Fly Up! 34

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「お……らぁ!」

 渾身のスマッシュが早坂のバックハンド側を抜けてコートに突き刺さる。早坂の舌打ちと武の「良し!」という歓喜が交錯して、試合は終了した。

「これで……二勝目だな」

 全力を出して息を切らした武は、それでも勝てたことに満足して笑う。早坂は息を整えてから最後に深呼吸し、武に対して憮然としつつ返答する。

「十一点なら私が先にとってたわよ」
「まさかそんな答えが返ってくるとは」

 気分が高揚しているからか武はいつもより馴れ馴れしく早坂に向かう。しかし、疲れを見せる顔の中でも強い光を失わない目に貫かれて武は歩みを止めた。その間に早坂はコート横に置いてあったタオルを取って顔を拭きつつその場を去る。初めて勝った時のようにならなかったことに、武は少しだけ安堵した。

(二回目はさすがに……プライドも和らいだかな?)

 初めての敗戦のショックは大きかったようだが、二度目は緩和されたのだろう。武もまぐれで勝てるほどの相手ではないことは分かっていたし、おそらくは早坂自身も武の努力を認めているはずだった。由奈と橋本と共に、六年間見ていたはずなのだから。

(本当に見てたのか分からないけど)

 小学生の時を振り返り、苦笑する。一回戦負けと一位の間にあった溝は、数歩で飛び越えられるくらいまで狭まったのだと確信する。

(まだ第一歩だ。ここで止まってはいられない)

 刈田もいる。明光中の面々もいる。このままバドミントン部にいれば確実に敵となる。その実力を目の当たりにしたというのに、武は内から来る高揚感を抑えきれなかった。より強くなりたい。より強い相手と戦いたい。衝動は更に強くなり、結局最後まで武はシングルスをしたのだった。吉田と早坂。二人とやったことでほとんど時間を費やしてしまい、もうダブルスが終わってから後片付けをするだけになる。

(そうだ。俺は強くなりたい。由奈を好きだって気持ちもあるけど……まだまだ両立なんて出来ないよ)

 ダブルスで動き回っている由奈を見る。それだけで武は疲れも少し癒され、気が楽になる。

「今は、それだけでいい」

 決意の言葉。由奈への淡い思いを封印してバドミントンに打ち込むと、武は決めた。


 * * *


 着替えを済ませて吉田達よりも先に出ると、藤田が自動販売機からスポーツ飲料を取り出しているところだった。武の姿を見つけて微笑を向けてくる彼女に、武の心臓は少し跳ねた。由奈への思いに一つ区切りをつけたとはいえ、女の子に緊張するのは変わらない。

「相沢君。ちょっと歩かない?」
「い、いいけど」

 突然誘われることの理由は分からなかったが、藤田は武の返答を半分聞くか聞かないかというタイミングで背を向けて歩き出していた。体育館の隣には木々が多く森林浴が出来そうな公園があり、砂利道を歩く二人の足音がすずめ達の鳴く声と交じり合って武の耳に入る。

(何考えてるんだろう?)

 藤田の行動が全く読めず、武は混乱する。試合で相手の次の手が予測できるのはストロークのパターンが分かっているからだ。情報が十分じゃなければ相手の行動を予測できるはずもない。藤田はたまに話す間柄でも、由奈や橋本や早坂たちのように親しくはない。

「ねぇ、相沢君」

 藤田が後ろを向いて武を見ながら歩いていく。後ろ歩きは危ないと声をかけようとした時、先に言葉が届いた。

「今、好きな人いる?」
「……え?」

 完全に想定外の質問だった。それでもその意味するところをすぐに理解できたのは、今日まで由奈への気持ちに悩んだからだろう。おそらく、普段の武ならば友人としての好きを考えたはずだ。

「いや、いないけど」

 由奈のことを言うと後々めんどうなことになる、という思考は回った。咄嗟に言ったことで不自然にならないか武は不安だったが、相手には伝わらなかったらしい。藤田は一つ息を吐いてから、一気にまくし立てた。

