Fly Up! 49

モドル | ススム | モクジ
 挨拶をしてサーブ権を取りあい、吉田と小島はコートを挟んで向かい合う。コートに入ると同時に空気が変わる。吉田は静かだが重いプレッシャーを感じ取っていた。

(これが、北のトップか)

 自分と同年代。小学生でトップに立ってから常に存在は意識していた。その対決は全道大会まではないと思っていた。
 しかし今、その機会が訪れている。

(確かに今の俺じゃ、勝つのは難しいな)

 悲観ではなく客観による冷静さ。自分の力量と今まで見てきた試合から分析した小島の力量を比べて、相手のほうが二枚も三枚も上であることは確認してきた。それでも実際に対峙してみると精神的に押される。

(それでも。勝つ道はある)

 自分だからこそ見える道。吉田香介というバドミントンプレイヤーの真価が問われる時が来ているのだと、吉田は感じながら意識を集中していく。

「ファーストゲーム、ラブオールプレイ」
『お願いします!』

 同時に出る挨拶。そして小島のサーブ。最初に口にした言葉以外、試合中に小島はしゃべらない。サーブも武や刈田など他の面々のように叫んで打つということはない。
 自然に打ち出されたシャトルを吉田はまずクリアで奥へと返した。

「ストップ!」

 小島とは対照的に、打ち返してから叫ぶ。クリアで飛ばしたシャトルをスマッシュで打ち込んでくると予想しての、防御への咆哮。相手に攻めさせてカウンターを返そうという作戦。
 だが小島はハイクリアで吉田に打ちやすいシャトルを返球してきた。

(? なんだ?)

 再びクリアで右奥に。小島は軽やかなフットワークで下に位置どると吉田がやったことと同じように対角線上にクリアを放つ。今度は吉田も後ろに飛ぶように動き、ストレートハイクリアで左奥を襲う。そこに小島は追いつき、クリアで対角線へと飛ばす。
 最初からハイクリアの応酬。それは観客も、そして吉田も予想していない状況だった。

(何を考えてる? 簡単には体勢は崩れないぞ?)

 小島の表情を観察するもポーカーフェイスは崩れない。何かの考えによる笑みも、相手に打ち勝つという闘志も見えなかった。
 お互いにハイクリアを打ち続け、十六往復目を放った時に吉田の中には一つの考えが生まれていた。

(小島もカウンターを狙っているってことか?)

 今までは実力の差からなのか、クリアなどでバランスを崩してスマッシュを決めるパターンばかりだったが、吉田の場合は今のところ、どんなに絶妙なクリアを打たれても拾っている。それは小島も同じ。互いが相手の隙を見出すためにハイクリアで応戦しているから今の膠着が生まれているのだ。

(ここから攻めると相手の思う壺って感じだけど)

 そう考えると同時に身体は反応する。ハイクリアを打ちにいく軌道のまま、吉田はスマッシュを放っていた。通常よりも角度をつけずに打ったシャトルは高さはあったが威力は十分で小島へと進む。真正面のシャトルは取りづらいという定石の一手。
 しかし小島はラケットをバックハンドに持ち変えるとネット前に打ち返す。その軌道はドライブに近く、吉田のコートに入ったと同時にドロップへと変化した。

「くっ!」

 前に滑り込むように足を出してシャトルを跳ね上げる。そこに待ち構えていた小島はシャトルの軌道にラケットを出し、カウンターで弾き返した。

「ポイント。ワンラブ(1対0)」

 観客席から歓声があがる。中学生で狙いすましたインターセプトを実行できる者は、少なくともこの地区にはいない。全道でもいるのか吉田にも分からないのだ。他の選手達が技量に驚くのも無理はない。

(さすがだな。ちょっとでも甘いと突いてくる)

 しかし、吉田を驚かせたのはそこではない。実力者同士の試合ならば隙を見せないことは大前提だ。そこを突けるか突けないかというのは小島ならば前者だろうと予想はつく。
 彼が動揺したのは、返球の正確さ。それも練習の積み重ねた結果だと言われれば反論は出来ないが、何か違うものを感じていた。

(五点目までに相手の特徴を探る。困った時は定石通りで行く)

 シャトルを返し、吉田の脳内は次のゲーム展開をシミュレートし始める。サーブを打たれた後もそれは終わらない。秒単位で変わる状況を見ながら小島の底を引き出そうとスマッシュやドロップ、ハイクリアを織り交ぜていく。

(自分より実力が上の相手との戦い方、見ておけよ、相沢!)

 ハイクリアで奥へと動かし、同じく奥に返ってきたシャトルをドロップで前に落とす。小島は即座に反応して前に詰め、落ち際を叩こうとラケットを立てた。だが、次の瞬間にはクロスヘアピンが綺麗にネット際を切っていく。

「はぁ!」

 プッシュが来ると警戒していた吉田だったが、そのシャトルに足とラケットを伸ばし、何とかヘアピンで返した。だがその動きも小島にとっては予想内なのか、シャトルが来る位置を把握しているかのごとく移動して、吉田が取れないコート奥へとシャトルを跳ね上げる。
 その跳ね上げる時間で吉田が追いつくには十分だった。

「おおおあ!」

 半ば前を向いたまま後ろへと飛び、シャトルを打ちぬく。
 無理な体勢からのジャンピングスマッシュは、小島の胴体を真っ直ぐに貫くかのごとく飛んでいく。
 それでも、小島はバックハンドで悠々とネット前に落とす。

(さすがだな――!)

