Fly Up! 246

モドル | ススム | モクジ
 第三ゲームが開始される少し前に、小島のシングルスが終了した。団体戦としては先勝したこととなり、これで早坂が君長に勝つことが出来れば王手となる。
 まだ負けても一対一であるため、次の試合が行われないことはない。結果、小島が試合をしていたコートに次の組が入ることになる。

「香介。相沢。出番だ」

 吉田コーチが小島の試合が終わった段階で声をかけてくる。武は手に汗を握ったまま早坂の試合から目を反らすことが出来なかった。それほどまでに二人の技量は高く、スピードも桁違い。自分にないものをたくさん持っており目が離せない。しかし固まっている武の肩を吉田が叩いて意識を自らに向けさせた。

「武。出番だ」
「香介……早坂、勝てるかな」

 声音に含まれる不安を止められない。二ゲーム目は離されてしまったが、早坂はよく喰らいついていた。君長も二ゲーム目の最後の方は息を切らして早坂のシャトルへと食らいついていたところを見ると、かなり無理をしているはず。それは早坂がそれだけ君長を追いつめている証である。
 しかし、早坂が見たように武も君長の靴の履き替えを見ていた。早坂のように悟ったわけではないが、このタイミングで履き替えるということは本気を出していなかったということだと予想する。合わない靴を履けば力の伝導率が悪くなるだけではなく怪我をする可能性も増える。そうなれば必然的に思い切ったプレイや自分の力をうまく引き出せないだろう。特に君長の武器はフットワーク。床を蹴る足の裏がしっかりとコートを掴まなければ速度は落ちる。
 今まででも十分速く、早坂を苦労させたにもかかわらず、君長には更に上があるということだ。

「分からないよ。俺は神様じゃないし。ただ、何とかするのは早坂自身しかいないってことだよ」
「それは……そうなんだろうけど」

 呟きつつも、武はラケットバッグを持ってコートへと向かう。少しスタートが遅れただけで、コートにはすでに対戦相手が陣取っていた。
 身長が低い方が鈴木直人。高い方が梶幸助。
 身長の高低で武は判別したが、実際にそこまで身長差があるわけではなかった。自分と吉田と同じくらい。それくらいしか表現するところがない。

(なんだ……この感じ……)

 今まで戦ってきたライバルと何かが異なると、漠然とした雰囲気を武は感じ取っていた。武はネット越しに二人のことを観察するが、どこか釈然としない思いにモヤモヤする。首を傾げつつもセカンドサーブの位置へとついて、吉田の背中を見て相手ペアの姿を見ないようにすることでモヤモヤを消した。
 練習の時間はなく、すぐにじゃんけんをして試合を開始する。
 吉田がじゃんけんをしてサーブ権を取り、ファーストサーバーの鈴木は今いる場所を取る。審判の協会役員が準備を整えて、口を開いた。

「フィフティーンポイント。スリーゲームマッチ。ラブオールプレイ!」
『お願いします!』

 四人の声が同時に響く。武は持っていた迷いをひとまず振り切って、腰を落とす。吉田のサーブに合わせて、最善の一手を打ち込むために。

(俺は俺のやることをやるから……早坂、勝てよ!)

 心の中で、届く筈のない声援を武は送った。

 * * *

 早坂はコートに立ち、レシーブの構えを取ろうとした。そこで、誰かに呼ばれた気がして動きを止めてあたりを見回す。視線を向けられたチームメイトは総じて首を傾げ、隣で試合を行おうとしている武と吉田は相手との試合に集中している。誰も自分に声をかけてくる状況ではないと気づき、君長へと視線を戻す。

(相沢の声かなって思ったんだけど、まさかね)

 幻聴を聞くような状況かと問われれば、そうかもしれないと早坂は思う。第二ゲームを取られ、君長は今まで出していなかった本気を遂に出してきた。靴をわざと少し緩めに履くことでフットワークの速度をあえて遅らせ、靴紐を縛って足にフィットさせて本来の速度を引き出したと思えば、実は靴自体を全道の時のものとは変えていた。最初から全力を出してこなかったことに対する怒りなどはない。むしろ、最初から全力を出していれば今の自分は既に負けていたと素直に認める。
 まだ、君長凛に自分は届いていない。相手に手加減されることでようやく五分五分まで持ち込んでいる。
 それはいつか越えなければいけない壁だという現実がそびえたつが、次に早坂は自然と思っていた。

(今は、とにかく勝ちたい)

 相手が第三ゲームから本気を出してこようとも、今は勝ちたい。例え自分が負けたとしても仲間達がきっと他の試合で勝って、全国へと進出できるだろう。そう思っても、仲間達のために早坂はここで勝ちたかった。突き動かすのは練習や試合の中で自分を支えてくれた仲間のため。

(支えられてばかりなんだから……今度は、私が)

