Fly Up! 23

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「あ、私は斉藤和華(わか)って言うの。西村君のご両親と私の両親、昔から仲良くてね。私も彼のことは少し離れた兄弟みたいなものかな」

 斉藤は由奈に話の対象を絞ったのと、やはり同性だからということで気が楽になったようだった。武の存在はちゃんと意識しているが、由奈に語ることで間接的に伝えようとする。

「でも私も詳しくは知らないんだ。ただ、お父さんの仕事の関係で旭川に夏が過ぎる前に転勤みたいなの。学校なら二学期からね」
「そうなんですか……」

 旭川となれば北海道の中央のあたりに位置しているなと、武は脳内に地図を広げる。正確な位置は唯一苦手な教科が地理という彼にとって割り出すのは困難だったが、そこまでの精度はいらないだろう。
 武にとっては自分のいる地域にいるかいないかだ。
 全地区大会で会える場所とも違う。
 つまり、試合で会えるとするなら全道大会でということだ。

(そんな遠くなんだなぁ)

 電車で行くならば往復で二時間で行けるだろう。しかし、学校で会うこともなくなるし、偶然外で会うことももちろんなくなる。
 数ヶ月だが、一緒に部活で汗を流してきた一人がいなくなることの寂しさが徐々にだが武の中に広がっていった。

「本当、これくらいかな、私が言えるのは。西村君の親の仕事とかは言っても意味ないでしょ?」
「ふふ。そうですねー」

 大した情報ではなかったが、それでも十分だった。
 夏休みが終わる頃には西村はいない。そして、それを他の部活の仲間には言っていない。

(先生には……さすがに言ってるか)

 由奈はいくつか言葉を交わして、斉藤から離れた。武は持っている西村のラケットを少しだけ力を込めて掴む。

(今日、聞けたら聞いてみるか)

 しかし、その必要がないことは部活で知ることになる。


 * * * * *


 学校に着いてTシャツとハーフパンツに着替えた武と由奈は体育館の隅で準備運動を始めた。十二時からバドミントン部と卓球部が体育館を使う番であり、今は十一時五十分。バスケ部とバレー部の片付け兼ミーティングの時間となっている。
 吉田や橋本など他の一年や二年も全員、点在しておのおの足を伸ばしたり協力して背中を押し合ったりなど思い思いの運動をしている。その中に、西村の姿はなかった。

「なぁ……こないと……思うか?」
「来ないならラケット届けないとね。吉田君に渡せば持ってってくれるかな?」

 武は、由奈が背中を押すタイミングにあわせて息を切りつつ言葉を出す。由奈も特に指示されなくても武と同調して淡々と背中を押す。阿吽の呼吸と言える。

「一年、ネット張って!」

 金田の声が武達を促した。それにあわせて、由奈は数秒多めに武の背中を押し込んでから離れる。

(痛って……)

 膝裏の筋を抑えつつ立ち上がり、武は他の部員に遅れてネット張りに向かう。ちょうど吉田が傍にやってきたことで思考に形をつけた。

「吉田。西村のことなんだけど」
「? ああ……今日休みの理由?」

 休むなら吉田に理由を言うのは友人ならありえることだろうが、それをすんなりと言ったことに武は少し驚いた。斉藤からの話を聞いた後での休みに、引越しの準備で休んだと思い込んでいたからだ。

「あー、あいつのラケットをスポーツ店から預かったんだ。あとで持ってってもらえる?」
「オッケイー」

 平然としている吉田を見て武は拍子抜けしていた。小学生の時からダブルスを組んできた西村は吉田にとっても特別な存在だったはずだ。だが、そんな男が転校するのに表には出していない。

(うーん)

 釈然としないものを感じつつ、武はコート作りに専念した。前の部活が終わる間に素早くコートを張ることがより練習時間を多くするコツだからだ。先輩の強い睨みと西村への不安。現実味があるのは明らかに前者だった。
 コートを作り終えて部員が揃って準備運動を始めようとした時に、みんなの動きを止める声が体育館内に響いた。視線が一斉に入ってきた男――西村に集まる。

「すんませーん! 遅れました!」

 集中する視線に戸惑うことなく、西村はいつもの笑い顔。全員が動きを止めて見ていたが、庄司が手を叩いて場の空気を再び動かす。

「まずは着替えて来い」
「はい!」

 部員達は円状に並んでいて今にも屈伸などを始める状態にある。庄司の言葉に勢い良く頷いて西村は更衣室へと走っていった。むろん声をかける暇もなく武は彼が走っていく様子を眺めるだけ。扉の後ろに消えたところで部活は始まった。
 武も始まる前にやっていた屈伸運動などから始まり、体育館半分を縦に使ってフットワーク。足運びをスムーズに出来るように意識しながら移動していく。
 その後にはラケットを持ち素振り。オーバーヘッドストロークからサイドの素振り。全て百回こなすと、コート内でシャトルを使ってノックなどに入る。
 ここから二年が中心となり、一年はコートの合間に作った擬似コートで練習をこなす。
 フットワークのあたりから西村も加わっていたが、一通り終えるまで四十分。ようやく会話が出来ると、武は彼のラケットを持って寄っていった。