 吉田は体勢を崩しながらも前に滑り込み大きくロブを飛ばした。そこで生まれた時間をコート中央で迎え撃つことに使う。

(やはり無駄がない。着実に相手のいない場所へとシャトルを落としていく。不用意に上げないし――)

 思考の間隙を突いて、小島のスマッシュが吉田の左側をえぐらんとする。急に来たシャトルにも吉田は反応してネット前にクロスで落とそうと狙ったが、ネットにぶつかって自分のコートに跳ね返った。

「ポイント。ツーラブ(2対0)」
『おお……』

 二人の攻防に観客席からため息が出る。吉田も振り回されてはいるが、この会場に集まった同年代では誰もがシャトル二往復で終わるような場面を何度も乗り越えていた。
 そんな客席の声を気にせずに、吉田が構えるのを確認すると小島はサーブで打ち上げた。

「はっ!」

 クロススマッシュでバック側を狙う吉田。そこからストレートに予測して前に詰めるも更にバックハンド側にクロスで返ってきた。吉田が一つ前の回で行い、失敗した軌道。

(小島のやつ……)

 吉田の中にあった小島への疑いが、確信へと変わる。

(間違いない!)

 絶妙なクロスヘアピンとなったシャトルをロブで飛ばしてコート中央――ホームポジションへと戻りながら、吉田は思考を完全に相手の隙を探すことへと切り替えた。

(あいつは、相手の戦意を完全に喪失させるために、攻めを真似ている!)

 そう悟った瞬間に小島はクロススマッシュを吉田のフォアハンド側に向かって打ってきた。吉田のした方向とは逆だが、手順としては同じ。これを吉田がクロスヘアピンになるように返せば、次の手も同じだろう。

(どうする)

 一瞬の思考。合間にシャトルは打つ限界点まで迫る。
 そして、吉田はクロスヘアピンを打った。

(上等だ!)

 クロスに飛んでいくシャトルを小島はラケットヘッドを寝かせて鋭くシャトルコックをかすらせた。回転がかかって羽が空気を掴み、不規則に回転しながら落ちていく。だが、吉田も落ちる前にはラケットを下に滑り込ませていた。そこから更にクロスヘアピンを放つ。
 ネットにあたるぎりぎりを飛んでいくシャトル。ネットを越えたとこに待ち受ける小島。しかし、吉田のヘアピンを予測してなかったのか、叩けずにヘアピンを落とした。

「そこだ!」

 吉田が気合の声と共に飛び込み、ロブを上げる。初めて見せる、小島の急いでシャトルの落下点に戻る姿。そこで安心せず次の手を考える。

(これは時間を稼げてるだけだ。あいつはまだまだ――)

 小島がシャトルをどこに打つかを見極めようとした吉田の目に、一瞬飛び込んできたものがあった。それを意識する前にクロスハイクリアに追いつこうと足を動かす。

(あれは……)

 見たものを意識しまいと、スマッシュをストレートに放ち、小島はそれをやすやすとクリアで返す。一発は決まらない。何度も何度も両者の間を行きかうシャトル。

「はっ!」

 吉田が勢い良く振りかぶり、打つ瞬間に力を抜いてドロップへと変化させたショットが小島の足を止めた。

「サービスオーバー。ラブツー(0対2)」

 今までとは違う試合だということに観客は気づき始めていた。そして、それは当人達も同じ。

(あいつの、あの時の、笑み)

 返されたシャトルの羽を整えながら、吉田は小島の顔を見る。そこにあったのは少しだけ崩れたポーカーフェイス。にじみ出ている光は、歓喜の光だった。

(今までつまらなかった、か?)

 サーブを打ち上げて構える間に小島を観察する。すでに顔は感情を感じさせなくなっていたが、伝わってくる気配に色が混じる。
 今までは色に例えれば灰色。先の見えない霧の先へとシャトルを打ち込んでいるように吉田には思えていた。それはどう打っても返ってくる小島の技量にも要因はあるが、対戦相手の存在感が吉田の中に落ち着かなかったからだ。

(ようやく同じ土俵に立てたか!?)

 ハイクリアをスマッシュで捕らえる。五点を待つ必要はなく、吉田は小島の技量等を掴んでいた。そこから導き出された結論は。

(弱点はない。攻めて攻めて、隙を作り出すしかない)

 何が得意、不得意というのは小島には当てはまらない。どのショットも現在の中学一年生のレベルを超えている。幼い頃、父親に散々見せられたプロや大学、高校生のビデオから呼び起こしても、おそらく高校生のレベルには達しているだろう。

(格上の相手には一発は決まらない。それまでに何度も何度も打ち続けて、隙を作り出すしかない!)

 返されたクリアをドロップで左隅に落とす。走りこんできた小島はネットを越えた瞬間に追いつくと、吉田が取れないだろう反対側のネット前にクロスヘアピンを見舞う。少しでも気を抜けばシングルスラインを飛び越えてしまう技だが、小島のコントロールはそれを許さない。

(だから読みやすい!)

 完璧なコントロールほど、その場所を最初から目指せばいい。吉田はそのショットを打たれると考えて、あえて乗った。追いつけなければミスってせっかくのサーブ権を失い、小島へと試合の流れを奪われることになる。
 まだコートを支配する神はその天秤を片方に傾けてはいない。今は、受け皿に小島と吉田が錘を乗せている段階だ。

「はっ!」

 狙い通りの場所に落ちるシャトルを掬い上げ、ロブが右奥へと飛んでいく。小島が取りに戻る間にしかし、吉田はその場所から動かなかった。打ってくださいと言わんばかりにコートの左側を空けている。
 小島は一瞬、相手コートの状況を見ると、今までとは段違いの音を響かせてスマッシュを解き放った。

「はっ!」

 わざと空けておいたために、シャトルへの反応もすぐだった。だが、速さが予想以上であったため、奥に飛ばすはずがヘアピンとなった。

(あからさまな誘いに怒ったか?)

 徐々に、天秤が傾き始めていた。
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