 ラケットを掲げて君長を睨み付ける。静かに息を吸い、気合いの声とともに吐き出した。

「ストップ!」
「……一本!」

 早坂の声の店舗に合わせるように気迫を見せる君長。その声とともに押し寄せるプレッシャーを早坂は一瞬で跳ねのけた。ロングサーブで放たれたシャトルを追って行き、後ろについて体を前に投げ出すようにラケットを振る。

「はぁああ!」

 遠心力を利用して大振りで振られたラケットがシャトルを捉える。前に詰めていた君長がラケットでシャトルを捉えるも、ヘアピンに失敗したのかネット前に上がる。そこに早坂は飛び込んでラケットを再度、思い切り振り切った。シャトルは君長の顔の傍を越えてコートへと突き刺さり、早坂は体の勢いを殺すために思い切り踏み込んだ。

「――つぅ」

 踏み込んだ右足がしびれるほどに強く。自分の渾身の力を込めるかのように。

「サービスオーバー。ラブオール(0対0)」
「よし!」

 早坂はラケットを掲げて思わず叫ぶ。その様子に君長は一瞬呆気にとられたが、すぐにシャトルを拾いに行く。切れる息をゆっくりと呼吸をすることで体を落ち着かせていく。
 早坂はサーブ位置に戻り、君長からシャトルが飛んでくるのを待つ。その間に、三ゲーム目の戦略を決める。
 君長の本気に対して自分が何が出来るのか。考えた結果、残ったのはスマッシュで押していく戦法だ。
 合同練習で十分に鍛えて通常のスマッシュの威力を上げた。更に体重を乗せて振り切る、打つのに時間はかかるが威力を上げたスマッシュも使えるようになった。後者は君長のスピードには大きな隙となるために打つことが出来ず、コントロールだけで勝負してきた。しかし、終盤に来て自分の体が君長の速度に慣れ、シャトルにもタイミングを合わせられるようになった。
 君長も靴を履きかえることでフットワークは全力を出してくる。それに対して早坂も今まで使っていなかったショットをラリーの組み立てに使うことが出来る。戦力的には五分五分だろうが、追いつめられているのは自分の方。あまり時間はかけられない。

(多分、フットワークの切り替えしも早くなってるけど、途中まで突けていた弱点は変わっていない筈)

 君長からシャトルが放られて、中空でラケットで絡め取る。羽を乱さないように静かに持ち、サーブ姿勢を整えて君長の姿を視界に収める。君長は爪先立ちをして軽く体を揺らしながら早坂のサーブを待つ。前傾姿勢だが、ロングサーブを打っても十分追いつける速度がある。逆を突いて前に打っても、前に即座に飛び込んでプッシュを打ちそうだった。

「一本!」

 早坂は咆哮してラケットを思い切り跳ね上げる。シャトルは綺麗に弧を描いて君長をコートの深奥へと誘い込んだ。後ろまでしっかりと下がり、更に数歩距離を取る。そこから前に飛び込むようにジャンプしてラケットを前へと振りぬいた。

「はっ!」

 声と同時に来るような錯覚。速度を増したシャトルに早坂は追いついて思い切りクロスに打ち返す。一瞬捉えるのが遅れたのか、シャトルは逆サイドではなくコート中央の奥へと飛んでいく。君長は着地してからすぐにシャトルに追いつき、また後ろから飛ぶ。二度目のジャンピングスマッシュ。真正面に来たそれを、早坂はバックハンドで今度は的確に捉えた。シャトルはネットすれすれに落ちていき、君長も着地した直後で動くこともできず、シャトルの流れを見送った。

「ぽ、ポイント。ワンラブ(1対0)」

 その場の空気が凍りついたような静けさの中で審判が声を出すことにためらいながら言う。早坂は自分でネット前に行き、シャトルを下から引いて取り上げた。気を抜けば大きく息を吐いてしまいそうで、耐えながら君長に背を向ける。ゆっくりと息を吐いて落ち着かせてから、振り向いてサーブ態勢を取る。

(私も……慣れてきたんだ)

 第二ゲームで何度も打ち込まれてきた君長のジャンピングスマッシュを取れるようになっている。目に映った時にはコートに落ちていたシャトルを、君長のラケットの軌道から予測できるようになっている。

(あのスマッシュは威力はあるけど、弱点はコースがほぼストレートになることなんだ)

 後ろからジャンプして前に打ち込むスタイルは、君長の体躯の小ささから来るパワー不足を補うために生み出したものだろう。バドミントンプレイヤーとしてフットワークやレシーブ力に関しては全国最強なのは間違いないが、唯一の弱点は小さい体のためにショットが軽いこと。
 君長のスタイルは相手のどんなショットでも追いついて拾い、甘くなったショットをプッシュで叩き込んだり、相手が追い付けなくなったところでスマッシュを打ち込むという、基本的にカウンタースタイルだ。レベルが高いためにほとんどの相手は倒されていくが、君長は更に上を目指したのだろう。
 自分で決められるフィニッシュショットを身につけるために。

