Fly Up! 354

モドル | ススム | モクジ
 パイプ椅子に座り項垂れる清水と藤田を見ながら、早坂はほっとしていた。
 吉田と安西の敗北によって追い詰められたにもかかわらず、二人の頑張りによって2対2のタイに持ち込むことが出来た。
 つまりは、自分の試合の勝敗によって全てに決着がつけられる。

(私の、だけじゃないよね)

 隣にはコートのモップがけを眺めている武の姿があった。
 小島の試合から先ほどの清水と藤田の試合まで、ずっと声をあげて応援してきた。声を出し疲れて休むことはあっても試合を全力でこなしている選手達と同じくらいの力で声を送り、届かせてきた。特にその結果が出たのが清水達の試合だったと早坂は思う。
 武の応援する声は自分達に力を与えてくれる。早坂は心の奥に広がる安堵感に助けられてきた自分を自覚する。だからこそ、由奈が小学生の時からずっと思いを向けていた。そして、自分も好きになったのだ。

「由奈に、メール送らないとね」
「ん?」

 隣に立って武へと言うと、意図が分からなかったのか聞き返してくる。
 早坂は深く息を吸って、これから言う言葉の重さに耐える準備を整えるとしっかりと言い放った。

「私達がここで、優勝をもぎ取ったってことをね」
「そうだな」

 言い淀むこともなく返してくる武に早坂は逆に動揺する。
 自分の弱気を払しょくするというためではなく、本気で勝つ気であり、自分に対して気合いを入れるためでもあった。武は早坂の言葉を全く疑わないままで、同じように思いを乗せてくる。
 武だけではなく、ここまで勝ち進んできた仲間達全員が、早坂と同じようにこの試合の勝利を目指し、手に入れようとしている。

(ほんと、このチームで戦えてよかった)

 小学生の頃から孤独だった。
 才能もある程度あったのだろう。努力も十分にした。
 その結果、身近な友達は友ではあってもバドミントンの仲間ではなかった。
 実力差が広がることで誰もちゃんと相手をしてくれなくなった。
 男子からは怖がられ、女子からは同じ年なのに特別扱いされる。
 そんな、ストレスが溜まる日々は中学生になってから徐々になくなっていった。
 もう、自分は一人ではない。
 見渡せば、同じかそれ以上の実力を持って、更に同じ景色を見ようとする仲間がいる。
 隣にはかつて情けなかった男が一人。
 いまや自分と肩を並べ、更に追い越している。

「相沢」
「何だ?」

 コートに入りながら早坂は武へと声をかける。聞き返してきた武にいたずらっぽい笑みを浮かべながら、早坂は告げた。

「ありがとう」
「ああ。俺もだよ」

 何に対しての感謝の言葉なのか、武が分かっているとは思えない。しかし、すぐさま返してきた武にも何かしらの思いがあるのかもしれない。その答えは後でゆっくりと聞かせてもらおう。
 コートに入ってからすぐにネットの前に向かう。自分達とほぼ同じタイミングでコートに入った西村ともう一人の女子もネット前に歩いてきて、やがて四人が対峙する。

「まさか、この組み合わせでやることになるとはなー」

 手を伸ばしながら西村が言う。武と最初に手を重ね合わせ、次に早坂の手を握ると不思議そうに顔をかしげた。視線にも疑問符が浮かんでくるのが分かるほどで、早坂は何なのか口を開こうとしたが、西村は先に手を離した。
 じゃんけんで早坂と、西村のパートナーの女子がサーブ権を取り合う。運よく一度目で勝った早坂は悩むことなくサーブを取った。相手もコートを自分達がいる側にしてお互いが離れる。

(あいつにもなんであんな顔したのか聞かなくちゃね)

 西村との付き合いは武や吉田よりも薄い。早坂にとっては数ヶ月のみ同じ部活にいた男子ということで、お調子者の性格をしていたということくらいしか分からない。しかし、ジュニア全道大会で再会した時にはその変わりように驚いた。身長も伸び、言動も当初の明るさは失わずに大人びている。
 サーブ位置で何度かコートに足をつけて滑らないことを確認してから、相手の姿を見る。
 レシーブ位置にいるのは坂本美羽という名前だったはずだ。
 西村と同じ中学ということ以外は特に話を聞かない。
 強い選手ならば全道大会に出てきてもおかしくはないが、ジュニア大会では見ていない。宇佐美や岬。シングルスに出てきた御堂も全道大会に出てきていないが、力は本物だった。冷静に考えて藤田と清水が勝てたのは運の要素が大きいだろう。
 ならば、坂本にも全道レベルの選手に近い力があるに違いない。

(油断しないで、いこう)

 バックハンドでラケットを持ち、ラケット面の前にシャトルを添える。いつでもサーブを放てる体勢になったところで、審判が告げた。
 これまでよりもはっきりと。

「第五試合、オンマイライト。西村・坂本。北北海道。オンマイレフト。相沢・早坂。南北海道。フィフティーンポイントスリーゲームマッチ、ラブオールプレイ!」
『お願いします!』

