Fly Up! 266

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 シャトルが相手のコートに落ちて、審判が試合の終わりを告げた。
 藤田は自分が掲げたラケットによってインターセプトされたシャトルの行方を目で追ったまま、動きを止めている。目の前の現実が頭に浸透するのは切れていた息をゆっくりと収めていく過程の中。固まった体も解き、ラケットを下ろす。ネット前に近づいてくる相手の二人が見えたと同時に、安西が背中を軽く掌で叩いて衝撃に我に返った。

「セットカウント2対0で、南北海道の勝ちです」
『ありがとうございました!』

 藤田を除く三人が言い合ってネットを越えて握手を交わす。藤田も我に返り、改めて言いなおしてから手を差し出した。

「ありがとう、ございました」

 相手二人の手が順番に自分を右掌を包んでいく。藤田はされるがままに握手されるだけ。一通り試合を終えたところで、審判が両チームの他のメンバーもネット前に集めた。全員が並んでたところで、審判が高らかに宣言する。
 この試合の勝者と敗者を。

「4−1で、南北海道の勝利です」
『ありがとうございました!』

 二十人が同時に挨拶する。それから静岡チームは足早にコートを後にした。背中を見送っていた藤田に対して、安西が声を加える。

「全国初勝利、おめでとう」
「……そっちもだよね。ありがとう」

 安西の言葉にようやく自分が勝利したことに実感が持てた藤田は、握手で掴まれた掌をしっかりと握った。自分が勝利したという事実を改めて自分の中へと握りしめるように。

「よーし、俺達も帰って明日に向けてのミーティングをするぞ!」

 吉田コーチの言葉に返事をして、藤田も歩き出す。浅葉中では何もできなかった自分が全道大会に出られて、全国で初勝利を掴むことができた。遅れてきた興奮に浮つく自分を止められない。
 しかし、少し先を歩く早坂の意気消沈した背中を見て衝動が収まった。
 本来の力を全く出せずに負けた早坂が今、何を思っているのか、藤田には想像できない。いつもならば早坂が勝利し、自分が負けていた。そうした「本来の立ち位置」とは真逆の状況に、戸惑いが生まれるのを止められない。

「早坂のこと、考えてる?」

 安西に小さな声で問いかけられて、藤田は頷く。安西も腕を組んで「うーん」と唸ってから呟いた。

「早坂が自分で立ち直るしか、ないかもしれないな」
「そう、かな」
「今回はどっちかっていうと、かな」

 安西の言葉の真意が分からず顔を見るが、安西はもう視線を藤田から外してまっすぐ前を見て歩いていた。藤田も正面に視線を移して歩きだす。
 初勝利の余韻は徐々におさまり、次にあるのは新しい相手への不安。道内ならばトーナメント表で見たことがある名前からある程度実力も判断できるが、今回の相手は住んでいる地域自体が全く異なる。相手もそれは同じだろうが、少なくとも藤田よりも実力が上の者ばかりというのは、藤田には問題で相手にはそうではない点だろう。

(私が、もっと、強くならないと)

 心の中で改めて誓い、藤田は皆の後を追っていった。

 * * *

 夕食を終えてミーティングルームとして借りている部屋へと武達は集められた。ホワイトボードには既に吉田コーチが次の日の団体戦のオーダーを書き込んでいる。
 食後で少し眠気があった武は、自分の名前が書かれている場所を見て一瞬で目を覚まし、目を丸くした。全員が集まってから吉田コーチはオーダーについて説明を始めた。

「では、二日目の試合のオーダーを発表する。まず、男子シングルスは、相沢」

 全国の舞台で、まさかダブルスから外れてシングルスをすることになるとは武は思ってもみなかった。小島以外の人間がシングルスにつくということに想像力が届いていなかったのかもしれない。そうするならば、小島を休ませるか、ダブルスとして出すかという選択肢であり、全道ではあるとしても全国は核として小島を据えていくと思っていたから。
 武の疑問点を理解しているのか、吉田コーチはホワイトボードの武の名前をマジックの先で軽くつつきながら説明を始めた。

「まず、高知だが。レベル的には静岡とそう変わらないと見ている。だからオーダーを今回と変える必要は特にはない、が。いろいろな組み合わせに慣れてもらいたいこともあって、まずは相沢をシングルスにした」
「いろいろ、ですか」
「そうだな。俺は、このチームなら予選は突破できると思っている。だが、その先のトーナメントは読めない点が多い」

 吉田コーチの言葉に全員の体に力が入る。次の試合の高知も武達のような戦いを越えてきた実力者だ。実力に関してはさほど変わらないはず。それでも吉田コーチは武達の勝利を疑っていない。武は一度全員の顔を眺める。吉田も小島もコーチの言葉を疑っているところは見られなかった。二人は特に、本気で全国での優勝を狙っているのだろう。安西と岩代も同様に、瞳に強い光を映している。
 逆に女子はそこまで強く信じられてはいないようだ。瀬名や姫川。藤田と清水は発言の内容に目線を泳がせている。ただひとり、早坂だけは無反応だった。