「私、相沢君が好きなの。バドミントンしてる時が凄くかっこよくて……付き合ってくれない?」

 告白。人生で初の。もう少し舞い上がるかと武は思っていたが、頭は熱くはなったが冷静さは崩れない。
 返答は、決まっていた。

「ごめん」

 その三文字がどれだけ藤田を傷つけたのかが、武には十分見て取れた。相手の顔が苦痛に歪むのを見るのが辛い。だが、これが人生初の異性からの告白でもその辛さから逃げてはいけないのだと武は思う。
 好意を向けられて嬉しくないはずがない。それも、友情よりも更に一つ上であろう愛情なら尚更だ。
 だからこそ、相手の情を断ることには真摯に向かいあわねばならないと考えていた。

(そうだ。真面目に断らないと、悪い)

 武は唾を飲み込んでタイミングを計ると、硬直する藤田に言葉をかけた。

「ごめん。俺、そうやって告白されるの凄い嬉しいよ。でも、藤田のことほとんど知らないし、軽はずみに良いって言えないんだ」
「なら……もっと友達として付き合ってからなら、いい?」

 その返答に武は少し考える。自分の発言は確かにそう言ってるように思えるが、その気は今のところはない。何か良い答え方を探すも経験の浅い武には考えつかず、結局素直に言った。

「それも分からないよ。あとで好きになるかもしれないし、そうじゃないかもしれない。今分かるのは、今は告白に答えられないってことだけだよ」

 出来る限りそっけない言い方にならないように苦心したつもりだったが、本当にそう伝わっているか気になった。藤田は目を潤ませて泣きそうになっていて、その後のフォローをどうしようかと武が考えているうちに「分かった」と呟いてから横を通り過ぎていく。何か声をかけようにも言葉が浮かばず、武は過ぎ去るのをただ見ていた。

「ありがとう」

 横を通った瞬間、聞こえてきた藤田の礼。そのまま体育館へと進んでいく後姿に少しだけ武は救われていた。

(ごめんな)

 心の中で、また一つ謝罪する。少しその場で待ってから歩き出すと、すでに吉田達が自動販売機の前でたむろしていた。
 二人で歩いていたことに対してまず質問してきたのは若葉だった。武はただ歩いていたと言ったが、それに不満の若葉は藤田にも尋ねる。
 藤田が語ったのは武と同じだった。告白をする前と変わらぬ雰囲気で若葉をかわす。
 結局は他の面々はそこに言及しなかった。話題が終わり、藤田は由奈と早坂と共に桃華堂に寄り、男はそれぞれ解散。残りは同じ方向に帰る若葉のみ。二人の沈黙に耐えられずに武は「帰るか」と先に自転車に乗った。若葉も自転車にまたがって出発しようとしたが、動かない。

「ねー、実際のところはどうなの?」

 武の言動の裏にある物を読み取ろうと、目を大きくして見つめる若葉。その視線は受け流すのも一苦労だったが、武は興味津々という文字が列をなして浮かんでいる瞳に情報漏洩の危険を見る。相手を選ばず言いふらすような妹ではないが、ふとした弾みで口走ってしまいめんどうなことになることは十分予想できる。
 小学生の時もそれで起こったいさかいの尻拭いをしたものだった。

「何もないよ。ほんとさ」

 実際のところ、双子でも恋愛に関しては武より若葉のほうが分かっている。武と藤田の言動から若葉も真相は分かっているだろうという思いはあった。それでも否定するのは、このやり取りによって「もう触れない」という暗黙の了解を取り付けるためだ。
 若葉は「そう」と呟いて自転車をこぎ始め、武も続いていった。

(若葉なら、恋愛もバドも勉強も両立できるんだろうな)

 今、彼氏が出来た若葉ならバランスよく過ごせるんだろう。武のほうがバドも勉強も出来ているが、安定したピラミッドを築くことはまだ出来ない。

(断ったことで、ってわけじゃないけど。絶対上手くなってやる。まずは学年別で優勝を、狙う)

