Fly Up! 288
岩代が松本をどう攻略するかと試行錯誤している頃、藤田は逆にあっさりと追い詰められていた。
木戸悠希は藤田以上に高い身長を持ち、背の高さを生かしたスマッシュや、フェイント交じりのドロップを武器に着々と得点を重ねて行く。藤田も序盤は癖やパターンを見極めて反撃の材料にしようとしていたが、全く結果を残すことができず、第一ゲームを落としていた。
(やっぱり、強すぎるよ……私には……)
第二ゲームの初めのサーブ。木戸は高くシャトルを打ち上げる。藤田はシャトルを追っていったが、どうしたらいいか分からずにひとまずスマッシュを放った。しかし、読んでいたのか余裕を持ってネット前に詰めて追いついた、木戸はクロスヘアピンでシャトルを返してくる。打った直後で動こうにも足を進めることができず、シャトルが落ちるのを黙って眺めるしかなかった。
「ポイント。ワンラブ(1対0)」
ファーストゲームから続いている連続得点記録。自分にはもう勝機がほとんど見えない。ならば、このままギブアップというわけにはいかないかと藤田は考えてしまう。
試合前は清水と話していたこと。捨て駒だとしても堂々と戦おうと思って挑んだ試合。だが、実際には力の差を見せられて負けていく様子を皆の前にさらしてしまうことが苦痛で仕方がない。その場のテンションでやる気になっても、役には立たないのだ。
(このまま、何もしないで終わっても、仕方がないよね)
自分が負けたとしても仲間が何とかしてくれる。一人が辛い時は他の誰かが支えてくれる。それが団体戦ならば、自分が負けたことを残りのメンバーがカバーしてくれるだろう。
(岩代も負けそうなんだろうし)
横目でちらりと岩代のほうを見る。ちょうど得点が見えて、自分のようにあっさりと第一ゲームを取られて第二ゲームに入っているに違いないと考えていたが、その予想は完全に外れた。
得点は六対三。既に十一点を取られて、トータルだと十二点目を取られた藤田と違い、まだ序盤で粘っていた。しかもサーブ権は岩代。松本に抗ってラリーを続けている。
「藤田さん!」
藤田は大きな声で呼びかけられて反射的に声の方向を見る。審判が顔を不快感に染めながら、早く試合を構えるように告げた。藤田が構えずに隣のコートを見ていたために、相手がサーブ出来なかった。ちらりとしか見ていないと思っていたのに、いつしか構えも解いて見入っていたようだ。
「す、すみません」
藤田は謝罪して構える。木戸は藤田の構えがしっかりとしたところでシャトルをコート奥へと飛ばした。
シャトルを追いついてストレートハイクリアを打つ。シャトルを相手のコート奥へと飛ばして追わせると共にコートの中央に戻って腰を落とす。だが、藤田は迎え撃つ体勢は取っても、その手段は分かっていなかった。ただ、体が反射的に動いただけ。思考が追い付かないまま、木戸が放ってきたストレートスマッシュにラケットを伸ばし、一歩届かずにシャトルがコート上に跳ねた。
我ながらあっさりと二点目を取られ過ぎだと思うと、胸の内に自分への嫌悪が生まれる。さっきまでは諦めてすぐに負けようと考えていたのに、今はほんの少し、悔しいと思っていた。どうしてなかったものが生まれたのか考えてみて、岩代の善戦を見たからだと結論付ける。
岩代は実力差を埋めようと頑張っていて、効果を発揮したからまだファーストゲームで、点差はそこまで開いていないのだ。それに比べて自分は早々に諦めてあっさりとファーストゲームを取られ、セカンドゲームも二点を早々に献上してしまっている。
どうしようもないということは分かっていても、コートに立っている以上、試合をしているのは自分で、プレイヤーとして負けるのは単純に悔しいのかもしれない。
(私だって隙があるなら、なんとかしたい……けど……)
考え込んでしまい審判に怒られる前に、藤田は場所を移動する。コートの右側半分の中央で構えると、コートの外から早坂が「ストップ!」と言った声が聞こえてきた。
(そういえば、応援してくれてたんだっけ)
そこまで考えて、早坂達はずっと傍で応援してくれていたと思いだす。第一ゲームも、コートの右側に配置されたパイプ椅子に腰をかけて声を出して背中を押してくれていた。一向に調子が良くならないために集中できないのかと思って途中からは応援は控えていたが、二ゲーム目に入ってまたボルテージが高まっていく。
(私には、無理だよ早坂。吉田や、相沢やあんたに任せる……)
弱気になるとまた、また感情が薄らいでいく。勝ちたいと思う気持ちに急ブレーキがかかり、また早く試合が終わればいいと考え始めた。それを止めたのは、外ならぬ藤田自身。
(駄目。そんな考え方。それは助け合いじゃなくて――)
助け合いじゃなくて。その先に言葉は思うことさえも憚られた。
