Fly Up! 216

モドル | ススム | モクジ
「みんな、最後までよく頑張った。今日で合同練習は終わりとなる」

 吉田コーチの前に整列した面々の表情は様々だった。ようやく終わったことへの安堵感や、これから発表されるであろう代表メンバーに選出されるかという不安。立っているのも限界で座り込みたいのを我慢している辛そうな雰囲気を醸し出している者もいた。それらの空気に気づいたのか、吉田コーチはまず座るようにみんなに指示する。各自体育座りや胡坐など思い思いの格好で座って、次の言葉を待った。
 吉田コーチは一人一人の顔を一瞥してから口を開く。

「これから、来週の南北海道予選に参加する、二十人を発表する。これからAチームとBチームの二つに振り分けるが、最初から言っておく。私の本命は、Aチームだ」

 そこで言葉を区切り、みんなの反応を吉田コーチは確かめる。あからさまに落胆する者や何も動じない者。いくつもの感情がないまぜになる。

「しかし、Bチームに手を抜くわけじゃない。勝てる者を選出するのは間違いない。Bチームに選ばれた者は、Bチームを食って北海道予選を勝ち抜き、全国に挑んでほしい。そして、Aチームに選ばれた者は、自分達が勝つという誇りを持ってほしい。では、まずBチームから発表する」

 吉田コーチは足元に置いていた袋から封筒を取り出し、中身を抜いた。そこには紙が入っており、広げると選手達の側からはうっすらと字が書かれているのが見える。

「呼ばれた者は返事をして私の右側に移動しろ。まずは男子からだ。翠山中、刈田! 藤本!」
「はい!」

 刈田がその場で立ち上がり、前に進んでいく。その表情は選ばれたことの喜びより、別の感情で沈んでいた。それはAチームに入れなかったことの落胆か。藤本はその後ろを無表情でついていく。一年ダブルスの一位の片割れ。小笠原が呼ばれなかったことに特に感情は動いていないように周りには見えていた。

「続けて明光中。川瀬。須永」

 静かに返事をして二人が立ち上がる。安西と岩代に軽く手を振って前に出る姿には、特に気負いは感じられない。選ばれるのは当然というよう雰囲気も取れる。

「最後に清華中。石田」
「はい!」

 ひときわ大きな声を出して立ち上がる石田。一年の中では圧倒的な実力でシングルスを続けてきた男。
 男子が五人並び、改めてその面々を見る。

(組み合わせるより、専門分野、なのかな)

 シングルスに刈田か石田か藤本。男子ダブルスは川瀬と須永で鉄板。組み合わせを考えることなく一点突破するような人選だと武は思った。
 武の考えは女子の選出を見て更に確証に代わる。
 二年女子のダブルスで一位だった堤と上代。二年女子ダブルス二位の一人、森丘さおり。
 そして――。

「浅葉中、寺坂。菊池」
「は、はい!」

 返事が遅れたことで慌てて言ってから二人は立ち上がり、早足で人の間を抜けて行った。
 前に立った時には寺坂の瞳には涙がたまっているように武には見えた。努力をしてきて、一つ認められた証。
 地区の代表として、北海道予選に挑むメンバーの中に選ばれたことで感極まっているのだろう。

(良かったな、寺坂)

 武は心の中でエールを送る。それもつかの間のこと。
 ここまで来て、武には確証があった。
 自分がAチームに選ばれているだろうということ。自信過剰でもなんでもなく、ただ純然たる事実だと感じていた。

「それでは次にAチーム。また男子から行くぞ。清華中、小島」
「はい」

 ゆっくりと立つ小島。いつもならば少し砕けた雰囲気で進むが、その歩みには一つ一つ力があった。
 それは地区の代表として戦うという覚悟の他に別の思いがあるのではと武に感じさせる。心当たりは一つ。

(淺川へのリベンジか……)

 ジュニア北海道予選で敵わなかった淺川亮。北海道最強だけではなく、全国でも屈指のシングルスプレイヤー。頂へと挑戦する権利を再び与えられたことで、気持ちが戦闘モードに切り替わったのだろう。

「次は明光中。安西、岩代」

 同時に返事をして歩き出す二人。全道大会で共に戦ったメンバーが別のチームに分けられる。特に安西達は優勝を最初から狙うチームとして選出された。普段よりも表情は険しくなっている。
 そして、最後に。

「では最後に……浅葉中。吉田。相沢」
『はい!』

 誰よりも大きく、叫ぶように返事をする二人。
 ダブルスとして全国へと挑戦する機会が再度訪れた。吉田の顔を見るとちょうど武の方を向いた視線とぶつかる。
 そこにある思いは一つ。

(西村達と、戦う)

