Fly Up! 169

モドル | ススム | モクジ
「サービスオーバー。トゥエルブフォーティーン!(12対14)」

 吉田のミスに空人達の応援席から歓声が。武達の側からは落胆のため息が漏れた。武は目の前でネットにひっかける吉田を見て違和感を強めていた。
 先ほどから何か吉田の動きがおかしい気がしている。

(何かは分からない。でもここで指摘したら流れが止まるかもしれない。香介……)

 武は腰に手を当てて天井を見上げた。そこには虚空を飛び交う歓声と、最も上に備え付けられた照明がある。自分達を見下ろしているそこからは何が見えるのか。そんなことを考えて一度橘兄弟も、吉田も、仲間達も存在を消す。
 そして、視線を前に戻して吉田と橘兄弟。ラインズマンを自分の中にインプットする。
 ここにいるのは自分達。勝負を決めるのも、また自分達だけ。

「香介。ドンマイ」
「ああ、すまない」

 意気消沈して謝罪する吉田に対して武は笑って言った。

「まだ負けてないだろ。俺達が有利には変わりないし、俺がどれだけお前に助けられたと思ってるんだ。二人でサーブ権を取り替えそう」

 自分の口から出てくる言葉。意識して言ったものではあったが、気恥ずかしい。今までは言われるほうだったからだろうが。
 ここまで二人の力で来た。なら、この先に行くのも、二人で。
 吉田の背中を軽くラケットで叩いて武は言った。

「さあ、ストップ」
「……おう!」

 吉田の顔にも笑みが戻り、空人へ向けてレシーブ体勢を取る。武も斜め後ろで構えて二人の猛攻に備えた。

「一本!」
「一本!!」

 空人の咆哮に重ねて海人も叫ぶ。そのプレッシャーは弱まることをしない。武は気圧される自分を必死にその場に繋ぎとめる。

(やっぱり、あいつらのほうが力は上か)

 ショートサーブを吉田がロングで返し、二人はサイドに広がる。海人はネット奥で追いついてスマッシュを打とうとしたが、不意に構えを解いてシャトルを見送った。
 シャトルはフロア床に落下し、ラインズマンが両手を横に大きく広げる。

「アウト。ポイント。サーティーンフォーティーン(13対14)」

 湧き上がる歓声。これで一点差。流れは橘兄弟へと向かっている。ここで食い止められなければ落ちる。

(ここが、正念場だな)

 体に重く圧し掛かるプレッシャー。それに伴い、それまで蓄積された疲れが押し寄せる。

(上手くいってたときは忘れてたんだけどな)

 集中力が切れてきている。考えてみれば、疲れを自覚してからどれだけの時間、試合を続けてきたのか。
 サービスオーバーを含めて吉田が二回連続ミスをしたところを見ても、自分達に残されている時間は少ない。分かっていたが、この場面で来るとは運がない。

(いや、運がないんじゃない。力が、ないだけだ)

 顔をユニフォームの袖口で拭い、空人のサーブに備えて構える。ネットの向かいでは既に空人がサーブを打つ体勢を作って準備が整うのを待っていた。
 相手は相手で、この機会を逃さずに畳み掛けるつもりだろう。

(ここで、止める)

 武は再び空人と海人だけを視界に収めるように意識する。シャトルの軌道も、二人の動きも全て捉えるように。どんな挙動も見逃さず、隙を狙うために。

「一本!」
「ストップ!」

 肉体を精神で凌駕するために、体力が切れようとも叫ぶ。
 足が、腕が、身体が重かった。
 動き続けること、立っていることさえも困難になる。
 熱さに流れる汗が細めた目の横を過ぎてかすかに瞳に入っても、武はシャトルを追うことを止めない。
 試合を捨てるなどとは考えない。
 体力が底を尽きかけていても、思考力は保たれている。どう打てば相手がどう動き、どこに隙が出来るか。
 限界に近かろうが関係ない。ただ、シャトルをコートへと打ち込むために。
 歪む視界の中、水の中のような空気をかきわけて武は必至に前へと進み出た。ラケットをコートに落ちようとしているシャトルへと思い切り伸ばす。
 ラケットは、シャトルを相手コートへと叩き落していた

