Fly Up! 173
「うぉおおおああ!」
振りかぶったラケット。空気の中を進む抵抗力でシャフトが曲がるような錯覚を引き起こすほど、刈田は力を込めて腕を振りぬいた。ヘッドがシャトルを捉えると、爆発音と間違えるほどの音を空気中に拡散させる。
速度の乗ったシャトルは相手コートの中央に叩きつけられていた。勢いで跳ね上がる高さもある。間を抜けられた二人は一歩も動けずにそのシャトルを見つめるだけだった。
「す、凄いな刈田」
一人が刈田を労うも、当の本人は不服そうに顔を拭きながらコートの外に出ていた。
(加洲と南原の二人ががりでも、俺から一点も奪えないんだな)
スコアは十五対ゼロ。刈田のシングルスの練習で一対一で戦えるプレイヤーがいないことから、二対一で数日間練習していた。その間、刈田は一点も相手に与えていない。けして刈田に勝つことを諦めているわけではない。同学年は少なく、実力も離れているがありがちな向上心の欠如も無く、実力差に関係なく刈田に勝とうと全力を尽くしているのも理解できた。
それでも全く届かない。
正確には、届かなくなった。
全道大会から帰ってきて数日が過ぎ、刈田は自分の動きが明らかに変わったことを痛感させられた。スマッシュを打つのも、ヘアピンを打つのも。自分のタイミングが周りよりも明らかに早くなっているのが分かる。
今までぎりぎり追いついていたシャトルにも簡単に届く。
インパクトの仕方などラケットワークに関することも体が理解したのか、最小限で最大の力で打ち返すような方法も。
(これが、全道に出られた俺と周りの差、なのか)
後輩達は自分以上にセンスがあると思っていたが、大会から戻った後で対戦すれば、どのプレイヤーも印象には残らなかった。もう自分とぎりぎりの戦いが出来るのは他校の生徒しかいないらしい。
(そんな俺も、全道ベスト8が最後だもんな)
全道三位の小島。女子では早坂。
ダブルスにいたっては吉田と武で準優勝だ。同年代のライバルに先を行かれているという印象はどうしても拭えない。
(俺は、このままで強くなれるんだろうか)
ちょうど部活も終わりの時間になり、刈田は更衣室へと戻っていく。その前にミーティングがあったが、それに参加することは無かった。
* * * * *
力への渇望。刈田の思考はそのことに傾いていた。共に全道で戦った仲間とも呼べる他校の生徒。だが、それはいつも共に切磋琢磨できるわけではない。むしろ、試合でしか会う機会はないのだ。それまでの練習量が彼らと戦えるかどうかを決めるというのに、自分の練習場所では欲求を満たせない。
(どうしたら、いいかな)
雪を踏みしめながら帰る。自分の考えていることが不健全であることは分かる。同じ部活の仲間が大事なことも分かっている。勝利だけを求めるものではないという大人の言い分も、なんとなくは理解できる。
それでも、刈田は目の前の勝利を欲していた。力を身につけられるならば、どんなことにも耐える気合はあるというのに。
「おお、お前、篤じゃないか?」
急に名前を呼ばれたことで、刈田は踏み出した足で体にブレーキをかけた。結果、前方に進んでいた体が流れかけた。
聞き覚えのある女声に一瞬だけ体が萎縮する。
「っとと! ……あ、環(たまき)さん!」
環と呼ばれた女性は笑みを浮かべて刈田の背中を叩く。強く叩かれたことで刈田は咳き込んでしまった。
「えっほ……相変わらず豪快ですね」
「お前はいつの間にか縦にも横にも大きくなってなぁ」
「パワーついたんですよ!」
視界におさめたのは、小学校時代の町内会サークルで刈田を教えていた人物だった。
短くした髪の毛から覗く耳のピアスが月明かりに照らされて光る。
女性なのに男勝りのしゃべり方。そして荒っぽさ。およそ、小学生にバドミントンを教えるという立場とは思えないほどの人物像。
でも、刈田は環に教えられて伸びていく自分が、とても嬉しかった。
だからこそ、しばらく話を続けたところで心情を吐露ようとする。
