かい側にいた阿部だった。前に座る早坂と二人でばば抜きをしていた。阿部の隣に座る小谷は眠り、早坂の隣の清水は二人の勝負を見て笑っていた。
「金田さんと、笠井さんは?」
「まーだ寝ぼけてるか?」
座席の後ろから顔を出してきたのは金田だった。その横から笠井もにこやかに手を振ってくる。武はようやく覚醒した頭を振って、女子の先輩達も含めたメンバー全員の存在を確認した。
「ふわ……確かに目が覚めました」
欠伸をかみ殺し、窓から進行方向を見ると目的地の駅が見えた。時刻は七時半。開会式は九時。多少の余裕はある。
「時間はまだあるから、それまでに軽く朝飯食べて身体を完全に起こすんだぞ」
武の目の前に座る庄司に「はーい」と明るく同意する部員達。大会のためとはいえ小旅行は楽しみだったのだ。自然とテンションも上がっていく。
「よっし! 今日明日で優勝するぞ!」
そう言って阿部が引いた早坂の手の中にあったカードは、見事にババだった。
* * *
ホームに降り立って背伸びをする。座席に座りっぱなしで固まった筋肉がほぐれていき、武達に開放感を与えた。ひとしきり伸びてから、皆そろって改札を通る。
「会場までほぼ一直線だ。途中でコンビニもあるからそこで朝飯と昼飯買って行くんだぞ。夜は宿で出るからな」
庄司の引率で、浅葉中メンバーが進んでいく。
武達とは別の移動手段できていたのか、会場への道には別の中学のジャージが見えた。どの中学も一回りも大きく、凛々しく見えて武は緊張に唾を飲み込む。
「やっぱり強そうだな」
「そう見えるだけだって」
隣を歩く吉田に笑われて武も深呼吸をしてから視線を送る。確かに身体の大きさは同じくらいだった。少なくとも刈田よりも大きい人物はいない。多少身長があってもそれは金田達のように三年だからなのだろう。
だが、それとは別に気になる光景が武の目に飛び込んできた。
「あれ? おい、吉田」
「何?」
違う方向を向いていた吉田を促して、無理矢理見させる。特に興味がなさそうだった顔が徐々に熱を帯びていく様子を見て武はしてやったりという笑みを浮かべる。さすがに気になる光景なのだろう。
「双子なんだ」
「そうみたいだね」
感嘆混じりに呟く吉田に対して答える武。
二人の視線の先にいたのは同じ顔をした少年達だった。年の頃は十五、ではないだろう。武達と同い年に見える。二人はしゃべり、笑いながら歩いていたがふと片方が武達を見た。
正確には、浅葉中男子の後ろを歩く女子部員達だろう。たまに指を指そうとして止めながら呟いている。話の内容は想像がついた。
(こっちの女子って誰が外から見ると人気なんだろ?)
三年女子のことは良く分からないが、同学年ならば間違いなく早坂だろう。一緒に来ている清水はぽっちゃりしていて顔も武から見れば普通だ。個人的には、人気が出るのは早坂のような体型だろう。
「ねぇ。なんか嫌な感じ」
武の思考と同時に清水が早坂に向けて言っていた。思考を読まれたと思わず勘違いをしてしまい、武は身体を震わせる。無意味な驚きに心臓が鼓動を上げていた。
清水が早坂に話しかけたことで、自分達の視線が気づかれたと分かったらしく、双子は目をそらして足を速めた。何となくそのことに安堵しつつ、武は試合のことを考える。
あの双子はやはりダブルスなのか。どのようなプレイをするのか?
まだ会ったことのない、地区の中にはいないようなライバルとこれから対戦することになる。
「凄く、楽しみだ」
熱い吐息を吐きながら、武は身体中に気合が満ちていくのを感じていた。
体育館はまだ開いていなかったがすでに他校の選手は集まっていた。それぞれある程度場所をとり、準備体操を始めている。先ほど浅葉中の女子達を眺めていた双子がいる学校も円陣を組み、中心に教師らしき人物が立っていた。
「どこの学校だろ?」
「あそこは……滝河二中だな」
金田の声には多少の緊張が含まれていた。その意味が分からず武が聞こうとすると、先に庄司が解説を始めた。
「滝河二中はここ三年、全道大会に出場している学校だ。それも、圧倒的な強さでな」
武は改めて滝河二中の円陣を見る。中心にいる大人の鋭い目線は部員達を射抜いている。それに臆することなく真剣な眼差しで答える部員。その中で双子は声を張り上げる。
「滝河二中! ファイト!」
『おお!』
おそらくは大会での心構えを語っていたのだろう。それが終わり、双子が最後に気合をほとばしらせて締めた。それはすなわち、彼らが部員達の中心であることの証。
「あいつら、多分二年なのにな」
「二年って……三年生もいるのにってことですか?」
「ああ。他の男子は去年、桜庭さん達と来た時も見たよ。確かその時二年だったから。あの双子は初めて見るな」
言葉に含まれた緊張に、武は唐突に思う。
(きっと、去年金田さん達はここに……?)
