Fly Up! 167

モドル | ススム | モクジ
「あああ!」

 武のスマッシュが左サイドへと突き進む。だがシャトルを空人がインターセプトして前の打点で受け止め、ぎりぎりの前に落とす。吉田がそれをストレートヘアピンで返し、空人はロブを上げる。
 上がったシャトルを渾身の力で叩き込むも、今度は海人がそれを捉えてドライブで鋭く返してきた。スマッシュを打ち終わった武はすぐにシャトルを追い、ドライブで打ち返す。ネットすれすれを超えるように見えたシャトルだったが、羽根部分がネットに掠り、一気に動きが止まった。

「ちっ!」

 武達に聞こえるほどの舌打ちと共に、海人が前に飛び出してシャトルをロブで上げようとする。だが、一歩遅くシャトルはコートに落ちた。

「ポイント。テンオール(10対10)」
「――しっ!」

 武は左拳を握り、思い切り腰まで引き戻した。気を抜けば倒れてしまいそうになる体を気力で支える。横を見ると吉田も笑顔で武の事を見ていた。ハイタッチをして互いを鼓舞しあう。

「同点に追いついただけだ。まだまだいくぞ」
「ああ」

 もう少し、とは言わない。橘兄弟を見ると、序盤よりは息が切れる場面が増えている。互いに体力が尽きかけるところまで来ているのだろう。自分達のほうが体力は少ないとはいえ、ここまでくると後は気力勝負。どちらがどれだけ集中力を切らせないかということになってくる。

(でも、正直辛いな)

 武は意識を右胸上部に向ける。先ほどから鈍い痛みがじわじわと広がっていた。この感覚は経験がある。練習中に体力が尽きた時に同じ痛みがあった。
 限界は予想よりも早く訪れそうだ。

(もう少し。もう少しだけ、こらえろ)

 息をゆっくりと、最初は浅いところから始めて深くしていく。
 取り入れる酸素を段階的に多くすることで負担を出来るだけ軽くする。

「さあ、一本だ」
「おうさ!」

 吉田の言葉に応える。自分の体の隅々に力が満ちるように武は思えた。

(さあ、一点ずついくぞ)

 残り何点、とは言わずにあくまで一点を積み重ねる。先を目指しては急ぐことをもう武も理解している。体力がない時だからこそ、目の前の一点を全力でもぎ取る。それが勝つための最善。 
 吉田のショートサーブを後ろから見る。腰を落としたところで、体に一気に重さが圧し掛かった。

(って……!)

 よろめきそうになる体を支えた瞬間、返されたシャトルが目の前に迫ってきた。吉田がショートサーブで飛ばしたものが返され、吉田がインターセプトできなかったのだろう。そう思考が追いつく前に、反射的に体が後ろへと動いてシャトルを叩きやすい位置に移動。そのままドライブで打ち返す。だが、バランスを崩したままの武を狙い撃つ空人。

「う……おおお!」

 武は更に体をひねり、シャトルをかわす。同時にラケットで強引に叩いてロブを上げた。
 そしてその場に倒れこむ。それでも、倒れた勢いを起き上がるエネルギーに変えたかのごとく立ち上がり、その場に腰を落として防御陣形を取る。既に吉田は逆サイドに構えていた。

「やあ!」

 海人が打ったシャトルはストレートに突き進み、武の左肩へと飛び込んできた。

(また取りづらいところを――!)

 スマッシュと変わらない速度のドライブを、バックハンドで弾き返す。
 打ちやすいように体をひねり、腕のしなりと合わせて打ち返したシャトルは速度を増して打ち終えた海人へと向かうも、前にいた空人がラケットを届かせてヘアピンで落とす。それを読んでいたのか、吉田が既に前に飛び込み、ヘッドをかすらせてスピンヘアピンで返す。だが、不安定なシャトルを空人はクロスで打ち返す。それを最小限の動きで吉田もただラケットで触れるようにしてネットを越えさせた。
 そこから数度にわたって繰り広げられるヘアピンの応酬。自分ならば二度もやりあえばネットに引っ掛けるだろう。細かな動きの中でも吉田と空人の体から強い集中力が発せられている気配が読み取れた。

