Fly Up! 161

モドル | ススム | モクジ
 ファーストサーブを吉田がもぎ取り、負けた空人が憮然とした表情でレシーブ位置へと戻る。吉田もゆっくりとサーブ位置についてシャトルの羽根を丁寧に伸ばす。

「武。最初から一気に行くぞ」
「最初からそのつもりだよ」

 第一シードに勝ったとはいえ、自分達が格下なのは間違いない。一瞬でも気を抜けば流れを持って行かれて終焉だろう。
 坂下達と試合をした時のように、攻め続ける。それしか手はない。

「あいつらの武器は連携の正確さだ。双子だからなんてことは信じない。あくまで練習で身に着けたものだ。俺達も、練習や今までの試合で身に着けてきたはずだ」

 吉田が言いながらサーブ体勢をとる。武も言葉を聴きながら腰を落としてプッシュに備える。体力に不安は残るが、もう気にしてはいられない。

「一本!」
「おう!」

 吉田のショートサーブが丁寧にネットぎりぎりを超えていった。越えた瞬間に空人が左サイドへとプッシュする。ラインぎりぎりに落ちんとするシャトルを、武がロブで大きく相手コートへと返した。そのままサイドに広がる武の目にはコート奥ですでに照準を合わせている海人の姿が映る。

「うらあああ!」

 響く声と共に放たれたシャトルはストレート。武の胸部めがけて突き進む。だが、武は体を低くして一歩前の打点でラケットを立てつつはじき返す。勢いのままで前に踏み出すと、目の前には空人。武が打ったシャトルをカウンターで打ち込む。武は寸前でかわし、前衛として腰を落とした。
 空人の顔が一瞬だけ歪むのが見える。後ろを振り向かなくても、吉田がシャトルを前に返したのが分かった。そのシャトルをヘアピンで落とそうとラケットを寝かせて向かう空人をマークして武も移動する。前衛の技術で劣る武には少しでもプレッシャーをかけて玉際を死守しようとしていた。
 その結果か、空人はヘアピンの体勢からロブを上げる。綺麗に横に並んだところに吉田からのスマッシュがコート中央へと叩き込まれたが、海人が返す。そこに武がシャトルへと渾身のジャンプでラケットを届かせてインターセプトし、ネット前に落としていた。

「ポイント。ワンラブ(1対0)」

 客席から拍手がパラパラと聞こえる。今の攻防が綺麗に流れていたからだ。だが、武も吉田も応えられないくらいに消耗している。

(なんだ、これは。ただのラリーが、きつい)

 派手さはない。一つ一つの攻防も、これまで体験してきた流れと被るものはある。だが、ショットの精度も速度も威力も、今までの比ではない。それこそ、第一シードと試合をした時にも感じることが出来なかったものがここにはある。

(どういうことだ)
「なんか動揺してやがるから、はっきり言うぜ」

 ネットを挟んで向かい側。空人がまっすぐに武の目を射抜く。普段は弟に比べればまだ温厚な口調も、既にきつく臨戦態勢に入っている。

「あんたらが倒した第一シードよりも、俺達のほうが強いぜ」

 それだけ言ってシャトルを武に渡した空人はレシーブ位置に戻る。
 武は一つ息を吐き、吉田へとシャトルを手渡した。

「やっぱり強いな」
「ああ。あいつの言う通り、俺達は第一シードに勝ったが、あいつらには勝ってない。それだけが事実だ」

 吉田の言葉は武の胸に改めて刻まれる。
 無意識にでも、第一シードに勝ったことで油断が生まれていたのだろう。前の試合の時は試合で追い詰められた中で覚醒したが、今回は最初から急な流れを感じている。それだけ実力が飛躍的に上がったのだろうが、まだ感覚が完全に追いついていないのだ。

「まだ対戦したことないからこの位置なだけだ。俺達が勝って、奪い取る」
「その通り」

 吉田の後ろについて、次のサーブを待つ。次は海人へのサーブ。レベルが高い中でも、それぞれ個性はある。空人は、一番初めからサイドぎりぎりを狙っていった。坂下や川島はコントロールよりも威力重視で来た。海人はどうか。