 ジュニア北海道予選では自分達のほうが力尽き、西村と山本龍のダブルスと対戦できなかった。
 今回も北と南で分かれているために、実際に対戦できるのは全国大会だろう。それでも、全国で対戦できるチャンスがある。それは間違いない。

(今度こそ、吉田とのダブルスで……勝つ)

 人の中を抜けて前に立ち、振り返る。
 そこにいるのは選ばれなかった選手達。橋本や林、杉田の姿が見える。その顔に浮かぶのは武達への祝福と、自分が選ばれなかったことの悔しさ。二つの相反する感情が見え隠れする中に武達は立っている。

(そうだ。俺達は、この地区の代表なんだ)

 武は改めて心を落ち着かせ、気合いを入れなおす。
 あとは女子の発表を待つのみ。吉田コーチは最後に、と前置きをしてAチームの女子を発表していく。

「明光中。瀬名。清華中。姫川」

 二人が連続で呼ばれて慌てて武の隣にやってくる。姫川は軽く武に視線を送って「よろしくね」と声に出さず口だけ動かして伝えた。武もそれに応えていると、最後に名前が聞こえてきた。

「浅葉中。早坂。清水、藤田」

 次の瞬間、場の空気が止まった。早坂は普通に返事をして前に出てくる。しかし、清水と藤田は立ち上がって返事はしたものの、その場から動こうとしない。武にもその場の空気の理由は分かった。誰もが、清水と藤田がなぜ選ばれたのかという思いを持っていたからだった。
 武にとっては選ばれたことは喜ばしいこと。しかし、実際に他の学校のプレイヤーよりも二人は練習の中で結果を出していなかった。それだけに、疑問符が浮かぶのだろう。

「吉田コーチ! どうして、清水さんと藤田さんがAチームなんですか?」

 誰もが持っていた疑問を口に出したのは、Bチームに選ばれた堤だった。自分があからさまに不服に思っていることを表しているのが、誰もの疑問を代弁していると言わんばかりに吉田コーチの傍へと向かう。隣に立つと更に言葉を続けた。

「清水さんと藤田さんは公式戦でも結果を出していないし、合同練習でも負けているほうです。どうして、Aチームに入れるんですか? どうして、私がBチームなんですか?」
「正直にそう言う堤には悪い気はしない。説明しよう」

 吉田コーチは堤を見て笑みを浮かべると、そう言って一度下がらせた。自分の左右に並ばせているメンバーよりも更に一歩下がり、吉田コーチは説明を始める。
 自分に質問してきた堤へと話すように。

「清水と藤田を選んだのは理由がある。それは、ミックスダブルスの勝率だ」
「ミックスダブルス?」

 堤は語尾を上げて問い返す。しかし、その後はっとして清水と藤田の二人を見た。今の会話だけでぼんやりとではあるが、吉田コーチの言いたいことが分かったのだろう。

「あの二人と、小島、相沢、吉田とのミックスダブルスの勝率。それが、上位だった。確かにシングルスやダブルスでは他の選手には勝てていない。しかし、ミックスダブルスに関しては、当てはまらない」

 吉田コーチは続けて組み合わせを述べていく。それは純粋な結果。この合同練習で出されたものだ。公式戦では記録がない、本当にこの練習だけの結果。

「相沢と早坂。小島と姫川。相沢と姫川。相沢と藤田。吉田と清水。ミックスダブルスの組み合わせで勝率が高かった順に五つ述べた。十組に増やすともっと二人の名前は出るぞ。特に相沢と早坂の組は誰にも負けていない。小島と姫川にさえ。その中で、藤田と清水が入っているのは偶然じゃない。だから、入れた」
「でも……」

 なおも食い下がろうとする堤に対して、吉田コーチは最後だとばかりに少し大きく伝える。

「今回の大会はミックスダブルスが一つの鍵になる。もっと練習が出来ればよかったが、それでも時間は限られる。だから、初めて組ませても勝率が高いペアを選んだ。また、女子ダブルスは早坂、瀬名、姫川の三人どれを組ませても強かった。それは、彼女達に一度も勝てなかった堤なら、分かるだろう?」
「……はい」

 悔しそうに呟いて、堤はうつむいた。
 それ以上、堤からの質問がないことを確認すると、吉田コーチは用意していた残りの言葉を発する。

「男子に限れば、小島は不動のシングルスだが、小島と吉田をダブルスで組むことも考えている。その際のシングルスは相沢や安西、岩代の誰か。この三人はシングルスでもやっていけると判断した。このAチームに求めたことはどの組み合わせでも平均以上の力が出せること。もっと言えば、俺の予想を超える実力を発揮できるであろうことだ。その意味では、このAチームは俺の理想を再現できる。全道でも、全国でも戦えるはずだ。目指すは、全国制覇だ」