 優勝。その二文字を思い浮かべた時に悪寒が走った。どうして寒気がしたのか分からず、更に身体を震わせる。武の異変に気づいた若葉は口を開きかけて止めると自転車の速度を上げた。早く家に帰り、ちゃんと話そうとする時の行動だった。


 * * * * *


「武。気負いすぎてるね」

 家に帰りシャワーや食事を済ませて、武の部屋で向かい合った若葉の口から洩れた言葉。ベッドに腰掛け膝の上に肘を立て、広げた両掌に顎を乗せたまま武を真っ直ぐ見つめている。その瞳には確信の光があった。誰よりも傍で武を見てきた、双子の妹の瞳を武も見返している。光をしっかりと受け止める。

「やっぱり分かる?」
「多分、由奈ちゃんなら分かるかもしれないけど、そんなに目立たないかな」
「そうか」

 隠しても仕方がない、と武は気負いの原因を語る。
 明光中に生まれつつあるライバル達。
 小学生の時から続けてきた刈田を本気にさせた、まだ一年にも満たない実力者。
 追い上げられること、抜かれることの怖さを隠さずに若葉へと伝えた。
 ひとしきり話して沈黙が訪れる。若葉は頭をかきながら、口を開いた。

「武が気負ってるのは怖さだけじゃないよね」
「どういうことだ?」
「気づいてないなら教えるけど。武はね、負けず嫌いなんだよ」
「……?」

 若葉の言っているのは自分でも分かることだ。負けたくないからこそ、追い越されるのに怖さを感じているはず。上手くなりたいと思っているはずだ。そう思う武の内心を捕らえたのか、若葉は首を振って説明を続けた。

「武はさ、自分が抜かすのは面白いけど、抜かされることが凄く悔しいんだよ。プライド高いっていうか。それは私も含めて、小学校六年間続けてきても芽が出なかったって経験があるからかもしれない。私達が辿って来た道を、その明光中の人達は一年で通過しようとしてるんだから、それが許せない」

 若葉の言葉の一つ一つが武の心に突き刺さる。

「だから、自分がその人達に負けることが怖いんだよ。何故なら、ようやく学年別でも勝てるような実力を身につけてきたから。同じ双子なのに、本当に離されたもの」
「そう、か」

 持っていた違和感が薄れていく。帰る間際に「優勝」という言葉を思い浮かべた際に走った体の震えは、それを達成できなかった時に生まれた恐怖に生み出されたものだと。確かに強くなった。しかし、そのことで自分の中にどこかおごりが生まれたのかもしれない。

「もっとさ、前を見ていいんじゃない? 隣見ないでさ。頑張ってていつの間にか優勝っていうのも道だよ」
「そりゃそうだけど」
「ほら。言い負けたくないんじゃない?」

 思わず押し黙る。若葉の言葉が間違ってるとは思えなかった。それでも、優勝を目指して頑張るというのも道ではないのか。
 またしても、そんな武の考えを見透かしたように若葉は言った。

「ふふ。嘘。確かに優勝を目指して、他の人を意識して頑張るっていうのもいいと思うけど。それで潰れそうになってるんだもの、武。そのやり方で無理そうなら少し考え方を変えてみてもいいんじゃないってことを言いたかったの」

 そこまで言って若葉は立ちあがり、部屋の外へと出て行く。扉を閉める前に言葉を残して。

「由奈ちゃんに告白してからでも、強くなれるんじゃない?」
「お、おまっ――」

 武が反論する前に若葉は廊下へと消えた。高鳴る心臓を抑えながらも、気分が楽になっていく自分を感じて、武はベッドへと倒れ込む。
 道は一つじゃない。考え方は変えてもいい。そう言われただけで楽になる自分に笑ってしまった。
 由奈への淡い思いを封印した。それはそれで正しかったのかもしれないが、もしその状況が辛くなったのなら方向を変えてもいいのだ。

(ありがとうな、若葉)

 親よりも自分を理解してるだろう双子の妹に感謝して、武は仮眠のために目を閉じた。
 穏やかに揺れる闇に意識をゆだねた。
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