(来たシャトルをまずは返す。読みよりも、反射神経。集中だ)

 一つ一つ、息を吐いて吸う度に雑音が消える。目に映るのは吉田の背中と、ネット奥にいる海人。強者と試合をして得た、しっかりとロブを返すこと。それさえすれば、試合が続きさえすれば必ず勝機が訪れる。

「一本!」
「一本!!」

 吉田の叫びと合わせ、より腰を落とした。同時にシャトルが放たれ、海人がプッシュで押し込む。特に変わらないストレートプッシュが武が構えていたところに打ち返された。

「はっ!」

 シャトルをしっかりと奥に返す。そこから次の手に備えて目の前の相手を視界に収める。その集中の深さに、意識の一部が切り離された。

(この集中の深さ……川島達とやってからだよな)

 今、自分が沈んでいる集中力という海の深さに感覚が追いついた。
 シャトルを海人と空人の間へと落とすように打つ。少しでも思考に迷いが生じるようにと考えるが、既に対処法は心得ているのか、武から見て右側にいるプレイヤーが打ち返している。即ちフォア側で打ち返せる者が。

(完全な役割分担。自分達のやることがわかっているから、それ以外は切り捨ててるって感じだな)

 ローテーションで右にいる時、左にいる時、前にいる時。そして後ろにいる時。
 すべての場合で自分が行うべきことは異なる。それでもコートを縦横無尽に動き回る中で思考と行動がずれていき、そこが隙となってしまう。
 だが、今ベスト4に残っている四組はどこもそんな隙はない。自分達の中で確実に血肉と化し、対策を行える段階に来ているはずだった。だがその一組である武達から見ても、橘兄弟のローテーションは完成しているように見えた。

(無駄な動きが一切ない。お互いの姿を見なくても、状況によってお互いの位置を分かっている。だからこそ、追突もせず、シャトルを拾う役割分担も決まってる。迷いがない)

 迷いがない相手を揺さぶるにはどうすればいいか。隙を見出せないなら隙を作るしかなく、隙を作るには相手の体勢を崩すしかない。それは詰め将棋と同じ。一つのショットが三手先の相手の動きを縛る。だが相手も同じように自分の動きを制限してくるはずだ。相手の手を摘み取り、自分の手を有効にする。手持ちの武器はほとんど同じ。
 正に盤上の戦い。

(第一シードは力技。こいつらは、本当に頭を使う)

 だからこそ、疲労が激しいのだとようやく理解する。
 集中力が高まって相手の動きがしっかりと見えてくると、集中に感覚が追いついていなかった以上に相手の動きを予測するパターンが増えていることに武は気づいた。それが意識できていなかったからこそ、疲れが急に増えたように感じたのだ。

「おら!」

 体勢を崩すためにあえて真正面にシャトルを飛ばす。そこには橘海人。移動してきた瞬間を狙って打ち込んだシャトルは、顔面へと飛んでいく。ラケット面を目の前に立てて打ち返さなければならず、返し辛い。だが海人は真正面にただ押し出すだけで前に落とし、そのまま前衛にいる吉田へ迫るかのようにネット前に近づいた。ラケットを掲げてシャトルのコースを塞ぐ。
 吉田は一瞬の躊躇もなく海人の顔面を通るコースにロブを上げた。

 シャトルはしかし、ラケットの横を抜けて高く舞い上がった。

(読んでいたか)

 タイミングがほんの少しだけずれており、うかつに手を出せばフレームにはじかれる。それを計算して打った吉田。そしておそらくは、その思考を読んで手を出さなかった海人。更に既にコート奥で構えている空人。そのままスマッシュで武と吉田の間へとシャトルを叩き込む。武がバックハンドで構える前に吉田が左奥に弾き返し、少し横に広がって腰を落とす。
 武もワンテンポ遅れて防御姿勢をとったが、その隙を見逃さなかったのか空人のスマッシュが叩き込まれる。