「セカンドサービス! サーティーンフォーティーン!(13対14)」
「っし!」

 武は鋭く声を出し、すぐに後ろに下がる。次は海人のサーブ。ここで押さえ込めれば自分達の勝利に一歩近づく。

「香介」
「サンキュ。ここで、止めよう」

 吉田に頷いて、武は自分の立ち位置に戻る。
 シャトルを手にとって、海人はすぐにサーブ姿勢を取る。挑発とも取れるその行動に吉田は顔を拭く動作をして一度コートの外に出た。
 武も後を追ってコート外で顔を拭く。

「海人も焦ってるかな」

 吉田に向けて言ったが、答えは返ってこなかった。聞こえなかったのかと思ったが、特に言い直す必要は感じないため黙る。顔を拭き終わってコートに戻る吉田の顔に、余裕はなかった。

(香介……やっぱりおかしい)

 武はコート内に戻って構える。海人はその場から一歩も動かずに武達が戻るのを待っていて、戻った瞬間にサーブ体勢をとる。

「一本!」
「ストップ!」

 海人に負けないように声を出す吉田。そして海人は咆哮の余韻が空気に混ざり、消えたところでサーブを打つ。
 前に飛び出した吉田をあざ笑うかのようにロングサーブでシャトルがコート奥へと運ばれていき、サーブラインぎりぎりに落ちた。線審も片手を前に出してインの印。

「ポイント。フォーティーンオール(14対14)。セッティングしますか?」

 遂に追いつかれた。セッティングをすればあと三点の猶予はもらえる。
 だが、この勢いならばどちらが先に十七点に取るかは明白だ。
 何よりも、体がもう持たないのだ。

「香介」

 天井を見上げたまま動かない吉田。
 これで三連続ミス。もう間違いなく、吉田の体力は限界となり、思うように動かなくなってきている。それは橘兄弟も分かっただろう。今の状況ではこのゲームを落とした時点で、勝機は消える。ファイナルゲームはただ打ち込まれて負けるだけ。
 試合の進行に支障が出るか出ないかのタイミングで、吉田は天井からコートへと視線を戻した。橘兄弟を見て、武を見て。最後に審判へと告げる。

「セッティングは……しません」
「……分かりました」

 吉田は自分でシャトルを拾い、橘兄弟へと返す。そして武を見て口を開こうとした。
 言われることは分かっていた。だから、武は言わせない。

「ここでサーブ権をもぎ取るぞ」
「ああ」

 笑みを浮かべあい、そしてこのゲームが始まって以来最大の気合を込めて二人は叫ぶ。

『ストップだ!』

 二人に合わせて客席からも声が飛ぶ。小島や早坂達も声が枯れるくらいに叫ぶ。
 橘兄弟のサイドも一点を取って二ゲーム目を取るように激励が送られる。
 今、このコートにほとんどの人が何かしらの思いを込めていた。

(ここで、止める)

 武は海人を飲み込むようなイメージを持って、鋭く視線を向ける。それに対抗するように海人もまた、武を睨み付ける。
 サーブ体勢のままタイミングを計ってか、止まる海人。
 武は来たシャトルを無理せず打ち返そうと体の力を抜いていた。今の自分の集中力ならば、シャトルがどう打たれても、ラケットが届けば弾き返せる。
 吉田が辛い時は自分が支える。
 今まで支えてもらった分を、ここから少しずつ返していく。
 その気持ちが、疲れた体に最後の燃料を加えた。

「ストップ!」

 もう一度、武が叫ぶのと海人がサーブを打つのは同時だった。
 ショートサーブに対して武がネット前に飛び込む。ラケットを立てて、ぎりぎりを狙われてもプッシュで叩き込めるように。
 そして、シャトルはネットに引っかかっていた。

「サービスオーバー。フォーティーンオール(14対14)!」
『おおおおお!』

 沸き起こる歓声。
 武の掲げたラケットに届くことなく、プッシュで押し込んだシャトルの返球はネットに阻まれて武達の側に届くことはなかった。

「くそっ!」

 怒りの声と共に自分の脛にラケットを叩きつける海人。怒りは収まらずにしばらく体を震わせていた。武はその様子を横目で見つつ、シャトルを拾い上げて吉田の下へと歩く。
 差し出された吉田の手にシャトルを乗せて言う。