 最後の試合の火ぶたが切って落とされ、早坂は後ろから放たれる武の咆哮に載せて吼えた。
 気合いをラケットに充填するかのように握り、意識を集中する。
 そして、レシーブ相手の坂本の構えがいつも見ているものとは違っていることに気付いた。

(そっか。左利き)

 坂本は左手にラケットを持って高く掲げていた。それが高く感じないのは前傾姿勢でネット前に飛んでくるであろうシャトルを叩き落とす気持ちを押し出しているからだ。
 早坂は一度緩みかけた集中を再び戻す。左利きだろうとやることは変わらない。息を深く吸い、吐いてからショートサーブでシャトルを相手コートへと運んだ。
 白帯のすぐ上を通って落ちていく軌道に乗せるが、そこには既に坂本のラケットがある。シャトルをプッシュされたのを早坂は取ることができなかったが、迷わず横に動いた。

「はっ!」

 次に武がロブを打つことは理解できている。威力はないが、良いコースへと打ちこんでくるならば、武は体勢を立て直すためにロブを打ち上げるはずだ。
 攻めの姿勢は大事だが、勢いよく切り替えは必要。
 早坂の予想通りに武はロブを打ち上げた。
 一歩速くサイドバイサイドの形を取った早坂は、コートの右側でシャトルが来た時に取れるように軌道を視界に収める。
 後ろに向かったのは西村で、迷いなくラケットを振り上げている。
 そこから気合いの声と共にスマッシュを放つと、シャトルが自分へと向けて飛んできた。
 一瞬で到達するシャトルの速さに驚きはしたが、想定を大きく超えたわけではない。
 早坂は勢いを完全に殺してネット前にシャトルを置いていく。
 反応した坂本はラケットを突き出して同じように触れさせただけでシャトルを早坂のコートへと返していた。強打すればネットに触れる可能性があるほどのギリギリの軌道への返球は自然と甘くなる。
 坂本が返したシャトルは出来る限り勢いをなくしてネットすれすれに落とそうというものだ。その思惑通りにシャトルは余裕がないところを落ちていくものの、早坂はあえてギリギリのラインでシャトルを振り上げた。下から上へとシャトルコックをかすめるようにすると、シャトルはスピンがかかったままでネットを越えていた。
 余裕がない返球を同レベル以上で返されたことで、坂本に出来ることはもうなかった。
 シャトルに触れることもできないまま、コートに落ちるのを見送った坂本はしかし、すぐにシャトルを拾い上げて羽を整えると前にいた早坂へと手渡した。

「ナイスヘアピン」
「ありがと」

 手渡される瞬間に坂本の口から出た早坂への賛辞。
 嫉妬のような暗い感情などなく、純粋に早坂のプレイに感動している言葉が漏れ出ている。試合中でなければ素直に聞いていたが、最中での声かけは意図があるように思えてしまう。
 そんな早坂の心情を知ってか知らずか、坂本は告げる。

「もっともっと、面白い試合しましょ?」

 ステップを踏むように自分のレシーブ位置へと戻る坂本。今度は西村がレシーバーだけに坂本以上のプレッシャーでネット前に体を乗り出していた。早坂は一瞬の迷いの末にショートサーブを打つと武にジェスチャーで伝える。

「一本!」

 了承代わりの宣言として、早坂も体中の細胞を活性化させて吼える。
 シングルスの自分はここまで声を出すキャラではないため、あくまでミックスダブルスとしての自分なのだろう。
 シャトルを打つと西村は前に出て、ラケットを勢い良く振る、ふりをしてネット前に落とした。

(くっ!?)

 西村のフェイントは早坂を想像以上にその場に縫い止める。
 似たようなフェイントならば何度もシングルスでも受けてきたというのに、バランスを崩しながらも何とかロブをあげ、西村の横を抜いていく。
 遠くに飛んだシャトルの下に回り込んだ坂本は気合い一閃。
 スマッシュでバランスを崩したままの早坂を狙ってくる。
 西村よりは当然遅いが、女子の中では上から数えたほうが早い。
 瀬名と同等かそれ以上の速度を持ってシャトルは早坂の胸元へと近づいてきたが、しっかりとロブをあげて体勢を立て直すところから入る。
 冷静な一打で腰を深く落とし、再び坂本のスマッシュを待ち受ける形になる早坂。
 それから二度、三度とスマッシュを打ちこまれても丁寧に返していく。
 そして、四度目のスマッシュを打ち返そうとした時にシャトルの軌道が少しだけ浮いた。

(ここ!)