(早坂……まだ……)

 昼間の敗戦のショックを隠せないのかと思ったが、すぐに吉田コーチの言葉に意識を戻された。

「選択肢は多い方がいい。相沢は、今回の相手ならシングルスで勝てると俺は考えている。どうだ? やれるか?」
「はい。やらせてください」

 自然と口は肯定の返事を出している。
 確かにオーダーを見た時には驚いたが、シングルスに出ないという選択肢は最初から武にはなかった。中学時代はダブルスと考えていた武にとって、シングルスでどこまで力が通じるかを試す絶好の機会なのだから。

(それに。俺が負けても皆が勝ってくれる)

 それはこのチームになって得た仲間への確かな信頼。実際には不可能なものは不可能であるが、このチームならどんな相手にも勝てるような気がしていた。この大会が終われば解散とは信じられないほどに。

「よし、じゃあ男子シングルスは任せたぞ。次に、女子シングルスだが、引き続き早坂にいってもらう」

 吉田コーチの言葉に全員がざわつく。唯一、心ここにあらずの状態だった早坂が全員の反応の後に違和感に気づいて周囲に視線を向ける。
 その段階になって、更に自分に視線が集中していることに気付いてぼんやりと耳に入ってきていた言葉を思い返そうとしていた。だが、先に吉田コーチが告げる。

「今日、調子が悪いのは知っている。だが、全国で勝ち進むには早坂の力が必要だ。試合に出ることで調子を上げさせようと考えているが、それ以前に無理なら今、言ってほしい。どうだ、やれるか?」
「やれます」

 吉田コーチの言葉に対して、早坂は間髪入れずに答えた。今日の失態は全員に見られている。調子を崩していることも見せてしまっているが、それだけに吉田コーチから与えられたチャンスを逃さぬように即座に口にしていた。

「やらせてください。あんな試合をして、言えたことではないかもしれませんが……チャンスを、ください」
「分かった。では、女子シングルス早坂でいく」

 吉田コーチはホワイトボードに書いた早坂の名前に赤丸を付ける。
 更に男子ダブルスは安西と岩代。女子ダブルスは瀬名と姫川と赤丸つけて、最後に吉田と清水の名前を書いた。
 小島と藤田が休む形。南北海道の男子シングルスエースを温存して、高知戦に挑む。
 そこから各自に試合時の作戦を指示した上で、ミーティングは解散となった。
 部屋から出ると夜の九時近くとなっており、気だるさが出てきた体を伸ばしてほぐしながら武は歩き出す。

「ふわぁあ……。風呂でも行くかな」
「いいな。一緒に温泉行こうぜ」
「じゃあ、一階で待ち合わせよう」

 すぐそばを歩いていた吉田と言葉を交わし、自分の部屋に戻ってから風呂に入る準備をする。ホテルの一階に備え付けられた浴場に向かうためにエレベーターホールに向かった。ちょうど安西と岩代も浴場に向かうのか、先にエレベーターの扉の前に立っており、合流して話に入る。

「明日はお前と吉田以上にあっさり勝ってやる」

 岩代の言葉に頼もしさを感じる。大会が終われば別の中学でライバルとして立ちふさがる。そのことを考えると、この大会でレベルアップしてしまうと浅葉中としては苦しくなる。それでも、構わないと武は思っていた。

(相手が強いなら、もっと強くなってやる)

 明日に向かって取っておくべきの気合いを使い果たさないようにしようと呼吸を落ち着かせていると、扉が開く。
 そこには瀬名と姫川。そして早坂と女子三人が乗っていた。

「安西君達もこれからお風呂?」

 先に口を開く姫川。安西はそうだと言ってエレベーター内に入ってからも会話を続ける。武には、開いた瞬間に重たい空気が霧散したように思えていた。

(やっぱり早坂。いつもと様子違うんだよな)

 いくら体調が悪くてもここまでいろいろとマイナスに転がるのか。
 武には早坂の今の状態がよく分からなかった。ミーティングでシングルスを任されたことで気合が入っているのかもしれないが、武には空回りしているようにも見えた。

「な――」

 早坂に声をかけようとしたところでエレベーターが一階につき、扉が開く。話しかけるタイミングを失って武は口を閉ざし、しょうがなく皆の後ろを歩きだす。並んで進む安西達の後ろについて歩いていた武と、斜め後ろを歩く早坂。
 フロントを抜けた先にある浴場の前に吉田が立っているのを見て、武は足を速めようとした。そこで、背中から声がかかる。

「相沢……」

 消え入りそうな声に、一瞬幻聴かと思った武だが後ろを振り向いて早坂の姿を見る。早坂の眼は武をじっと見つめていて、今の声が幻聴ではないことを武に教えていた。

「どした?」
「えっと、ね」

 口に出すことを何かが阻んでいる。歩みを止めていないために、徐々に浴場の入口が近づいてきていた。そこに辿り着いてしまえば会話はできなくなるだろう。それでも、武は歩みを止めず、早坂の言葉を待った。少しだけペースを落とし、早坂のほぼ真横につくようにして足を進める。
 しかし、早坂が再び口を開くことはなく、浴場の入口で男女に分かれて更衣室へと入ったのだった。