去年、一応戦跡も紹介されたが武はどこに負けたという情報は忘れてしまっていた。桜庭が全道まで行ったことくらいしか覚えていない。まだまだ遠い世界の出来事だと思っていたから。
でも、もう手を伸ばせば届く位置にある。現在、武の戦う地区の中で最強の中学とも戦える。その先に、更なる強敵がいる。届かない場所ではなくなった。
「勝ちましょう」
自然と言葉が出ていた。その場にいた面々が呆気に取られて武を見る。その視線に気づかずに武は言葉を続ける。
「三年連続勝ってるなら、四年目を止めればいいだけです」
言葉を終えてからの沈黙。それにようやく気づいて武は周りを見回した。男子も女子も皆、武のことを見ていた。
「あ、えっと」
「相沢の言う通りだな」
庄司が一歩前に踏み出し、部員達を見回す。手振りで自分の周りに集まるよう指示してから、言った。
「負けたが良く頑張ったというのは、終わってから言うことだ。俺はあくまで優勝するつもりでいくぞ。全道に団体は二チーム行けるが、一位を目指せ! 個人も同じだ!」
『はい!』
円陣の中で最も声を張り上げたのはやはり武だった。腹の奥から一気に広がった声は体育館に集まっている他校の生徒全ての注目を集める。言ってしまってから武は後悔に溺れそうになった。
「うう、視線が痛い」
「相変わらず大きい声だよな。こんど出し方教えてくれよ」
吉田がさりげなく武への視線を遮りつつ、フォローする。頭を抱えながらも武は吉田の配慮に感謝した。視線を転じると女子部員達が今度は吉田へ好意的な視線を向けていた。早坂でさえ微笑んでいる。
(ほんと、良い奴だな。俺が女子なら惚れてるぞ……)
その時、体育館の入り口の前に人が立った。そして武達を一度集まっている生徒達を一通り見た後で鍵を開ける。時刻は八時。開場の時間となったのだ。
「よし。皆いくぞ」
庄司を先頭に中へと入る。武達が比較的早めに着いたからか、先の滝河二中に遅れて入場するもほぼ第一陣。混雑する前にホールへと入り、自分達の場所へと進んでいく。庄司はプログラムをもらいに大会運営本部へと向かうため、皆から離れていった。
「お、あれだ」
阿部が指差した方向には「浅葉中」と書かれた紙。フロアを挟んで真向かいに大会運営本部があった。
「ベストポジションじゃん。全部のコート見渡せるし」
小谷も喜んで眺めている。ちょうど庄司が責任者らしき人物と話しているのが見えた。その手に持っているプログラムも。
「早く組み合わせ知りたいな、金田」
笠井が金田へと話しかける声を耳にして、武は驚いていた。笠井はほとんど自分からはしゃべらない。少なくとも部活では相槌を打っているところしか見たことがなかった。しかし今は自分の意思を金田へと伝えている。
「ああ……去年の雪辱を晴らしてやるぜ」
金田はそう言って右拳を左掌へと叩きつけた。小気味良い音が響く。各人もラケットを取り出して臨戦態勢に入る。
フロアにはすでにバドミントンのコートを形作るテープが張られていた。市内大会では選手が貼るが、今回は前日から準備を終えていたのだろう。純粋に試合に集中できると思いながら身体を解すために準備運動をしていると、庄司が戻ってくる。顔は残念なように歪んでいた。
「どうしたんですか?」
尋ねる金田に少し口を濁してから、言う。
「準決勝で、滝河二中と当たるんでな。出来れば決勝が良かったと思っていたよ」
「先生。さっき優勝を目指すって言ったのにもう撤回するんですか?」
金田が強い口調で庄司を攻める。本気での怒りではないだろうが、近いものを周囲に感じさせた。その気迫に言葉を奪われていた庄司に更に詰め寄ろうとする金田の肩を抑えたのは笠井だった。
生まれた時間の空白に、庄司は口を開く。
「すまん。けしてさっきの言葉を取り消すつもりはない。ただ、明らかにあっちのほうが格上の場合、それまでの試合経験がものをいう場合がある」
庄司の言いたいことは武には分かった。金田もにじみ出ていた気迫を収めたことからも分かったのだろう。最も強い敵に当たるまでに、経験を積む。そのことで一日二日で一気に成長できるというのだろう。その成長が、滝河二中を追い越せるかもしれないと。体感のスポーツであるバドミントンは、負けないという強い気持ちの上で繰り広げられる試合が最も良い上達の場となる。実戦の中という緊張感は選手の限界を超えた力を生み出し、基礎力が引っ張られるように強くなる。
だからこそ、庄司は決勝まで勝ちあがらせたかったのだろう。
「実戦経験は最も重要な要素だ。でも力ある者しか持つことが出来ない。正直、俺は滝河二中以外には絶対に勝てると思っている」
今度は庄司が強く出たことで部員達が呆気に取られる。武は周りを見回していた。距離が少し離れているとはいえ他校に聞かれればまずい話題だ。しかし、隣に陣取っていた中学も部員達は自分の場所を確保することに集中していて武達の会話に耳を傾けてはいない様子だった。
「準決勝で当たるのはしょうがない。お前達が遅かれ早かれ当たる相手だ。勿論、その前の相手にも油断はするなよ」
『はい!』
同意の返事と同時に金田が皆を先導する。早く練習場所を確保するために。試合の開始はいつもは九時だが、八時半。あと二十分ほどで中体連全地区大会の一日目が開幕する。
「相沢。行こうぜ」
「おう」
武もジャージを脱いでラケットを取り出した。その時、ラケットバッグの中から携帯電話の震える音がする。サイドポケットから取り出してみると、メールが一件届いていた。開くと並ぶのは端的な文字列。誰から来たというのは考えるまでもなかった。
『がんばってね』
たった数文字の激励は読む時間の短縮を考えてだろう。相手の気遣いに武は自然と顔がほころび、同じように打ち返した。
『頑張るよ、由奈』
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