「一本」

 早坂はさっきとは違い、静かに呟いてからロングサーブを放つ。中央に陣取って次の君長のショットを予測し、打たれた瞬間に後ろへと飛ぶように移動した。ストレートのハイクリアで飛んでくるシャトルは予測通りの位置へと向かっていく。真下に移動した早坂はクロスのハイクリアで君長を右サイドへと移動させ、その間に中央に戻って腰を落として君長のスマッシュを待つ。
 だが、そこで君長はまたストレートハイクリアで早坂のバックハンド側へとシャトルを運んだ。

(もう一発じゃ決まらないって割り切って、崩してから決めるってことね……)

 第二ゲームはほぼ一回で決まっていたために続けていた戦法を止めて、ラリーに組み込む方向へと瞬時に変えた。そうなると不利になるのは早坂になる。ハイクリアからストレートにドロップを打ち込むと、そこに突進してくる君長の姿が見えた。早坂がコート中央に戻ると同時に逆サイドへのヘアピンが飛ぶ。ギリギリネットに触れないようにして早坂はヘアピンで返した。そこに横方向へ移動して現れる君長。足をつける瞬間にラケットが振られ、早坂の頭上をふわりとシャトルが越えていった。

「はっ!」

 後ろに仰け反って倒れこみそうになるほど体を反らして早坂はシャトルを打ち返した。後ろにたたらを踏んで何とか踏みとどまるも、打ち返したシャトル目掛けて君長が後ろから飛ぶのが見えた。ラリーの中で早坂のバランスを崩した上でのスマッシュ。
 完璧な形で放たれたスマッシュは早坂のすぐ傍を通過してコートへ着弾した。

「きゃっ!?」

 踏みとどまった後でギリギリだったところに傍をシャトルが通過したことで、バランスを崩して尻餅をついてしまう。大きな音を立てて床に手をついたことで早坂へと仲間達が悲鳴にも似た声をかけてくる。

「ゆっきー!?」
「早坂!」

 姫川と瀬名が心配そうに見てくるのに対して、早坂は笑顔で手を振り、立ち上がる。無理はしておらず、痛いところもない。屈伸と伸脚をして問題ないことをアピールすると、ラケットを拾い上げた。
 乱れたシャトルをゆっくりと整えてから君長へと返す。そしてレシーブ位置へと戻ろうとして靴紐がほどけていることに気が付いた。

「すみません」

 審判に手を上げて断り、靴紐をゆっくりと結ぶ。ほどけては本当に怪我をしてしまうと、紐をきつめに足の甲に巻きつけるように強く縛る。自分の足の甲に吸い付くかのようにしっかりと靴を履いていることを確認して、何度か床を踏みしめた。

(これからはもっとシビア……こっちも本当に考えて、打つシャトルを決めないと)

 移動スピードの速さで追い込んでくる君長に打つタイミングを外しても効果はあまり見込めない。最大の武器であるコントロールからドロップを打っても、今のようにネット前に詰められてしまえばプッシュやヘアピンを打たれる。ギリギリのところに打てばたいていの相手は上手く返すことが出来ないが、君長は違う。別の方法でバランスを崩し、決めるべきところにシャトルを決める。それが、早坂の目指すべき戦略。
 そこで一つ思いついて、早坂は気を引き締めた。

(よし……やってみよう)

 自分の中にある武器を最大限に使い、目の前の相手を倒す。体力のことは考えていられない。最後まで、倒れるまでいくしかない。その時に自分が立っていなければ、負け。立っていれば……半々で勝つ。

「ストップ!」
「一本!」

 君長に叩きつけるように叫ぶ早坂。それに対抗して叫び返す君長。最初は穏やかに始まった試合も、ファイナルゲームとなってからは互いの闘志を存分にぶつける展開になる。自分の中にそこまでの激情があったのも驚いたが、君長が前面に気迫を押し出してきているのがより驚いた。

(別に不思議なことじゃない……私は、今まで全道大会でしか君長に会っていないんだから)

 打ち上げられるシャトル。君長の内にある闘志をそのまま飛ばしたように力強く中空を駆ける。そうしてコートを深く飛んで落ちてきたシャトルに対し、早坂は狙いを定める。コースは最初に決めたところ。フェイントなど考えない。
 適度な脱力。打つ瞬間のインパクトに自分の中の力を全て注ぎ込む。

「はっ!」

 ストレートに叩き込んだシャトルを、君長は打ち返す。だが、タイミングがずれたのかいつもよりもクリアが飛ばずに早坂にチャンス球が上がる。それ目掛けてまたラケットを振りかぶった。

(力で強引にバランスを、崩す!)

 自分の技術を生かすために。力で君長のバランスを崩して最後にシャトルをコントロールして決める。
 それが早坂の選んだ戦法。今まで頼ってきた技術を生かすために、あえて苦手だったパワー勝負を挑む。

(必ず、勝つ!)

 スマッシュを再び君長の真正面へと打ち込む。
 早坂の決断に対して君長がどう動くか。二人とも全力でのファイナルゲームは、まだ始まったばかり。
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