「環さん。俺、どうしたらいいか分からなくなりました」
刈田の言葉に、しかし環は軽く刈田の頬を叩いて言い返す。
「おい。私はもうお前の先生でもないぞ。高松町内会からも離れたしな」
「……確かにそうですけど。先生はいつでも先生ですよ」
「それに小学校の先生でもない、ただの主婦」
「ただの主婦があんなにバドミントン強いわけないです」
「ただの主婦だから時間を持て余しているわけだ。はっは」
破顔する様子はお世辞にも綺麗とは言えない。でも、刈田は心が軽くなっていくのを感じる。自分一人では消しされない心の黒い部分が消えていく。
「時間を持て余しているから、少しだけ話を聞いてやるよ。もう少ししたところにある公園でいいだろう?」
そう言って環は刈田を残して歩き出す。刈田の回答を聞いていない。
もしくは、断るならそれで終わりという、選択肢の余地の無い選択肢。刈田は無条件でついていくことを選び、環の後ろに付ける。身長も体重も自分のほうがある。だが、目の前の人物が放つ存在感に刈田は息を呑む。
(俺が習ったころと変わってない。今でも、復帰できるんじゃないのか?)
自分が環に習って卒業する最後の年代だということで、自分の卒業と一緒に環の送別会も行った。年数は刈田がバドミントンを始めた小学校一年よりも前から。もしかしたら生まれる前かもしれない。正確な年数は分からない。
けして保護者とトラブルになったというような原因はなく、ただ単に「そろそろ潮時と思った」というのが辞める本人の談。
そこまでの境地にいつか行きたいと、刈田は思う。
「よし、ついたところで。どうした?」
公園にたどり着き、空いたベンチに環は腰掛ける。自然にか「よいしょ」と口に出しているあたりは歳取ったかと刈田は感じるが、口には出さない。
「実は――」
生まれた懐かしさを抑えて、刈田は自分の心の内に広がった闇を伝える。
もっと強くなりたいこと。
そのためには今の部活の仲間達では不服であること。
「もっともっと、質の高い練習をしたいんです」
自分の思っていることを全部吐き出して、刈田は俯く。生意気なことを言っているな、と怒鳴られると思ったからだ。自分勝手なことを考えていると分かっていてなお、環へと伝えたのは。
(合ってても間違ってても、何か言って欲しい)
自分の考えていることが正しいのか間違っているのか。それさえもあやふやで不安定な中で一つの決着をつけたい。
その答えを、環なら見つけてくれるのではないか。
そう思っていた。
「刈田も思春期ってやつかな。悩み多きことは良きことかな」
環はケラケラと笑い、ベンチから立ち上がる。そしてそのまま刈田の横を抜けて去ろうとしていた。
「た、環さん!?」
「聞いてやっただろ? まだ何かあるのか?」
「あの、いえ、その」
何も無いとは思っていなかった刈田は動揺して言葉が上手く出てこない。それを見透かしてか、環は肩に手を乗せて、刈田の目をまっすぐに見て言った。
「質の高い練習をするには、どうしたらいいと思う?」
「どうって……」
「考えろ」
優しく乗せられていた手が、肩を強く握ってくる。刈田は痛みに顔をしかめる。
「いいか。刈田。私はあまりお前にいろいろ教えた記憶はないんだ。基礎的なことを伝えることは変わらないし、人それぞれの個性なんて始めたばかりから出るわけじゃない。だから、私はそんなに多く教えていない。でも、一つだけしっかりと教えたことがある。なんだか分かるか?」
「しっかりと、教えたこと」
口で呟き、頭の中で反芻する。記憶を辿り、自分が教わったことを一つ一つ確認していくと、一番最初に到達する。
「よく、考えること」
「そうだ。よく考えること。バドミントンは、考え抜いた人間が強くなれるし、勝つスポーツだ」
刈田がまだ町内会に入った初日。環は皆を体育館の床に座らせて言った。
『強くなりたかったら、よく考えろ』
相手の隙はどこか。どう打ったら勝てるのか。
