Fly Up! 363

モドル | ススム | モクジ
 自動ドアが開いて外の空気が流れ音で来ると同時に吉田は外に出た。
 風呂あがりの体はまだ火照っていて、三月の夜の風は冷たい。
 あまり長居をするつもりもなかったため、気にせずに指定された場所まで歩いていく。
 ホテルを出てすぐ傍にベンチがあった。泊っているホテルの周りには街路樹や花が咲いているなど、ちょっとした公園のようになっている。
 昼間は小さな子供を連れた親が散歩しているらしい。そうした親や子供達のためのものなのだろう。

「やっほ。お、つ、か、れ」

 レンガ造りの縁に腰かけて吉田を迎える有宮の表情は嬉しそうにほころんでおり、心臓が少しだけ高鳴った。小学校三年で転校した幼馴染。強く、可愛くなって自分の前に現れた少女に吉田も年頃の少年らしく緊張していた。武達には何故か同年代よりも精神的に大人であり、しっかりしているように見えるらしいが吉田自身はそこまで変わりはないと考えている。友達と話してふざけもするし、武と同様に試合に勝てば込み上げてくる熱い思いを堪えずに吼える。
 可愛い子が傍にいれば緊張してしまう。
 それも、夜に二人きりとなればなおさらだ。

「おーっす。待ったぁん?」

 二人きりの夜という考えを一瞬で修正した吉田は後ろを振り向くと、西村が頭の後ろに両腕を組んで歩いてきているのが見えた。ジャージを着こんでタオルを首に巻いている。汗が浮かんでいるところを見て、まさかと思いつつも吉田は尋ねた。

「お前。ランニングしてきたのか?」
「ん? ああ。なんか落ち着かなくてさ。やっぱり負けたこと気にしてるんかな?」

 あっけらかんと言う西村に嘆息一つで何も言わずに吉田は有宮を振り返る。
 自分と西村を呼び出した張本人。メールで簡潔に【久しぶりに会いたいなー。夜八時くらいにね】とあっさり書くあたり、昔と変わらない。
 そんな有宮は笑みを浮かべたまま二人の様子を見ていた。
 懐かしいものを愛おしむように。

「ごめんね、疲れてるところ。なんか、少しでもいいからゆっくりと話したかったんだよね。三人で」
「おんなじ町内会サークル通ってた俺らが、今じゃ全国優勝争ってるなんてよぉ。すげーよな」
「……本当だな」

 吉田は頭の中で過去の姿を自分達に重ねる。
 有宮と西村。そして自分。町内会のサークルでも強い方で、順調に進めば同じ中学校で部活をし、全道や全国を目指していたのだろう。今の自分達がもし同じ浅葉中だったとしたらと想像すると、胸が高鳴る。
 でも、と想像を頭の中で打ち消した。
 西村が転校していなければ、おそらく武は今よりも弱いまま終わっていただろう。自分のダブルスパートナーは西村で、武はおそらく橋本と組む。そうなれば、もし成長を見せたとしても自分達が壁となり、市内やせいぜい全地区で姿を消していたに違いない。自分と組んだことで武は高いレベルの試合を経験し、強くなったのだ。
 有宮が最初から浅葉中に入っているなら、早坂とチームメイトになっていた。そして、早坂もまた今ほど成長しなかったに違いない。身近にいる強者が蓋をしてしまうことは、きっとある。
 武も早坂も今の状況だからこそ、ここまでの強さを手に入れた、はず。

「俺らが一緒だと浅葉中もだいぶいいところまで行ったろうけど。これはこれで超楽しいからいいんでね?」
「うんうん。こうやって会えた時も楽しいしね」

 有宮は離れていた期間などなかったかのように話す。
 転校した当初はメールのやり取りも活発にしていたが、一年も経つと生活環境の変化が重なり、知らない名前がお互いに増えていく。日々のことを話してもあまり意味はなくなり、やがて途絶えた。幼馴染といってもほんの少し親密な友達でしかなかった有宮は、吉田の中で存在を小さくしていったのだ。それでも、完全に消えることはなかったが。