「あいつらも人間だってことだな。プレッシャーに負けたらしい」
「作戦成功だな」

 吉田の言葉に余裕が戻る。自分達の都合からセッティングはしなかったが、それが橘兄弟へのプレッシャーになることもどこかで期待していた。セオリー通りならばセッティングする場面でしなかったことで、海人はこれで最後というプレッシャーと、外したら逆にピンチとなるというプレッシャーに挟まれた。そこでいつも通りにサーブが出来るかどうか。

「正直、ミスってくれたらいいなというレベルだったけど」
「結果オーライ。後は、俺達が決める」
「ああ。お前が繋いでくれた一点。決めるぞ」

 吉田は自分に気合を入れてサーブに臨む。向かいでは空人が既にレシーブ姿勢で待ち構える。海人も怒りを収めて、またサーブ権をもぎ取るために力を溜めていた。
 やはりここまで来た猛者。これで集中力が切れるということはない。

「一本!」
「ラスト一本だ!」

 武が吉田の言葉に加えて叫ぶ。その力に後押しされるように吉田は鋭くショートサーブを放つ。ネットを越えた瞬間に空人がプッシュしてきたシャトルを、武は空人から逃げるようにサイドへとドライブを打ち放った。
 次の瞬間、吉田が体勢を崩してネット前に右ひざをついた。大きな音がフロアに広がる。

(香介――!)

 試合は止まらない。ドライブを打った先にいるのは海人。
 今が最大の隙だと、吉田がいた場所を通るようにシャトルをドライブで打った。前に向かおうにも吉田がいて進めない。武は後ろでそのシャトルに追いついて打とうと移動しかけた。
 その時だった。
 ネット前に瞬時に出現したラケットが海人が打ったシャトルを弾き返す。シャトルは勢いを完全に殺されて、相手側のコートへと落ちていく。
 打ち込んだ海人も。前に出ようとした空人も反応できないまま。
 シャトルはコートへ落ちた。
 一瞬の静寂。そして、審判の声。

「ポイント。フィフティーンフォーティーン(15対14)! マッチウォンバイ、吉田・相沢!」

 審判の声から遅れて、客席から大歓声が巻き起こる。武達の勝利。そして橘兄弟の敗北。二つの出来事に対して驚きや歓喜の声が響き渡る。
 コート上の四人はしばらくの間、動けなかった。
 試合が終わったということに脳がついていけない。その中で一番最初に動き出したのは、空人と武だった。
 同時に立ち上がり、互いのパートナーの元へと向かう。
 海人はドライブを打った位置で呆然として座り込んでいた。吉田はラケットを掲げた体勢からラケットだけ戻し、息を切らせて武を見ている。

「終わったな。ナイスショット」
「……ああ。やったな。勝った……勝ったんだ」

 吉田が繰り返した『勝った』という言葉。遅れてきた勝利の実感に被さるように疲労が体を覆う。ふらつきそうになった体を支え、更に吉田の体を引き上げる。

「なんとか握手しよう」
「ああ……いてて」

 見ると右足を引きずっている。痛みがよほど酷いのか、顔を歪めている。それでも吉田はネット中央まで歩き、橘兄弟の前に立つ。

『ありがとうございました』

 握手を交わす四人。そこに降り注ぐ拍手の雨。よくやった、などとさまざまな声が届く中、当の四人は挨拶だけ交わして手を離す。何か言いたくてもその体力さえ残っていなかった。

「吉田さん。相沢さん」

 ただ、空人はコートから出た後で武達へと言葉を投げる。

「いい試合でした。またやりましょう。次は負けません」
「……ああ。楽しかった。またやろう」

 空人の顔には笑顔が浮かんでいた。涙を流す海人を支えながら歩く姿は、双子でもやはり兄なのだと武に感じさせた。

 ジュニア全道大会。
 吉田・相沢組。決勝進出。

 そして――武達の全道大会は終わりを告げた。
モドル | ススム | モクジ
Copyright (c) 2011 sekiya akatsuki All rights reserved.