「なあ、早坂と何か話したのか?」

 服を脱いでいる最中に岩代が武へと尋ねてくる。武は首を振って結局何もないことを告げた。

「そっか。早坂がこのまま調子悪いってなると厳しいかもな」
「きっと、大丈夫だよ」
「何を根拠に?」

 岩代の言葉に武は考える。自分が何を根拠に早坂の復活を信じているのか。
 だが武の中に言葉が浮かんでくることはないまま、服を一通り脱いでタオルを取り、湯船に向かった。そのあとを続いて岩代も歩いて行く。

「何かないのか?」
「んー。何にもないかも。ただ、終わらないなって思ってるだけ」
「ずいぶん信頼してるんだ」

 信頼。その言葉に武は一つパズルのピースがはまる。今までの早坂が自分達に見せてきた実力。
 それが全く発揮されないまま終わるとは思ってはいないのだ。根拠は確かになく、早坂が復活することはないかもしれないが、強く否定する要素も今のところ武の中にはない。
 それこそ、武が抱いている全能感――このチームならどんな相手にも負けない。何でもできるはずと思っていることも関係しているだろう。

「信頼、してるのかもしれないな」

 ぼんやりと答えたままで武は風呂場へと入る。同い年ぐらいで見覚えのない男子がちらほらと見えて、改めて全国大会を意識する。自分達だけがホテルに泊っているわけではなく、対戦相手もまた泊まっているのだ。

「最終日になるにつれて、いなくなってくのかな」
「そうかもしれない」

 武の言葉に応える岩代の口調には少しだけ緊張が含まれていた。
 それからは会話をせずに、先に体の汗を流していた安西と吉田に合流し、一日の疲れを流していった。

 * * *

(私は、何を言おうとしたんだろう)

 シャワーを浴びて体を洗った早坂は湯船には浸からずに足早に更衣室へと戻った。体調の悪さはかなり回復し、あと一日か二日すれば完全に以前の通りになる。
 女性の体に起こる仕方がないこと。前々から考慮はしていたが、今回は特に酷かった。月やストレスの大小で襲ってくる苦痛の幅は変わってくるが、最初から四日目である今日は鎮痛剤を飲んでもほとんど痛みが残り、まともなプレイができなかった。今日の敗北もそのためだったが、良くなっていることは確か。明日こそは巻き返そうと早坂は決めていた。
 しかし、バドミントンの調子が戻るかは分からずに常に不安が心の底にある。
 治まりかけでも念のためということでシャワーのみにし、手早く下着をつけてシャツを着る。ジャージ姿になってから更衣室を出て、火照った体を冷ましながら歩きはじめた。

(相沢に何を言おうとしたんだろう。何を言っても仕方がないのに。それとも……何か言ってもらいたかった?)

 瀬名や姫川には既に体調のことは話していた。藤田と清水には機会はなかったが、同じ女子ならば気づいただろう。男子に話して何が解決するということはなく、むしろ困らせてしまうだろう。特に、武は。

(由奈と付き合ってても、全然そういうの知らなさそうだしね)

 自然と頬が緩んでいる自分に気づく。
 もしも話していたら、武はどういう反応をするかと想像しただけで、おかしくなる。慌てて、何を言えばいいのか分からなくなって、しかし真面目に何かしらの答えを出そうとするだろう。その誠実さが、由奈が見てきたもの。そして、自分が惹かれたものだったのだ。

(もう諦めているんだけど。ね)

 ジュニア大会が終わった後の帰り道で告白したことが頭をよぎる。
 由奈にそのことを告げ、いくつものことに決着を付けたはずだった。それでも残る思いは、どうしても切り捨てられないのかもしれない。近頃は思い出さなくなっていた過去の記憶が浮かび上がったことに、早坂は軽く頭を叩く。

「疲れてるのかも」

 まだ濡れたままの髪の毛の先を指で巻き取りながら、部屋に戻ろうとエレベーターに歩みを進める。だが、開いた扉から出てきた小島の姿に早坂は足を止めた。同時に小島が早坂に気づいて近づいてくる。

「よう。早い風呂上がりだな。他のやつら、まだ入ってるだろう?」
「病み上がりだから。無理しないどこうって思って」
「そっか。風邪引くなよ」

 小島はそれだけ言うと早坂の隣を抜けていく。何か言葉をかけられるかと思っていただけに、早坂は拍子抜けで息を吐いた。

(……頑張らないと)

 エレベーターの傍にきて上に行くボタンを押すと、小島が出てきたエレベーターの扉が開く。中に入って自分の階に行くようにボタンを押し、扉を閉めようとした時、遠くから自分を見ている小島が目に入った。瞳はしっかりと早坂を捉えている。
 視線は扉が閉まることで自然と消え、エレベーターが昇り出す。早坂は扉に手をつきながら項垂れていた。まともに小島を見返せない自分に嫌悪感を抱きながら。

 全国大会一日目。その日の夜は静かに更けていった。
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