「西村。これ、斉藤さんが渡してくれって」
「和華っちが? あーあー、ラケット」

 わかっち、というのがニックネームだと武には分かる。それだけ親しみを込めて言葉を呟く西村の顔に一瞬過ぎる寂しさ。
 それを感じて、思わず武は呟いていた。

「やっぱ、転校は本当、か」

 武の発言に西村の動きが止まる。はっとして彼の表情を見た武は、強張った顔を見て自分が失敗したかと動揺する。

(やばい……かな)
「和華っちが言った?」

 武の聞き間違いなのかそれとも本当なのか。まだまだ声変わりをしてないような高い声だった彼の声がいつもより多少低く武の耳に入ってくる。心臓が口から飛び出しそうになるのを堪えて、口を開こうとしたその時――

「ほら! そこ邪魔だぞ」

 二年男子に促されてそそくさと離れる武達。そのまま、吉田が自主練習に一年男子を連れて行く。

「まあ、今日ちゃんと言おうと思ってたから。今は特に言うこと無しでー」

 西村の口調も声のトーンもいつものように戻っていた。武は安心しつつ自分の罪に不安になる。そんな悶々とした気持ちを抱えながら、部活は進んでいった。


 * * * * *


「んと、転校することになったわ」

 西村がそう口を開いたのは一年単独の練習を終えて玄関に集まっている時だった。その後にはコートが解禁されて、主に吉田と西村は二人で二年生達と共に試合をする。武達のような他の一年は中央のコートで打つのが普通だ。

「だから、今後は相沢と吉田で先輩達との練習に参加しなよ」
「何が、だからなんだ?」

 西村の思考の流れが良く分からず、武は問い掛ける。ちちち、と西村は指を唇の前で振って切り返した。

「俺がいなくなったらさ、お前ら二人がメインにならないといけないだろ?」

 あまりにもあっさりとした言葉に、吉田を除く全員の動きが止まる。一番初めに硬直から解かれたのは林。吉田と共に小学生からの付き合いだった男。

「正確な日はいつ?」
「夏休み終わる三日前かな」
「じゃあ、それまでは吉田と行って来れば? 最後になるかもしれないし」

 誰もが何も言えない中で、林の提案は正論だと武には思えた。

「相沢はこれから吉田とずっとダブルスとか出来るんだし、でも西村は少なくとも中学の間は駄目だろ? バドミントン止めるわけでもないんだし、やれば?」

 言い終えて、周りの空気が固まっていることに林は気づいて首を傾げた。自分の発言が何か悪かっただろか? という思いが如実に表れている。武の目には林の頭に浮かぶはてなマークがちゃんと見えた。他の部員達が思っていることは共通しているかもしれないが、誰もが口から出ない。
 それでも、先に進めたのは杉田だった。

「はー、林。凄いな」
「え? なんで?」
「いや。お前凄いわ。結構先まで見てんじゃん」

 杉田は笑って林の背中を何度も勢い良く叩く。音を聞いても遠慮なく思い切りしていることが分かって当人と同じように武は顔をしかめた。

「痛いって」
「まー驚いたけどな。でも林の言う通りやってこいよ。俺らは俺らでやってっから」

 杉田はそのまま体育館へと入っていった。その後に続いて大地と橋本も林に笑いかけて肩に手を置いてから進んでいく。
 残るのは三人。武も林と同意見であり、これ以上言うことも無いという思いから体育館へと向かった。

「ちょっと待ってな」

 武の背中に掛かる西村の声。

(なんか、さっきと似たような構図だな)

 西村に転校のことを問い掛けた時の構図。それが今度は自分を中心に描かれている。その光景を脳裏に浮かべつつ武はゆっくりと振り向く。

「お前はそれでいい?」
「……何が?」
「吉田と一緒に先輩と練習しなくてさ」
「そりゃ……林と同意見だよ」

 西村の瞳に浮かぶ光は少しだけ怒りの色だと、武は分かった。それも、あえて分かるように西村は見せている。そんな怒りを向けられる理由が掴めずに武は混乱し始めていた。
 だが、先に瞳の光が消える。

「そっか! じゃあ俺がいただいちゃうよ」

 西村はいつものようにおちゃらけた笑顔で、吉田の手を引いて体育館に向かう。引き戸を開いて中に入る瞬間に、少しだけ言葉が洩れた。

「――よな」
「え?」

 言葉をまた聞こうと声を上げても、西村はそのままドアを閉める。残るは、武だけ。

(吉田……一言もしゃべらなかったな。あと、西村の言葉……)

 聞こえた言葉をそのまま再生するならば、こうだった。

『向上心ないよな』
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