Fly Up! 331

モドル | ススム | モクジ
「――ポイント。シックスラブ(6対0)」

 右サイドのシングルスラインへとピンポイントで落ちたシャトルへとラケットを伸ばした状態で止まったまま、小島は審判の声を聞く。
 目の前のシャトルまであと半歩届いていない。しかし、顔には笑みを浮かべたままでそのままシャトルをラケットで拾う。
 ネットを越えたすぐ先には淺川が立っていて、同じように笑みを浮かべていた。
 小島の笑みがやせ我慢のものなのか本当の笑みなのか。どのように感じているのかは読み取れない。ある意味、ポーカーフェイスと似たようなものなのかもしれない。

「審判」

 淺川から意識をシャトルに戻すと羽がボロボロになっていたため、交換を要求する。すぐに審判は自分の隣に置いてあったシャトルケースから新品を取り出した。それを淺川へと渡すのを見つつ、レシーブ位置へと戻る。

(あと半歩)

 シャトルとの差。
 今のラリーで届かなかった分の距離を修正する。自分の中でのイメージと現実の誤差を修正していく作業も大詰めだった。誤差が小さくなると共に自分の中にある闘志が膨れ上がってくるのを自分でも感じる。
 それを淺川も同様に思っているのか、ショットがより厳しくなっていた。厳しくなったショットに対して更に追いつこうとする。その繰り返しも、もうすぐ終わるはず。

(でも、相手が相手だ。追いついたと思ったらまだ先、なんてことはありえる)

 ファーストゲームの経験を生かして自分の中に余裕を用意する。先があるのか分からないなら、先はないと決めつけて永遠に追いつき続ける。それを繰り返していけばいい。

「ストップ!」

 ひとつの覚悟。それは相手の限界を見据えた戦術を止めることだった。
 淺川へと追いついただけでは勝てない。いい勝負ができるだけ。
 あくまで必要なのは相手を瞬間的にでも上回ること。相手の底を見せる素振りがフェイクだというのならば、期待を捨てるだけ。
 対戦相手が見せる手札を全て切って捨てていく。
 覚悟は割り切りとも言える。ファーストゲームで培った事を一度完全に忘れた上で、新たに戦術を構築する。その時にもし使えるものがあるのならば再利用する。

「一本!」

 淺川も吼えてロングサーブを放ってくる。対戦している相手の中で何かが完璧にはまった音を聞いたのか、これまで以上に気合いを入れてシャトルを打っていた。
 高く上がったシャトルに対して、小島はシャトルの真下より少し後方に向かうと、前方に飛びあがりながらスマッシュを放っていた。

「はあっ!」

 威力と速度、角度を兼ね備えたジャンピングスマッシュ。
 これまでとさほど変わらないはずのスマッシュへと淺川は難なく追いつく。そしてクロスヘアピンを打つために手首を返そうとした。
 しかし、シャトルは綺麗なヘアピンにならずに浮かび上がる。

「!?」
「しゃあ!」

 驚愕の表情に染まる淺川の顔を横目で見ながら、小島はネット前に飛び込んでプッシュを打ち込んでいた。

「サービスオーバー。ラブシックス(0対6)」
「ナイスプッシュ!!」

 自分が声を上げるよりも先に、コートの外から豪快な声が聞こえてきた。サービスオーバーをとった本人よりも嬉しそうに、全身を使って喜びを表現する武に小島は作り物ではない本当の笑みを向ける。武の雄叫びのような声援に応えるように小島はラケットを掲げて吼えた。

「しゃあ!」

 セカンドゲームが始まって初めてのサービスオーバー。
 自分が覚悟を決めて、誤差を修正して挑んだ一発目。
 もしも失敗していればもしかしたら勝負が決まっていたかもしれないラリーを制したことで、小島の中にあった炎が更に燃え上がる。
 淺川はプッシュで打ち込まれて転がっているシャトルを拾い上げると、羽を整えて打ち返してくる。小島は中空でラケットを使ってキャッチしてからサーブ位置に立ち、淺川へと向かい合う。
 セカンドゲームに入ってから六回繰り返されたことを今度は自分の側から行う。何故か新鮮な気持ちになって、小島はそのままショートサーブを打っていた。
 相手はレシーブ体勢を整えており、小島もサーブを打とうとしていた。
 試合が始まることに関してまったく問題はなかったが、小島のあまりにも滑らかな動きからのサーブに淺川は虚を突かれたのか、慌てて前に出た。それでも淺川は静かなタッチでシャトルをヘアピンでネット前に送る。そこに飛び込む小島は、ラケットを滑らせてシャトルに回転を加えつつクロスヘアピンでネットを横切るようにシャトルを打った。ほぼゼロ角度のヘアピンによって淺川はネットに触れないように打つこともできず、落ちるのを見送るしかなかった。