いったい自分は何を考えていたのか。頭を振ってからタイムをかけて、タオルで顔を拭くためにラケットバッグへと歩み寄る。中から大きめのスポーツタオルを取り出して顔だけではなく首元、腕や足も拭く。
出来るだけ自然と時間をかけるように拭いていく間に頭の中を整理してから元の位置に戻ってラケットを構えると、木戸はまた「一本!」と吼えてシャトルを飛ばしてきた。真下まで移動して藤田は必要以上に高く遠くへとハイクリアを打った。その間に改めて振り返ってみると、インターバル中に吉田コーチが少しだけアドバイスをしてくれたことを思い出す。
「やああっ!」
第二ゲームに入って体も十分に温まったからか、木戸は気合の入った声を出しながらスマッシュを打つ。藤田は何とかシャトルがコートにつく直前で打ち返すことができた。だが、次の前に出てくる木戸の手に体が硬直し、次にコートへシャトルが叩きつけられるのは防げなかった。
今までの悪い流れを引きずる三点目。しかし、藤田は悪い夢から覚めたように思考がクリアになっていく。
(反省は試合が終わった後、にしたいけど……実際にどうやったら勝てるんだろ)
藤田は更に思い出そうとする。インターバルは一ゲーム目の結果によってほとんど周囲の声を聞いていなかった。右耳から入って左耳から抜けて行くような感覚だ。しかし吉田コーチは間違いなくアドバイスをくれた。思い出すことができれば突破口になるかもしれない。
「とにかくまずストップだよ!」
「ストップストップ!」
早坂と姫川が並んで藤田へと声援を送る。その隣では清水も同じだと言わんばかりに頷いていた。瀬名は早坂達と同じ言葉を言おうとしたのか、口を何度か動かした後に結局は何も言わなかった。それでも藤田を見つめる視線は強く、逆転をするように訴えている。
藤田は今の状況が珍しく思えた。普段ならば、自分がコートの外から早坂や瀬名、姫川を清水と二人で応援しているというのに。
(珍しい、か)
珍しいという単語が頭に引っかかる。答えが出る前に身構えてシャトルを待ち構えるとすぐにサーブが放たれた。シャトルを追って行って何を打とうかと悩んだ時、脳裏によぎった一言。
言葉の通りに、藤田はスマッシュを放っていた。
木戸の右サイド。フォアハンド側へと。
シャトルは自分でも上手くいったと思える速さだ。打ち終わりを狙われないように着地してすぐに前に出ると、ちょうど木戸がシャトルを取ったところが見える。威力を殺してストレートのヘアピンでネット前に沈めようという目的なのは分かった。だが、シャトルはネットの白帯よりも少し高めの位置にふわりと浮かんだ。
「やああ!」
藤田は前に飛び出してラケットをできるだけ前に出す。だが、あと一歩及ばずにシャトルはネットに引っ掛かり自分のほうへと落ちていった。ため息が早坂達から洩れたが、すぐに「ドンマイ!」と声がかけられる。仲間達の励ましの声を聞きながら、藤田はシャトルを拾い上げて羽を整えると、静かに木戸へと渡した。
表情に笑みを浮かべて。
(思い、だした。吉田コーチが言ってくれたアドバイス)
レシーブ位置に返るまでに言葉を反芻する。二度と忘れないように。そして次に分析に移行して、アドバイスが効果的かどうかを考える。判断材料は今のスマッシュレシーブ。同じセカンドゲーム内でスマッシュをクロスで返した時よりも甘くなかったか。
(たまたまかもしれない。でも、試してみる価値はある。何も試さないで負けるなんて、やっぱり悔しい)
弱気が少しでも上向きになれば、思考が変わる。血が通い、回転を始める。藤田は小さく「うん」と呟きながら頷いてからラケットを掲げてレシーブ体勢を取った。
「ストップ!」
この試合で初めて出したかもしれない大声に、サーブを打とうとした木戸も応援していた仲間達も数秒動きを止めた。藤田はもう一度頭の中で吉田コーチの言葉を再生する。
『木戸は珍しいタイプかもしれない。スマッシュを、フォアハンド側に打ち込んでみろ』
バドミントンプレイヤーにとって体の真正面以外にシャトルを打ち返しづらい部分は、バックハンド側だ。フォアハンド側は通常のラケットの握りから無理のないフォロースルーで打てるために十分に力を乗せて軌道もコントロールできる。だが、バックハンド側だと普通の握りでは力を伝えることができず、握り方を変える選手がほとんどだ。そして握り方を変えても、正確にシャトルを捉えなければ力を伝達できずに返せない。
簡単に言うと、フォアハンドは力技で何とかなるが、バックハンドで打つことは技術とタイミングの比重が大きい。
(刈田みたいに力で何とかする人もいるけど、あれは例外よね)
自分は例外ではない。だからバックハンド側は今でも攻められれば弱いだろう。せいぜいネット前に綺麗に返せるようになった程度だ。藤田はセオリーにのっとって、基本的にはバックハンド側を攻めていた。それで返り打ちにあい、気合が減少してファーストゲームはいいようにやられてしまった。