「うわ!」

 強引に体をひねってバックハンドからシャトルを返す武。しかしシャトルが向かった先にはすでに海人が立ちふさがり、ラケットで捕らえている。

「おぅらあ!」

 完璧なタイミングで渾身の一撃をコートに叩きつける海人。込められていた力により、シャトルから羽根が飛び散った。
 そこまでしなくても一点は取れていたはずだが、海人のほとばしる気迫を前面に押し出している。

「サービスオーバー。ラブワン(0対1)」

 シャトルを拾い上げて、武は審判に替えを要求する。すぐに審判から海人へと新品のものが渡された。空人に手渡り、サーブ体勢をとる。武もそれに合わせて迎撃姿勢を作った。

「一本!」
「ストップ!」

 シャトルが打ち出される瞬間を見極めて、前に出る武。自分の高まっている反応速度に今度は体もちゃんとついていき、踏み込んだ足が体を支えたことで綺麗な弧を描いてシャトルが落ちていく。空人がシャトルを高く上げるところにラケットを突き出すも、シャトルは捕らえられなかった。

(仕方がない。まだこれでいい)

 それでも打つ瞬間の軌道は読めてきている。今は相手の速度に慣れることこそが大事。常にプレッシャーをかけていくことが後々生きてくるはず。
 吉田が大きく弧を描いたハイクリアを打ち、武は前衛からサイドへ広がった。今度は海人が後ろで構え、スマッシュを打ち込んでくる。再び武のほうへと。ストレートにロブを上げて体勢を整えている間に、自分の思考を落ちつかせた。

(俺を狙ってきている)

 吉田よりも細かいコース狙いが出来ないという点で、狙いをつけてきているのだろう。そう武は分析する。

 ならば、と武は腰を更に深く落とし、防御姿勢を整えた。
 今の段階でうかつに攻撃に転じた場合、カウンターを狙われる可能性が高い。そうなれば自滅して得点を重ねられるだけ。しかし、こちらも防御することに全力を注げば、耐えることは出来る。そしてチャンスが来る。

(簡単にやられない。そして、必ず突破口を見つける。そうすれば、香介が見逃さない)

 いつもとは逆。吉田が隙を作り出して武がそこへシャトルを叩き込む。いつも行っているプレイを逆にしてみる。役割が逆になっても戦えると武は確信があった。今までの試合で鍛えられた技量があれば。

「ストップ!」

 海人のスマッシュを一歩前で返す。弾道上にかざされた空人のラケットをカバーするように吉田が前につめ、かわすために空人はシャトルを軽く弾いた。ふわりと浮いて吉田の背中に落ちていくが、吉田は体を回転させてバックハンドで高くロブを上げる。遠心力に逆らわずに回転し、そのままサイドへと広がった。武も逆方向に動いてすぐに腰を落とす。海人のスマッシュが眼前に迫っても武はラケットを立てて自分から飛び込む。シャトルは弾かれてネット前に落ち、空人がすかさずロブを上げる。
 吉田のスマッシュなら取れると思ってか。十分な時間、空を落ちていくシャトルを吉田が捕らえ、スマッシュを放った。

「はっ!」

 吉田のスマッシュは鋭くダブルスサイドラインに落ちていく。だが、空人が瞬時に追いついてストレートにロブを返した。弾道は低く、吉田にバックハンドで返させるための布石。
 しかし、シャトルをインターセプトしたのは武のラケットだった。
 シャトルは弾き返され、橘兄弟のテリトリーに落ちていた。

「セカンドサーバー。ラブワン(0対1)」

 体勢を崩した武は膝から床に落ちるもすぐさま立ち上がる。吉田に歩み寄って手を掲げ、ハイタッチを引き出した。

「ナイス」
「なんとかね」

 狙ってインターセプト。それは何より、橘兄弟の予測よりも武が早く高く動いたということだ。今までの自分よりもより速く、より高く。そうでなければ勝てない相手。常に自分の最大を超えなければならないのは、体力的にも精神的にも辛い。

(それでも、やらないと駄目なんだ)

 武の心に一つ、覚悟が刻まれた。
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