「ポイント。ワンシックス(1対6)」
「しっ!」

 ラケットを持たない左手を思い切り腰の位置まで引きよせてガッツポーズをする小島。その様子をネットの向かいから見ていた淺川が、声をかけてくる。

「お前。まさか、このままいく気か?」
「ん? ああ。お前に勝つにはもうこれしかないからな。今の俺には」

 自分が行おうとしていることを理解した上で淺川が問いかけてきていると判断して、小島は回答だけ口にする。
 シャトルを自らネットの下から引きよせて羽を整えながら、次のサーブ位置へと移動する。振り返って淺川の顔を見ると笑みの形が崩れていた。思いもよらない力を見せられていることへの焦燥というよりも、小島の行動に対して理解できないというような困惑の色が強い。

(悩むのはいいけどな、淺川。今の俺はそんなんじゃ止まらないぞ)

 小島がサーブ体勢をとり、淺川が身構える。その形を見届けた上ですぐにショートサーブを放つ。シャトルが白帯を越えていったところで淺川は前に詰めてプッシュを打っていた。
 ショートサーブが良かったためにコースは打ち分け出来ずに小島の真正面。ラケットを出せば後方へと打てるはずだった。
 しかし、小島はシャトルの軌道にラケットを入れたところで、ラケットを止めた。
 シャトルは当然、ラケットを振る際の威力によって飛んでいく距離が伸びる。ラケットを止めればシャトルが撃ち込まれた勢いがそのまま跳ね返るためにヘアピンをしやすくなるが、反面、突き進んできた威力をコントロールすることは難しい。特に至近距離からのプッシュを跳ね返すならば、よほど上手くコントロールできなければネット前に高く上がってしまい、チャンスを相手に与えてしまう。
 しかし、小島がプッシュしたシャトルの威力を完全に受け切って、白帯すれすれの軌道を取り、さらに淺川がいる場所の逆サイドのシングルスライン上へと落としていた。
 打ち終わりに移動した淺川のラケットも届くことはなかった。

「ポイント。ツーシックス(2対6)」

 続けてのポイントに湧き上がる武達。北北海道の面々は淺川にドンマイ、と声をかけていた。その声にはまだ危機感はない。北北海道の絶対的なエースは相手の多少の抵抗があってもびくともしない強さがある。
 淺川の姿は小島が求める理想のエース像がある。サーブ体勢を整えたところでちらりと視線を向けると、応援する面々の中で一部は真剣な表情をして淺川を見つめていた。

(西村と、山本か)

 吉田と相沢の中学一年の途中まで一緒だったという西村。そしてそのパートナーである山本龍。全国クラスのダブルスであることは分かっているが、その力がこの試合の中で動いている流れを感知したのか。仲間達よりも、もう少し先を見ているのかもしれない。

「一本!」

 逸れた意識を淺川へと戻して、小島はシャトルを打つ。またしてもショートサーブ。淺川は読んで前に出るものの、またプッシュは小島の前へと打ってしまう。自分へと近づいてきたシャトルを、ラケットをスライドさせて打ち返し、今度は淺川のラケット側へと飛ばす。打ち終わりからすぐ回復する淺川でも間に合わないほどのカウンターで、シャトルは白帯に触れてからシャトルコックを支点にして回転するとネットにぶつかりながら落ちて行った。

「ぽ、ポイント。スリーシックス(3対6)」

 審判をしている役員も今、目の前で繰り広げられているプレイに驚きを隠せていない。三回連続のショートサーブ。そこからの前衛での攻防。淺川からの近距離攻撃を更にシビアに打ち返して得点を取る。相手の無理したプレイの小さな隙間を縫っての攻撃を成功させる小島の技量に目を白黒させていた。

「よし!」

 シャトルを拾った小島は淺川の声を聞く。
 今日三度目の言葉。それは淺川が攻められている状況において発せられて、その後は打開策によって小島が圧倒されている。
 しかし、小島はさらに笑った。

「今回はずいぶん早いじゃないか」
「……」

 小島の問いかけには答えずに淺川はレシーブ位置に移動する。
 それ以上は小島も言葉をかけることなくサーブ位置へと歩いて行く。
 振り返って淺川を見ると、前までと同じ笑みに見えても小島にはその中にある感情が覗いていた。
 笑みでは隠しきれない闘志が発せられて小島の髪をなでる。
 心地よい闘気を受けながら、小島はショートサーブを打った。四連続のサーブに淺川は完璧に反応してプッシュを叩きつけてくる。前二つは小島に向けてのシャトルだったが、今度は小島から離れるように右サイドギリギリに向けて打ってくる。それでもネットに近いために強打はできなかったが、弱くても一直線にライン上へと落ちていく。