「閉会式。みんなで個性が出てよかったよね」
「俺はこってり監督にしぼられたぜ。危ないだろって」
「そりゃあな。あれ、失敗してたらやばいだろ」
「でもでも。三人が三人らしい感じで嬉しかった」

 西村は監督にされたことを再現するように頭を叩き、有宮は言葉の通りに心底嬉しそうに語る。小学校から中学にかけて容姿も心も成長はしたのだろうが、本質的なところは変わっていないのだろう。閉会式の光景を思い出しているのか、くすくすと笑っている有宮を眺めつつ西村が口を開く。

「そういや、相沢は?」
「取材に疲れて寝たみたいだよ。俺も初めてだったけど、あいつは勝負決めたし、早坂と一緒に一番取材が多かったからな」
「そっかー。俺も、サヤも取材は受けたけどやっぱ負けたからなー」

 有宮小夜子の小夜を読み方を変えてサヤと呼ぶ西村。昔の呼び名を西村が口にすると一気に吉田の時間が巻き戻る。どこか懐かしい空気を感じつつ、思い浮かんだ言葉を口にする。

「俺に、和也に、小夜。三人とも負け組か。確かに」

 閉会式も試合に負けた三人が前に立った。その時も奇妙で、しかし心地よい感覚を得ていたことを思い出す。今も同じだ。
 自分達は確かに全国にその名を刻んだのかもしれない。それでも、最終的には負けている。
 勝ったのは、小学校の時に一勝もできなかった、三人の誰も名前を知らなかった男。

「つまりは。俺らもこれからってことだな」

 西村は両足を動かし始めると二人から少しだけ距離を取る。会話の唐突な終わりを自分から告げる西村の顔は、今まで見た中でも最も笑顔だった。

「俺はもうひとっ走りしてくるから、後はお前らでどうぞ〜」

 有宮と吉田が呼びとめる間もなく、西村はあっという間に姿を消してしまった。
 残された二人は顔を見合わせるとすぐに逸らす。何か話さなければと思うが吉田も言葉が出てこない。
 それでも何とかひねり出したのは、早坂から以前言われたことだった。

「そ、そういえば。早坂がさ」
「うん?」
「小夜に勝つから、その時は慰めてやってって。言われたんだよな」
「ふぅん。そうなんだ。有言実行ね」

 言葉の端にどこか寂しさを滲ませつつ、有宮は空を見上げながら背伸びをした。
 早坂と有宮の激戦はコートの外で見ていたが、本当に二人とも強くなったと思う。有宮は全国区だったが、早坂もまたこの大会で一気に名前を売っただろう。元々、君長凛を倒したことで名前が知られ、有宮を倒したことで注目度が高まった。
 今回の取材も、最も多かったのは彼女だ。
 君長や有宮に負けず劣らず美人である早坂はバドミントン界に現れた新生で、注目させやすいだろう。

「どうだ? 慰め、必要か?」

 小学校時代から男勝りで精神的に強かった有宮に慰めは不要だと最初から思っている。だからこれは、あくまで話の流れの中での言葉だ。自分の言葉に対して有宮は笑いながら「いらない」と答えて終わる。それが予定調和。
 だが、有宮から言葉は返ってこず、吉田は隣を向く。すると、すぐ傍に有宮の顔があった。

「さ、小夜?」

 有宮は無言のまま吉田の左腕を両腕で掴み、引き寄せた。体を預けて顔を伏せているため吉田からは表情は見えない。周囲の空気に冷え書けた体温が急に熱くなるのを感じる。

「こーちゃん。あったかいね」
「あ、ああ……そう、か?」
「もう少ししたらさ。回復するから。今は、このままで」

 有宮の静かな言葉に吉田は頷いて、空を見上げる。変わらないものと変わるものを思い浮かべながら有宮の体温を感じるままに動かなかった。

 * * *

 瀬名は大浴場入口の傍にあるソファに身をうずめていた。他の面々よりも遅く風呂に入った後で何となく部屋に戻りたくなかったために、ぼーっと天井を見上げていた。脳裏によぎるのは今日の試合。自分が怪我をしてでも勝った試合よりも、外から見るしかなかった二試合での早坂や姫川の激闘が瞼を閉じると再生される。