それ以上に、どう練習すればショットがより速くのか。より体力をつけるにはどうしたらいいか。
一年進級するごとに、その言葉を聞いた。それは刈田にではなく新しく入ってくる子供達へと言っていたのだろうが。自然と頭の中に残っていった。
「ようやく思い出したか。お前が強いと思っているライバル達は、間違いなく考えてる。どうしたら強くなれるのか。どうやったら試合に勝てるのか。お前がスマッシュを打ちまくってくたくたになるのと同じくらい、試合中にいろいろと考えているんだ。お前が全道で負けたのは、体力がなくなってきて力任せにしか打てなくなったからだろうさ」
環の言葉に刈田は言い返せない。頭を使う時は使っていた。だが追い詰められれば慣れていないことは自然と出来なくなる。試合の最後のほうはほとんど力任せにスマッシュを打つだけだった。考えたとすればいないところに打とうというくらい。
「お前が弱いんじゃない。そのライバル達が強いのさ。その強いライバル達のところへお前がいくにはどうしたらいいか。もう一度よく考えたらいい」
肩から手をはずし、環は笑う。いたずらっぽい笑み。その瞳は、もう刈田は分かっただろう? と試すような光があった。刈田は気おされつつも頷き、呟く。
「ありがとう、ございました」
「礼ならいいさ。お前は離れても私の教え子だからね」
ケラケラと笑いながら、環は刈田に背を向けて歩いていく。そのまま公園から出て去っていった。
一人残った刈田は空を見上げる。
空気が澄んでいるからか、雲ひとつ無い空には星がたくさん瞬いていた。強い光もあれば弱い光もある。それらが一つの絵のように思えて、刈田は心が軽くなった気がした。
「考える、か」
自分が強くなるために何をすべきか。刈田は考えをめぐらせてみた。いつもならめんどうくさいと止めるところでもう少しだけ頑張ってみようと、考え続ける。
頭は一気に疲れていくが、それでも止めはしない。ここで考えることを止めていることが自分を成長させないのならば、ここが踏み止まるべき場所。
(俺のスマッシュは他に取れる奴がいない。それは藤本や小笠原達、一つ下も同じ。同年代はいわずもがな。最大の武器だから活かしたいが……)
刈田は全道のことを思い出す。
自信のあったスマッシュは簡単に取られた。何度打ち込んでも体勢が整っている時には通じない。だからこそ刈田はドロップやヘアピンを交えてバランスを崩させたところでプッシュやスマッシュで決めるという流れを作った。自分の武器を活かすために、それ以外を鍛えたのだ。
(そうだ。今回も同じだ。長所を伸ばそうとしても今は伸ばせない。速いスマッシュを打てても、相手の防御を崩せなければ決まらない。なら、崩すショットを練習すればいい。それなら、二対一でも取れないとなることはないはずだ)
練習を終わらせることが目的ではない。自分のスマッシュを最大限に活かすためのショットを打つことを練習すればいい。そうすれば、自分の持ち味を活かせる。
「そうか。そうすれば。それに」
部員達のレシーブ練習にもなるのではないか。
そう思って刈田は自然と笑みが浮かんだ。
自分のことしか考えられずに、闇雲に強くなりたいと思っていたのが少し前とは思えない。
考えればすぐ分かったことなのだろう。自分を育てるには、周りも一緒に育たなくては意味が無いことを。
「俺が強くなるように考えて打てば、あいつらも強くなるのかもしれないな」
思い浮かぶ同年代の顔。勝てることで、いつしか周りをけなしていたのかもしれない。
それは、初めて武に出会った時の状態と似ている。それを思い出して刈田はまた笑う。
「あいつは、きっとたくさん考えて、追いつこうと頑張ったんだろうな」
刈田は歩き出す。
無いものをねだらず、自分へと引き寄せるために。
その瞳に迷いは無かった。
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