(疲れてるのに……こっちも集中力は高まってるんだな)

 前衛の攻防は十度を数えて、空人のシャトルが少しだけ浮いたところを吉田が相手コートへと叩きつけた。

「ポイント。イレブンテン(11対10)」
「しゃあ!」

 吉田が武から見れば珍しい、咆哮を上げる。
 天井を見上げて拳を突き上げ、まるで勝ったかのごとく。
 それは周りで見ていた人々も同じだったのか、拍手が巻き起こった。
 上を見回せば、既に試合を終えているプレイヤーが武達を覗き込んでいる。フロアへ視線を向ければ、試合をしているのはここだけ。
 武達の試合が終われば時間調整後に決勝が行われるのだろう。今、ここに全ての視線が集まっている。
 武達へもう一本の声。空人達へストップという声。
 まだ後で試合が残っている。
 それでも、今この場に全てが集まっている。
 こみ上げる感情は、学年別大会の決勝の時に似ていた。一回戦負けだった自分が優勝できるほどになり。全道大会に出られるようになり。
 そして、最高のライバル達とここまでの戦いを繰り広げている。

(ここで、由奈がいてくれたらな……もっと、嬉しいよな)

 遠くまで来たからこそ。一番傍にいて欲しい人の声が欲しい。
 武も強くなることが孤独に耐えていくことだとは分かってきていた。吉田や、早坂の位置までたどり着いたことで。
 それでも今の限界が近い時には、力が足りない。

(もう少しなんだ。もう少し。耐えてくれよ)

 吉田がシャトルを受け取るのを見て、武も吉田の後ろへと移動する。今度はふらつきはせずにしっかりと最初から腰を落とした。
 そこに、言葉が届いた。

「焦らず一本!」

 歓声が混ざり合う中、唯一しっかりと耳に届いた言葉。そして声。
 昔から聴きなれた、そして昔では聴くことが出来なかった言葉が、自分に届く。
 それだけで自分の中に力がみなぎって来る。
 早坂が発した激励の言葉を皮切りに、小島や女子達の声。そして川瀬や須永までも声を出して武達に声援を送っている。

(そうだ。俺は一人じゃない。皆いるし、目の前にこんな頼もしい仲間がいる)

 ここまで連れてきてくれたパートナーと共に、決勝の舞台へ。

「一本!」
「おう!」

 吉田の咆哮に合わせて武も叫ぶ。サインはロングサーブ。これまで一度も使っていない手。武は少しだけ左足を後ろに下げた。ロングサーブならばすぐさまサイドバイサイドの陣形を取らなければ相手の速度に対応できない。
 吉田はショートサーブの姿勢を崩さず、シャトルを打ち出した。分かっている武でさえ間違えそうなほどに、ショートと同じフォーム。
 だが、海人は飛び上がりシャトルを捉え、一瞬で武達のコートへと叩きつけていた。

「サービスオーバー。テンイレブン(10対11)」
「くっ」

 スマッシュに対して全く動けなかった武。微かに上がっていたラケットを下げて、シャトルを拾い上げると海人へと返す。
 全く同じのはずのフォーム。初めて打つロングサーブ。並大抵の相手ならば、取れないはずだ。それでも海人は反応した。集中力が高まっているのは相手も同じらしい。

「モーション盗まれたみたいだな」
「モーションを、盗まれた?」

 武が首をかしげる前に、吉田は顔を拭く動作をしてタイムをかけた。武も共にコートの外に出てタオルで顔を拭く間に、吉田が呟く。

「ああ。いくらなんでもあのサーブに後から追いつけるなんて人間技じゃない。それが出来るのは、俺が知ってる中じゃ一人しかいない」
「それって」
「ごめん。それは誰かは今はどうでもいい。ただ、海人は多分反応しきれないはずだ。出来てたら、もう試合は俺らが負けてる」

 ぼんやりと思っていたことを、吉田が形にする。
 今のサーブを叩いたようなことを、後から反応して出来るような敏捷性があるならば、自分達はもっと早く負けていただろう。

「なら、どうやってモーションを盗んだんだ?」

 当然の疑問に、吉田は一度タオルで顔を思い切り拭いてから投げ捨て、呟いた。

「多分、武の動きだ」

 言葉の意味を聞き返そうとしたが、汗を拭く間の短いインターバルではここが限界だった。吉田の後ろに付いてコートの中に戻る。言葉を反芻して、その意味を考えてみた。

(俺の動き……吉田のサーブがロングだとわかって、俺は左足を下げた。それが今までの動きと違ってたってことか?)