「出たかったな……」

 独り言をいうつもりはなかったのに口から無念が漏れ出る。
 今、足首を回すと少し痛みはあるものの試合には支障がないように思えた。実際にはすぐに耐えきれなくなるのだろうとは分かっていても、考えてしまう。怪我をしてしまう運命を変えられないのなら、せめてあと一日前に怪我をしていたならばテーピングでごまかせたかもしれないのに。
 振り返っても仕方がないことだが、優勝した今だからこそ感じるのかもしれない。

「お、瀬名。どうしたんだ?」

 声のした方向に視線を向けると、男湯の入り口から出てきた安西の姿が見えた。後ろには岩代がいて、同じく風呂上りの様子を見せている。瀬名はソファに少しだけ深く座り、居住まいを正してから言った。

「別に。さっきお風呂あがって、疲れたからここでぼーっとしてた」
「そっか。でも部屋に戻ればいいのに」
「何となく、部屋に戻りたくないのよ」

 安西と岩代は顔を見合わせてから瀬名の向かいの椅子に腰を下ろした。そのまま立ち去ると思っていた二人が居座ったことで瀬名も天井を見上げているわけにもいかず、二人へ視線を移す。

「なんだ? 今日出れなくてへこんでたのか?」
「まあね。なんか、力の差を見せつけられたなって思ってさ」
「早坂凄かったもんな。準決勝も決勝も」
「姫川もね」

 岩代の言葉に素直に頷き、会話を続ける。
 瀬名と同様に岩代はベンチで力の限り応援していた。今回の大会では何回か試合の機会はあったが、基本的には捨て駒だったり主力の体力温存という手段のために使われている。
 岩代だけではなく安西も、あくまで小島や吉田、武の起用方法によって試合への挑み方が変わる。
 ここに集まった三人は、今大会の主力ではない。

「お互い、ライバルに差をつけられたって痛感するよな」

 安西はそう言って、脱衣所から出る前に買っておいたらしいペットボトルの水を口にする。
 口調はあっさりとしているが、胸の内ではそうとう悔しがっているはずだと思う。二年同じ部活で顔を合わせていれば嫌でも性質が見えてくるものだ。
 特に、安西はダブルスで吉田と組んだことで、自分と岩代のダブルスと吉田と武のダブルスの違いを深く感じたはずだ。
 南北海道のチームとして一つの戦いに挑んでいる間はチームでも、終わってしまった今となっては各学校の集まりでしかない。確かに絆は深まったが、別の学校のライバルということは変わらない。ここ一カ月ほど抑えられてきた思いが、最高の形で締めくくられたことで一気に噴き出していく。
 その揺り戻しこそ、瀬名が一人でいた理由だ。

(今の状態で早坂や姫川に会って冷静になれる自信、ないわ)

 シングルスで早坂に追いつこう、追い越そうと考えていたところに姫川が横から入ってきて、二人はこの全国大会で一気に躍進した。それに比べて自分はさほど成長した実感もなく、怪我で離脱してしまった。
 もう一週間もすれば中学は始業式を迎え、三年生になる。最高学年として、中学バドミントンの集大成として挑むインターミドル。瀬名は当然シングルスでエントリーするつもりだったが、早坂と姫川がいる市内で二人を倒すことが出来るのか、不安に胸が締めつけられた。