「は!」

 そのシャトルへと、小島は追いついていた。シャトルを捉えてから打とうとする時に淺川の立ち位置を確認して、ネット前にクロスで打ち返す。
 いつもならば圧倒的にロブを打ち上げていたタイミングで、ヘアピンを返す。それは淺川にも想定の範囲内だったのか追いつこうと動く。しかし、シャトルに追いついた淺川の前に、小島が立ちふさがる。

「はあっ!」

 シャトルを打ち上げて淺川は後ろへと移動する。小島も飛ぶように移動してシャトルの真下まで来ると、ラケットを力いっぱい振りきった。
 シャトルはストレート、ではなくクロスカットドロップでコートを左から右へと切り裂いていく。ただのカットドロップではなくリバースカット。ラケットの掌側ではなく手の甲側を使ったカットドロップ。コントロールの難しさから難易度は跳ね上がる。
 それを、小島は初めて使用した。
 淺川もストレートに来ると思っていたシャトルを追って移動したが、白帯にぶつかってネットにすれながら落ちていくシャトルを見て手を出せないままとなった。

「ポイント。フォーシックス(4対6)」

 淺川が声を発してから次のラリーは必ず奪われていた。そこが、淺川の攻勢が始まる瞬間であったが、今回は小島がそのままねじ伏せる。この時になって初めて北北海道側も淺川がいつも以上に追い詰められようとしていることに気づいたのだろう。危機感が混じった声が小島の耳に入ってくる。

(まだ並んだとは思っちゃいない。お前はまだ底に届いちゃいない。そう思って、どんなものを見せられても屈しない)

 小島はかすかに両足に走るしびれを気にしないように両足を一度ずつ踏み込む。すぐに違和感は消えてシャトルを受け取ってからサーブ位置へと移動する。
 小島がやろうとしていることはリミッターを外すこと。そして、とにかく狭い範囲に淺川を封じ込めることだ。
 スマッシュやドロップを打てる状況を作ってしまえば、迷いを生じさせる。ならば、ほとんどシャトルを上げることなくネット前で勝負すれば場所は限られる。
 あとはシャトルをとらえる反射神経勝負。全ての情報から次に淺川が打つシャトルを予測して動く。
 そのために、自分も最も理想的なコースを突いていくしかない。
 覚悟を決めて茨の道を進むとした小島だったが、その道は急速に体力を減らしていく。
 これまでファーストゲームで淺川の一挙一動をずっと視覚でとらえて、それ以外の情報も収集するために集中力を高めたままだった。精神的にも削られている中で、自分が得たものがあえて淺川が与えてきた情報だと知り、揺さぶられた。そこまでの流れで減った体力を更に減らして戦い続けている。たとえ準決勝で試合に出ておらず、今日初めての試合だとしても消費する体力は想定以上で、限界が早くくるのは分かっていた。
 それでも、小島は選ぶ。

「一本だ!」

 自分にはその道しかないと決めたなら、あとは覚悟するだけ。
 体力の不安など分かっていたが、淺川に告げたとおりに倒すためならば何でもする。
 ラケットを振りかぶっておいて、またショートサーブを打とうとしたが、小島は淺川の姿をじっくりと見た結果、直前でロングサーブへと切り替えていた。
 その判断が功を奏したのか、淺川は一瞬だけ動きを止めてから後を追う。コート中央に陣取って淺川のスマッシュを警戒したが、打ってきたのはハイクリアだった。小島に打ちごろのシャトルをスマッシュで返させてカウンターを狙うというシナリオが頭に浮かんでも、動きは止めない。

「はあっ!」

 スマッシュをサイドラインぎりぎりへと落とす。
 かすかにアウトに見えなくもない軌道を淺川も気づいたのかラケットを止めて見送る。ライン上に着弾したところで、審判は告げる。

「ポイント。ファイブシックス(5対6)」
「なっ!?」

 審判の判定はイン。一瞬顔を崩して何かを言おうとした淺川だったが、あっさりと引きさがって小島へとシャトルを打つ。
 通常、判定は覆らず、言っても無駄になる。だが、それ以上に淺川を押しとどめたのは、ライン上にシャトルが入っていると分かったことだ。多少シャトルコックの位置がアウト寄りになっていたことも見極めたのだろう。
 見る者が異なればアウトと取られてもおかしくないぎりぎりの綱渡り。その最初の一発を成功させたことで審判も線を引いただろう。
 次以降も同じ軌道を打つならばインを取る。コートを最大限に使い、更に一ミリでも広く範囲を使おうとする小島。全体のイメージを把握してそこの誤差を修正した結果、小島の感覚はコートを支配するところまできた。

(さあ、どんどん行くぞ、淺川)

 気迫を込めて睨みつけた時、浅川の顔からついに笑みが消えた。小島を見て唾を飲み込み、ゆっくりとレシーブ位置へと移動する。
 その時、淺川の中にあったチャンネルが切り替わった音を聞いたような気がした。
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