 空人がシャトルを持ち、サーブ姿勢をとる。武もレシーブのために前傾姿勢をとった。いつでも前に飛び込めるように。相手のサーブがどちらなのかをある程度意識する。

(ショート!)

 シャトルが放たれた瞬間、前に飛び出した武の視界を外れるようにシャトルが飛んでいった。
 吉田のお株を奪うロングサーブ。海人には完全にとらわれ、空人には完璧に読みをはずされた。武が後ろを振りむくと、ちょうどダブルスのサーブライン上へと落ちた。
 これまで長時間試合をしてきても、更に精度を上げている空人に武は戦慄する。

(余力はまだまだあるってわけか……くそっ)

 焦りと怒りに思考が侵されそうになり、武は一度息を吐いた。限界まで吐いた後で少しだけ吸う。最低限必要な空気を取り込んだことで、余計な思考が一度消え去る。残るのは、目の前の相手と吉田の存在だけ。

(気を取り直すしかない。香介ならやれる)

 武は後ろに下がり、吉田の斜め後ろで腰を落とした。
 ポイントは十一対十一。第二ゲームが始まってから一、二点得点してからサーブ権が移動するという状況がずっと続いていた。
 一進一退で続いている試合展開を、突き放すならば今は絶好のタイミングだった。吉田のロングサーブの失敗。空人の成功。おそらくは、ロングサーブを打ったのもこの対比を生むためだろう。自分達は失敗し、相手は成功した。ここに実力の差を感じ取り、集中力を乱せば押し寄せる津波に抗えずにやられてしまうだろう。

「ストップ!」
「ストーップ!!」

 吉田よりも大きく、腹から声を出す武。声だけで相手を振るわせようとするように。だが空人は何のためらいもなくロングサーブを打ち出した。

(また――!)

 武は即座に前につめ、吉田はスマッシュで弾道を低く落とす。ロングサーブを打った空人がそのまま前に入ると、クロスヘアピンを打ってきた。武の前を横切るように進むシャトル。先ほどの吉田と空人のヘアピン勝負を思い出し、即座にロブを上げた。自分が勝てるとは思っていないことによる早い判断。しかし、それは読みやすい思考だったのか、海人は既にシャトルの落下点に入り込んでいる。

(しまった!)

 海人は飛び上がり、この試合一番の咆哮と共にスマッシュを武へと打ち込んだ。シャトルは武の顔の横を抜けてコートへと突き刺さる。
 その速さに、武は防御姿勢をとっていたにも関わらず動くことが出来なかった。

「ポイント。トゥエルブイレブン(12対11)」

 あっさりと逆転されたこと。
 このゲームを取られるまでに、あと三点となったこと。
 そして、この終盤でまだこれだけのスマッシュを打てるという事実。武の心にかげりが広がっていった。

(負ける、のか?)

 自分にはもう今ほどのスマッシュは打てないと気持ちが落ち込む。その時、背中に軽く衝撃が来た。
 痛みを伴ったことで思考が一度途切れる。振り返ると吉田が怒ったような顔で武を見つめていた。

「ここが正念場だぞ。ここで抑えろ。全力を注ぎ込め。速いショットが打てる奴が強いわけじゃない。最後まで諦めない奴が強いんだ」
「香介……」
「諦めなきゃ、絶対なんとかなる!」

 もう一度、ラケットで右肩を叩いて吉田は自分のレシーブ位置に立つ。目の前に視線を向けると既にサーブ位置に立って睨みつけてくる空人の姿。
 まだ道は途切れていない。

(そうだ。まずは、サーブ権を奪い返す)

 武はネットを越えた場所にあるシャトルに、全神経を集中させる。
モドル | ススム | モクジ
Copyright (c) 2011 sekiya akatsuki All rights reserved.