だが、今のフォアハンド側のスマッシュへの返しは、どこか甘いように感じることができた。
(もしかしたらアドバイスが正しいって期待してるからかもしれないし……何度か試してみよう)
藤田の気迫に何かを感じたのか、木戸は少し間を開けてからロングサーブを打った。飛んできたシャトルをまずはハイクリアでストレートに飛ばし、ラケットをバックハンドに構えてコート中央へと戻る。木戸はストレートスマッシュを打ち込んできたが、今度は追いついてクロスにしっかりとロブを上げる。それまで上手く動かなかった体が、すんなりと動くようになる。サビついていた体に油がさされた後のようだった。
よいコースにシャトルが飛んだからか、木戸が移動して打ち返す様子には今までよりも焦りがある。体勢を立て直すためにハイクリアをストレートに打って中央へと戻る木戸に、シャトルに追いついた藤田はスマッシュを放つ。先ほどと同じフォアハンド側。打ったとほぼ同時に前に出る。自分もまた身長を生かしてジャンプをしないでその場でスマッシュをするだけでも角度や速さが付く。その分、次の動作に移る隙が少なくなる。
フォアハンド側に来たシャトルを、木戸はロブで返す。だが、今度こそ藤田は見た。返されたシャトルの飛距離が足りないことを。
「は!」
普段の返しよりも低く、飛距離がないシャトルに追いつくのは容易で、飛び付きざまにまたスマッシュをストレートに打ち込む。今度はフォアハンドでネット前に返したがラケットフレームに当たったのか、不規則な軌道のまま藤田のコートへと向かっていく。
(今度こそ、取る!)
藤田は前に出て手も足も伸ばす。限界まで伸ばした腕。ラケットヘッドが、ネットの白帯から下に行くギリギリの位置でシャトルを掴んだ。
プッシュで叩きこまれたシャトルはコートにぶつかり、小さく跳ねて転がる。
藤田はネットに触れないように何とかネットの目前でしゃがみこみ、体を支えた。
「サービスオーバー。ラブスリー(0対3)」
「やー!」
審判のコールの後に吼える藤田。体の内から込み上げてくる嬉しさを逆らわずに外へと出す。藤田は立ち上がって小さく左拳でガッツポーズを作りながらサーブ位置へと戻った。ずいぶんと久しぶりにサーブ権が戻ってきた。ファーストゲームの始まりにじゃんけんで取り、その後すぐ奪われてから実に十四点ぶりの再会だった。
(これで二回目。木戸、さんは……フォアハンドが苦手なのかもしれない)
たった二回だが、自分より実力が上で全国まで出ているプレイヤーが二回同じようなミスをするというのは、藤田の想像の範囲外だった。原因はやはり不得意だと思える。吉田コーチも珍しいと言っていたが、藤田には意外とありえることなのかもしれないと思えた。
(バックハンドは練習するけど、フォアハンドはできるからってやらないもんね)
藤田は初心者から始めた時に、素振りの練習をしていたことを思い出す。今では全くやらない。肩を暖めるのも基礎打ちでシャトルを実際に使って打つ時だけだ。素振りは肩を体に染みこませてしまえば継続的にやることとは思えず、フォアハンドで打つことは実際に練習しなくても初心者でバドミントンのバの字が分からない人でも打てるだけなら打てたものだ。だからバックハンドでレシーブする方が練習をする。
そのために、もしかしたらバックハンドで打ち返す方が上手い選手として育ってしまったのかもしれない。
(憶測は大事だけど、今、必要なことじゃないよね)
今、必要なことはフォアハンド側へのスマッシュが突破口になるのかということ。そのためにはもうひと押し、根拠が欲しい。藤田はシャトルを手にとってゆっくりとサーブ姿勢を取るとシャトルを思いきり打ち上げた。コート中央に腰を落としてから相手の動きをよく見る。木戸はハイクリアを藤田の右サイドのラインぎりぎりに沿うようにして打ってきた。そして木戸は自分のコートの左半分の中央へと移動し、身構える。木戸の右側はあからさまに空いている。打てるものなら打ってみろと言うように。
(行ってやる……私には、今はこれに賭けるしかないもの!)
藤田はラケットを振り切り、クロスにスマッシュを放つ。追って前に出ると、打ちこまれたシャトルを取ろうと移動する木戸の姿が映る。そしてフォアハンドで振りかぶり、シャトルに向けて叩きつけた。
「はっ!」
鋭く飛んだシャトルに藤田はラケットを伸ばすものの、取ることができずにやがて失速してコートに落ちた。
サービスオーバーで3対0
藤田は体を動かしたための汗以外に湧き上がってくるものを感じずにはいられなかった。
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