「瀬名は、早坂と姫川が怖いのか?」

 岩代の言葉に瀬名は頷く。負けること自体は怖くない。何度、早坂に跳ね返されても負けずに挑み続けると考えている。ただ、それはあくまで勝てる可能性を追っているからだ。今の早坂あるいは姫川と再度戦ったとして、もう勝てないと感じてしまうかもしれないということが怖くてたまらない。

「怖いよ。あいつら、強くなった。この全国で……早坂より姫川だよ。あいつの成長ぶりは半端じゃない。今回優勝できたのは、多分、あいつが一番頑張ったからだ」

 序盤は調子の上がらない早坂の穴埋めをし、復活以後もチームの勝利に貢献し続けた。結局、姫川はこの大会で負けていない。武と姫川だけが敗北を知らないまま優勝したことになる。
 市内大会ではなく、全国大会。誰もが自分と同レベルか格上の世界で。

「今までも、ぎりぎりだったのに。これ以上離されたら、私……」

 悔しさに頭が満たされて、涙があふれてくる。必死に目をそむけていただけかもしれない。
 もはや、早坂には敵わないということに。
 全力で挑み、二位を死守出来れば何とか矜持も保たれる。しかし、その二位のポジションに姫川が学年別大会から割り込んできた。最初から早坂を倒すという目標に邁進し、今大会でシングルスとしてもダブルスとしても好成績を残した。飛躍的な成長を遂げた姫川はインターミドルで間違いなく全地区、全道での台風の目になる。そうなった時、自分の居場所はあるのか。

「悔しい……もっと、もっと強くなりたい……」
「なら、練習するしかないだろうな」

 俯いたまま安西の言葉を聞く。耳から入ってくるのは柔らかくも硬くもない。
 自分に対する憐れみもないことが瀬名には心地よかった。情けないことを言ってしまったが、けして慰めてほしいわけじゃない。
 ただ、愚痴として聞いてほしいだけでやるべきことは分かっているし、進むしかない。
 自分がとるべき道は練習して強くなるしか、自分の抱えている恐怖を克服する方法はないのだから。

「俺らのほうが才能がない、とは言わない。ただ、才能の差って思うところはあるさ。でも、才能があってもなくても、勝ちたい奴らに勝てるかどうかだよ」

 瀬名の前に置かれたテーブル。俯いて涙を流している彼女の前にペットボトルが置かれる。少しだけ顔をあげると、そこには安西が飲んでいる物と同じ水。
 岩代が瀬名の視界に入るようにペットボトルを押してから言った。

「もし才能の差があるとしても、俺より才能があるやつが負けるのは見てきたさ。そいつらもきっと、練習するんだろうし。なら、俺らも練習しないと始まらないさ」

 岩代の言葉は安西よりも深く瀬名の心へと突き刺さる。
 滲み出る思いがより強く感じられるのは、瀬名よりも力の差を目の当たりにしてきたからかもしれない。

「愚痴ならいくらでも聞いてやるよ。同じ部活の仲間だし
「今回、同じ地区でのライバルが仲間になるっての、凄くいい経験になったけど。やっぱり一番大事にするのは同じ学校の仲間だろ」
「……そうだね」

 瀬名は流れた涙を拭いて前を向いた。
 そこには笑顔を向けてくる安西と岩代。変わらずに自分と話してくれる、同じ学校の仲間。改めて、自分と同じ学校の仲間の大事さを感じ、ほっと息を吐く。気分が楽になると口も軽くなり、瀬名は笑いつつ言う。

「ほんと。ありがとね。少し惚れそうになった」
「まじか。でもなぁ、岩代は今、後輩に好きな子いるから止めたほうがいいぞ」
「ちょ、ま!?」
「え、誰誰!?」

 三人の騒ぐ声が響く。沈んだ気持ちは消えていき、また前に進もうという強い思いが湧きだしてくる。

(絶対、早坂にも、姫川にも勝ってやる!)

 安西と岩代がさっきまでの雰囲気を吹き飛ばして会話する間、瀬名は決意を新たにしていった。
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