 半歩早く前でシャトルを並行に打ち抜くことでドライブへと変化させる。
 それまで上から下へ。下から上への関係だった二人の間が一瞬で攻守交替となるであろう軌道。
 速度を落とさないままでネットの白帯すれすれに進むようにドライブを打ったところで、すぐさまラケットが立ちふさがった。

「はっ!」

 西村はラケットを小刻みに動かして一瞬でシャトルを鋭く前方に落とす。
 早坂は急激な速度の変化についていけず、シャトルがコートに叩きつけられて跳ねあがるのを見ることしかできなかった。

「サービスオーバー。ラブワン(0対1)」

 審判の声が終わらないうちにシャトルを拾いに行き、羽を整える。先ほどとは逆に、早坂のほうから西村に手渡すとネットの向こう側にある顔が明るくなった。

「サンキュー」

 最終戦という緊張感が坂本にも西村にもないように早坂には見える。そんなことはないはずだと言い聞かせても、二人の笑顔を思い浮かべると緊張に心臓が高鳴ってきた。

「ドンマイ、早坂」
「あ、ごめん……」

 振り返るとそこにあった武の顔を見ると落ち着いてくる。
 軽く頭を下げて自分のレシーブ位置に向かおうとした早坂に武は小さく呟く。それは相手に聞かれないようにという配慮からなのだろう。下がろうとする早坂にわざと一歩近づいたことで一気に距離が縮まっていた。

「早坂。まだダブルスのスピードに追い付けてない。少しずつ、スピードアップして行こう」

 普段の武からは想像もつかないほど堂々とアドバイスしてくる様子に早坂は一瞬だけ呆気にとられたがすぐに頷いた。普段はどこか遠慮気味でも試合のパートナーとしては関係ない。勝つために早坂の動きが遅いなら躊躇なく言うだろう。

(だいぶ……頼もしいじゃない)

 呆気にとられたのは普段とのギャップだけではない。いつもならば、攻めることに集中してアドバイスは吉田から受けているような印象があった。しかし、今は自分がダブルスをリードするという思いを前面に押し出している。

(そうだ。シングルスとダブルスの速度の違い。まだまだ分かってなかった。女子ダブルスとも違う速さ。これが、西村の力かもね)

 正確には西村と坂本の強さだろう。
 二人のローテーションは通常のダブルスそのままであり、ミックスダブルス特有の『縛り』がない。
 女子が前衛で男子が後衛。
 普通ならば男子の強力なスマッシュを女子は取りきれないため、男子が後ろでカバーするのがミックスダブルスのセオリー。しかし、早坂と武は自分達が慣れ親しんだローテーションを続けることを選んだ。
 早坂が男子の攻めをものともしない防御力があるからだが、西村と坂本も同じように動いている。
 実際に、坂本のスマッシュは男子に引けを取らない。十分な攻撃力があれば後衛に回ってもエースを取れる可能性が高くなる。あるいは、ネット前にいる西村がシャトルを叩き落とすチャンスが増える。

(スマッシュは十分だけど、レシーブはどうなんだろ?)

 シャトルを持った坂本がサーブ体勢を整え、相対する武がラケットを掲げる。周りが「一本!」と声援を送る中、坂本は一度深呼吸をした後は息を止めてショートサーブを打った。
 武は前に出てプッシュを試みたが上にラケットをスライスさせる。
 すると白帯の下に落ちたシャトルが鋭く前に落ちていった。
 坂本はラケットを突きだしたがロブを上げてサイドバイサイドの陣形に広がり、武は前方の中央へと移動した後で腰を落とす。シャトルを追ったのは早坂。コート奥の、白線上に落ちていきそうなほど良いコントロール。
 それだけに落下地点は分かりやすく、早坂はラケットを振りかぶってストレートスマッシュを打った。

「はぁあ……はっ!」

 少しだけシャトルの落下地点よりも後方に移動し、右腕をしならせる。
 君長に対抗するために生み出した、早坂なりの体重を乗せるスマッシュを打つための動き。
 瀬名以上の速度を瞬間的にシャトルへと乗せて打ち出し、ライン際を強襲する。
 だが、坂本は前へと踏み出すとバックハンドでしっかりとロブを打ち返してきた。再び早坂の真上にやってくるシャトルを今度は通常のスマッシュで打ち込む。
 強打の範疇での強弱。一見して感じ取りづらい落差だが、坂本はシビアに反応して一回目よりも素早く前に出てドライブを打ち返してきた。

「らっ!」

 自分へのドライブを受けて立とうと身構えた早坂は、シャトルがネット前のラケットに叩き落とされるのを見た。
 シャトルが弾き返された音とほぼ重なるようにコートに跳ねる音が聞こえてくる。
 先ほど西村がやったことを今度は武がやり返す。
 早坂の目から見て坂本に打ち損じはなかった。
 迫ってくるシャトルの速度や角度から、最大の威力を返すタイミングでカウンターを打ったに違いない。
 早坂も同じくらいのタイミングとコースだったのだろう。それを、武は叩き落としたのだ。西村がしたのと同じように。

「セカンドサーバー。ラブワン(0対1)」

 シャトルを拾い、羽を整えた武は西村へと手渡しをした後で戻ってくる。早坂はナイスショットとねぎらい、武も答えて笑みを浮かべる。

「早坂。どんどん攻めていいぞ。俺が前にいるときはああやってチャンスは逃さない」
「うん。期待してるよ、相沢」

 自分の言葉に応えて燃え上がる武に胸の内から安心感を沸き立たせながら、早坂はサービスレシーブをするために所定の位置に立って身構えた。
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