 全国制覇。その言葉に誰もが静まり返る。
 前に出た二十人。座ったまま残った者達。すべての選手の胸にのしかかる言葉。
 武もまた、唾を一つ飲み込んで、気分を落ち着かせる。吉田コーチは少しも疑うことなく言葉を紡いでいた。自分達ならそれができると。
 ふと、武は自分が藤田に向けて言った言葉を思い出していた。勝てるかどうかではなく、勝とうとする。今の自分がどんな実力だろうと、勝つためにいろいろと考える。結局は、そこに終始するのだ。

「では、今日は最後にこのAチームとBチームで試合をする。最終調整と思って、全力でやるように。選ばれなかった者は、何が足りなかったのか各チームのプレイを見て研究して、生かすように。以上」
『はい!』

 全員が応えて、十人はそれぞれコートに向かう。選ばれなかった者達もその周りに審判や集まる。
 その光景に、武は興奮と共に一つの寂しさを覚えていた。

(そうか、もう、この集まりは最後なんだな)

 こうして、合同練習最後の試合が始まり、時間はあっという間に流れて行った。


 * * * * *


「あ、おっかえりー」

 玄関を開けると、ちょうど居間に入ろうとしていた若葉に声をかけられた。武は「ただいま」と返事をして靴を脱ぎ、コートを脱ぐ。体に残る疲れが脱力感となって覆いかぶさってくるような感覚にため息をついた。

「だいぶ疲れたようだけど、選抜チームには残った?」
「ああ。優勝を狙うってさ」
「へー。全道の?」
「全国だよ」

 ラケットバッグを背負いなおして居間に入ろうとすると、若葉が呆気にとられた顔で武を見ている。それに気づいて、自分の発言でそうなったのだと気づいた武は軽く笑った。

「そうらしいぞ」
「全国かぁ……なんか、ほんと、凄いな」
「そうだな。俺も信じられないよ」

 率直な気持ちを伝えて居間に入ろうとしたが、思い直して自分の部屋へと向かうことにする。若葉の横をすり抜けて階段を上っていく。

「ゆっくり休んでね〜」
「三十分くらい寝たらいくよ」

 若葉に言ってゆっくりと階段を上っていく。二階についてからは更に疲労感が酷くなり、部屋に入ってベッドに倒れこんだ時には眠気も最高潮に達していた。部屋にはカーテンが引かれていて、暗いまま。もう電気を付ける気力も武には残っていない。

(疲れた、なぁ)

 毎日繰り広げられた練習。
 他校の生徒と共にしのぎを削って選ばれた代表。最後は二チームでの真剣な団体戦。三勝すれば勝つが、今回は全て試合を行い、結果、Aチームが5−0で勝った。
 小島と刈田。早坂と森丘。武・吉田と、川瀬・須永。姫川・瀬名と、堤・上代。安西・藤田と、寺坂・石田。
 一通り試して、すべて勝ったところがAチームとBチームの差なのだと分かった。
 確かに吉田コーチは優勝を狙えるメンバーを集めたのだろう。

(なんか、無性に由奈に会いたくなってきた)

 これからしばらくは由奈に会うことはない。全道大会に行って、全国大会に出場できたのならばそれの練習でまた部活からは離れるだろう。
 仕方がないこととはいえ、どこか寂しい。それでも、自分は最後には由奈の所へと戻ってくると言った。だから、今は進むだけ。
 瞼も重くなり、閉じる。そのまま意識も微睡に溶けようとした時に携帯の着信音が響いた。
 メールの、しかも由奈から来た時に流れる音。自然と手が携帯を掴んで目の前に掲げていた。
 画面を開くと暗い部屋に明かりがぽつんと生まれる。
 並ぶ文字を眠気と戦いながら武は読み始めた。

『お疲れ様! 早さんから聞いたけど代表に決まったんだね。函館に行ったらお土産よろしくお願いします。じゃあ、明日ね』
「それだけかよ……」

 シンプルな文面に思わず突っ込む。
 出発は五日後。土日の二日間で行われるため、金曜日には出発して現地入りする予定だった。それまでは普通に授業があり、由奈とも会える。部活では最終調整をするだろうが、特にこのメールで話さなければいけないことは確かにない。
 それでもいつも通りだなと思い、武は笑った。

(そうか。いつも通りでいいんだよな。だって、別に変わるわけでもないんだから)

 試合の規模が大きいとしても、武のすることは変わらない。
 試合をして、勝って、戻ってくる。そこに由奈がいるのだ。

(頑張るよ……由奈……)

 携帯の明かりが見えなくなる。自分が目を閉じたからだと気づいた時には、もう意識を手放していた。
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